弐
ましろは雅也の手を取って走り、彼女が働いているオッパブに連れて来た。道の角にある建物の地下にある店であり、狭い階段は一人ずつでなければ降りられない。ましろは店の中に雅也を押し込むと、入り口のドアを閉じ、鍵を掛けた。電気は点いていない、闇の中だった。
「危ない所でしたね」
ましろが店の明かりを点けた。蒼い光が室内を照らし出す。闇の中にぼんやりと浮かび上がるましろの姿は初めて出会った時より地味な私服姿で、ともすると一晩を共にした水商売の女性とは判断出来ない程だった。
「助かった」
雅也はソファに腰を沈めながら礼を言った。酒をくれ、消毒すると肩の傷の事を言うと、そんなんじゃ駄目ですよ、ここにも救急箱くらいはありますと電気を白い明かりに直して店の奥に取りに向かった。
ましろは雅也の傷の治療を始めた。狙撃銃で撃たれた肩や、投擲された刃物を払い除けた腕、道路を転がった際の擦り傷など、全身に負傷は及んでいた。撃ち抜かれた左肩には弾頭が残っており、ライターで炙った果物ナイフで抉り取ってから消毒した。赤い血と肉の絡み付いた弾頭を灰皿に転がし、雅也は一息吐いた。
「良いタイミングだったな」
「びっくりしましたよ、これ」
ましろは自分のスマフォを見せた。雅也が襲われる様子がSNSにアップされ拡散されている。既に警察が出動し、暴れ回った人たちを拘束し始めている。しかし、その多くは人混みに紛れて逃げ出してしまっているようだった。ゴールデンタイムのバラエティやドラマに謎の暴動といった類のテロップが出て、現場にはリポーターやカメラが集まっている。アニメを放送している局でも同じテロップが流れたが、偶然にも武装したテロリスト集団に主人公たちが立ち向かう場面であった。
「すぐに尾神さんだって分かりました。良かったです、今日がお店休みで」
「休み?」
「はい。でも、昨日ここに忘れ物しちゃって、それを思い出して店長に鍵を借りたんです。そうしたら、表通りの方から騒ぎが聞こえて、何だろうって、それでケータイを見てみたら何だか男の人が集団に追われているって……」
謎の集団に追われていた雅也が路地から飛び出して来て、ましろはすぐに彼を庇う為に店に案内した。定休日の店の前ならば誰に待ち伏せされている筈もない。若し店に入る姿を見られても裏口からならば逃げさせる事も出来る。些か出来過ぎの感も否めないが、そういう事もあるだろうと雅也は納得した。少なくとも、あの集団から逃げおおせられたのは事実である。
助かった、ともう一度言って、流石に雅也の緊張の糸も切れて、いつかも腰掛けたソファに背中を沈めた。全身から力を抜くとどっと疲労と痛みが襲って来る。そして睡魔も。
「何か飲みます? それとも食べ物が良いですか」
チャージ料は掛かりませんから安心して頼んで下さいとましろが冗談交じりに言うので、雅也はコーラを一〇杯とパスタやご飯ものをあるだけ持って来て欲しいと言った。ましろが頷いて厨房の方へ行くと、狙ったかのようにスマフォに着信が入った。志村からだった。どうしたと雅也が訊く前に、焦った志村の声が聞こえて来た。
「大丈夫ですか、尾神さん!?」
志村もSNSであの一件を見た口らしかった。平気だ、少し怪我はしたがと言うとほっと胸を撫で下ろしたのがスマフォ越しにも分かるくらいだった。志村によれば、警官に取り押さえられた数名は警察署に連行される途中に殆ど自死を選んだらしかった。又、雅也を銃撃しようとして騒乱の発端となった警察官も、自らの口の中に拳銃を突っ込んで自殺したらしい。その後、警察署に駆け付けたマスコミに紛れて近付いた数名が自爆テロを引き起こしたようだった。警察署の前では大きな爆発が起こり、死傷者が多数出たという。しかもこの件に連鎖するように、各地で様々な事件が起こっている。道路で大型トラックが逆走して車や歩行者を巻き込み、大型ショッピングモールに劇薬が撒かれ、新作映画の上映会では凶器を隠し持っていた観客が暴れ出し、国会前では政府に対しそれらの事件を未然に防ぐ事の出来なかったと糾弾するゲリラ的なデモが発生していた。雅也への襲撃失敗がきっかけのようにも思えるし、或いはそうした決起の一環として雅也が狙われたのかもしれなかった。
あっ、と、志村が端末の向こうで声を上げた。志村は今、新宿にいるらしい。駅前の大型ヴィジョンでそれらの情報を知ったのだが、新しく速報が入った。日本以外でも、アメリカやイギリス、フランス、ドイツなどでも同様のテロが行なわれたとされ、それらは中東の過激派組織が各国に潜伏させた工作員たちが一斉に蜂起したものであるという声明であった。しかし志村は、少なくとも日本で起こったものはそうではないと言った。彼らは便乗しただけです、いえ、奴らが便乗させたんです。
現在、中東では反政府勢力との紛争が起こっており、過激派の反政府勢力はその声明通り各国に戦闘員を派遣している。派遣と言ってもその多くは報道を聞いたりインターネットで彼らが流しているプロモーションビデオを見たりして感化された愚かな若者たちであり、熟練の戦闘員や正規に登録された工作員ではない。そのような若者たちが個人的に何らかのテロ行為をしても中東の過激派とは何の関係もないように振る舞う事も出来れば、逆に関係がないからこそ自分たちの仕業だと明言してしまう事も可能だった。
今回、日本で起こった決起に対する声明は、後者だった。中東の過激派とは別の組織が行なったテロに便乗して、自分たちの力を見せ付けた気になっているのだった。しかし、それこそが実行した組織の目論見であった。中東の過激派が乗って来る事を分かって行動を起こした、異国のテロ組織を乗せてしまったのである。
「D13か」
「恐らく」
志村は頷いてから、実は、と話を切り出した。尾神さんには止めて貰いましたけど、やっぱり気になって調査を続けたんです。ムショの影蔵にも会いに行きました。元信者の何名かにも話を聞きに行きました。それでD13について分かった事が幾つかあるんです。
「何だ?」
「D13は錦の御旗があります」
「御旗?」
「ええ、D13はかつてスティグマ神霊会が行なおうとした大規模テロを再現しようとしているんです。二〇年前の日本転覆計画を――」
「何⁉」
「その御旗を奴らは手にしていたんですよ、自分たちのリーダーと言うべき人物を」
「影蔵に匹敵するカリスマの持ち主という事か?」
スティグマ神霊会の祖師である影蔵・シヴァジット・獄煉は、自らには暗黒超力という一種のサイキックパワーがあると説き、又、世界中の偉大な宗教者であるブッダやイエス、孔子、ムハンマドなどの遺跡を訪ねて歩いた事で、自身の特異性やカリスマ性をアピールした。その行動力と知識に加えて一貫した揺らぎのない思想で以て知識人たちを取り込んでゆき、世紀末という時勢も相まってスティグマ神霊会は一大ムーブメントを巻き起こした。そんな彼らが起こした大規模テロの為に宗教界に対する弾圧は明治の廃仏毀釈に迫る勢いを発揮し、暫くの間、活動を縮小せざるを得なくなった。そんな時代に、行為そのものは悪であるとは言え、紛れもなく存在した影蔵というカリスマに匹敵する人物が、たかだか二〇年前で現れるものか?
「子供です」
「子供⁉」
「はい、影蔵・シヴァジット・獄煉の子供です。影蔵自身は独身でしたが、女性幹部の多くは影蔵と関係を持っていました。神霊会の教義では、SEXの快感を解脱の鍵だと説いていたようですから、所謂、乱交パーティみたいな事が日常だったそうです。その時に……」
「出来た子供か。当時に妊娠したとすると、二〇歳前後……御旗としては丁度良いかもしれないな。それで、その子供が見付かったのか?」
「それはまだです。でも、俺はその子供を追っています。と言うのも、以前、尾神さんにD13についてお話しした時、少しだけ触れましたが、それより前から俺はD13の事を調べていました。……ええ、昔の、シホや、メグ、それに小井出の事もありましたけど……或る人から依頼されて。その人も、影蔵の娘だったんです。自分のきょうだいの事を調べて欲しいと、俺に依頼して来たんです」
「その人も……という事は、D13の錦の御旗も、娘……女という事か?」
ええ、それが……そう言った所で、ノイズが入り、声が全く聞こえなくなってしまった。店は地下にあるから電波が入り難く、初めから声も聞き取りにくかったが、今はアンテナが一本も立っていない。雅也は舌打ちをしてスマフォをポケットに入れると、ソファから立ち上がり、出口に向かおうとした。
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