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ああ、と、雅也は顎を引いた。確かに、スティグマ神霊会の信者である事が分かったとしても、少しばかり奇妙な眼で見られるだけで、それ以上に何かがある訳ではない。調伏と称して他の宗教を弾圧しようとする新興宗教団体もあるが、今の所スティグマ神霊会にそうした動きもないのであるから、教祖影蔵のエキセントリックな行動を含めて、お笑い芸人くらいの扱いでメディアに露出する事が多かった。しかしそうだとすると、シホの行動の理由が分からない。自身がスティグマの信者である事を明かしたのは何故なのか。そして何故殺されなければならなかったのか。
雅也が黙りこくってしまうと、家に上がって来る者があった。辰美の母親だ。
「辰美ちゃん、誰かお客さん?」
雅也は辰美の母親に小さく会釈をした。シホが殺される直前にも会っており、互いに顔見知りであった。雅也はそろそろ失礼するよと言ってソファから立ち上がった。辰美の母親が、息子と仲良くしてねと言って玄関まで見送りに来た。
「そろそろ雨が降るそうから、気を付けて帰って下さいね」
そういう事は言われなくても分かっていた。雨が降りそうな時は、空気がひたひたと皮膚に張り付いて来て、感覚で分かる。
家を出た雅也は、メグがいなくなっているのに気付いた。辰美の母親が帰って来る所に、バイクの陰に隠れているのでは怪しまれると思ったのだろう。雅也はすぐに合流出来るだろうと考えて玄関の前で見送りする朝田母子に別れを告げた。
少し離れた路肩にバイクを止めた雅也は、メグを探しに戻る。あの辺りで咄嗟に隠れるとしたらそれは何処になるだろうか。
シホを殺害した犯人が辰美ではなく、しかしスティグマ神霊会に関係する人物であったとすれば、辰美に探りを入れた雅也と同行していたメグも狙われる可能性があった。雅也はベルにメグの場所を問い掛けた。返信はすぐには来なかった。返信があったのはそれから少し経ってからであったが、液晶に表示された文字を見て雅也は顔を顰めた。
タステケ
アサダイエ
雅也はバイクを飛ばした。辰美の家の前まで戻って来ると、塀を飛び越える黒い影があった。夜に紛れる黒いジャケットとズボンを穿いて目出しの覆面を被った男であり、片手には鉄パイプを握り締めていた。鉄パイプを赤黒い液体が伝っており、地面にぽたぽたと滴るさまを、バイクのライトが照らし出した。
「貴様!」雅也はバイクから飛び降り、黒尽くめの男に対して一気に距離を詰めた。男は雅也の頭部に向かって鉄パイプをフルスイングするが、勢いを殺さないまま、寧ろダッシュの勢いを身体を沈める動作に転用した雅也に腰に組み付かれ、そのまま押し倒された。馬乗りになった雅也が、男の手から鉄パイプをもぎ取り、覆面に手を掛けようとする。すると黒尽くめの男は開いた手でジャケットのポケットからライターを取り出し、点火して口元に近付けた。ふっ、と息を吐き掛けると、口の中に溜め込んでいたらしいオイルに引火して、雅也の顔に向けて火が放射された。顔の中心から前髪に掛けて焦がされた雅也がバランスを崩し、マウントを手放してしまう。火の煌めきをゼロ距離で浴びせられ、眼の前が真っ白になっていた。ぼんやりとしか周囲を認識出来ない視界の中で、男が鉄パイプを振り被る。雅也はバイクの方まで転がって行った。愛機のタイヤに身体が触れる。雅也が飛び出した勢いでバイクは倒れていたが、バイクに手を当てて立ち上がると、男はしつこく鉄パイプを落そうとする。さっと身を躱した雅也であったが、振り下ろされた鉄パイプはバイクのタンクを砕いていた。ガソリンが漏れ出す。雅也は男の顔面に横からキックを見舞った。空手家でもそうは見ない見事な線を描く蹴りが、男の頚椎に損傷を与える。
倒れた男に、雅也が歩み寄った。シホを殺したのはこいつか。そして今またメグにも、あまつさえ辰美たちにも危害を加えようとしたのか。正体を確かめてやる。だがその前に男はライターを点火した。気化したガソリンを吸い込んでいた男の衣服が燃え出した。男は火だるまになりながら自ら顔をバイクのタンクに押し当ててガソリンを浴びた。正体を知られる事を厭い、完全な情報の抹消を計ったのだ。ぼん! と、男もバイクも爆発を起こし、ばらばらになった機械のパーツが吹き飛んだ。
「メグ!」
雅也はしかしバイクが破壊されたのを悼んでいる暇はない。塀を飛び越えて家の庭に着地すると、サッシ窓は割られ、家の内外を仕切るレールにメグの身体がうつ伏せに倒れ込んでいた。服をはだけさせられたメグは頭部から赤黒い血を流し、身じろぎ一つしていなかった。辛うじて細い呼吸をしている事は分かったが、危うい状態である。
リビングでは辰美が倒れ込んでいる。やはり頭部を強く殴られ、ソファに凭れ掛かる形で気を失っていた。そしてリビングに続く廊下では、もう一人の黒尽くめの男が、辰美の母親を組み敷いている所であった。上着とスカートを奪い取られ、肉付きの良い白い尻を抱えられ、黒尽くめの男に激しく貫かれている。
雅也はもう一人の男の後ろ襟を掴んで立たせると、顔面にパンチを見舞った。ぬらぬらとしたペニスを剥き出したまま廊下に倒れる間抜けな男。
雅也は男の腹に靴の踵をめり込ませた。げ、と男が低く呻き、口から吐瀉を、股間から粥のような液体を迸らせて気を失った。
覆面を剥がすと、覚えのない男の顔があった。男の懐から、ぽろりとこぼれたものがあった。雅也の家から盗まれた、カセットテープであった。
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