私、まだ……駄目だよね
パート1
入学式から一週間程経ったその日、新入生の為の部活動紹介が行なわれていた。各部室や体育館、講堂、中庭などを使用して、それぞれの部活が生徒を呼び込もうとしている。ちょっとした文化祭の様相である。
千恵が所属している空手部は、講堂を使用する。吹奏楽部やブラバン部、ダンス部、チア部などに混じって行なわれる空手の演武は、或いは浮いているとも見えるだろう。しかし、千恵がやってみせたデモンストレーションは、新入生の脳裏にしかと焼き付いた事と思われる。
先ず、男女数名で、型の表演をやった。基本の太極、次いで平安、そして鉄騎。
次に、女子学生によるミット打ち。最後に千恵を含めた数人が出て来て、試割りをやった。試割りとは、積み重ねた瓦や、木の板などを、空手の技で割ってみせる事である。
三年生の男子が、瓦を一〇枚、手刀で割った。
同じく最上級生の女子が、四方蹴りで四枚の木の板をそれぞれ真っ二つにした。
そして千恵が、コーラの瓶の首を三本同時に飛ばし、両手で持っても余る大きな石を、手刀で両断した。
空手の事を良く知らない学生も、その光景には驚き、歓声を上げていた。夕希もその中の一人で、あんな事が出来るのならば、やくざの威を借る女子高生などに怯えないのも、さもありなんと感じた。
空手部の紹介が終わった後で、ちらしと看板を持った千恵と合流した。ビラ配りをやるから、看板を持って一緒に歩いて欲しいという事である。
「凄いです、千恵先輩」
夕希は素直にそう言った後、自分が、千恵の事を名前で呼んでいるのにびっくりした。相手がどれだけ距離を詰めようとしても、夕希は心を開かない。基本的に、身内以外は苗字で呼ぶ事が多かった。名前で呼ぶ事が、相手に踏み込む事だと思っていた為だ。
「凄い?」
「あの、試割りって言うんですか。あれの事です」
「ああ……」
千恵は、複雑そうな顔をした。素直な思いを吐露した夕希であったから、千恵の反応は物足りないものであった。あのような事が出来た事を、誇ってくれるものだと思っていた。
と、中庭の桜の樹の前で、不意に千恵が立ち止まった。見れば、千恵の視線の先に、佐藤カリナと木村瑞穂が並んで立っていた。
「相変わらずさ、くだらない事、やってるね」
カリナが言った。
「くだらない事?」
「さっきのあれ……まさか、本気で自分が凄いって思ってんじゃないよね、千恵」
「あれって?」
「瓶だとか、石だとか、そーゆーものをぶっ壊して、悦に入ってるんじゃないかって事」
「まさか。あんなの、所詮は見世物だよ」
「へぇ……」
「部員が多いとさ、生徒会が部費を多く出してくれるんだ。……そんな事より、その子に手を出すなって、それとなく
千恵が、瑞穂に眼を向けた。瑞穂は、カリナと一緒の方向を向いている。つまり、カリナと一緒に、千恵の方を見ているのである。
「人聞き悪いなぁ、千恵は。そういう所、直さないと、真面目な話さ、友達失くすよ」
「――」
「別に、私から絡んで行ったんじゃないって。ねぇ、瑞穂ちゃん」
「あ……はい」
瑞穂は、カリナに怯えながらも、小さな顎を引いた。カリナの言う事を信じる心算はなかったが、瑞穂が声を上げない限りは、千恵にもどうする事も出来ない。
「ふぅん……」
千恵は疑いの眼差しをカリナに向ける。カリナは小さく鼻を鳴らして、瑞穂と共に、その場を去ってゆく。今日の授業はもうないから、帰るか、友人連中と駄弁るか、するのだろう。その後ろ姿を、千恵は、厳しい視線で眺めていた。
「あの」
遠慮がちに、夕希。
「あ、ご免。怖がらせちゃった?」
「いえ、大丈夫です。……所で。見世物って何の事ですか?」
「試割りのあれだよ。ふふん、夕希ちゃん、まだまだ素人だね」
「はぁ……」
「あれは、客寄せのデモンストレーション。本気でやってる訳じゃないよ。トリックがあるんだ。素人でもああいう事が出来る、ね」
千恵は、その試割りのトリックについて、説明した。
コーラの瓶の首を飛ばしたのは、瓶を三本並べてやった事に意味がある。端の一本を叩く事で、それが二本目の瓶にぶつかり、二本目の瓶は三本目の瓶にぶつかって、割れる。瓶同士がぶつかって、当たり前のように割れるという、ただそれだけの事だ。しかし、見た目の派手さに、何も知らない者は騙されてしまう。
大きな石を割ったのは、その土台にトリックの正体がある。千恵はテーブルの上に金床を置き、その金床の上で石を割った。石を持った手を金床に置き、石と金床の間に空間を作って置く。そうして、石に手刀を振り下ろせば、石は金床にぶつかって、その衝撃で割れるのだ。手刀で石を割っているのではなく、金床で石を割っているという事になる。
「それに、あの木の板も、瓦も、試割り用に割れ易くなってるものだからね。いつだか、テレビでその製造工場みたいな所が映されちゃった時は、不味いと思ったよ。あちゃー、ばれちゃうってね」
「――」
夕希は言葉を失った。素直に感歎していた自分が酷く無知であった事を、恥ずかしく思ってしまう。
「それに、あんな事が出来ても、そんなに意味はないよ」
「意味が、ない?」
「うん。試割りの意味っていうのはね、要するに、私の拳や蹴りは、こんなに硬いものを壊せる凶器なんだぞっていう証明みたいなものでね。刀をぶら下げて歩いている人が傍にいたら、コンビニ強盗だって引き返すでしょ? 人に見せる場合は、私に手を出したらこうなるぞっていう警告。それと、この武道を習えば、こんなに凄い事が出来るようになるぞっていう宣伝。自分だけの場合は、自分がこんな事が出来る程に鍛錬を積んだんだっていう自信。意味があるとすれば、そんな所かな」
「はぁ……」
「で、意味がないってのは」
千恵は、一旦、夕希にちらしの束を預けると、夕希の顔に手を伸ばした。左右の頬っぺたを、両手で掴み、むにぃと引っ張ったり、ぷにぷにと突っついたりする。
「ほへぇ」
「おぉ、柔らか!」
暫くそうしていた千恵は、夕希の頬から手を放すと、
「夕希ちゃんの身体は、こんな風に柔らかい。で、私が割った瓶だとかは石だとかは、夕希ちゃんの身体よりも硬い」
「おふ……」
「だから、いざ、私と夕希ちゃんが戦うとなれば、私のパンチや蹴りは、夕希ちゃんを一発でぶっ壊す事が出来る……」
言い終えたと同時に、千恵は、右の拳を夕希の顔面に向けて来た。咄嗟に叩き付けられた殺気に、夕希が顔を反らす。
千恵のパンチは夕希の顔の横を通り抜け、耳に掛かった髪をふわりと揺らした。その拳圧が、拳に遅れて、夕希の顔を叩いた。更には、舞い落ちる葉桜を吹き飛ばしたようにも見えた。
「残念……」
「は⁉」
「もう少しで、頭蓋骨ぐらいは、潰せたのにな」
「い……いぃっ⁉」
「あはは、冗談だって。本当は寸止めする心算だったけど、夕希ちゃん、反応が良いから、つい殴り抜けちゃった」
敏感なんだねぇ――と、千恵は笑った。しかし、幾らデモンストレーション、トリックありきとは言え、瓶や石を壊した手に危うく顔を打ち抜かれそうになったと考えると、冗談であったと言われても笑顔が引き攣ってしまう。
「つまりさ、瓶も、石も、バットも、木の板も、瓦も、人より硬いけど、動かないでしょ。夕希ちゃんは、瓶や、石や、バットや、木の板や、瓦よりずっと脆いけど、動く……パンチでも蹴りでも、避ける事が出来るでしょ。避けられないにしても、何らかのリアクションはする。ガードしたり、眼をつぶったり、身体を動かしてストライクの地点をずらしたり」
「押忍……」
「試割りは、理論が出来ていれば、そんなに難しくないよ。科学と一緒でね、材料が揃っていれば誰だって出来る。酸素と、熱と、燃えるものが揃っていれば、火が水の中でも燃えられるように、ね。瓶なんかだったら、あんなトリックを使わなくても、それなりの硬さを持った手刀と、瓶が倒れるよりも速い速度を出せれば、そして、対象が動かなければ、それで首を飛ばせる」
「試合の時には、そういう材料が揃わないから、試割りの意味が、そんなにないって事ですか?」
「そういう事。……まぁ、世の中には天才って奴がいるもんでね。試合の流れの中で、そういう全部を揃えられる人もいる」
「――」
「真橘とか、ね」
「東堂真橘さん!?」
「うん。あの子は、本瓦だろうが、自然石だろうが、平気で割っちゃえるからね。眼の前でそれをやられた時は、感動したよ。後で、あれは選ばれた人間だけが意味を持つって事を知って、私は諦めた」
「選ばれた、人間?」
「真橘のような子の事。私の知る限り、この世で東堂真橘一人だけが、少なくとも女の子という括りの中では、それが出来る。ただのデモンストレーションを、実戦のそれにまで引き上げる事が出来る」
「――」
「ずるいんだよ、あの子は……」
苦虫を噛み潰しつつ、甘露を飲む。真逆の味では緩和し切れない苦さと甘さを、同時に口に含んだような顔で、千恵は呟いた。
嫉妬と憧憬、悪意に溢れた憧れと純粋な光を放つ妬ましさを、丹田で練り上げたカオスが、千恵の中にはあった。誰が踏み込む事も許されない、孤独の世界であった。
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