「でもよ、仇討ちったってどーするんだよ」

 志村が言うと、雅也もメグもアキコも三田も眼を丸くした。何だよと言い返すと、あんたも参加する気? とアキコが訊いた。三田はらしくねぇぞと苦笑いを浮かべた。志村は機会があれば逃げ出そうとしていた三田の胸倉を掴んで彼の頭に自分の額をぶつけて黙らせた。

「あいつがどうして殺されたのか、分かってねぇんだろう?」

 シホが殺された理由だ。何故、殺されねばならなかったのか。

 愉快犯か? それにしては余りに正確に二発の弾丸で仕留めている。それも、雅也が窓から飛び出した数分の内に。又、シホは部屋の中を覗いた人物を恐れており、その人物を逃がさぬよう雅也に言った。覗き犯に別の理由で狙われている事を知っていたようなそぶりであった。

「若しかすると、スティグマ神霊会かもな」三田が冗談交じりに言った。

 雅也たちがどういう事か訊き返すと、三田は焦った様子でいや忘れてくれと言ったが、志村が襟ぐりを掴んで何でも良いから話せと言うと三田は自身の見解を述べた。

「だからスティグマ神霊会さ、一番怪しいのはそいつらだろう。だってシホはスティグマ神霊会の話をした直後に、覗き犯をすぐに捕まえろって言ったんだろ。それってつまり、シホが尾神、お前に話そうとしていたのは、スティグマ神霊会について聞かれちゃ不味い事なんじゃないかって事だよ」

 覗き犯と実行犯が別の人物で且つグル、それは想像が付く事であった。分からなかったのはシホ個人が狙われる理由だ。犯人グループがスティグマ神霊会だとして、元々スティグマの信者だったシホが彼らにとって何か不都合のある話をしようとしていたのなら、考えられなくはない。

「でもスティグマ神霊会ったって、でしょ? 聞かれて不味い事って何かある?」

「いや、分からねーぜ。ってのは、あのデカい寺の中で何考えてるやら……」

 スティグマ神霊会は自らの経典を持つ新興宗教であり、スティグマという言葉こそユダヤ・キリスト教の言葉として知られているが、飽くまでも一般的な名詞として用い、他の既成宗教団体に関連する要素は押し出していない。しかし、教祖の影蔵が日本人であるらしい事と、彼が表に出る時は和装に似た衣装を身に着けている事、そして宗教を詳しく知らない者にとって神道と仏教の区別は殆どなく、宗教家と言えばお坊さんであるという風に考えられている場合もある為、志村たちはこのように言った。

 日本には伝来より仏教が根付いていた。無知な者は、仏教がインドという異国からやって来たものであると知らない場合さえもある。聖徳太子が仏教を迎え入れ、我氏らの勧めにより、国教と規定されてから明治維新までの間、日本仏教は日常の中にあった。だが、長い歴史の中で僧侶たちの中に腐敗が目立ち、江戸時代に制定された檀家制度によって管理束縛された人々は僧侶の身に着ける袈裟に至るまで憎しみを抱き、維新が成って国教が神道に移り変わった時、腐敗した仏教寺院に対して復讐を開始した。その頃の感覚は、明治が既に遠き過去の事となった現代も受け継がれてしまっているのである。宗教に対する信頼と不信感は、長い歴史の中で自然と生まれて来たものであった。

「でも、何だか臭いらしーよ」

 臭い? アキコがぽつりと漏らした。スティグマ神霊会の事だ。

「この間、うちのお祖母ちゃんのお葬式があったんだけどさ、その時にあそこの住職が言ってたの、ちょっと聞いたのよ。影蔵って男は怪しいな、何か変な事を考えてる面だぜ、って」

「まぁ、確かに胡散臭い顔ではあるがな……」

「問題になった事もあったでしょ、ほら、インドだったかイスラエルだったかで……」

「仏教とかキリスト教の遺跡で何かやったってあれか」

 フットワーク軽いよな、あのおっさん――げらげらと笑う志村であったが、笑い事ではない。影蔵・シヴァジット・獄煉は、各国の宗教の聖地に足を運び、その地でスティグマ神霊会の布教を行ない、危うく国際問題に発展する所であった。又、世紀末に向けて氾濫するノストラダムスの予言に関する書籍も数冊出しているが、多くの著者たちが本来はフランス語で書かれていた『百詩編』を和訳本で読むか分かりもしない仏和辞典を片手に解釈するかしかしていないのに対し、自らフランスに赴いてその資料の閲覧を行なっている。他にもマヤ文明の太陽のカレンダーなどにも興味を示しているようだった。影蔵という男の実態はどうあれ、そこまで研究に熱心な部分をアピールしていれば、各界の学者たちも興味を惹かれてしまうだろう。

「あ、そーだ、ねぇ、尾神。シホって、その割礼? って奴を受けてたんだよね。それであそこの……」

「小陰唇」

「しょういん……って、何であんたは真顔で言うのよ……」

 メグが呆れたように言った。雅也は中学生じゃあるまいしと不思議そうな顔をした。それがどうしたのかと続きを促す。

「それって、女の子だと、そういう事になる訳だけど、男だとどうなるの?」

「包茎手術だ」これも雅也は真顔で言った。

 わははと志村が声を上げる。俺はそんなものはいらねぇぜ、何だ尾神、お前はまだ剥けてないのか。

 雅也は冷静に皮の先の方を切り取るんだと言った。しかも抑揚のない声でその方法まで教えてみせる。ひぇ、と志村と三田が自分の股間の辺りを押さえて顔を蒼くした。ズル剥けにしていると病気にはなり難いらしい、包茎の手術を受けたくないなら早めに剥いて置け。そうすると亀頭が角質化する。

 それを聞いてメグは、、と言った。メグたちが聞いた、シホの呟きと同じだった。メグはシホの言葉を思い出した。志村たちと一緒に辰美を囲み、メグが回した動画の前でシホが彼のペニスを取り出した時の言葉だ。

「辰美がスティグマ神霊会の信者だって言うのか」

 雅也が訊いた。シホは確か、辰美のものが“ズル剥け”と言っていた。それだけなら別に不思議な事ではない。だが、その直後に、自身も割礼を受けているシホが意味ありげに呟いたのならば、彼のペニスに触れた時に彼が割礼を受けていると気付いたのかもしれない。SEX中毒を自称するシホならば、何人もの男の身体を知っている筈であり、その包皮を自分で処理したものか別の手段で切除されたものか判断が付いたのかもしれなかった。

 割礼はキリスト教の聖書の中の『創世記』に記されている行為である。しかし近年では、宗教を盾に肉体を傷付ける行為は虐待や差別に通じるとして批判される流れもあった。そうなると、今日そうした手術によって包皮を切除するのは珍しい事になり、辰美のような性の方面に疎く、不潔だと否定さえする少年が自ら病院に足を運ぶというのも考え難かった。

「分かんないけど……でも、他に思い付かないし」

「つまりよ、あいつを殺したのは朝田の野郎って事か!? あの野郎、俺たちに復讐しようって事かよ」

 まさかそんな事は、雅也はそう思うのだが、志村の執拗さを考えれば分からない事もない。お前たちはやっても仕方のない事をしたぜと雅也は言った。過剰ではあるが復讐としては正当な理由がある、裁判になれば刑期が短くなる程度には。だが殺人は許されてはならない行為だ、ましてやあの犯行がグループによるものであるとすれば、その計画性は残虐性に直結する。

「尾神、テープは?」

「家だ」

 メグから没収したカセットテープの事だ。メグもビデオカメラは家に置いて来たままだ。取りにゆこうという事になった。再生にはあのカメラにこだわる必要はないが、辰美がレイプされ掛かっている所を他の人間の前で再生するのは、彼が何の関りもない場合には憚られる。先ずは雅也に映像を見せて判断する、それからだった。

 雅也がメグを家までカムコーダーを取りにバイクで送り、それから雅也の家に行ってカセットテープを持って来る。志村たちはその場で解散し、雅也とメグの報告を待つ事にした。






 メグを後ろに乗せ、町に戻った雅也は、彼女の家の前でバイクを止め、一緒に部屋の中に上がった。確証はないが、辰美が自分を迫害した志村たちのグループに対して復讐を企んでいるのなら、メグもその対象である筈だ。彼女が狙われたのなら守らねばならない。

 雅也はメグの部屋の前に立ち、彼女が引き出しの中からカメラを取り出すのを待った。その背中に雅也は声を掛ける。

「俺はお前たちのような奴らが嫌いだ」

 徒党を組んで他人を迫害する連中が、だ。辰美を余所者扱いする気持ちが全く分からないではない。しかし、余所から来たとしても同じ町に住む仲間だ。それを迫害しようなどというのはとんでもない事だ。しかも集団で独りに対してそういう事をやるのは卑怯だ。

 だが、とも雅也は言った。シホが殺され、その仇を討とうという気持ちは嫌いではない。辰美を拒絶した集団心理が、犯人を捕まえようという結束になるのは良い事だ。出来るならばその気持ちを、優しさや友情を育もうとする心を、少しでも辰美に向けてやって欲しかった。若しも辰美が犯人ではなく、この疑いが全く根拠のないものであったと分かったのなら、これからは心を入れ替えて彼に歩み寄ってやろう。

 カメラを鞄に入れ、雅也と共に家を出るメグは、あんた説教臭いよ、本当は何年も留年だぶってるんじゃないの? と言った。しかし、考えてみれば雅也の言う通りだ。辰美を余所者だと決め付けて仲間に入れてやらないばかりか、集団で責め立てた自分たちは、余りにも残酷な事をした。だと言うのに、かつては同じ余所者だったシホが殺されて、その途端に仇討ちだと躍起になっていたのだ。

「許す訳ないよね、あいつ」

「そうだろうな」

「私だって、シホを殺した奴は許せないしさ」

「それが自然だ」

「だったら、どうすれば良いのかな」

 許されない事をした人間はその罪をどう贖えば良いのか――果たして贖罪は可能なのか。

 雅也は答えられなかった。雅也は常から、人が人を裁く事は出来ないと言っている。ならば、その罪を許すも許さないもない。人間に断罪の力が与えられていないのならば、人の罪は、何によって償われるのか、誰によって許されるのか。

 雅也はバイクに跨り、メグにヘルメットを渡した。ハンドルを握り、ギアを入れ、アクセルを吹かす。自宅までそう遠くはない。一〇分ばかりで着く事が出来る。その間、ヘルメットの中で考えていた。俺は今まで酷く傲慢だった。人に人を裁く事は出来ないと言うだけで、他者を許す事を日常にして来た。怨みを抱き不幸を抱えた人間に対して綺麗事を吐き、裁く資格はないのだと許しを強要して来た。負の部分を切り捨て、未来に正しく生きる事のみを望んで来た。それは、俺が他人に興味がないからだ。他人が傷付いても、他人を傷付けても、それは俺の事ではない。俺の事ではないからどんな罪も許してやれる気がしていた。だが、それは俺が傷付いていないからだった。自分を、愛する友を傷付けられた人間が、加害者を許せる訳がないのだ。咎人を裁く力も、罪悪を許す心も、人間は持ち得ない。一番傲慢で、醜かったのは、この俺だ……






 雅也は自宅に着いて唖然とした。家の中は酷く荒らされており、食器は割れ、本棚は倒され、真里のお気に入りの洋服もずたずたに引き裂かれていた。しかし、盗まれたものもないようであった。カセットテープを除いて……。

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