狐の嫁入り

「こんなところにいたのか」


友人の声に狐の親父は顔を上げた。


「こんなところにいたら悪いか」


ぶっきらぼうにそっぽを向く。


「そんなこと、俺は言っていないだろう。早く家に帰ってやらんか。娘さん、待っていたぞ」


親父はふてくされた顔になった。


「なんだ、喧嘩でもしたのか。出発は明日だというのに」


友人の指摘にますますふてくされる。


そう、娘と一緒にいられるのは今日までなのだ。


明日、親父の娘は隣の山の狐の下へ嫁入りする。


それなのに親父は娘に何も言えず、言う言葉を捜しているうちに山の山頂まで来てしまった。


娘は何も聞いてこない。まるで親父が悩んでいることを知っているようだった。


「喧嘩はしていない。ただ、かける言葉が見つからんのだ。」


親父は友人の知恵を借りようと思った。


「そうか。別に言葉だけが全てではなかろう」


かける言葉くらい自分で決めろと言外に言われた気がした。


黄昏を背に家に帰ると、女房と娘がそろって出迎えてくれた。


「あなた、おかえりなさい」


「おかえりなさい、お父さん」


二人があまりにもいつも通りなので、親父は少し拍子抜けした。


「ああ、ただいま」


娘の好物ばかりの夕食を食べ、風呂に入って居間でくつろぐ。


本当にいつもと変わらない。


だけれども、明日には娘はいなくなってしまう。


親父は娘の部屋に行った。


「あら、お父さん。どうしたの?」


娘の部屋には明日着る白無垢が置いてあった。


やはり、嫁に行ってしまうのだ。


「お父さん?」


親父は娘の顔をじっと見た。


もう嫁に行くほどに大きくなったのか。ついこの前生まれたばかりだと思ったのに。


目を伏せ、大きく息を吐くと親父は娘の頭を軽くなでた。


「明日は早いから、お前も早く休め」


それだけ言って、親父は部屋を出た。


眠ることができなかった。


朝からきれいな青空がのぞいていた。


着飾った娘を見て、親父は言葉が出なかった。


今までで一番きれいになっていた。


娘の婿になる若者が親父のところへ来て挨拶をしていった。


相変わらず、とてもいい青年だった。


きっと娘は幸せになれるのだろう。


そう思うと胸が熱くなった。


行列が出発した。


娘がいるのは行きの道だけ。帰りは女房と娘のいなくなった家に帰らなければならない。


寂しい。


ああ、寂しいさ。


手をつないでいたのは、守ってきたのは俺だったのに、もう娘を守るのは俺ではないことがとてつもなく寂しい。


大きく息を吐くと、胸と目頭が熱くなった。


すると、


雨が降ってきた。


雨雲はなく、空は青いままに雨だけが優しく降ってきた。


寂しさと、喜びの雨だった。


親父は涙を雨に変えた。


どうか、幸せに。


寂しさで言えなかった言葉を、今、雨に託して。


そっと見えた娘の横顔は笑っていた。

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