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ベランダの上で、辰美と母親が言葉を交わしている。そこで妙な言葉が混じった。辰美の声で、“姉さん”という発言があったのだ。辰美に姉がいたのか? その疑問は先ずは置いておくとして、辰美の母親がその場から去り、場が静寂に包まれた。それから間もなくベランダに足を踏み入れた者があった。軒下からのアングルであるから見えるのは足元だけだが、恐らくは強盗とされたあの二人だ。だがその歩みは友人宅を訪ねる時のものだった。
強盗であるらしい二人と、辰美と彼の母親が何かを話していた。ものを盗ろうとか、人を襲おうとしてやって来たものではない。タイミングからして辰美の母親が呼んだようである。
その内の一人が家の中に上がり、先程、メグが倒れて来る直前にしたのと同じ音を鳴らした。辰美を殴ったのだ。但し単純な暴力が目的ではない、辰美が被害者だと演出する為に殴ったものであるらしかった。
そこで、門の外からオートバイの走行音が聞こえた。雅也がやって来たのだ。もう一人の男は焦ってベランダから降り、そして塀を乗り越えて行った。そのシーンでカメラに動きがあった。メグの手が軒下に伸びて来てレンズを掌で覆い、そのまま暗転する。映像はここで終わっているが、このカメラを発見した場所から察するに、録画を止めて電源を切ったメグはカメラを軒下のより奥へと放り投げた、それから気を失ったのだ。辰美もその母親もあの強盗たちもグルであった。彼らに見付からないよう、ビデオカメラを家の下に隠したのである。
頭部を殴打され、意識朦朧としていたメグが、雅也がオートバイで戻って来た事に……それ所か、強盗とされた二人の来訪にさえ気付いたかどうか分からない。だが、朝田母子の異様な関係に何らかの予感を覚え、一部始終を記録したカメラを“敵地”の奥に隠そうとしたのは、大胆不敵な機転であった。
メグを殴ったのは辰美たちだった。あの現場は偽りだったのだ。という事は、確保された強盗の一人の言葉も虚構であるという事だ。強盗に入った時、シホがいたので邪魔になって銃殺した――やはりそれだけではなかったのだ。
では、何故シホが殺されたのか。シホを殺した男がどうして辰美と関りがあるのか。やはり辰美はシホの死に関わっているのか。シホと辰美を繋ぐスティグマ神霊会という一本の糸が、この無慈悲に他者を傷付ける事件を起こしているのか。
雅也はそこではたと気付いた。それだけではない、メグを傷付けようとしたのは辰美たちだけではなかった。友人だと思っていた小井出――奴は意識を回復する前のメグを殺そうとしていた。小井出がこの件と関係がないのならば、メグの死を目論む筈がない。それに彼が何処かに打った無線ベルのメッセージ……
――まさか。
嫌なものが背筋を駆け抜けた。雅也は塀を飛び越えて家の前に停めてあったバイクに跨った。キーを挿し込みエンジンを掛け、ヘッドライトに光を灯す。すると、向こうから歩いて来た一人の女性が闇の中に浮かび上がった。辰美の母親だ。
「あんた――」
雅也はバイクから下りると、逃げ出そうとした辰美の母の腕を引っ掴んだ。何をするんです、鋭く声を上げられると、あんたたちは何を考えているんだと厳しく問い質した。メグの一件であんたたちの証言は嘘だとはっきりした。何ならこのカメラの映像で確かめてみるか。あんたたちは強盗に襲われた訳じゃない、メグを襲ったのはあんたたちだ、自分たちに都合の悪い真実を見られてしまってな。
辰美の母は諦めたように膝を突いて項垂れた。雅也は彼女の持っていた鞄からハンカチを探り当てると顎を開かせて口に咬ませた。小井出のように舌を切って自害される可能性があったからだ。又、彼女が着ていた上着を使って両手足を拘束すると、家の廊下に転がした。
「後で話は聞かせて貰う」
それだけ言ってバイクに跨り、ハンドルをひねった。雅也のバイクが向かったのは、アキコの家である。アキコには真里を頼んでいる。中学の総体だった真里を迎えに行き、雅也からの書状を見せたのはアキコと、そして小井出だった。メグを殺そうとして雅也に邪魔されて自殺を図った小井出は、あの少ない文字数で雅也が“敵”だと伝達した筈だ。何者に対してなのかはまだ分からない、だが、雅也の“敵”は、雅也の泣き所である真里の居場所を知らされている。
雅也はアキコの家に急いだ。
アキコの家に到着した雅也は、門の前に黒塗りのバンが停まっているのを見て背中から汗が噴き出すのを感じた。乗り捨てるようにしてバイクから飛び降りた雅也は蹴破られた玄関を突き進み、明かりの点いている部屋に駆け上った。女の子然としたアキコの部屋に、三人の男――いや、少年がおり、部屋の主であるアキコを組み伏せている。
「貴様ら!」
雅也は少年の内の二人を殴り飛ばしたが、残った一人はアキコの頸に腕を回して雅也を牽制した。片手には少年の小さな手には似合わないごつい拳銃が握られている。震えはなかった。雅也の襲撃に対して驚きはしたものの、それならばそれで射殺する覚悟は出来ているのだった。
「真里は何処だ!?」
雅也が言うと、くぐもった悲鳴が聞こえた。声が反響し易い狭い空間――風呂場だ。真里が風呂に入っている間にこの少年たちはやって来て、先ずはアキコの部屋を占拠したのだ。そして悲鳴が上がったという事は、真里のいる風呂場にも奴らの一味が足を向けたという事だ。雅也は舌を鳴らすと、こちらに向いた銃口に対して部屋に転がっていたメグのボールペンを投擲した。拾い上げた際に先端をねじって緩めて置いたボールペンは、飛翔する勢いで芯が飛び出し銃口に入り込んだ。雅也の動きに対して発砲しようとした少年の動きよりも早く、ボールペンの芯は銃口に侵入し、拳銃は暴発した。
頭の近くで響いた破裂音に眼を白黒させたアキコが、手を火傷した少年の腕の中から離れる。雅也はでやぁっと跳躍し、少年の顔面と胸のど真ん中にそれぞれ両足の底を叩き付けた。ドロップキックは少年を窓の方にまで突き飛ばし、ガラスをぶち破らせて外に放り出した。割れたガラスからアキコを庇った雅也は、少年たちが完全にグロッキー状態になっているのを確認すると廊下に戻った。廊下には玄関から入り込む夜風に冷まされた風呂場のお湯が点々としており、その玄関の所から出てゆく人影があった。
「辰美!」
その後ろ姿に雅也が声を掛けた。門の前の黒塗りの車に乗り込もうとしていたのは、紛れもない朝田辰美であった。辰美は腕の中に抱えていた真里を車の中に投げ込むと、雅也を一瞥して運転席に乗り込んだ。待て――倒れていたバイクを起こし、辰美の車を追おうとした雅也であったが、アキコの家の奥から爆音が響き、玄関から炎が噴き出した。爆弾⁉ 非日常的な単語が頭を掠めたが、雅也がすぐにそれを否定した。それらは既に雅也にとって映画の中の遠い存在ではなく、身近な人間が扱うものになってしまっている。雅也は再びバイクを乗り捨てると、家の裏、アキコの部屋に外から回り込んで、今し方蹴り飛ばした少年が倒れている窓辺から部屋の中に入り、アキコを抱えて脱出した。その背後で、更に爆発が連鎖した。あの少年たちが身体に装着していた自害用の爆弾が作動したのである。
雅也とアキコはどうにか無事に済んだのだが、アキコを襲い、真里を攫おうとした少年たちは、アキコの家と共に炎の中に掻き消えてしまった。そしてそれだけの犠牲を出しながらも雅也は妹をみすみす拉致されてしまい、それだけの犠牲を払って辰美は雅也に対する切り札を手に入れたのであった。
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