弐
「先ず、その方……」
綾部はましろに眼をやった。さっきから状況が目まぐるしく動いている。雅也や綾部のように非日常に慣れている訳でも、麗奈のように肝が据わっている訳でもないましろは小動物のように怯えっ放しだった。
「尾神さんの、何です?」
「俺の命を狙ったようなそぶりを見せた」
暴徒に襲われ、ましろの手引きでどうにか逃げ込んだクラブで治療を受けた雅也であったが、ましろの出した料理には“伊舎那”が混入していた。店はその日は休みであったと言うから、忘れ物をして鍵を借りてやって来たというましろ以外に毒物を入れる事が出来る者はいない。それに、“伊舎那”による殺害が失敗した瞬間に武装したチンピラたちが入店して来た。
「そんな、私は――」
「丹波さん、済まないが」
雅也は麗奈に言った。同性である麗奈に、ましろのボディチェックを頼んだのである。麗奈は分かりましたとましろを立たせ、シャワールームに連れてゆく。その背中に綾部が声を掛けた。服を全て脱がして調べて下さい、D13、ひいてはスティグマ神霊会の信者ならば割礼をしている可能性があります。
麗奈とましろがシャワールームに消えて、男三人になった所で、志村が口を開いた。
「可愛い女の子ですね、何処で捕まえたんです? 初対面じゃないんでしょ」
「以前の爆破事件の時だ。あの時、彼女はあのビルにいた」
「ああ、貴方が助けて窓からダイブしたという。――しかし、その時彼女は、D13の工作員に捕らわれていたのでしょう? 何故……」
綾部の疑問に、さぁなと言って雅也は話題を変えた。
「志村、さっきケータイが繋がらなくなったが……」
「ああ、その事は俺も気になってたんです。最初からアンテナは立ってなかったんで心配だったんですけど、何処にいたんですか?」
「地下だ」
それならば、と納得し、自分のスマフォを出す志村。すると怪訝そうな顔をした。どうしましたと綾部が訊くと、アンテナが消えてますと志村は画面を見せた。雅也と綾部もそれぞれ自分のスマフォに眼をやったが、同じくアンテナが消えてしまっていた。
「基地局をやられましたね」
携帯電話の電波は、基地局を経由して互いの端末に届けられる。その基地局が正常に働いていないと通話をする事が出来ない。以前の震災の頃もインターネットの検索は出来ても通話が出来ないという状況に陥った事があるが、これは停電によって基地局が動作を停止していた為である。今回の場合、近隣の基地局がD13によって制圧されたか、爆破されたかという事だろう。
「お待たせしました」
麗奈とましろが戻って来た。特に不審な点はありませんでしたよ、麗奈は言った。何かを隠し持っている訳ではなかったし、陰部に手を入れたようでもなかった。それは雅也も分かっている事である。一晩を共にしているし、何かあればその時に気付いている筈だ。それに、ホワイトロータスにスティグマ神霊会の教義が継承されているとすれば、信者同士以外で肌を重ね合わせる事は、入信の儀を執り行う時を除いて禁じられている。それがどの程度守られているかは兎も角、ましろにその感覚があれば、雅也とのSEXを許容する事はない。
「済まなかった、疑って。俺も少しぴりぴりしていたようだ」
雅也はそう言って、いきなり自分の顔面に拳を叩き付けた。骨が骨を打つ音が響き、拳をどけると雅也の眉間から血が滴った。ましろは雅也なりの不器用な贖罪に驚き、戸惑い、しかしそれも仕方のない事であろうと受け入れた。
麗奈とましろが元の席に戻った所で、状況の整理が始まった。
「先ず、D13の目的ですが、連中は、日本転覆を目論んでいます。二〇年前と同じように」
志村が言った。
「恐らくですが、手口も同じ……つまり、各地で小さな騒動を起こして警察や自衛隊を攪乱し、その間に首都東京に壊滅的なダメージを与えて機能を麻痺させるというものです」
「東京に壊滅的なダメージ、っていうのは?」
麗奈の質問に答えたのは綾部だった。“伊舎那”です、と言うと、麗奈は首を傾げるが、簡単に言えば強力な毒を散布するという事ですと説明した。“伊舎那”は古代に栄えた植物から抽出される毒物だ。現在では栽培が禁じられており、二〇年前にスティグマ神霊会が事件を起こした際に使われたのは、裏ルートで密かに栽培されていたものである。この毒を打ち消す為には同じ植物から取り出されるワクチンしかなく、公的機関が直ちに用意する事は殆ど不可能であると言えた。
「“伊舎那”が使われたのは二度。一度目はN県M市街地に、二度目は都内の地下鉄内に散布され、多くの死傷者が出ました。そして実現しなかった三度目……これを、D13は起こそうという訳ですね」
空か……ぽつりと雅也が言った。スティグマ神霊会の計画では、ヘリを使って空中から“伊舎那”を散布する予定であった。しかし、M市での散布について神霊会の仕業であるという文書が密かに出回った事で警察が神霊会を警戒し、地下鉄での件によって疑惑が本格化しガランへの捜索が行なわれた。その結果、一連の事件がスティグマ神霊会の手によるものだと発覚し、教祖影蔵の逮捕と教団の壊滅が実現したのだ。そうしてヘリによる散布は阻止された。D13の目的がスティグマ神霊会が成し得なかった日本転覆であるならば、その方法を引き継いで空から“伊舎那”を地上に降らせるという計画を採る可能性は高かった。
「警察や自衛隊はそれも警戒しているでしょう。我々だけが戦っている訳ではない。しかし、その計画を阻止した所で、ここまでの騒ぎを起こしたD13は止まらないでしょうね」
「志村、さっき言っていたな、奴らは錦の御旗を手に入れたと」
ましろに連れられた雅也が店の地下で志村から聞かされた情報だ。あの時は、突然電波が届かなくなって、しかもましろが料理に“伊舎那”を混入させた疑惑と、チンピラたちの襲撃によって有耶無耶になってしまったが、志村は何か重大な情報を伝えようとしていたのだ。
志村が以前D13について或る人物の依頼で調べていたと雅也に明かしていたが、その依頼主が影蔵・シヴァジット・獄煉の娘であるという事。そしてD13の錦の御旗も同じく影蔵の子供であるという事だ。志村は、新しい神霊会のリーダーが女性であると仄めかした。
「それが、正確にはそうでもないようなんです。半陰陽……」
「半陰陽?」
「つまり、男の特徴と女の特徴をどちらとも持っている人間って事です」
成程――と、雅也は膝を打った。それならばスティグマ神霊会のカリスマとなり得る。多くの宗教に於いて、上位存在に求められるのは完全である事だ。人間を始めとする様々な生物が兼ね備え得ないものを持つ事が、信仰の対象となり得る。この半陰陽について最も分かり易いのが陰陽道である。陰陽道はあらゆるものを陰と陽に分けて物事を考え、対になる存在、天地や男女が一つに和合する所に平穏があるとする。その考えに則るならば、男の身体と女の身体、二つを備えた人物は完全な肉体を持っているという事になるのだ。勿論、そうした身体で生まれた人間に、何か特別な力がある訳ではない。しかし古くから人間は、様々な奇瑞に対して何らかの意味を求めた。白い鴉、双頭の魚、単眼の獣……乳房と陰茎を同時に持つ人間を、身近にして超常の存在と捉えるのも頷ける。
「見事に担がれちまった訳だな、その子は……」
雅也の眼に憐憫が浮かんだ。しかし例え担がれたにせよ、その人物が今のD13を指揮して日本転覆を計画しているのならば、スティグマ神霊会と浅からぬ因縁のある雅也によっては止めなければならない相手だ。志村、と声を掛けた。その子は何処にいる?
「分かりません、俺も依頼されて探しているんです」
「もう一人の、影蔵の娘にか」
「ええ。……尾神さん、彼女に会いに行きましょう。あの人はまだ俺に全てを話してはいません。でも、尾神さんになら……」
「俺になら?」
「はい、俺にD13の調査を依頼したのは――」
生唾を呑み込んでから、志村はその名を告げた。雅也は志村の口から飛び出した言葉に耳を疑い、飛び出しそうになる心臓を抑え込み、煮え立ちそうな脳を冷静に保つと、ゆっくりとその名前を反芻した。
「朝田辰美――だと!?」
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