第十五章 白き魔王の誕生
壱
朝田辰美に会いにゆく事になった。かつてM市にスティグマの信者としてやって来た女だ。
影蔵・シヴァジット・獄煉は首都圏にありながらも広い土地と安い物価が魅力的なM市にITビジネスに特化したシホの父親を派遣してネットワークを形成させ、土地の調査をさせていた。その情報が途絶えて暫くしてからやって来たのが、朝田辰美と、その息子であり、スティグマ神霊会の少年戦士であるハデス辰美の一味だった。
少年戦士というのは、文字通り、下は五歳や六歳、上は一八歳までの少年少女たちでありながら深い信仰を持ち、且つ実働部隊としての訓練を受けた者たちの事である。かねてより日本転覆を目論んだスティグマ神霊会は信者たちの子供を生まれた時からスティグマの敬虔な信者として育て、Xデーに於いては警察機関とも戦う事が出来るソルジャーとして洗脳してもいた。雅也が“妖怪マンション”で対峙した辰美含む一三人は彼らである。
スティグマ神霊会による地下鉄毒ガス散布事件の後、武装した警察隊がスティグマのガランに突入した。“伊舎那”はその正体こそ謎のままだったが分析によって判明した成分が、M市で使用されたものと一致したのである。又、M市の事件の際に犯人はスティグマ神霊会だとする怪文書が警視庁に届けられていた事も、ガランへの突入の理由となった。警察はスティグマの幹部の多くを捕らえ、教祖影蔵の逮捕を敢行。その様子はテレビでも大々的に報道され、戦後初の生物兵器を用いたテロ集団が国家の前に敗れ去った安心感と、そうした凶悪犯罪者の首領が連行されるのを大いなる嘆きと共に見送る狂信者たちへの恐怖感は、当時を知る国民たちの記憶に印象深く刻み込まれた。
その後、スティグマ神霊会は法人格を失し、逮捕されなかった幹部たちは姿を晦ました。時効がまだ有効だった頃、手配されていた幹部の数名がその間際になって逮捕され始めたが、まだ逃げおおせている者たちも少なくない。彼らはホワイトロータスという新興宗教を隠れ蓑に、D13というテロ組織を結成し、二〇年という歳月を掛けて国内外の不安を煽り続けて来た。
その決着を付けるべく、雅也と綾部は志村の案内によって、彼にホワイトロータスとD13とスティグマ神霊会との関りを調査するように依頼した朝田辰美の許へ向かった。志村の調査によれば、D13を率いているのは教祖影蔵の子供であり、半陰陽という特異な外見を持つ人物であるという。その人物を、同じく影蔵の娘である朝田辰美は知っている可能性があるのだ。
車を出したのは志村だ。新宿までやって来た綾部の車ではD13に知られている可能性がある。志村はD13を調べる内に危険を感じたと言ったが、恐らくその存在はまだ知られていない。だから、志村が普段使いしているミニクーパーを使う事にした。
麗奈とましろは置いてゆく。ましろはD13とは無関係であると判明したが、ここでホテルから追い出してしまう訳にもいかない。そこで麗奈に彼女の護衛を任せ、雅也たち三人が朝田辰美に会いにゆく事になったのである。
「便利なものですねぇ」
ミニの助手席で、綾部が言った。何がです、ハンドルを握る志村が訊く。雅也は後ろの座席の真ん中に腰掛け、両腕を組んで後方を警戒していた。
「スマートフォンですよ。電話もメールも使えませんが、連絡が取れる」
パソコンですね、これ――麗奈とSNSのアドレスを交換し、何かあればすぐに連絡出来るようになっている。その事もあって、遠く離れた同士が互いに心配して不安になるという事は少なくなったようであった。通話やメールは基地局を介して行なわれるが、SNSはインターネット回線を利用しているのでこうした状況にあっても使用が可能だ。テロを警戒しながらも、外を出歩いている人々や車通りは早くも元に戻りつつある。
「でしょう? 尾神さんも、折角スマフォなんだから使えば良いのに」
雅也はスマフォを携帯電話として以上には使用していない。滅多に鳴らない電話、酷く限定的なメール通知、そしてカメラと録音。後は通信制限が掛からない程度のインターネットだ。
「俺にはベルで充分だったよ」
雅也がポケットから取り出したのは、彼には似つかわしくないピンク色の無線ベルだった。薄汚れてはいるが、女の子向けとして発売されたものに見える。電話以上にもう鳴る事のないものだ。骨董品というには新しいが、昨今の技術の進歩を見る分にはそれも間違いではあるまい。
「懐かしいですね。俺は金がなかったんで、小井出の奴を借りてました。後、メグの」
「そうだったらしいな」
「お二人は同郷で?」
綾部が訊いた。綾部と志村はほんの数時間前に顔を合わせたばかりだ。雅也によって結ばれた縁であるが、互いに自己紹介をするような暇はなく、何らかのエージェントという程度の認識だった。志村が簡単に説明した。同じ町で育った同士で、自分はグレてしまったけど雅也は真面目な男で死んでしまった両親の代わりに妹を良い学校に行かせる為にバイトを掛け持ちしていた。授業を受ける頻度は同じくらいだったけどもテストを受ければいつだって満点に限りなく近い。いつも飄々としているのに喧嘩をすれば赤ん坊みたいに扱われるし、自分の事はどれだけ罵倒されても平然としているのに知り合いが――例えそれが俺のようにいつもは罵倒する側の奴でも――悪く言われれば真っ直ぐに怒る事の出来る人だった。そこまで志村が語った所で綾部は、いや私は貴方たちの惚気が訊きたいのではありません、もうお腹いっぱいですと笑った。
話を戻しましょう、綾部は緩めた顔を引き締める。朝田辰美の話に、だ。
志村は、自分が朝田辰美に調査を依頼された経緯を話した。D13の噂がまことしやかに囁かれるようになったのは、ここ最近の話だ。あれから二〇年経った六月末現在、教祖影蔵の死刑執行日が間近に迫っているという話が薄っすらと広まり、それに伴うようにD13が浮上した。雅也が闇金事務所でましろと初めて出会った時よりも更に何ヶ月か前の事であった。初めはホームページを経由しての依頼であった。メールにはD13の調査を依頼と、高額な報酬を支払う旨が記載されていた。志村は報酬によって依頼の内容をプランニングする。安ければ安いだけ情報は薄くなる。相場に達していればそれだけの情報を提供する。相場以上の報酬を出したならば、その金が何処から出ているのか、こちらは自腹を切って相手の事を調査する。そして必要以上の高額を提示され、且つ相手がこちらとの面談を嫌がった場合、志村は依頼のみを遂行する。調査費以上の料金は、こちらに対する口止め料だからだ。
志村は雅也が“伊舎那”によって倒れたと聞いた後、D13の調査を依頼した人物について調べ始めた。雅也は恐らくD13と戦う覚悟を決めた筈だ。過去に因縁のあるスティグマ神霊会との決着を付けるという意味もあって、志村は少しでも旧知の恩人の手助けをするべく、何らかの手掛かりを求めて依頼主の事を調べ上げた。そうして、それが朝田辰美であると分かったのだ。
志村は朝田辰美の家を訪ね、D13の活動が活発して来たという話を伝えて、どうにか事情を聴き出した。そこで朝田辰美が教祖影蔵の娘であり、D13を調べるという依頼は、行方不明となった彼女のきょうだいがD13と何らかの関わりを持っているのではないかという疑いに端を発するものだった。
「それ以上は聞き出せませんでした」
成程、綾部は志村の車のダッシュボードを開け、分厚い封筒を取り出した。封を切ってみると想像通りお札の束であった。折り畳みの財布には入れる事が出来ても口を閉じる事が出来なくなってしまう量だ。そもそも志村は依頼主の事を調べないようにと大金を渡され、D13の調査を開始したのだ。契約違反という事になる。その上で更に金を毟り取ったとなると、志村に対する心証は最悪である。
「お前はあの家族に迷惑を掛けっ放しだな」
「ですね……」
志村は気まずそうに頷いた。学生時代、辰美を何も知らずに単に気に喰わないと言うだけでいたぶり、そして多少なりと改心してからもその母親に不愉快な思いをさせている。
「でも、尾神さんがいれば――」
ああ、と雅也は頷いた。彼女はこの俺に負い目がある。俺がゆけば、話さない訳にはいかないだろう。
志村の運転するミニは、やがて朝田辰美の家に辿り着いた。都心から離れた小さな村――
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