第4章 狂気の伝染

 朝田が志村に呼び出され、解放された学校の屋上で志村を含んだ三人にリンチの目に遭い、彼らのグループの女子生徒たちに笑いものにされたのは、夏休みを目前にした日の事であった。

 空は蒼く澄んで雲は白く立ち上り、眩いばかりの陽射しが屋上の石畳を焦がしていた。四方に鉄柵を張り巡らせた屋上は、普段は解放厳禁になっている。朝田を囲んだ志村と三田に言われ、生徒会に所属する仮面優等生であり彼らの仲間である小井出が、その立場を利用して屋上の鍵を持ち出したのである。

 志村たちに殴られ、白い頬を青紫に腫れ上がらせた朝田を、女の子たちがげらげらと笑いながら見下ろしている。スカートの裾を下品に詰めて短くし、褐色に焦がした脚にはルーズソックスを履いている。ブラウスの襟は水商売の女のようにざっくりと開き、リボンのゴムはゆるゆるで乳房の位置にまでずり下がっていた。

「見てー、パパに買って貰ったの。流行りのビデオカメラ」

「マジ? それって新発売の高い奴じゃん!」

「メグったらチョーうらやまー! でもそんなの何に使うのさ。猫の持ち腐れっしょ」

 宝の持ち腐れと言いたいのか猫に小判と言いたいのか、志村はそう言って意味もなくバッテリーを消費する女の子たちを心の中で莫迦にすると、口元を拭って立ち上がって来た辰美のボディに拳をめり込ませた。おぇ、と腹の中のものを戻そうとすると辰美に、更に横からパンチを喰らわせて転倒させる。

「余所モンが」

 志村は倒れた辰美の髪を掴んで頭を持ち上げると、カムコーダーを持った女の子――メグに声を掛けた。こいつの惨めったらしい姿を撮ってやりな、どうせお前らがカメラなんか持ってたって、莫迦なカレシとのハメ撮りにしか使わねぇんだろう。メグは志村の言い方にむっとしながらも、顔に痣を作り涙を滲ませる美少年を見てぞくぞくとした言い知れぬ感覚を覚え、志村に蹂躙される辰美の姿をファインダーに収めた。

 志村は訳の分からない怒りを、この朝田辰美に対して覚えていた。都会からやって来た転校生、芋臭さの感じられない美少年、彼を形容する言葉を思い付くたびに虫唾が走る。以前、正義漢ぶって万引きを注意されたのも気に喰わない。その時に尾神雅也に良いように扱われたのも面白くない。尾神雅也は自分よりも強い、ならば雅也への苛立ちごと、自分よりも圧倒的な弱者である辰美に向けようというのは、仕方のない事であるかもしれなかった。

「今日は尾神は来ねぇぜ、ヒーローは期待するなよな」

 六限目の授業が終わってから二時間に渡って、志村たちは辰美をたっぷりといたぶった。殴られて悲鳴を上げ、蹴られて苦悶し、転ばされて泣き出す美少年を嬲り、そのさまを最新のビデオカメラで記録し続けた。

 空が茜色に染まり、地平線に向かって闇の手が伸びている。紫色の雲の下で志村は、屋上にうつ伏せになっている辰美の身体の下に足を入れて、蹴り上げる勢いで仰向けにしてやった。顔には蒼痣だけでなく擦過傷まで刻み込まれ、唇の端から垂れる赤い血の痕は誰かのパンチで歯が一本抜け落ちた時に塗りたくられたものだ。

「ちょっとやり過ぎじゃない?」と、アキコは言うが、その表情は薄っすらと笑っている。やり過ぎと勧告したのは、辰美がこの事を誰かに言ったとしたら、ビデオの映像が残っている分、自分たちが不利になるのではないかと思ったからだ。

 志村はふふんと鼻で笑い飛ばして、だったらこいつが誰にも言いたくなくなるような目に遭わせてやるだけさとシホの尻を叩いて辰美の傍に寄らせた。そいつのを咥えてやりな、俺がしっかりと撮影してやる。志村がメグの手から奪い取るようにしてカメラを回し始めた。シホはへぇと頷いて、仰向けになった辰美の腰に跨ると彼の肩を掴んで上体を起こさせ、グロスで艶めいた唇を舐めた舌を少年の痣の上に這わせた。ぎょっとなる辰美を押さえ込んで、シホは辰美の首筋から鎖骨の辺りまで舌を下ろしてゆく。それと同時に夏服のワイシャツをはだけさせており、服の上から受けたパンチによる内出血の痛々しい白い上半身が露わになった。

「やめてくれ、不潔だ」

 辰美はそう言うが、ぼろぼろになった身体には女の身体を押しのけるだけの力も残っていない。シホは辰美の乳首に歯を当てて強めに噛んだ。シホの口の中で少年の乳首が勃起し、硬くなった所を歯と舌で捏ね繰り回してやる。

「酷い言い方するじゃん、まるで私がビョーキ持ちみたいなさ。失礼しちゃう」

 ビョーキだろ、SEX中毒ってのは、と志村たちが笑った。

 シホは辰美の薄い腹の肉に顔を押し当てて、臍の孔に舌をねじ込んだ。滅多に人に触れられる事のない部分を刺激されて、自然と少年の腰がくねってしまう。涙の滲んだ声変わり前の高い喘ぎ声に、シホはどきどきとしてしまい、その声をもっと聴きたいと辰美に対する嗜虐的な快感を覚え始めていた。

「不潔って言ったよね。って事は、あんたこーゆー事した経験ないんだ。じゃあこれから、私のテクでビョーキ伝染うつして上げる。女のあそこの事しか考えられないようにしてやるよ」

 シホは辰美のベルトを外し、ズボンのファスナーを下すと、その下のトランクスの中から彼のものを取り出した。不潔だ何だと言う割に、若い肉体は同級生の放つ香りに反応して屹立していた。シホの焼けた指から伸びるカラフルな爪がそれを空気に晒した。それを見てシホがくつくつと笑った。ズル剥けじゃん、やる事はやってんだ。角質化し、乾燥した先端に、口の中で白く泡立てた唾液を垂らしてゆく。薄っすらと被せた黒っぽい角質がとろけて赤い肉が姿を現した。生々しい肉の色と肉の匂いが立ち上り、シホが眼を蕩けさせる。ピンク色の唇を広げ、口腔の中にそれを誘い込もうとした。

「どうせなら楽しんで貰った方が良いんじゃないか」

 屋上の出入り口の小屋から声がした。志村たちが振り向くと、腕組みをしてドアに寄り掛かった雅也が立っていた。尾神、どうして――志村が言うと、雅也は俺は頭が良いから一〇教科近くの追試なんて一時間もあれば充分赤点は免れるのさと唇の端を吊り上げた。

「俺ならいつでも大歓迎なんだがな、是非ともお相手して貰いたいくらいだ」

 雅也は志村たちに歩み寄ると、三田の胴体に拳を打ち込み、逃げようとする小井出をローキックで悶絶させ、志村からカメラを奪うと顔面を殴り抜いた。メグとアキコは雅也がにっと笑みを浮かべると逃げ出してしまい、雅也も追わなかった。雅也はカセットテープを抜いたカムコーダーをシホに投げ渡し、早く下校するかそれとも辰美にしてやろうとしたのと同じ事を俺にするかと訊いた。シホはちっと舌を打ち鳴らして、他の二人と同じように足早に駆けて行った。

「大変だったな」

 辰美が服装を直す。雅也は手を貸して立ち上がらせてやった。痣だらけの顔をした辰美を保健室に連れて行って手当をして貰うと、辺りはすっかり暗くなっており、食事をしてから帰ろうという事になった。

 駅前のラーメン屋に向かって歩いていると、駅舎から出て来た女性が二人を呼び止めた。辰美の名前が呼ばれたので立ち止まった彼と一緒に、雅也も立ち止まったのである。母さん、と辰美は言った。

 眼鏡を掛けた色白の美人で、上品な顔立ちは辰美にそっくりで、母親と言うよりも姉と言った方がそれらしく見えた。

「辰美、どうしたの、その顔は――」

 湿布を貼った息子に駆け寄って驚いた顔をする母親。辰美は本当の事は言わず派手に転んだんだよと言った。そこに居合わせた雅也が保健室に連れて行ってくれて手当をしてくれたのだと聞くと、辰美の母親は雅也に対して何度も頭を下げた。雅也の返事はいつもと同じ、大した事はしていない。

 お礼にと雅也を食事に誘う朝田母子であったが、月に数度の親子水入らずを邪魔するのも野暮だと言って帰宅した。あの母親の感じからして、高級な、正直な所こまっしゃくれた余所者という印象しかないフレンチにでも連れて行かれてしまいそうだった。料理は高ければ良いものではない、計算され尽くした小皿がちまちまと出て来る高級コースよりも、好きなものを好きなだけ頼んで好きなように食べられる場末のラーメン屋の方が、雅也の性格には合っている。好き嫌いはするなと真里には言っているが、食べ方に対する文句は付けてしまう。

 バイトをした事もある行き付けのラーメン屋で、いつものようにチャーシュー麺とガーリック炒飯と羽根付き餃子二人前、青椒肉絲、回鍋肉、蟹ミソスープなどをがつがつと掻っ込んでいると、雅也のテーブルの横に一人の女の子がやって来た。ラーメンを啜りながら横目で見ると、先程、辰美を犯そうとしていたシホであった。何の用だと訊いてから餃子を頬張る。シホが質問に答えるまでに、炒飯の皿は米粒一つ残さず空になっており、雅也はお代わりを頼んだ。

「あんたに話があるんだ」

「食べ終わるまで待っていろ」

 四人前の杏仁豆腐を頼んだ雅也は、その内の一つをシホに奢り、店を出た。

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