第12章 禁じられた真実

 雅也は辰美の家までやって来た。この家の前で雅也は一人の男が自分自身の存在を焼き滅ぼそうとするのを見、塀を飛び越えた所で倒れた二人の友人と、辰美の母を強姦する男を見た。その事件は解決した筈だった。しかしそうではないと雅也の心は叫び、意識を一瞬だけ取り戻したメグの言葉は雅也の不信感を肯定した。何があるのか――

 雅也は玄関のチャイムを鳴らしたが、出て来る者はいなかった。明かりも点いていない。母親は仕事に出掛けているのかもしれないが、幾ら辰美とは言え眠りに就くにはまだ早い時間だ。という事は近くに買い物にでも出掛けているのだろうか。雅也は閉まっている門を乗り越えて、辰美の家の敷地に侵入した。

 門を越えて左手に庭がある。辰美の母がお見舞いにと持って来たあの植物を栽培しているのだ。その畑に面したベランダに、あの時はメグの上半身が垂れていたのだ。雅也はサッシ窓の所でしゃがみ込み、軒下を覗き込んだ。メグの言うように、そこには彼女のビデオカメラが転がっていた。強めの力で放り投げたようで、手を伸ばしたくらいでは取れそうになかった。雅也は畑の植物がツタを絡ませている支柱を一本拝借し、それでカメラを引き寄せた。

 土を払い、電源を入れてみると、開いた画面にメーカーのロゴが浮かび上がった後、液晶画面にレンズの先の光景が映り込んだ。バッテリーはまだ生きている。雅也はメモリーの中身を閲覧しようとした。最後に撮ったものが初めに表示されるが、映ったのはぶれた暗闇であった。テープを再生する時の三角形の矢印が表示されている事で、動画という事が分かる。メモリーの中身はそれ一つだけだ。雅也は、メグが残したらしいその動画を再生し始めた。






 どうやらその映像は、軒下から撮られたものであるらしい。最初の暗がりから、くるりと反転して少しだけ明度が増した。畑の植物を低い位置から捉えており、画面の上半分程が真っ暗になっている。雅也では入れないのだが、メグくらいの体型ならば身体をうんと丸めて軒下に忍び込む事が出来るのだ。

 メグの息遣いに交じってぼそぼそと話し声が聞こえて来る。メグの息を近くで捉えているから殆ど聞こえないが、囁くような声の中に高いものが混じった。女の声と、それよりも少しだけ低い声、そしてより低い声。最初の二種類の声は、恐らく朝田母子のものだ。高い声が辰美の母の、それより少し低い声が辰美の、そしてもっと低い声は雅也のものだ。この三人の声が聞こえるという事は、雅也が辰美を問い詰めて暫くして、辰美の母親が帰って来た時の会話であるという事だ。

 メグは、バイクの陰で雅也が出て来るのを待っていたのだが、辰美の母親が帰って来たので慌てて庭に転がり、軒下に入り込んだのだろう。そうしてふと思い立って、雅也と辰美の会話を記録しようとしたのだ。

 上の方から、床が軋む音がした。雅也が席を立ったのだ。間もなく先程よりも通った声が聞こえた。玄関から出て、雅也が去ってゆく。門の外でバイクがアクセルを吹かし、走り去って行った。この時点で雅也はメグがいない事に気付いたが、辰美の母親が帰宅した際に何処かに姿を消したのだろうと、すぐには探さなかった。メグもそれは納得している。

 玄関のドアが閉まり、辰美と母親が家の中に戻ってゆく。がらりと、ベランダのサッシ窓が開けられた。サンダルを履いた白い足が庭に降りる。辰美の母親が庭に生い茂る植物に水をやりに来たのだ。

「あの人と何を話したの?」

 家の中に向かって辰美の母親が訊いた。

「神霊会の事だよ」

「何か訊かれたの?」

「この間の件でね……」

 シホの話だ。辰美は雅也が自分にした話を母親にもした。スティグマ神霊会の信者であったシホがその事を雅也に明かした直後、殺害されたという話だ。雅也はどのようにかして辰美とスティグマ神霊会を結び付け、何か知っている事はないかと質問して来た。辰美は、そこで変に誤魔化すのも印象が悪くなると思い、スティグマ神霊会について雅也に説いたと言う。

「疑われているの?」

「そうみたいだ。僕たちが“きょうだい”にそんな事をする筈がないのにね」

“きょうだい”と言うのはスティグマ神霊会の信者同士の呼び名だ。教祖影蔵の常在するスティグマ神霊会の本部では教祖や幹部、その下の信者たちに至るまで、家族同然の生活をしている。実際、入信の際には家族の契りを交わす為に血判を押すという。だから、一度でもスティグマ神霊会の洗礼を受けた人間は信者にとって“きょうだい”なのである。

「それよりも……」

 辰美の声が近付いて来た。ベランダで水をやっている母親の傍に近付き、色っぽい声を発した。ベランダで立ち止まった辰美は、植物に水をやる母親に背中から抱き着き、もぞもぞと動いているようだった。禊の時間ね、母親が言った。

 二人が家の中に戻ると、畑を照らしていた光がふっと消えた。カーテンを閉める音がする。メグは思い切って軒下から出て、姿勢を低くしてそーっと部屋の中を覗き込もうとした。絞められたカーテンの隙間から、ぼんやりとした紫色の明かりが見えている。その明かりが決して眩くはないお陰で、暗い室内を薄っすらと見通す事が出来た。

 レンズ越しの光景と、肉眼に映ったものを見て、メグは動揺した。カメラががくんと震えたのだ。レンズは捉えていた、紫色の蝋燭の薄明りの中に浮かび上がる二つの肢体を。窓に背中を向けて立つ辰美と、その足元に膝を突き息子の腰にしがみ付く母親の姿を。

 メグは女がどういう時にその姿をするか知っていた。男のペニスに口で奉仕する時の姿だった。辰美の母親は息子の陰茎を口の中に潜り込ませ、唾液をまぶして頬の内側で捲れ上がった亀頭を摩擦しているのだった。

 ――どういう事!?

 メグはそう思ったに違いない。あの朝田辰美が、内気で弱々しく女の子みたいない印象さえある少年が、仁王立ちになってフェラチオを、しかも母親と呼ぶ相手にさせている。それだけではなかった、暫くすると辰美のものが解放され、辰美はその場に腰を下ろした。紫色の明かりを背にした母親が、辰美の腰に跨ってゆく。白い裸体は蛇のように絡み合い始めた。オーラルばかりではない、本番まで。

 ごとりと、メグは音を立ててしまった。すると、カメラの画面の中で、辰美の頸に腕を回してしがみ付いていた母親が顔を持ち上げた。視線がメグに注がれる。メグはカメラを軒下に放った。雅也が拾った位置ではない、それよりももっと手前に投げられていた。そこから先は暫くの間、軒下から畑を撮っているだけだった。

 メグの悲鳴のようなものと、人と人とが揉み合って暴れる音が聞こえた。ごちり、鈍い音がしてベランダから女の腕が垂れ下がる。メグのものだった。どうやらここで何者かに――辰美たちの供述からすると強盗に、音声から考えると辰美かその母親に――殴打され、メグは雅也が発見した状態になったらしい。

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