第二十章 混沌とした荒野に立つ一つの光

 M空港からは札幌と大阪に日に一本、福岡に二本の飛行機を飛ばし、発着はどちらも午後六時までには終了する。それから空港内の清掃や戸締りなどのチェックをして業務は終了となり、日本にある空港の中でも高所に位置するM空港は消灯する。

 深夜、誰も利用する筈のない空港の駐車場に一台のバイクが滑り込んで来た。クラウドを高速バスのトランクから回収したものである。運転手はバイクから下りるとクラウドに手を差し伸べて降車を促した。ヘルメットを脱いだその顔は、“ダイビングスクール・おむろ”で雅也に毒を盛り、御室惣治郎以下スクールの仲間たちを焼死させて行方不明となっていた美堂沙織である。

「ご苦労さま、メドウサ」

 聖名をメドウサと呼ばれた美堂沙織は恭しく頭を下げ、クラウドと共に空港の入り口に立った。すると開く筈のない自動ドアがスライドし、消えていた筈の電気がぱっと点灯した。眩い輝きに僅かに眼を伏せるクラウド、その前には戦闘服に身を包んだD13の信者たちが整列して自分たちの教主を待ち構えていた。

 かつての影蔵と同じ服装に身を包んだクラウドが軽く右手を上げると、信者たちは深々と礼をして歎息した。ガランに踏み込まれ警察に連れてゆかれた影蔵は、当時五〇歳を越えていた。髪や髭を伸ばした奇妙な雰囲気の男という風に映る。白髪の中性的な美少年であるクラウドは影蔵とは全く趣を異にするようだが、明かりを煌めかせる銀の毛髪や血の透けるような白い肌は見る者全てに神聖なイメージを抱かせるであろう。

 メドウサはバイクに積んでいたトランクから一本の瓶を取り出した。無色透明の液体が詰められているが、単なる水である訳がない。信者たちはそれが何であるか知っている。

「神の血よ」

「ネメスィの雨だ!」

「教祖の聖なる水……」

 言葉は違うが意味すると事は同じく“伊舎那”だ。メドウサは信者の数名を呼び付けて瓶を渡し、直ちに準備に取り掛かるように指示を出した。

“伊舎那”散布の最終準備を任せたメドウサと共にクラウドが空港の奥へと進んでゆく。すると間もなく別の車が到着した。やって来たのはアポロであった。

「追手は?」

 メドウサが言った。

「あの男は始末した」

 雅也の事である。メドウサは安堵したように溜め息を吐いた。

「彼をネメスィ出来なかったのは私の責任です」

 メドウサは“ダイビングスクール・おむろ”で雅也と出会っている。あの時は、自分たちの事を嗅ぎ回る迷惑な一般人としか思わなかったが、まさかその迷惑がここまで付き纏って来るとは思っていなかった。

「貴方には余計な労力を使わせました」

 アポロの頸には強く絞められた痕が残っており、声も僅かにしゃがれていた。歩く時に顔を顰めるのは丸太で殴られた胴体が痛むからだ。

「これもネメスィさ。特に私が過去にやり残した――」

 アポロは滑走路を眺める為に窓辺に佇んでいるクラウドに視線をやった。クラウドの横顔は影蔵と言うよりも辰美に似ている。それはそうだ、辰美の出自自体が、影蔵の近親相姦によるものであるから影蔵の子供として御旗に立てたが、実際には影蔵自身ではなく彼の娘と息子の間の子供である。そのクラウドの父親に当たる辰美を殺害したのは、このアポロであった。雅也を、辰美を撃ったのと同じ銃で殺す事で、自分自身の過去に決着を付けた心算であった。

「主よ」

 アポロはクラウドに歩み寄った。

「――あれ」

 クラウドは倉庫から引き出される一機のセスナを指差した。格安旅行会社と白良会と繋がる闇金会社がM空港に無理矢理結ばせたプランの中に、セスナ機による少人数のフライトがある。それもこの時の為に用意していたものであった。

「あれで東京まで飛び、“伊舎那”を散布するんだね」

「はい」

「それで終わるんだ」

「はい、今までの世界が終わります。その鐘を鳴らすのです、我々が」

「そして、始まるんだね」

「はい、我らの御世です。穢れた現世の者たちにネメスィを与え、混乱に陥った愚かな者たちはやがて命惜しさに相争う事となるでしょう。混沌とした荒野に立つただ一人の光、それがクラウド、貴方です」

 アポロはクラウドの肩に手を乗せた。クラウドの身体は生理周期に合わせて男性と女性を行き来する。愛川ましろの身体からクラウドの肉体に変わったのはほんの数時間前の事である。まだ身体は女性の柔らかさを帯びていた。躊躇いなく人を殺して生きて来たアポロのごつごつとした手が男女の中間の肩にがっしりと喰い込む。アポロはクラウドにとって父代わりであった。クラウドを保護したのもアポロで、スティグマ神霊会の事を教育したのもそうだ。アポロはクラウドに信頼されている、その事もあって、普段は今のD13を纏め上げる立場にありながら個人的な熱っぽさを持ってクラウドに接していた。

 しかしクラウドの表情は何処となく冷めている。半眼は暗い窓に映る自分の顔を眺めていた。分厚いガラスの向こうで着々と進められる日本転覆の準備に対しても、アポロや他の者たちが備えている熱さを感じる事が出来ていないようである。そうしたドライな態度が、そこはかとなくこの世への執着を削ぎ落した超然とした印象を醸し出してしまうのであった。

 ふと、そのクラウドの表情に変化が現れた。ぴくりと眉が動き入口の方を振り向いた。ロビーにいた者たちももう気付いている。物静かな夜の空港、その駐車場に滑り込んで来る音が響いて来たのだ。自動ドアのガラスを白い一対のフラッシュが透過する。やって来たミニクーパーはドアを砕きガラスを散らしてロビーに突っ込んで来た。

 D13の信者たちは僅かに動揺したがすぐに武装を取り出して構え、車が走るには決して広くはないロビーを、しかし無茶苦茶に駆け回るミニを捉え切る事が出来なかった。ミニは一通り信者たちを翻弄すると、クラウドとアポロのいる窓辺に舵を取った。

 ちぃ、アポロがクラウドを抱いて飛びずさる。クーパーは窓の直前でターンして振動でガラスに悲鳴を上げさせる。そしてしつこくクラウドを狙おうとしていた。だが一度パターンを知られれば予想は難くない、信者たちはそれぞれ携えた銃火器の狙いを付けてクーパーを蜂の巣にしようとする。

 するとスピードを緩めないまま左右のドアが開き、中年男と黒尽くめの男が飛び出した。クーパーはアクセルが踏まれたままだ、その背後から黒尽くめの男――綾部一治が棒状のものを投擲した。燃料タンクを突き破ったそれは、車の体内で爆発し、ガソリンに引火して鉄の車を炎の獣に変貌させる。綾部が投げたのは先端に火薬を仕込んだ寸鉄だ。無論、素手での投擲ではなく腕に仕込んだスプリングで射出する暗器である。

 クーパーは爆発を起こし閃光と爆音と高熱でD13の信者たちを驚愕させた。

「お好きでしょう? 爆発は――」

 綾部が薄く笑った。D13の信者たちは衣服に炎を振り掛けられ、自決用の爆弾が連鎖的に作動してはまずいと外し始めた。綾部が高らかに笑う。志村は自分の愛車が火だるまになって四散した事を惜しく思うと共に、炎の照り返しを浴びた綾部の満面の笑みにぞくぞくと不気味な感情を湧き出させていた。

「貴様ら、よくもこんな……」

 爆破から逃れクラウドを守ったアポロが苦々しい顔で言う。メドウサも、爆殺したと思っていた綾部の生存に戸惑っていた。ここまで喰らい付いて来るとは思わなかったのだ。警察機関でもない、自分たちのように宗教的団結もない彼らが、どうしてここまで?

 炎に包まれた空港で、アポロとメドウサが歩み出て綾部と志村に敵意を叩き付けた。綾部は暖簾に腕押しという風にその殺意を受け流し、やはり変わらずに微笑みを湛える。

「さ、真打ち登場ですよ」

 綾部が言うと、ミニがぶち破った道を使い、二人乗りのオートバイが炎を裂いて飛び込んで来る。雅也と麗奈の乗ったものだ。アポロとメドウサの間を通り抜ける時、麗奈はバイクの後ろからメドウサに飛び掛かってゆき組み付いた。雅也は志村と綾部の前でバイクを止め、アポロとクラウドに対して鋭い視線を投げ付けた。

「最後の決着を付けるぞ」

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