第8章 絶望への狼煙

「やっぱりあいつなんじゃないの!?」メグが言った。

 雅也は取り敢えずリビングを片付け、ソファに身体を横たえる程度の事は出来るようにした。家の中は徹底的に荒らされていたが、時間にして数十分も掛けられてはいないように思えた。雅也とメグが隣町の喫茶店からメグの家を経由して戻って来るまでに、この犯行は行なわれた事になる。

 メグが言うあいつというのは、朝田辰美の事だ。雅也の家から、メグから没収したカセットテープがなくなっていた。メグは志村たちと共に辰美を辱めるべく撮影した、シホにズボンを脱がされる辰美の映像に、彼がスティグマ神霊会の信者の証である割礼を受けているか否かの証拠が残っているかもしれないと考えた。辰美を救うようにして現れた雅也が、メグからカムコーダーのカセットテープを取り上げたのである。その事を知っているのは、あの場にいた志村、三田、小井出、メグ、アキコ、シホ、そして辰美と雅也だけである。雅也がカセットテープを持っている事を知っていて、且つ、彼の家を荒らしてまでその映像を取り戻そうと考えるのは、辰美だけではないか、メグはそう言ったのだ。それはつまり、辰美がシホを殺した犯人、又はその一味ではないかという事である。

「どうかな……」

 テープを奪う機会なら少なくともシホが殺された時にあった筈だ。雅也はカセットテープを取り上げた後、辰美と共に下校し、途中で辰美の母親と会っている。辰美の母親からの食事の誘いを断り、辰美と別れてラーメン屋で食事をし、そこにやって来たシホに言われて彼女の家に向かった。雅也が窓から飛び出して戻って来るまでの間に、シホを銃殺する事が出来たのならば、雅也の荷物からカセットテープを抜き取る事は難くないだろう。それをしなかったのは、辰美とスティグマ神霊会を繋ぐかもしれないカセットテープの情報を重要視していなかった事に他ならない。辰美がシホ殺害の犯人であるなら、テープの所持者が雅也になっている事は知っているだろうし、その時に回収していても変ではない。それが、このタイミングになって家探しをしてまでテープを奪ったという事は、カセットテープの存在に気付いたのがつい最近という事になる。だが間違いないと断じる事の出来る事実は発見された。辰美が犯人であるか否かに関わらず、辰美は犯人と何らかの関係を持っているという事だ。彼が犯人でないとしても、この事について問い質す必要はあるように思えた。

「じゃあ、すぐに行こう――」

 人の家を訪問するには些か失礼に当たる時間だが、場合が場合である、雅也は頷いて家から出ると、メグを後ろに乗せてバイクを走らせた。

 辰美の家の前に着いた雅也は、メグをバイクから降ろし、辰美には見付からないような位置にいるように指示をした。辰美にとってメグは、志村たちと同じで自分を虐めた相手でしかない。分かったとメグは頷き、バイクの陰に隠れるような形になった。雅也はメグに上着を貸して冷えないようにし、何かあったらクラクションを鳴らすようにと言った。

 玄関の呼び鈴を鳴らすと、すぐに辰美がやって来た。

「こんな時間にどうしたの?」

「少し話がしたいんだ」

 雅也はそう言って、家に上げて貰った。

 辰美の家は親子二人暮らしで母親が滅多に帰らないと言う割には広く造られている。元々住んでいる家庭はあったのだが若い者は都会に出てしまい年寄りだけになり、誰も住む者がなくなった所で売りに出された。そこを辰美の母が市役所に問い合わせ、安く買い取って引っ越して来たのである。

 清潔に保たれたリビングに雅也は通された。長方形をしたガラスのテーブルを左右から黒革のソファが挟み込んでおり、庭に降りるサッシ窓の横にテレビが置かれていた。外からは塀になって見えない庭にはちょっとした畑が作られており、植物が植えられている。同じ植物は家の中の鉢にも植えられていた。田舎育ちと言うだけあって辰美が余程のマニアでもない限りこの辺りに自生する植物については詳しい自信があったが、見た事のない草であった。

「ハーブみたいなものだよ」辰美は言った。「すり潰して飲むと健康に良いんだ、母さんが趣味で育てているものだから僕は詳しくないけれど」

 そう言って辰美はお茶を淹れた。夜だから余りカフェインが濃くなく、落ち着いた気分になれるものをインスタントで。

「ヨガをやるのか」

 部屋の隅にあるマットを見て、雅也は言った。母さんがね、雅也の向かいのソファに腰を下ろした辰美はそう返した。雅也は、そう言えばスティグマ神霊会もヨガを修行に取り入れていた筈だなと思い出し、しかし近年で言うヨガは健康体操としての一面の方が強くなっているから自分たちの母親世代が夢中になっても仕方ないと考え直した。

「それで、どうかした? 尾神くん」

「シホの事だ」

「何かな」

「あの事件について、何か、心当たりはないか?」

「いいや、知っている事は一つもないよ」辰美は白い陶器のティーカップに入れたお茶を口に含み、首を横に振った。でもどうして? 若しかして尾神くんも僕を疑っているのかな。その事なら僕も君と同じで警察に色々と訊かれたんだけど、あの日は尾神くんも知っているように母さんと食事に行っていたんだ。ホテルのちょっと良いレストランだよ。僕も余り得意じゃないんだけど、母さんがどうせならって言うんだ。

 雅也はブラフを使った。シホが言っていた事なんだが、お前がスティグマ神霊会の信者だっていうのは本当か?

「本当だよ。でも、それと彼女が殺されたのとどういう関係があるんだい」

「シホは自分がスティグマ神霊会の信者だったと俺に言った。そしてお前がそうだという話をした直後に殺されたんだ。この件にスティグマ神霊会が関わっていると思うのは自然じゃないかな」

「確かに、スティグマの事を妙に思う人は少なくないみたいだね。アルヒが説いているのが滅亡思想だからかな……」

 アルヒとは教祖の影蔵の事である。影蔵が興したスティグマ神霊会は、この世界は今まさに滅亡に向かおうとしているのであり、避け得ない破滅の後も平穏な生活を送れるようにするべくスティグマの教えがあるとしている。辰美は、実際に世界が破滅するかは分からない、けれど破滅した世界で生きてゆく為には人と人とが絆を結び合って生きてゆく事が不可欠であり、これは日常的な生活にも言える事で、スティグマは終末を説く事を転じて人々が仲良く暮らせる世界を目指そうとしているのだと言った。

「その教えを受けたスティグマ神霊会の信者が、殺人を犯そうとする理由があるかい?」

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