パート2
千恵が、技を解く。
「今のが、ユーリがやった技なんだけど……感想は?」
「……反応、し切れませんでした」
千恵の動作の前に、為す術もなく投げられ、極められた夕希は、そう言ってから、
「いえ、反応し過ぎたのかもしれません」
と、言い直した。
「肘の痛みに気を取られている内に、脚を刈られていましたから……」
「……夕希ちゃんは本当、鋭いよねー。それが、柔術の基本さ。一つの関節を極めて、その反応を利用して、次の関節を極めてゆく……」
千恵が、倒れている夕希に手を貸して、立ち上がらせた。
「達人のクラスになれば、これは、もう打撃と変わらない。打撃だって、ワンテンポで出せるって言うけど、実際には……」
千恵は、その場で正拳突きを放って見せた。スタンダードに構えて、軽く開いた両足をひねり、そのひねりを腰に伝えて、右拳を繰り出したのである。美しく整った、見事な一発であった。
「分かるかな」
「……押忍」
夕希は、千恵が足をひねったその威力が、膝、腰、背骨、肩、肘、と、伝わって、パンチの威力に変化してゆくのが分かった。
千恵は、つまり、打撃にせよ、関節技にせよ、本当のワンテンポという事はなく、何らかの段階を経て、そのような形になるのだと、言っていた。
打撃では、一拍の内にある複数の拍子を短くしようとする。関節技では、複数の拍子の間隔を長引かせるよう、相手の関節を操作する。
その技を極めたものにとっては、打撃であろうと、関節技であろうと、変わらないのだ。
「ユーリが見せたあの技で、真橘は、今までの教えに疑問を持つようになった。自分のパンチが相手の顎に入る前に、蹴りが鳩尾を貫く前に、あの技を使われたら、勝てるだろうか」
「――」
「そう思ったら、確かめずにはいられない。空手オタクで、強さへの欲求が異常で、その上、アナログなあの子は、自分の足でユーリの居場所を掴み、試合を申し込んだ」
「試合を……」
「柔道の教室にツテがあったとかで、彼女のトレーナーが講師として招かれたのよ。そのトレーナーと一緒に、ユーリは日本に来ていて、それで一緒に稽古をしていたらしい」
「そこに、東堂さんが?」
「うん。当時、ユーリは今程じゃないにせよ、同年代の間ではかなりのビッグネームだったね。今も言われてる“ロシアの妖精”って愛称は、その頃からのものだよ。そんな相手に、まだ無名だった真橘が、試合をさせろったって……」
「それで、どうなったんですか?」
「何と、ユーリは試合を受けてくれた。いつ、何時、誰の挑戦でも受けるって奴だね」
「そ、それで……」
「結果は、残念ながら、真橘の敗け。私も見た訳じゃないから詳しい事は知らないけど、ユーリはこの頃でも、幾らか打撃の技術を学んでいたみたいね。次の日、真橘は学校に、足を引き摺って来たから、多分、足関節を極められたんだろう。それと、頭にたん瘤。これは、ユーリのキャンドルキックだな」
ユーリの股関節の柔軟性については、既に述べて来た通りであるが、それを最大限発揮する、ユーリ=リピストークの必殺技と言えば、キャンドルキックの名が挙げられる。これは、自分の頭越しに、背後の相手を打撃する蹴り技である。
昨年のバーリトゥードトーナメントで、極め技として使用された場面もあった。
この技の構想自体は、つまり、真橘と戦った時からあったという事になる。
「それからだなぁ」
池の畔に立ち、煌く水面を眺めながら、千恵がしみじみと言う。
「それから……?」
「真橘が、関節技を学ぶようになったのは」
「――」
「ユーリに敗けた理由は、自分がサンボを知らなかったからだ、ってね。それ自体は悪い事じゃないよ。人間は、自分がやって来なかった事や知らなかった事には、対応出来ない。それを知ろうとする事を、悪いなんて言う事は出来ない」
「――」
「問題は、真橘が、自分を敗けさせたユーリを、ずっと自分の上に置きたがった事」
「自分の上に……? それって、変じゃないですか」
「変だよ。言ったでしょ、あの子は、常に矛盾してるんだ」
「――」
「ユーリに敗けた事が悔しくて、ユーリに勝つ為に、ユーリより強くなる為に、関節技や投げ技なんかを学び始める。あの子は単純で、しかも、天才だ。だから、付け足せば付け足す分だけ、強くなれる。やれば出来るを体現してしまえるんだよ、東堂真橘って子は」
「やれば、出来る……」
「やらなくちゃ出来ない。でも、やったからって出来る訳じゃない。これが普通の人間さ。今までやって来なかった事が、やってみたら出来るようになったって不思議じゃない代わりに、どれだけ頑張っても、努力しても、届かない場所がある。絶対に実現不可能って事も、絶対に実現可能だって事も、ないんだ。真橘だって、それは同じだけど、あの子の場合、空手……ううん、強くなるって事に関して言えば、私や夕希ちゃんみたいな、他の人間と比べると、そういう才能が少しばっかり突出してるんだ」
「――」
「その上、異常なまでに、ストイック。戦う事をやめない、餓えた鬼……」
「――」
「だから、自分が一番高い場所にいても、他の人間よりも自分が下にいると思い込む。何処までも高く飛べる、そう思い続けるには、何処までも高い空が必要だからね」
「――」
「そんで、性質が悪い事に、それを、人にも求めちゃうんだ」
「それは……別に、悪い事だとは思いませんけど……」
夕希は、東堂真橘という人物を、謙虚な人間であると思った。誰よりも強いと周りが言うのにも拘らず、自分は未熟であると言って、求道をやめる事のない。それこそ、純粋に修行に邁進する武士や沙門のそれである。
夕希は自分を誇る事が出来る性質ではないから、何かの結果に対して褒められた場合、胸を張って返事をする事が出来ない。自分に自信がないからだ。が、若し、少しでも自分に自信がある点で讃えられた場合、増長してしまいそうにもなる。
若し、真橘のような強さを持っていたら、きっと、それを他人に自慢したくなる。誰が見ても、人に誇れるものを持っているのに、それを未熟だと言える真橘が、凄いと思った。
「確かに、鼻高々とぺらぺらお喋りをする奴は、気に喰わないさ。でも、真橘は……そうだな。あれは、如来だよ」
「にょらい?」
「仏陀――目覚めた人。お釈迦さまだね」
仏陀とは、真理に目覚めた者の事である。インドの、サーキャという王族に生まれたガウタマ=シッダールタは、修行の果てに、極端な苦行や、享楽に耽る生活よりも、その間にある中道を見出して、世界がそうした苦楽の行き交うものであるという真理に覚醒した。この真理を人々に伝える為に、シッダールタは遊行の旅を始めるのだが、この時、彼は、
“私は仏陀である”
と、告げている。
自分は悟りに目覚めた者だと告げる事は、自分が優れているという点をアピールする事になる。だが、これは嫌味ではない。自分が覚者であると明確にする事で、人々を苦しみから救済する教えを広めようとしたのである。
「あの子は、独覚になるには、名前が広まり過ぎた」
独覚というのも、仏教用語である。
仏教の歴史には、釈迦の入滅以来、幾度かの思想の分裂があり、自ら悟りを得る為の上座部と、遍く衆生の救済の為の大衆部(大乗)という二派が、その最たるものだ。独覚というのは、衆生の為ではなく、自らの為にのみ修行し、自らの為にのみ悟りを得た仏の事だ。
強くなるという目的は、自分の為のみのものである。だが、そうした東堂真橘を、周りの人間やメディアが、面白おかしく祭り上げてしまった。
本来は独覚であり、自らが満足する為の修行であったのが、いつの間にやら、釈迦とは違って周りの人々の手で、大乗の船の舵を取らされる羽目になったのだ。
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