パート2
入学式は恙なく終わり、新入生たちは夕希の周りで楽しそうに話している。中学からの同級生だとか、式中に隣になって知り合いになった同士とかが、これからの事を色々と話し合っているのだろう。部活・同好会がどうだとか、式が終わったら何処そこに遊びに行こうだとか、そういう事だ。
体育館でクラス割りを確認し、その順で並べられたパイプ椅子に座って式を終え、その後で一旦教室に向かう。これから三年間を過ごす生徒、その間に一度も口を利く事も、それ所か名前さえ知らないままで終わる者たちの波の中で、夕希は俯きこそしないが、誰と目線を合わせるでもなく、歩いている。
同じ中学の生徒は幾らかいるが、友人ではない。そこ出身ですと言えば思い出すだろうけれど、それがなければ気付かれもしない。夕希には関係のない所で、彼・彼女らは集まり、グループで纏まったり、早速他のクラスメイトに話しかけたりしている。
バストとヒップこそ規格外である夕希だが、容姿の素朴さと身長の低さから目立たず、周りから声を掛けられるという事はなかった。
四階建ての校舎の、一階の教室の一つに入り、自分の席に着いた。拷問か……などと思う。五十音の真ん中に近い名前で、三〇名の中でも中心近くに来る。
つまり、教室の真ん中に近い場所に自席がある事になるが、親しく喋る友人がいない上に、自分から話し掛ける積極性も持たない為、教室のど真ん中で人の輪に囲まれる状態である。早く席替えをして、端の方の席に移りたい。学園もののアニメとか漫画で主人公が窓際の後ろの方の席に座っているが、あれが夕希にとっては理想であった。
そうした精神的プレッシャーを抱えながら、日程は消化された。教師がやって来て簡単に自己紹介、書類に幾らかペンを走らせ、配布されたプリントを受け取って、明日からの予定を確認した。それで、その日が終わった訳である。
教室からいの一番に出る。話す相手もいないのだから、いつまでも残っている理由はない。
廊下に出れば、上級生が部活の勧誘をしていた。野球部、ソフトボール、サッカー、バレー、バスケ、卓球、体操、吹奏楽、ブラバン、ダンス、剣道、柔道、美術、囲碁、将棋、山岳、釣り、文学、茶道、日本舞踊、アイドル、アニ研……色々とあるが、どれに入ろうという気持ちもない。
集団に属する事を憧れつつも、いざその中に入り込んでみれば、何らかの苦痛を味わう事を知っていた。だから、中学の時は、趣味以上にバスケをやらなかった。
但し――
「空手部、どうですか?」
と、渡されたチラシだけは、受け取ってしまった。
受け取って、暫くそのチラシを眺めて、折り畳んで鞄に入れた。
その夜、学校で薦められた辞書などを買いに、近くの書店まで足を運んだ。件の、ドラマで良く使われる場所の敷地内にある。そこで辞書のついでに漫画や小説、妹に言われたファッション誌や、親に頼まれた週刊誌などを買って、外に出た。
すっかり暗くなっている。この辺りは、カーショップや病院、スーパー、レンタルショップ、コンビニなどがぽつぽつと並んでいるが、疎らな為、夜空を侵食する程の明かりはない。星々が瞬き、彼らに戴かれた月の女王が煌々と光を放っていた。
円やかな月の光を、ぽぅっとした様子で眺めていた夕希だったが、ふと、既に明かりの消えた建物と建物との間に、何人かの人影が集まっているのが見えた。歩道を左右から街路樹が挟んでいるので、覗き込もうと思わなければ、その奥の様子は見る事が出来ない。又、人通りも多くないので、この集まりを知覚しない者も多いだろう。
しかし――
「あんた、いい加減にしろよな!」
そういう黄色い声が聞こえて来た為に、夕希は身を竦ませ、思わず立ち止まってしまった。そうして興味本位に、そろそろと覗き込んでみると、憶えのある……と言うか、昼頃まで着ていたのと同じデザインの制服を着た少女が、同じ制服をだいぶ着崩した少女に詰め寄られていた。
それだけならばまだしも、背が高く、粗暴な外見の男が二人、肌を浅く焼いた、露出の高い服を着た女が一人、制服を着崩した少女と一緒になっていた。
詰め寄られているのは、黒髪をストレートにした、小柄な女の子だ。夕希と同じように地味と言えば地味、何処にでもいると言えば何処にでもいるタイプである。
しかし、夕希が前髪や眼鏡で顔を隠そうとしているのに対し、彼女は前髪を綺麗に捌いて、自分の顔が良く見えるようにしている。格別な特徴がなくとも、誰もが美少女と認める外見であると言っても良い。
その小奇麗な顔立ちを、はっきりと見て分かる恐怖に、歪めていた。
夕希は彼女に憶えがあった。確か、同じクラスにいた筈である。
「あんたさ、やってんだって」
制服を着崩した少女が言った。
「な、何をですか」
「知らばってくれんじゃないよ、ウリだよ、
ウリ――金を貰って、自分を抱かせる事だ。売春や援助交際の事である。いつの世も、制服を着た少女は愛好される。SEXに興味があり金が欲しい現役の女学生にとって、ハイリスクであるにしてもハイリターンを期待出来るアルバイトであった。
クラスメイトの美少女は、どうやら、それをやっていたらしいのである。それについて、あの制服を着崩した少女に何か文句を付けられているようであった。
「
肌を焼いた女が言った。
「困るよね、そういう事……」
「こ、困る?」
美少女――瑞穂が、戸惑ったようにその言葉を反芻した。
「最近、そういうのが五月蠅いってのは分かってるでしょ。だから、私ら、補導とか、摘発とか、面倒な状況にならないように、巧く回してやってんの。だのに、あんたみたいな、ちょっと遊ぶお金が欲しいんです、なんてぶりっ子ちゃんが勝手な事やって、そのお客から私らの事がばれたら、迷惑が掛かるんだよ。そんな事も分からないの?」
「ご、ご免なさい、知りませんでした……」
震える声で、瑞穂が謝罪の言葉を述べた。しかし、それで済む訳がない。どれだけの期間、瑞穂がそんな事をやって来たのかは分からない。だが、それに関わっている女性だけではなく、明らかに暴力的な手段に訴える為の男性が二人も呼ばれている事から、大事になりかねない程の期間に渡っての事であるらしかった。
「知りませんで済んだら、警察は要らないんだよぅ」
制服を着崩した少女が、瑞穂を壁に追い詰めて言った。瑞穂が肩をびくりと縮める。
「いいね、あんた……」
ねっとりと、瑞穂の耳元で、言葉が囁かれる。
「私たちに話を通しさえすれば良いんだよ。でもね、もう少しでばれそうになった……その事について、責任は取って貰うからね」
「責任……⁉」
怯える瑞穂の前に、男が一人、歩み寄って来た。スキンヘッドの男が、瑞穂の細い手首を掴んだ。手繰り寄せて、壁際から背中を離させると、後ろに回り込んで、両手を持ち上げさせる形で掴んだ。
その前にもう一人の男がやって来た。長い髪を、金と茶色の斑に染めた男であった。彼は、いやらしい笑みを唇に貼り付けながら、瑞穂の顔に向かって手を伸ばす。
いやいやをするように、身を揉む瑞穂を、後ろからスキンヘッドの男が押さえ付け、その可愛らしい形の鼻頭を、長髪の男が親指の腹と人差し指の側面で抓んだ。そうして次の瞬間、めじぃ、という嫌な音がした。
「ぶぎゃっ」
潰れた蛙のような悲鳴が、瑞穂の口から漏れた。スキンヘッドの男の手から解放された瑞穂は、その場に膝を着き、顔を手で覆って俯いた。その手の指の隙間から、赤い液体がどろどろとこぼれ落ちて来る。
夕希はぞっとした。あの男は、迷う事なく瑞穂の鼻の骨を折ったのだ。
余りの事に声を上げそうになったが、必死に堪えた。少女の鼻を平然と折る事が出来る男たちに、その様子を見ていた事が分かれば、どんな事をされるか、分かったものではない。
いや、分かっている事はある。それは、少なくとも鼻を折り曲げられると同等か、それ以上の事をされるという事だ。
夕希は跳ね回る心臓を押さえ付けながら、足音を立てないよう、その場を離れた。離れると言っても、遠くまで離れるには時間がなかった。どうにか、今、この路地の前を通り過ぎようとしただけである事を装って、歩き出した。
これに、制服を着崩した少女たちが気付いたかどうかは分からない。ただ、夕希が彼女らに声を掛けられる事だけはなかった。
「これに懲りたら、下手な事はするんじゃないよ。やりたいんだったら、私たちに話を通す事だね」
げらげらという下品な笑い声と共に言い残して、少女と女、二人の男は、その場を去って行った。建物と建物の間の闇の中に、少女が蹲って嗚咽を漏らしている。折られた鼻から血をこぼして、地面に滴り落ちる涙と、赤い液体を混ぜている。
その姿を、ひっそりと戻って来た夕希が眺めていた。制服を着崩した少女たちが去ったのを確認して、すぐに戻ったのだ。
夕希は震える手でスマートフォンを取り出すと、救急車を呼んだ。現在地を聞かれると、かちかちと歯を打ち鳴らし、言葉にならない言葉を紡ぎながら、どうにか答えた。
通話を終了し、夕希は踵を返した。膝ががくがくと震えていた。ふくよかな唇が、真っ蒼になっている。眼の焦点は合わない。歯と歯がかち合う音が、家に着くまでずっと鳴り響いていた。
何故か――滂沱の涙がこぼれ落ちた。心臓が、異様な熱を孕んでいる。夕希の身体が、疼き始めていた。
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