それで、そういう事になった。

 ましろの店に案内された雅也は、ましろの口利きで半分以上値段を引いて貰い、自分は水で割ったウィスキーを飲みながらちょっとした食事をし、ましろと、他の客に就いていた女の子にそれぞれシャンパンを一杯ずつご馳走して、時間までゆっくりと過ごした。ましろが、後一時間で上がると言うので、店を出た雅也は近くの居酒屋で飲み直しながら、上がったら合流すると言ったましろを待っていた。

 居酒屋の入り口で客引きのあんちゃんが雅也に納得のいかない値段を出して来たので、しつこいくらいに粘って言い値を引き出し、ぽつぽつと飲んでいた。五〇分飲み放題で二〇〇〇円。その間に、生ビールを三杯と、梅酒と焼酎をそれぞれ水割りで二杯、白ワインをボトルで飲み干した。又、焼き鳥を塩で一五本、モツ煮込みを四皿、シーザーサラダを二皿、肉野菜鍋を食べて、時間になった。

 金を払って店を出て、ましろとの待ち合わせ場所に向かった。ましろの働いている店から歩いて少しのビルの前で、地下鉄の入り口の傍だ。アルコールや肉の匂いを皮膚の上に薄っすらと張り付けた雅也を見て、ましろは笑った。ましろ自身、あれから一人客に就いて、酒を飲んでいる。しかし雅也が飲んでいるのは、それ以上の量であるという事が分かったのだ。

「あっちの方も、凄そう」

 ましろはうっとりとして言った。それだけ酒を飲んでいるのに、雅也の顔色はそうそう変わっていない。ラーメン屋でたらふく食べていた時と同じで、眼の下に真っ黒い隈を作っている。だと言うのに、眠気を覚えている様子も、意識が朦朧としている様子もないのである。

 二人は近場のホテルに向かい、シャワーを浴びる前に前戯で雅也は二度放ち、ましろは三回いかされた。シャワーを浴び、互いの身体を洗いっこしながらましろはいき、ベッドに戻ってから雅也は五度に渡って法悦した。その間、ましろが何度達したか、分からなかった。備え付けてあったゴムが全てなくなり、ベッドの上には中身がたっぷりと詰まったそれが散らばった。

「これどう? エッチでしょ」

 アルコールの所為もあって、赤い顔でにこにこと笑いながら、ましろが雅也の前に立つ。ましろは、アフターで付き合っていたお客が好んだという、際どい白のマイクロビキニを着て、汗を掻いた肌色が透けているトップスとボトムスの紐にゴムの口を縛って括り付け、サンバカーニバルの衣装の装飾品のように揺らして見せた。身長にしては大きく育ったバストとヒップが、気持ち良い程に揺さぶられている。ピンク色の先端も、薄いアンダーヘアを絡めた股座も、水着を付けている意味がないくらいであった。正直な話、それはとても下品な光景だった。だが雅也は下品なのが嫌いではない。下品は下品だが、しとねでお上品に取り繕われても面白みがない。人間の脳は三層になっていて、一番上の層が理性、下二つが本能を司る。ならば、本能に根差した食事やSEXは、下品で野卑である程――勿論、或る程度の人の眼を気にしたり、恥じらいを持ったりする事は集団的な社会生活を送る人間として必要だが――、脳を満たさせると言っても良い。

 雅也は、ましろが疲れて眠ってしまうと、ルームサービスで食べ物を頼んだ。スパゲティをミートソースとカルボナーラで一皿ずつ、骨付きチキンをバケツ一杯分、お好み焼きを二枚、たこ焼きを四艘、ピザは三枚頼んで、それらを食べ終えた後にフライドポテトのLサイズを五つ食べた。飲み物はコーラとメロンソーダ、そして烏龍茶にして、酒は飲まなかった。

 窓の外で陽が昇り、カーテンを透過する光に、ましろが眼を覚ました。その途端に、噎せ返る程の油の匂いが漂って来た。雅也が間食したものの匂いだ。寝起きに嗅いでしまえば、胸焼けを起こしてしまいそうな匂いだった。おえぇ、と、鼻を摘まんでいると、雅也が風呂から上がって来て、電話をフロントに繋いだ。

「朝食を頼む。フレンチトーストとハニトーを二つずつ、サラダチキンを四つ、ご飯は炊飯器で、出来るならカレーは鍋で持って来てくれ。サラダは三皿分、ドレッシングは和風だ。生卵を一〇個……それと大き目のジョッキを一つ付けてくれ。ヨーグルトは一〇個分を一つの皿に入れて欲しい。蜂蜜はたっぷりと頼む。林檎は三つ、バナナは四房、パイナップルは一つで良い。コーヒーも一緒に持って来てくれ」

 呆れるましろを尻目に、雅也は窓際まで歩いてゆくと、カーテンをぱっと開け放した。明け方の太陽の光が、煌々と射し込んで来る。眼を細めるましろであったが、陽光を全身に浴びる雅也の、逆光の中で浮かび上がる背中のシルエットは、妙な神々しさを感じさせた。ましろは昨夜は軽くと言っても酩酊していた為、そこで初めて気付いたのだが、雅也の全身には夥しい傷跡が残されていた。肩と言わず、腕と言わず、胸と言わず、腹と言わず、尻や足の甲に至るまで、びっしりと傷痕で埋め尽くされていたのである。かなり古いものもあれば、数日前に治ったばかりと見えるものまであり、まるで傷の中に身体があるような姿であった。

「どうした」

 雅也が、不思議なものを見る眼をしているましろに訊いた。ましろはううんと首を横に振った。そして、雅也が喰い散らかした食器を眺めて、

「若しかして、ずっと起きてたの?」

 と、訊いた。雅也はああと頷いて、皿を一つ所に片付けると、間もなくやって来たホテルの従業員にそれらを引き渡し、代わりに頼んだ朝食を摂り始めた。ベッドの横に配膳台を持って来ると、普通では朝からはとても食べ切れない量を見る見る口の中に放り込んでゆく。フレンチトーストやハニトーの甘い匂いは、ましろも好む所である。ヘルシーなサラダチキンを引き千切り、レタスキャベツのサラダの上に散らして、たっぷりと和風ドレッシングを掛けて食べるのも、嫌いではない。朝のカレーが良いと聞いて、少しの間、朝食にしていた事もあったから、カレーも好きである。しかし、それらを朝から、しかも尋常でない量を食べているのを見ると呆れてしまうし、呆れを通り越して感心さえしてしまう。ヨーグルトやフルーツを食べ終えた雅也は、ジョッキに一〇個の生卵を割り入れて、ごくごくと飲み干して行った。

 凄い……と、思わず息を漏らしてしまう。そこでましろは、雅也の裸の胸に、特に大きな傷があるのに気付いた。心臓の位置を中心に、放射状に広がるような痕が残っている。先端を尖らせた撞木で、胸の中央を突き刺そうとしたかのような傷痕であった。

「若しかして人間じゃなかったりして」

「何?」

「その胸、エクソシストに杭でも刺されたんじゃないの?」

「そうかもな」

 食事を終えた雅也は、ましろが寝汗をシャワーで流し、着替え終えると、自分の上着から封筒に入れた数枚のお札をましろの上着にねじ込んだ。あの、と言い掛けるましろに、タクシー代だと言って、二人で部屋を出た。フロントに宿泊代と飲み食いした分の金を全額払ってホテルから出ると、ビルの立ち並ぶ街の上空には、果てしのない蒼色が広がっていた。

「じゃあな」

 雅也はそう言って、ましろを振り返る事なく去ってゆく。ましろは、都会に消えてゆく雅也の背中をじっと見つめていた。不思議な空気を纏った男であった。

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