第6章 歪んだ絆
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雅也が警察に通報すると、やたらと色めき立った警察官や鑑識の人間が駆け付けて来て、シホが殺害された現場を調査し始めた。志村がやっていたような万引きなどの軽犯罪は兎も角、殺人などの凶悪な事件は滅多に起こらない町の事であるから、それも仕方がない事であったかもしれない。
事情聴取を受けた雅也はありのままを話した。シホに誘われ肌を重ねた事、彼女から何らかの話をされようとした事、外から覗かれその犯人を追って飛び出した事、犯人に逃げられて引き返して来た時には既にシホが殺されていた事――容疑者として疑われてもしょうがないと思っていた雅也であったが、仲間意識のある町民同士の事、形ばかりは家宅捜索にも入るという話になったが、雅也はそんな事をする人間ではないと言って、他に犯人がいるという結論に達した。
兄からのメッセージを見て、一人で夜を過ごした真里は、その兄が警察を伴って帰宅した事に非常に驚いた。そしてシホが殺害され、その場にいた雅也が事情聴取を受け、身の潔白を証明する為に家宅捜索をされる事になったと聞いて益々混乱した。
当然だが家宅捜索では何も見付からなかった。志村が万引きし、雅也がその尻拭いをした成人向け雑誌が見付かり、駄目だよこれはと笑って注意されたくらいであった。
シホの死はニュースで扱われた。雅也を含め、彼女の知り合いの家や学校をマスコミが訪ね、シホの事を聞いて回った。まるでハイエナだ、雅也はカメラとマイクを手にシホの死骸に群がるいやらしい獣にしか見えなかった。その日、シホに何があったのか、彼女の人となりはどうなのか、彼女の良い所、悪い所、交友関係……そうしたものを根掘り葉掘り聞き回る各局の記者たちは、静かな町の人々にはやかましいだけの異生物のように映った。
雅也は暫く学校を休んだ。彼女の死に立ち会った人間としてメディアに晒されるのを厭ったのである。真里には家を離れて仲の良い友人の所にでも匿って貰うように促した。流石にマスコミもそちらまでは取材に行かないだろう。そう期待しての事だった。
雅也が家から出ずに過ごしている間にも、この町以外では色々な事が起きている。良い事も悪い事も、ニュースになったり、新聞の小さな記事で終わったり、誰の眼にも触れないままに終わったり。シホの死については、もう余り報道さえされなくなった。しかし町にはまだ取材班が残留しており、少しでも有力な情報を手に入れようとしている。有力と言うのは、犯人の正体についてという事ではない、自分たちの局や出版社がどれだけ視聴率を伸ばせるか、それにどれだけ貢献出来るかという事だ。
学校にもバイトにも行けない間、電話が二度あった。
一度は朝田辰美からだった。辰美は雅也の事を心配して電話を掛け、二言三言会話を交わして通話を終えた。雅也は、そう言えばシホは辰美を虐めていた志村たちと同じグループだったなと思い出した。辰美のペニスを志村たちの前で引き出して咥えようとした所で雅也が現れたのだ。あの時は雅也が脅かしたら逃げ出したが、その直後にシホは雅也を褥に招いた。そして自身がかつてスティグマ神霊会の信者として割礼を受けた事を明かしたが、彼女が本当に伝えたかった話とは何だったのであろうか。
次の電話はメグからだった。志村たちと一緒に辰美を囲んだ内の一人だ。雅也がカセットテープを没収したカムコーダーの持ち主だった。どうして家の番号を? 雅也の疑問は電話の横の壁に貼ってあったプリントを見て解消された。緊急連絡網に自宅の番号が書かれている。それを見れば同級生に連絡する事は簡単であった。
「シホと最後に会ってたのは貴方なんでしょ? 何か知らない?」
分からないと答えた。分かっていれば既に警察に伝えている。雅也が却って質問した。シホは俺に何か話したい事があったようだった、何か知らないか。彼女は発作を抑える為に俺とエッチをしてから話をしようとしたが、その前に殺されてしまった。
発作? 訊き返すメグに、慢性的性交渉依存症だと雅也は言った。シホはしきりに自分が病気だと言い、病名はSEX中毒と言っていた。そんな病気が存在するとも思えないから、それらしい言葉を並べて置けばほんのちょっとの間違い探しで正式な病名は見付かるだろう。これは後から知った事だが、実際に性依存症という症状があり、日本でこそ面白おかしく言われるだけに過ぎないが、海外ではその専門の研究も進められているという事である。雅也は軽口として使用した事を後悔する事となった。メグも性依存症の事は知らなかったようで最初は雅也が余りにも真面目にそんな事を言うのでふざけているのかと思ったが、彼の性格からそれはあり得ないと判断した。そして殺される前のシホの行動を思い出し、そう言えばと呟いた。
「何だ?」
「若しかして、って言ってた」
「若しかして?」
「あの後、あんたの事を色々と言ってたんだけどさ」
「陰口は感心しないな。悪口でも面と向かって言われる方が気が楽だ」
「若しかしてあいつ、そう言ってたんだ」
「俺の事か」
「多分、違うと思う」
「じゃあ誰の事を言っていたんだ?」
「あんたじゃないとなると、あいつの事じゃない? 朝田……」
「辰美の事か?」
辰美がどうしたのか。この事件に彼が関わっているのだろうか。メグも勿論それは分からないだろう。分からないが、少しでも解決の糸口になればと、今から会って話そうという事になった。雅也は家の外に記者がいないのを確認すると、今から一時間後に隣町の喫茶店で落ち合おうという事になった。
受話器を戻した雅也は普段は滅多に着ない上着とズボンを身に着け、ヘルメットとバイクの鍵を持って、家の裏口から外に出た。バイクは裏手に停められており、雨避けのカバーを取り払うとゴールドと紫を差し色にした黒いオートバイが現れた。密かに、しかし急いでバイクを走らせたのは、夕方の事であった。
日は暮れていた。夜の街道沿いにぽつんと建った喫茶店に雅也が足を踏み入れると、既にメグは席に着いていた。メグだけではなく、アキコもいた。雅也はメグたちの席に座ると、ウェイトレスに食事を注文した。ハンバーグ定食と生姜焼き定食、カツ丼、天丼、親子丼……喫茶店という割には食事も多く取り扱っており、学生たちの溜まり場になるのも仕方がない。事件の事もあって、この日は客が少なかった。
「あんた、痩せた?」アキコが訊いた。雅也の頬は見るからにこそげていた。顔色も蒼白く、夜道で何も知らずに出くわしたら悲鳴を上げてしまいそうだった。
事件のあった日から、食事は最低限の量しかとっていない。事情聴取から帰って二日ばかりは取材陣に囲まれて外に出る事が出来ず、ほとぼりが冷め始めた頃になっても外出が憚られた。それで今日までに、家に残していた食べ物を殆ど食べてしまい、酷い空腹状態にあったのだ。
注文を平らげるとコーヒーを頼んだ。砂糖は入れなかった。ブラックの苦みが脳を冴えさせてくれる。
「若しかしてあいつ、そう言ったんだな?」
「うん。何がって訊いたら、何でもないって言ってたけど」
「そのあいつというのは、辰美の事なのか?」
「だと思うよ、あんたの事は私たちだって或る程度知ってるし」
雅也たちの通う高校は、この周りで唯一のもので、近くの中学校を卒業した者は他所の高校に入ったり就職したりしない限りそこに入学する。メグとアキコもその例に漏れず、雅也とは小学校の頃から知り合いであった。特別に仲が良い訳ではないが、何も知らない仲ではない。だからこそ雅也は彼女らを罰する事が出来ないのだ。シホは東京から引っ越して来たのだからメグたちよりも雅也との付き合いは短いが、それでも二年や三年程度の知り合いではないから、今更雅也に対して若しかしても何もないのである。
「で? あんたはシホとどんな話をしたの?」
メグが訊いた所で、来店があった。見れば志村と三田であった。志村はメグたちを発見しておぅいと手を振るが、彼女らと向かい合った雅也を見てぎょっと眼を吊り上げた。てめぇと突っ掛かってゆきそうになるのをアキコが制止する。
「てめぇがあいつを殺したんじゃねぇだろうな」
志村は凄んだが雅也は取り合わなかった。メグたちに向かい合って、シホとの話の内容を教えた。
彼女が東京から父親の地元であるこの町にやって来たのは、表向きは父親がインターネットを駆使した新しい働き方を検証する為であったとされているが、実際はスティグマ神霊会と何か関係があるという事であった。しかし、彼女がその後に割礼の話をしたからスティグマ神霊会と関わりがあると分かったというだけで、どのように関わっているのかは聞く事が出来なかった。
「何だよ、割礼って」
志村が三田に訊くが、三田も分からなかった。メグとアキコもぴんと来ない様子であったから、雅也が簡単に説明した。割礼は宗教的な意味を伴う行動で、性器の一部或いはそのものを切除してしまう事だ、シホの場合は小陰唇を切り取っていた。
志村は見たのか、お前あいつのあそこを見たのかと喰い付いて来たが、雅也は取り合わなかった。
「うーん、全然分からないわねぇ」
メグは首をひねった。雅也の記憶からもメグたちの証言からも得られたものは何もなかった。雅也は腕組みをして唸るメグに、どうして俺を呼んだのかと訊いた。一体何の心算で雅也と情報を共有しようとしたのか。
「決まってるじゃん」メグは言った。「友達が殺されたんだよ、仇討ってやらなくちゃ」
凄いな、雅也は思った。
シホが殺され、哀しいと思った。悔しさを感じた。疑問だけが残った。雅也はしかしシホの事を考えていなかった。自分の前で自分に何かを話そうとして死んだというだけにしか思っておらず、そんな場面に直面した自分の事しか考えていなかった。仇討ちは何処まで行っても自分の為のものでしかない。それでもメグは、殺されたシホの仇を取ろうと動き出したのである。
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