パート4
それに気付いたのは、当然であるが、夕希よりも男たちの方が先であった。夕希が背にしている鳥居の向こうから、二つの人影が上がって来たのである。月光を浴びる二人は、浴衣姿の朝香千恵と、薄手のジャケットに七分丈のジーンズ姿の東堂真橘であった。
「あんたら、いい加減にしな……」
千恵が、男たちを睨み付けて言った。硬い声音であった。夕希の前にへたり込んでいる瑞穂の姿を見て、更に、千恵の怒りが増したようであった。
「そーだよ」
反対に、真橘の声は平生と何も変わらない。それ所か、
「じゃなきゃ、みぃんな、はっ倒しちゃうぞ」
と、唇を吊り上げながら、言ってさえみせた。
「尤も、そうでなくとも、一人や二人は危ないかもね……」
真橘が前に出て来る。夕希の横に並び、追い越した。男たちが見ている前で、自然と瑞穂の横に立ち、「大丈夫?」と、声を掛ける。この時点で、五人が五人とも真橘のリーチの中に入っており、タイムラグは発生するであろうが、真橘の攻撃で倒されてしまうだろう。
「夕希ちゃん……」
千恵が言った。それで、すぐ隣までやって来た千恵に、夕希が顔を向けた。
「怖い顔だな……」
「――」
「ここは、私たちに任せて」
千恵は浴衣の袖を捲り上げ、裾を捌き、動き易い姿になった。
「何の心算⁉」
女が、二人に言った。
「あんたたちが誰かは知らないけど、これは、私たちとその子の問題よ。口を出さないで」
「口なんか出さないよ」
真橘が、にへら、と、笑い、男の一人に近付いてゆく。スキンヘッドの男であった。スキンヘッドの男と、手を伸ばせばそれだけで触れ合う距離にやって来て、にんまりとした笑顔を男に向けた。
刹那、スキンヘッドの男は、真橘が自分に叩き付けた殺気に驚いて、思わずパンチを叩き込んでしまった。
真橘は左足を後ろに引きながら、右手を跳ね上げていた。その掌底が、男のパンチを躱しざまに顎にヒットして、男が天を仰いで、そのまま背中から倒れてゆく。脳震盪を起こしたのである。
「正当防衛って奴だね」
そう言って微笑む真橘に、逆上した男たちが掴み掛る。その内の二人を、真橘はスキンヘッドの男にしたのと同じく掌底で顎を狙って倒した。
長髪の男を含むもう二人が、真橘をターゲットから外して、千恵に襲い掛かった。
長髪の男に対し、千恵は下駄を思い切り踏み下ろした。足の甲に下駄の歯が突き立ち、痛みに怯んだ所、咽喉元に平拳を突き入れる。
もう一人の相手に対しては、振り向きざまの手刀で鼻の上を鋭く撫でて眼を瞑らせ、その間に回し打ちでこめかみを強打して意識を失わせた。
倒れ込んだ二人に対して残心を取り、長髪の男がぴくりと手を動かした瞬間、飛び掛かって腹部に下駄での蹴りを打ち込んだ。
「くっ」
唇を噛んで、女が逃げ出そうとする。その後頭部目掛けて、千恵が履いていた下駄を放り投げた。下駄の爪先が女の後頭部にクリーンヒットして、女は石段の上にうつ伏せに倒れたのであった。この時に聞こえた嫌な音からすると、鼻骨や前歯の幾らかは折ったものと見える。
余りにも呆気ない幕切れであった。
「星沢さん、もう大丈夫だよ」
真橘が、夕希の肩に手を置いた。
刹那――
「ひゃあああっ!」
夕希の拳が、真橘の顔に向かって、勢い良く跳ね上がっていた。真橘は、顔を傾けてパンチを躱すと、身体を半回転させ、夕希の腕を肩に背負って、腰を跳ね上げて夕希を放り投げようとした。
身体を落とす寸前、真橘が腰を落として堪えなければ、夕希は顔面から石畳にぶつけられ、自然落下ではない分、あの女よりも悲惨な事になっていた所だ。
「びっくりしたな……」
「……あ、ああ、あの……っ、ご免、なさい」
真橘が、夕希の身体をゆっくりと地面に下ろした。夕希はそれから、自分のやった事の突飛さに気付いたらしく、頭を下げた。
「しょうがないよ。私に向けなくちゃ、何するか分からなかった」
「え……」
「殺す気だったんでしょ、あの人たちの事」
地面に座り込んだ夕希に、手を差し伸べて立ち上がらせながら、真橘が言った。
「そ、そんな事……」
「いやいや、めっちゃ怖かったよ、星沢さん」
「――」
「死ぬ気って言うのかな……あの状況をどうにかするには、それぐらいの気持ちが必要だって、思ったんだよね。死ぬ気で大暴れして、連中の一人か二人は――って、思ったでしょう」
「――」
その通りであった。
死ぬ――そのような意識が、夕希の中には生まれていた。あの場から、彼らに屈しないまま自分も瑞穂も助かるという、奇跡のような願望を実現する為に、夕希は自分の生命を、言うなれば神のようなものに捧げようとしたのだ。それが死ぬという意識の正体であり、自分の生命を代償に、奇跡を望んだのである。
「連中にはそれが分からなかった。だから、あんな不用意に近付いちゃったんだね」
真橘の言う通り、男たちの動きは不用意であった。空手を学んだとは言え、その期間は短い上に、相手は少女一人。五人の、喧嘩慣れした男たちが侮らない理由はなかったのである。
捨て身になった夕希が、男たちの侮りを無視して何をするか、分かったものではなかった。殺すとまではいかなくとも、それなりの怪我くらいはさせていたと思う。真橘と千恵が忽ち勝利出来たのも、その隙を突く事が出来たからでもある。
「暴力に身を置くのなら、これは、忘れちゃいけない事だねぇ」
うんうん、と、頷く真橘に、夕希が、
「恐怖を、ですか」
と、言った。
「え?」
「自分が、殴られたり、蹴られたり、殺されたり……そういう事をされる恐怖を……」
「――」
「人を傷付ける時……それが、どういう場合であっても、傷付けたならその分だけ傷付けられるって、そういう恐怖を、忘れちゃいけないって事ですか。その怖さが分からない人に、拳を握る資格はないって……そういう人と向き合っても、怖くないって」
「まぁ……つまりは、そういう事かな」
真橘が、頭を掻きながら、頷いた。
「とすると、死ぬ気……殺される覚悟が出来ちゃった星沢さんには……」
真橘は夕希の顎に拳を当てた。つるりと丸い拳は、芸術品のようでありながら、それと同じだけの殺意を滾らせる事が出来る凶器であった。
夕希は、押し当てられた拳に生唾を呑みながらも、頭の中では自然とこの状況をどのように脱し、真橘を制するのか、考えるようになっていた。真橘もそれに気付いたらしく、
「忘れないでね、それ」
と、夕希の胸の真ん中を、軽く叩いた。
「“撃って良いのは、撃たれる覚悟のあるものだけ”……か」
「あ、それ知ってます。アニメで……」
夕希がそう言い掛けた所で、真橘が、顔を千恵の方に向けた。千恵は、瑞穂に駆け寄って、縄をほどいてやっている。
「瑞穂……」
ぽつりと、千恵がその名を呼んだ。単なる、傷付いた後輩を気遣うばかりではない、安心と、後悔と、どうしようもない愛しさが、その声には籠っていた。
「千恵先輩?」
夕希が首を傾げる。その視界の隅で、千恵の下駄を喰らって倒れていた女が蠢くのを見た。しかも、その手にはナイフが握られている。千恵の背後に位置していた女は、ポケットから折り畳み式のナイフの刃を跳ね上げて、赤い涎掛けをした悪鬼の形相で駆け出そうとしていた。
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