私、強くなりたい……です

パート1

「はぁ……」


 桜の中を、溜息を吐きつつ星沢夕希は歩いていた。今年は天気や気温が不安定であった為、やたらと暖かかった三月を越えてやって来た春は、見頃を終えた桜と共に始まったのだ。今日は天気が良く、蒼く澄み渡った空に、白い雲が立ち上り、それらに向かって、薄く色付いた桜の花びらが舞い上がってゆく。


 星沢夕希、一五歳。


 今年から、県立佐倉さくら高等学校に通う事になっている。国道に面した学校で、文武両道と生徒の自主性の尊重を謳っている。


 少し歩けば田んぼや畑、しかし、町に出ればゲーセンも映画館もショッピング・モールも――数は多くないにせよ――あるという、田舎とさびれた都会の中間といった表現が似合う町である。そうした雰囲気が却って良いのか、ドラマなどのロケ地や散策バラエティの舞台として、週に何度かは眼に入る場所も少なくない。


 畑を横目に見ながら歩く夕希は、真新しい制服に身を包んでいる。佐倉高校の制服は、黒のブレザーに赤いリボン、灰色のスカートで、ソックスは自由。夕希は白いオーバーニーソックスを合わせていた。


 その制服は、これから成長する事を考えて大き目に、と、言われて作ったのだが、仮にこれから成長する事がなくとも、平均的な体系の女生徒に着せてしまえば、かなりだぼついてしまうだろう。


 問題となっているのは、その大きな胸とお尻である。ぐんっと前にせり出した胸は、スイカやメロンでも詰めているかのようであった。小学生の時には既にCカップあり、中学校に上がって暫くすると、特注のブラでなければ付けられないようになってしまった。今ではHカップの下着を、大切に大切に使用している。


 身体の数値と言うのは、日ごとに幾らかのズレが生じてしまうもので、今朝、何とはなしに図って見た所、桁が一つ増えていた。爆乳とは逆の方向に飛び出したお尻ではあるが、決してたるんではいない。小学生の時、子供会でバスケットボールをやり、それが楽しかったので、中学時代も稀に顔を出していた。その時の影響で、大きさと形を殺す事なく、良い具合に引き締まっている。


 そうしたダイナマイトボディの持ち主であるが、目立つ性質ではない。先ずは身長が低い事が挙げられる。年頃の女子としては平均値を逸脱はしない一五四センチである。


 次に、その素朴な顔立ちがある。パーツ自体は整っているが、唇が少しぽってりとしている位で、これと言った特徴がない。その顔を、ボブではあるが、前髪をぱっつんにしつつ伸ばしているのと、黒縁の眼鏡で隠してしまっているのだ。


 地味――


 はっきりと言ってしまえば、そうした印象になる。

 自覚する所である。


 今まで、友達は多くなかった。目立たず、地味で、自己主張をしない――と言うよりは、する機会がなかった。適当な人間関係の中で、適度に日々を送って来た。一生懸命に何かをやった事はない。勉強にせよ、唯一やって来たバスケにせよ、恋愛にせよ。なぁなぁに済ませて来たのが、殆どであった。


 それを、高校進学を機に変えてみよう……


 そんな風に思ったものの、今朝の出来事ですっかり萎えてしまった。寝坊をしてしまい、折角考えていた“高校デビュー計画”が、第一段階である外見のセットから綻びてしまったのである。


 起こしてくれなかった母親に文句を言いつつ、結局、コンタクトを入れるのではなくいつもの眼鏡、前髪もいつものまま、制服を初日から着崩すような事も出来ないで――つまり、一ヶ月ばかり前に終わった中学生活の中で、三年間付き合って来た地味子ちゃんのまま、新しい生活に飛び込んだという事だ。


 その事が憂鬱で、溜め息を吐きながら、入学式へと向かっているのであった。


 しかし――


 では何故、寝坊などをする羽目になったのかと言うと、それは、昨夜、寝るのが遅かったからである。寝るのが遅かった理由は、夜中に起き出して、つい電源を入れたテレビに映った、或る番組の所為であった。


『Fighting Dreamer』


 深夜、ライトノベルや青年コミックが原作のアニメに交じって放送している、格闘技関係の番組である。


 ボクシングで優勝した誰それとか、現地で活躍している日本人ムエタイ選手であるとか、総合格闘技の中継であるとか、そういうものを放送している。格闘技には殆ど縁がなく、時折、ゴールデンにやっているボクシング程度しか見ない夕希が、いつもはスルーする筈の番組であった。


 所が昨夜――日付としては今朝になるが――は、ついつい、最後まで見てしまった。


 空手のオープントーナメントの模様であったが、主題は、大会に参加した、一人の少女にだった。


 それが、東堂真橘である。


 真橘は、月照会げっしょうかいという防具空手の流派に属しながら、フルコンの試合でも幾つもの結果を残している女子高生空手家である。


 彼女が出場した、今年の一月に開催されたオープントーナメントの時の様子が放送されたのだ。彼女の試合は勿論、控え室での様子や、独占インタビュー、本人は乗り気でなかったようだが、カメラが密着ついて、生活スタイルについても番組で扱っていた。


 その試合振りに、強く惹き込まれた。


 小柄な体躯で、自分よりも大きな相手に果敢に挑んでゆき、華麗に勝利する東堂真橘の姿に、全く関わりのない筈の自分が、強い憧れの念を抱いてしまった為であった。


 決勝戦で城島恵久美を下した後のインタビューでのやりとりも、頭に残っている。


インタビュアー:決着を焦っていたように見えましたが。


 そういう質問から始まった。真橘は、


真橘:そう見えましたか? ええ、少し、そういう気持ちがあったかもし

  れません


 と、照れたように、頭を掻きながら答えた。この理由を問われると、


真橘:延長戦には持ち込みたくなかったんです。

インタビュアー:それは、やはり、スタミナの問題ですか。

真橘:それもあります。城島選手は、身体が大きいですから。


 真橘はそれまで、自分を短期決戦タイプであると言っていた。脂肪を削ぎ落とした刃のような筋肉と、迷いのない技術をミックスさせた、瞬発力と精確さを生かした戦い方をする。


 そうするとスタミナは城島恵久美に劣る事になるが、真橘は“それも”と言った。


インタビュアー:他に、何か理由が。

真橘:はい。最後の延長戦は、持ち込んだとしても、絶対に一本取らなけ

  ればなりませんから。


 最後の一分間の延長戦だ。これで一本も技ありも取れなければ、体重判定になる。だが、この発言に、違和感を覚えた。


インタビュアー:体重判定になれば、東堂選手が勝つ事になる訳です         が……。


 真橘は、その質問に、少し困ったように笑いながら、


真橘:飽くまでも私にとって、それは、勝利じゃないんですよ。だって、

  それって要するに、こんなに軽い体重で良くやったなっていう……ご

  褒美みたいなものじゃないですか。敗けなかったご褒美。でも、私に

  とって大事なのは、敗けない事じゃなくて、勝つ事なんです。敗けな

  かったから良かった、じゃなくて、勝てなかったから駄目だった、に

  なってしまうんです”


 平然と、真橘は、そのような事を言ってのけた。或る種の共通の認識でありながら、口に出す事は些か憚られる事であった。何故ならそれは、小さい身体で戦っている選手の努力を、無駄であると言い切るようなものであったからだ。真橘が“私にとって”という、この一言を抜かしていたら、彼女に対する小兵からの批判は避けられまい。


 尤も、真橘による注釈もその程度のものであったので、分からない人間には理解されないかもしれないが……。


 真橘の思想はシンプルであった。


 自分にとっては、勝利こそ価値を持つものである。敗けないという事と、勝つという事は、少し別なものである。純粋な、自分を含めた全ての人間が認める勝利以外――反則勝ちや判定勝ちは、真橘にとって敗北ではなくとも、勝利としての価値はない。


 何処となく尖った考え方であった。獣の牙のように鋭い、触れればその相手を傷付けずにはいられない、武骨で、鋭利な、シンプルで、強い……


 そうした牙に、夕希の心は、掴まれてしまったのであった。


 だから、番組を最後まで見てしまい、ベッドの中に入っても興奮が冷めやらず、寝付いたかと思えば朝になってしまっていたのである。


 東堂真橘……


 自分は、周囲に流されるままに、何も考えずに生きて来た。それとは反対に、真っ直ぐな自分のみを保ち続けて、空手道を進んで来た彼女の事を、ずっと考えていた。


 そうしていると、学校に着いたのである。

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