第十八章 明日のない男
壱
首都高――
案外といつも通りの光景である。都会でのテロから逃げ出そうとする者、田舎から東京の方へ出て更に故郷から遠く離れようとする者、例え日本全土を巻き込む抗争が始まっても出社しなければならない者、様々な思惑を持って夕陽の中に車を走らせている。赤い夕陽が地平線に沈むその直前、眩いばかりの光を放っていた。蝋燭の火が掻き消される最後の一瞬、特に強く燃え上がるようにして、太陽は死ぬ。しかし暗い夜が明ければ光は蘇り人々を照らす。
「無理ですよ」
志村が弱音を吐いた。クラウドを空港に到着させてはならない、だからその道すがらに確保せねばならない、雅也と綾部と麗奈がそうして意見を一致させたからだ。
顧客と何度も問題を起こして倒産しかかっていた格安旅行会社は、白良会の息の掛かった闇金と手を結んで何とか首の皮一枚を繋いで営業している。しかし信用をなくした旅行会社と契約を結ぶ航空会社も殆どと言って良い程なかった。そんな中、白良会のごり押しによって契約を結ばされる事となったのが、雅也たちの故郷の近くにあるM空港であった。
雅也たちの推理では、こういう事だ。D13はその前身であるスティグマ神霊会がやり遂げられなかった日本転覆、その為の第一歩としての東京に対する空中からの“伊舎那”散布を実行に移そうとした。その準備として白良会と結び旅行会社を通じてM空港に信者を忍び込ませていた。しかし何らかの事情があって白良会との間に軋轢が生じ、計画の実行に支障をきたしてしまった。そこで白良会とのパイプであった闇金を襲撃し、何らかの脅しを掛けて計画実現の為に動いていたのではないか――勿論、これは想像の域を出ない事だ。ましろが雅也に語った事は虚偽だとして、それでも彼女が銃を突き付けられていたのを雅也は見ている。何らかの芝居であったと思う事が自然であろうが。
兎も角、その想像のみを当てにして雅也たちはM空港に向かう事になり、到着する前にクラウドを捕らえると言ったのである。空港に到着すれば、既に旅行会社を通じて潜入している信者たちがクラウドを守ろうとするだろう。文字通り、命を懸けて。D13は人間の生命をどうとも思っていない、寧ろ、教団の為に戦って死ぬのならば魂は救済され、しかもその時に巻き込まれて命を落とした者まで救われると説くのだ。雅也たちが警察にこの事を言わないのも単に推測でしかないという理由に限るものではない、大立ち回りは即ち余計な死者を出す事にしかならないからだ。だから高速道路で仕掛ける。高速道路で事故があれば自然と避けて通る、巧くやれば通行止めにもなる。一時的に人口密度を過疎化させる事が出来る。そしてその僅かな時間でクラウドを捕らえれば、影蔵の子供という御旗の下に集った信者たちは動揺する。クラウドが到着しなければ発動しない計画であろうし、その間に警察や自衛隊が出動して一挙に捕らえる事が出来るようになるだろう、
だが、その実現が難しいのである。流石に平時程の混雑はないが、それでも車を転がしている者は多い。M空港に向かう車もある。その中からクラウドが乗った車を見付けて捕らえるというのはかなりの難易度である。志村はそう言うのである。
「考え方が古い」
綾部はさっきからずっとスマフォをいじっている。そしてついと顔を上げると、あれですと囁いた。志村が綾部の指差す方に眼をやった。
「高速バスじゃないですか」
志村の言葉に綾部が笑った。地元に帰ってませんね。志村はそりゃ合わせる顔がありませんしと口籠るのだが、綾部は更に続けた。
「新宿から空港への高速バスはとっくに廃止されています。だからあれが走っている事はおかしいのです。それにこの時間、この道を通るバスはありません。ですから、あのバスが怪しいのです」
綾部は志村にバスに近付くように指示を出した。補助席の下に備え付けてあった発煙筒を麗奈に取って貰い雅也に渡すと、ルーフを開けて貰い雅也が車の上に上半身を乗り出させた。そうして焚いた発煙筒を道路に転がして後続車との距離を置き、その隙に高速バスの横にぴったりとくっついた。
雅也はルーフから車の屋根に上り風に飛ばされる前に高速バスの窓に指を引っ掛けた。雅也に気付いた乗客がぎょっとする。雅也はミニクーパーの屋根を足で何度か叩いた。綾部が一三人ですと言う。雅也は窓から見て確認した乗客の数を教えたのだ。
ミニがバスの前に躍り出た。ハンドルを横に切るバスだが走行はやめない。寧ろ眼前に出現した小さな車を引き潰そうとするかのように迫って来た。志村はギアをバックに入れてハンドルを回し切り、バスの乗車口にリアをぶつけるくらいの感じで正面衝突を防いだ。
ギアを入れ直すとバスに横並びになる、ミラーで確認すると雅也はバスの横に張り付いたままだった。一流のロッククライマーはミリ単位の窪みに指を引っ掛けて身体を支えると言うが、雅也にもその能力が備わっていた。雅也は窓枠に右手の指を引っ掛け靴底のゴムでどうにか車体に張り付き、左手はトランクのロックを外そうとしている。これに気付いた乗客が運転手に何かを言い、途端にバスの運転が荒くなった。左右に揺れるようにして走り、雅也を振り落とそうとする。
「全員グルって事だな」
麗奈がシートベルトを外してシートを倒した。ルーフに手を掛けて車上に攀じ登るともう一度バスに近付いてと志村に言い、冷や汗を流しながら志村がその通りにすると乗車口のガラスに拳を叩き込んだ。ガラスが砕け、道が開く。麗奈がやってみせた暴挙に、化け物だなと志村が呟く。麗奈が乗車口のガラスから乗り込んでゆき、それでは私もと綾部が飄々と飛び移ってゆく。志村はバスに付かず離れずの距離をキープして走行した。
「何ですか、貴方たちは!?」
運転手が声を上げた。当然だ、いきなり接近して来た車から非常識な手段で三人も乗り移って来たのだ。しかも一人は走行中のバスの横に張り付いてトランクを開けようとしている。
「貴方たちは、D13って事でOK?」
麗奈が訊いた。運転手の顔が引き攣る。それと同時に綾部が麗奈を床に押し倒した。二人の頭上を弾丸が突き進みフロントガラスに内側から蜘蛛の巣状のひびを入れた。乗客の一人が通路に飛び出して銃を構えている。
「ネメスィ!」
銃を構えた男が叫んだ。ネメスィはスティグマ神霊会では試練の意だ。そして同時に信者以外の人間に対する殺害の意思表示だ。トリガーに指が掛かっている。綾部が外套の下から何かを投擲した。銃口に突き立ったのは両端の尖った短い鉄の棒だ。暗器の一種で、掌に隠して気付かれないままに相手を突き刺す事も出来る。銃が暴発し、男の顔面が焼き爛れた。
「危なくない!?」
「危ないですよ、でも、この場合の彼らは決して自爆は選ばない」
D13は基本的に活動時には自決用の爆弾を隠し持っている。だが、今回ばかりはそれを選択する事が出来ない。何故ならこのバスにはクラウドが乗っているからだ。爆発にクラウドを巻き込んではならないのである。
「安全運転でお願いしますね」
綾部は運転手に言った。クラウドが乗車している限り、彼はハンドルから手を離す事が出来ない。さて、と顔を戻すと、早速麗奈が乗客たちに襲い掛かっている。乗客――D13の戦士たちはそれぞれに武器を取り出して麗奈を狙うのだが、狭い車内では同士討ちの危険もあった。普段ならば自爆と同じく死を恐れないが、やはり同じ理由でそれを厭った。反対に麗奈は自分の命だけを守って敵を倒せば良いのだから好きに暴れる事が出来る。麗奈は突きや蹴りを器用に繰り出し、敵の武器を弾き落として無効化する。
すると、武器を持たずにすっと歩み出た者があった。背が高く、筋骨の逞しい男だった。年は雅也と同じか少し下回る程度であろうか。
「アレス!」
「アレス!」
「アレス!」
信者たちが口々に叫んだ。アレスというのが彼の洗礼名だった。アレスは軍神、そして見るからに武闘派の男だった。しかし麗奈は怯まない。手刀を構え半身になり両方の踵を軽く持ち上げている。細長の眼がアレスの全身を捉え、その一挙手一投足を見逃すまいとすると共に弱点を探っていた。
アレスがふんと鼻を鳴らして躍り掛かる。いきなり大振りのラリアットをかまして来た。バスの座席の上を飛び越え、通路の麗奈に向かって斜めから振り下ろす軌道だ。空気の唸りから考えるに、流石の麗奈も直撃されてはダメージは必須だ。麗奈はぐんと落下してラリアットを躱す、その下がった頭にアレスの膝が迫っていた。麗奈は落下の勢いを回転に利用して回転の威力を脚を放つパワーに転換した。麗奈の左足刀がアレスの膝と擦れ違ってボディを直撃する。硬く鍛えられた腹筋が蹴りの威力を軽減した。アレスは左手で麗奈の足を掴もうとしたが、その前に跳ね上がって来た右足に顔面を打ち抜かれた。座席の背もたれに寄り掛かるアレスに、麗奈が拳を打ち込んでゆく。身を屈めたアレス、麗奈のパンチはヘッドレストを吹き飛ばして窓に直撃させた。アレスが後部座席に逃げてゆく。追おうとする麗奈だったが別の乗客が補助席を倒した。そこに突っ掛かる麗奈に信者たちが覆い被さってゆく。
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