第2章 被虐の美少年

 鉄のような鈍い色をした雲が、地上に覆い被さっている。雲と雲の重なる部分は闇の黒さを滲ませ、その奥底には刃の鋭さを秘めているようだった。

 東京からそう離れている訳ではないが、交通の便が良いとも言い難い町の事だ。それなりに整った市街地はあるが、シャッターが下りた店も少なくない。駅から数分も歩けば、灰色の町にはたちまち田んぼや畑などの開けた景色が現れる。田舎というには利便性が高く、都会というには垢抜けない、良く言えば折衷した、悪く言えば中途半端な町であった。

 駅から近い場所に高校がある。地元の人間は、就職するか進学先が隣町以上離れない限り、この高校に進学する事が多かった。そうした気風もあってか同級生の殆どが知り合いのようなもので、町自体の気質でもあるのだろうが、排他的で閉鎖的な面があるのだった。

 放課後、広いグラウンドでは野球部が声を出して練習をしている。町には他に運動公園が置かれており、サッカー部や陸上部などの広く場所を使う運動部では、グラウンドと運動公園をローテーションで使い分けている。今日は野球部が使う日になっているのである。監督がノックを打ち、各ポジションの選手が打球を捕る。ゴロをトンネルさせる者もあれば、ホームラン級の当たりに喰い付いて捕球する者もあった。その都度、顧問の教師やチームメイトたちの叱咤激励が行き交うのであった。

 曇天の下、爽やかな青春の声が飛び交うのを聞きながら、その一方、校舎裏では三人の男子生徒が集まっていた。正確には、二人の男子生徒によって、一人の生徒が呼び出されていたのである。その呼び出された生徒は、小奇麗な身なりの優しい顔立ちの少年で、彼を呼び付けたのは金髪の男子と、パンチパーマの生徒であった。

朝田あさだくんよぅ」

 パンチパーマの生徒が、少年に声を掛けた。朝田と呼ばれた少年は、びくりと身体を震わせると、パンチパーマの生徒は彼の胸倉に手を伸ばし、校舎裏の壁に朝田の背中を叩き付けた。げ、と、呻く朝田に対して、パンチパーマの生徒が声を低くして凄む。

「見たのかよ、お前」

「み、見た……」朝田は、自分の制服の襟で頸を絞め上げられながらも気丈に振る舞った。「君たちが、本を万引きしたのを、見た……」

 朝田が言うと、パンチパーマの生徒は朝田の胴体に拳をめり込ませた。朝田はその場に跪きそうになる。それを、パンチパーマの膝が壁に押し付けて止め、今度はビンタで少年の頬を何度もぶった。朝田の白い頬が、あっと言う間に真っ赤になって、唇の端から血が流れた。自分の歯で、口の中を傷付けてしまったのだ。

「証拠はあるのかよ」

 何なら本屋の爺さんに訊いても良いぜ――パンチパーマの生徒が朝田を殴る横で、金髪の男子が言った。舌には銀色のビスが打ち込まれており、それとは別に、耳朶にピアッサーをあてがって、ごつんと孔を開けている所であった。

「余所モンのくせに、調子に乗るんじゃねぇ」

 パンチパーマの生徒が、更に朝田を殴り付けた。ボディを殴って身体をくの字に折った所、下がってきた頭に横からパンチを入れ、倒れた少年の腹にスニーカーの甲を打ち込んでゆく。朝田が亀の体勢になると、背中に何度も蹴りを落とし、楽しそうに嗤った。

 今朝の事だ。転校して来て日の浅い朝田は、登校する途中、老齢の男性がやっている本屋で、この二人の生徒が万引きしたのを目撃した。それを放課後になって問い質した所、朝田は校舎の裏に呼び出されて、暴行を加えられているのであった。金髪の男子が店主である男性に訊いても良いと言ったのは、店主が年齢の所為もあって、万引きにあった事を把握していない可能性が高いと知っているからである。

「余所モンは何考えてるか分からねぇな、下手な正義感出しやがって」

 金髪の男子が、ぺっと唾を吐いた。唾は朝田の頬に掛かり、金髪の男子は少年の顔を靴底で踏み躙った。

 今まで、その書店でばかりではなく、様々な店で商品を不法に手に入れて来た。だが、それを注意する人間はいなかった。自分たちが、この辺りでは鳴らしている筋金入りだからである。転校して来たばかりで知らなかったとは言え、朝田の行動は正しいに違いないのだが、迂闊でもあった。朝田にすれば、自分がどうして暴行を受けているかも分かっていないだろう。正しい事をした者が、間違った事をした人間に足蹴にされる事はあってはならない。これまでそんな事が世の中にあるとは、微塵も思った事がなかったのだ。

 へへ、と、金髪の男子が薄ら笑いを唇に浮かべる。倒れている朝田の襟を掴んで上体を起こさせ、壁に背中を預けさせると、自分の鞄から一冊の本を取り出した。お前もこれが見たかったのかと言いながら、万引きして来た本の頁をばっと開いて見せる。書店から盗まれたのは成人向けの雑誌であり、金髪の男子が開いたのはその中でも特に過激なショットであった。若くてスタイルも良い女性が裸になってベッドに寝そべり、同じく裸になった複数の男たちに囲まれている。カエルのように割り開かされた女の脚の間に、下腹の出た男が身体を入れていた。ベッドの横に立った男の下腹部に、女の左手が伸びている。女の右側には、シーツに皺を寄せながら膝でにじり寄る男がいて、女の口元に黒いシルエットをあてがっていた。そういうショットが見開きになっており、官能を煽る文句がでかでかと羅列されていた。さっと顔を反らす朝田であったが、突然叩き込まれた官能的な写真に、眼を泳がせている。綺麗な顔立ちが殴打の為ではない朱を帯び、厚手の生地のズボンの股間が、僅かに屹立し始めていた。

「何だかんだ言って、お前も好きなんじゃねぇか、このむっつり野郎」

「よしてくれ、そんな、不潔なものっ」

 朝田が鋭く言った。しかし、金髪の男子は、いやらしい笑みをへばりつけたまま、雑誌をぺらぺらと捲ってゆく。表紙には、さっきのページで男たちに囲まれていた女性モデルが、白いブラウスに長めのスカートという清純そうな格好で映っている。雑誌名や卑猥な宣伝文句、他のモデルのそういうシーンの中央に立つそのモデルが漂わせているのは、美しい色香であった。エロティシズムとは対極にあるような佇まいをするその女が、ページを開けばあられもない姿を晒している。二つの姿の温度差に、今までタブーとして触れて来なかった純朴な少年は、頭の中で軽いパニックを引き起こしていた。

「不潔だって」金髪の男子が、にぃと歯を剥いた。「お前だってこうやって生まれて来たんだ」

 次に開いたのは、読者の要望を基に撮影されたシーンであった。お腹の膨れた女性が、様々な角度から屈強な男に貫かれている。目元には陰部にされているのと同じ黒い修正が入り、こうした写真を撮るのが本業のモデルではない事の演出としている。肥大化した乳房の中心は褐色を濃くし、先端から滴る液体も表現されていた。煽り文句は、朝田のような潔癖過ぎる少年には、とても耐えられないようなものであった。

「お前の意見は否定しないが――」

 と、不意に朝田たち三人に、声を掛ける者があった。金髪の男子とパンチパーマの生徒が声の方に眼をやると、鈍色の雲が風に動かされ、射し始めた夕陽を背にして一人の男子生徒が立っていた。すらりとした身長を、襟のホックまでしっかりと締めた学ランに身を包んだ、癖毛を短く切り揃えた少年である。唇には切れるような笑みが浮かび、吊り上がった眼は真っ直ぐに三人を見つめている。

「無理強いは良くない。良くないな、こういう事は」

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