3 影の中の光

次の日。あゆは普段どおり学校へ行った。

途中で、まこや浅野と会った。すばるが後ろから駆けてくる音は聴こえなかった。

昨日のことは夢だったのだろうか。

あゆはそんな風に思った。

いつもの授業の光景も何かが違った。

誰かに話しかけられてあゆの意識は現実に引き戻された。

「なあ、飯塚。すばるのやつはどうしてんだ?」

吉田がななめ前の席からあゆに話しかけていた。

「え。…昨日は家にいたよ。元気そうだったよ」

「そうか」

 吉田が前を向いた。

 すばるのことが気になっていたらしい。

(早く学校にもどってくればいいのに、すばる)

 そんなことを考えていると、近くの席の友だちがあゆの肩をつついた。

「ねえ、あそこ。煙が出てない?」

「あ、ほんとだ」

外を見ると住宅街のほうから煙が上がっていた。

 遅れてサイレンの音も聞こえてくる。

「わっ、火事だ」

 授業もそっちのけでクラスメートたちが窓に集まってくる。

「どこ? 近い?」

「すげぇ煙…」

 窓の外の煙に気をとられていたあゆは机から物が落ちる音がしてはっとした。

 拾い上げてみると、それはノートだった。

 昨日すばるの家で見た数学のノートだった。

「どういうこと……?」

 あゆはノートのページをめくった。

 すべて元のノートと同じだった。

 が、最後のページを見て、あゆは呼吸が止まった。

 まだ白紙だったそこに、『ごめんな』と一言だけ書かれていた。9

「すばる?」

 サイレンの音が一段と跳ね上がる。

 あゆは立ち上がった。

「あゆ? どこに行くの?」

 まこの声がしたが、かまっていられない。

 あゆは教室を飛び出して行った。


 あゆが教室から出て行くのを見届けると、浅野は静かに席をたった。

 廊下に出て、屋上につづく階段を上る。

 うっとうしかった腕の包帯をとりはずしていく。

 屋上に出ると、風が包帯を揺らがせた。

 正面には煙が上がっている。

「これで、いいんですか。すばるさん」

 浅野がつぶやいた。



「うそ…」

 学校から、走ってきたあゆは愕然として立ち止まった。

 火の上がっている家は、間違えようもなくすばるの家だった。高く火柱が立っている。

 消防車が放水を行っているが炎の勢いは弱まるどころか勢いを増しているように見えた。

 耳にうるさいサイレンの音がして、道路に救急車が入ってきて停車した。しかし、怪我人を運ぶ様子はない。待機しているようだった。

 家の周囲には近所の住民を中心に人が集まって、火事を見守っている。

 あゆはその中に叔父と叔母の顔を見つけた。

「おじさん、おばさん!」8

「あゆ?」

 叔父があゆを見つけて言った。

「どうしたんだ? 今、学校のはずだろう」

「ねえ、すばるを知らない?」

あゆがぎながら言った。

「知らないわ。買い物から帰ってきたらこんなことになってて……」

 叔母が言った。

「でも、すばる君は学校にいるはずでしょ?」

 あゆは言葉も無くかぶりを振った。

「……学校にはいなかったの! もしかしたら、あの火に…!」

 炎の勢いは消防隊の放水にも負けず今も燃え盛っている。

 すばるは昨日家にいた。今日もいたはずなのだ。

「すばるを助けないと…!」

 叔父があゆの腕をつかんだ。

「やめて、はなして! すばるが死んじゃうよ!」

「今、消防隊の人たちがすばるくんを探してるよ。だから…」

「はなして! 早くしないと……」

 パシッ! 鋭い音がした。

 叔父があゆの頬を叩いたのだ。

「すばる君を助ける前にあゆが死んでしまうよ」

「……あ」

 あゆは抵抗を止めて、言葉を失った。

「そしたら私たちが悲しむんだよ。あゆ。どうか、そのことを忘れないで」

「…ごめんなさい」

 あゆは叔母の腕の中で謝った。


 すばるの家から、少し離れたところ。そこであゆたちを見ていた人影があった。

「そろそろ行きましょう。すばる様」

 すばるを迎えに来た影人の大臣が言った。

「ああ」

すばるは最後にもう一度あゆを見た。

「あゆ、幸せにな」

 すばるの姿は影に消えた。


 それから一週間が経った。

火事はあゆが来てから数時間後に消し止められた。焼け跡からすばるは見つからなかった。そして、体育祭の日が来ても、すばるは行方不明のままだった。


 体育祭の日、あゆは生徒の集まる時間よりも一時間早く学校に来ていた。

 委員の仕事で準備を手伝うのである。

 どの生徒もジャージ姿で、あっちこっちで準備を進めている。

 浅野とハードルを運んだ。

「あ、いたーあゆ! あたしも陸上部の仕事終わって手があいたから手伝うよ」

「ありがとう、まこちゃん。でも」

「え?」

 まこが首をかしげた。

「部長さんが呼んでるよ?」

「こらぁー、まこ! 自分の仕事さぼるなーっ!」

 グラウンドとプールをさえぎる柵のむこうから部長が叫んでいる。

 まこは部長に気付いて振り向いた。

「えー先輩、終わったんじゃないんですか?」

「委員会はいいからこっちの仕事やってちょうだい!」

「はーい。じゃ、後でね、あゆ」

 あゆは手を振ってまこが去っていくのを見ていた。

 そこに、ほうきを持った浅野が通りかかった。

「今の人、陸上部の部長さんですか?」

「うん」

「陸上部っておっかない人ばっかりなんですかねぇ…あ、これ、まこさんには」

「言わないよ」

 笑ってあゆは言った。

「それにしてもまこさんてあゆさんのこと好きですねー。あゆさんは男からも女からもモテますね」

「浅野くんってば、変なこと言ってる」

「すばるさんもあなたのこと……」

「浅野くん」

 言いかけたところをあゆは意識的にさえぎった。

「すばるさんは最後まであなたのことを見ていましたよ」

 その途端、ハードルが倒れてあゆの足元で砂煙が起こった。

「浅野くん何か知ってるの? すばるがいなくなった理由を?」

 浅野は答えず、あゆを観察するように見ていた。

 あゆは自分がハードルを倒していたことに気がついて、慌てて立て直した。

 その間も浅野は感情の無い目であゆのすることを眺めていた。

「もしかしたら、すばるがいなくなったのって私がすばるのことをちゃんと信じてあげなかったからじゃないかって思ったの」

 浅野は何も言わない。

「きっと、私のせいなんだ。私がちゃんと言わなかったから」

 では、と浅野の口が動いた。

「今、ここにすばるさんがいたら、何て言いたいですか?」

 静かに浅野が尋ねた。

 あゆの中で自然にその言葉はできていた。

「早く」

 あゆの喉の奥でずっと叫んでいた言葉。

「帰ってきてって」

 浅野がくすっと小さく笑った。

 あゆは驚いて浅野を見つめた。

「あなた方には完敗です。その言葉は本人に言ってあげてください」

 浅野がパントマイムのように手をかけてドアを開ける仕草をした。

 空間が開かれて、影の空間があゆの目の前に口を開けた。

「なにこれ?」

 中はどうやら、講堂のようである。

 あゆは上から講堂を見下ろしていた。

下の方では何かの儀式の最中らしく、黒い服を着た人々が集まって壇上で行われる儀式を見守っている。

 祭壇の前にいるのは……すばるだった。

 すばるの前に立つ男が、祭壇の上から冠を厳かに持ち上げている。

「あの冠をかぶってしまったら、すばるさんは戻ってこれなくなってしまいますよ」

 後ろで浅野が言った。

「や、やだ、行かないでよ、すばる!」

 あゆは冠をかぶろうとするすばるに叫んだ。


『行かないで!』

 すばるは辺りを見回した。

 空耳だろうか。あゆの声がした気がした。

「すばる様どうされました?」

「…いや」

 すばるは首を振った。今になってあゆを思い出すだなんて、自分は後悔しているのだろうか。

「続けなさい」

 影の大臣が言った。

『すばるがいなくなっちゃうのって私のせいだよね。いまさらだけどごめんね!』

 すばるは呆気にとられた。

 周りの影人たちも騒然として、声がどこからするのかと首を回す。

〈ニンゲンダ……!〉

 すばるの後ろに控えていた闇が言った。

 その後に、集まっていた影人たちが次々に講堂の天井を指差した。

 すばるは天井に穴が開いているのを見つけた。人間界への入り口が開いている。

 そして穴を覗き込むようにしてこちらを見下ろしているあゆの姿が見えた。

『すばるは私たちの家族だよ! お父さんもお母さんもそう思ってるはずだよ!』

 すばるは呆然と聞いていた。

「それにね、もう遅いのよ! あんたの場所はできちゃったんだから! 西之森すばるの席にはあんたしか座れないんだから!」

 あゆは、空っぽの机を思い出す。

すばるのいない席はさみしかった。

「俺の席……」

 すばるは気づいた。

 気づかないうちに、自分は席を作っていたのだ。クラスに一つ一つクラスメートの席があるように。

 すばるの頭に頭に水滴がひとつ落ちた。雨が降ってきたと、すばるは思った。

 だが、それはあゆの涙だった。

「ばかだなぁ…」

 すばるは呟いた。

最近の俺はあゆを泣かせてばかりだ。自分がもらった幸せを返すようにあゆを幸せにするんじゃなかったのか。

「すばる様?」

 大臣がすばるを不思議そうに見た。

 影人たちは「天井の穴をふさげ!」と駆け回っている。

 ほとんどの者が力を使えないのか、はしごを持ってきて天井にかけようとする始末だ。

「…オレ行くわ」

 すばるは長い黒衣のすそを持ち上げた。

 体を浮かすと、服の重みがいやでも体をひっぱり重さが分かった。

「ちくしょ。重いな、これ。明日の肩こりは必至だな」

 のんきにそんなことを呟く。

「ええい、力ずくでもすばる様を止めろ!」

 大臣が言った。

「おおっ!」

影人たちが下から打ち寄せるなだれのように、すばるにひっつこうとする。

「馬鹿か」

 ふっとすばるは、ほほ笑んだ。

「力なら、俺の方が強いんだよっ!」

後ろ手で衝撃波を放ち、すばるは影の国を抜けた。


「すばるっ!」

 あゆがすばるに駆け寄った。

 そして、真っ先にやったのはすばるの頬をつねることだった。

「ほ、本当に本物? 変な服着てるし、また変なマジックやってたし…」

「いて、いてーよ! どこつねってんだよ!」

「本物かどうか確かめてるの! さんざん心配させたんだからそれくらい許しなさいってのよ!」

 あゆの迫力にすばるは素直に黙った。

「……よかった」

 あゆが涙をぬぐった。

「…ありがとう、あゆ」

 しばらく何も言えずにいると、すばるは誰かの視線に気がついた。

 浅野がにこにこと笑って見ていた。

「浅野…お前は……」

 すばるが言葉を紡ごうとする隣であゆが口を挟んだ。

「浅野くんもすばるみたいに異国の人なの? さっきすばるのいるところを見せてくれたのも浅野くんだったけど…って。すばるは知ってたの!? 聞いてないんだけど!」

「おいおい説明するってば!」

 すばるはあゆに言って、浅野に向き直った。

「浅野…まず礼を言う。オレがいない間、あゆを守っていてくれてありがとう」

「いえ、約束してしまったのでね。あのとき」

それは、あゆがすばるの家から出て行った後のことだ。


「影法師になるよ」

「私がお力になりましょう」

 浅野がひざまずいた。

「影の国ですぐにでも戴冠式を行いましょう。国中の者があなたを祝福をするでしょう」

 だけど、その前に、とすばるが言った。

「お前には頼みたいことがある」

「…なんでしょうか」

「あゆのことを頼んでもいいか?」

 浅野は一瞬驚いてから、

「はい」

と、うなずいたのだった。


「まさかあなたが私にあゆさんを任せようと言い出すなんて思いにもよりませんでしたよ。私を信用してくださっていたようにも見えませんでしたし」

すばるの傍らで「えっ?」とあゆは驚いている。

「そんなに信用していただけただなんて光栄

ですよ。しかしなぜです? 私はあなたに意地悪ばかりしたはずですけど」

 ああ、とすばるはうなずいた。

「それはお前がゆがみびとじゃ無いからだよ。影の世界のオレがさ、ぶっ飛ばしてもきかないんだから質が違ってるってのもわかるけど、あんたがわざと消えたように見せかけてたことに気づいたんだ」

 すばるはここでニッと笑ってみせる。

「あんた、影法師だろ」

 浅野は肩を落として笑った。

「…やれやれ。あなたがあのまま冠をかぶっていたら私は自由の身だったんですけどね」

「だけど、なんで冠を返したんだ?」

 すばるがふしぎそうに聞いた。

「一時的に返還したのですよ。あなたに会いたくて」

「オレ?」

「…あなたの人間界にいる理由が知りたかった、それだけですよ。私は影法師をやめる代わりにあなたを推薦したんです。私はあなたになら、玉座を譲り渡してもいいと思いました。でも」

 浅野の目がすばるとあゆに注がれた。

「今のあなたには必要ありませんね」

 浅野が笑った。

「さて、冠は返してもらうことにしましょう」

 影の世界の祭壇から冠が離れた。

「ああーっ!?」

 下の方で大臣が叫んでいる。

 冠が宙を舞って、講堂を抜けると浅野の手にすっぽりとおさまった。浅野はそのまま自分の手で冠を頭にのせた。

 その瞬間から、浅野は浅野ではなくなった。

 中学生ではない、青年の姿の浅野がいた。この姿が浅野の本当の姿だったのだろう。

「影法師……」

 すばるがつぶやいた。

「はい」と、浅野が答えた。

「影の国に帰るのか?」

「いなくなっちゃうの、浅野くん」

 あゆも言った。

「ええ、短い期間でしたが楽しかったです。また、わたしが冠を投げ捨てたくなったら、その時はお付き合いよろしく頼みますよ」

「やなこったね」

 すばるが舌を出した。

「あなたのそういうところも気に入ってますよ」

 浅野がくすくすと笑って言った。

「では、また会いましょう」

「ああ」すばるはうなずいた。

 そうして、浅野は影の世界へ帰っていった。


 浅野がいなくなると、遠くで『パンッ!』とピストルの鳴る音がした。生徒たちの歓声が聴こえてくる。

いつの間にか、体育祭は始まっていたらしい。

「あ、これ運ばないと…」

 あゆは置きっぱなしになっていたハードルの存在に気づいた。

「んじゃ、オレ半分持つよ」

 すばるが申し出た。

 校庭の脇にある用具置き場にハードルを置くと二人は種目を眺めた。どうやら、校庭では槍投げの種目を行っているようで、黄色い槍を選手たちが一斉に投げるところだった。

「すばるん家なくなっちゃったけど、どうするの?」

 投げられた槍がすべて落ちるのを見てからあゆが聞いた。

「あ~、考えてなかった。これから考えること山ほどあるなあ」

 すばるは頭をかいた。

 すると、あゆがすばるを見た。

「えーと、そのことなんだけどね、家族みんなで話し合ったんだ」

「家族っていうと…」

「もちろん叔父さんと叔母さんよ」

「そっか」

 すばるは心の底で安心した。

 あゆは叔父たちと家族になることができたのだ。

「新しい家が決まるまでうちにいない?」

 すばるは思わずあゆを見た。

「…え? いいの?」

 それは、とてもうれしい申し出だった。

「すばるがいなくなっちゃうよりずっといいよ」

 あゆが小さい声で言った。

すばるは一言一句聞き取っていた。

「え、えーと…」

 言葉が続かない。

 二人で黙っていると、そこに、まこの声が近づいてきた。

「あゆ~こんなところにいたの? もう、ハードル走、始まっちゃうよ」

「え、もうそんな時間? 私、ハードル走出なくちゃ」

 あゆは慌てた。

 そこでまこの目線があゆからすばるに移った。

「え、西之森くん!? なによ、その格好!」

 まこがすばるを指差して言ってから、怪訝そうな顔つきになった。

 すばるは自分が戴冠式の黒衣を着たままなことに気がついた。

「あっ、そのっ、き、着替えてくるオレ!」

 言い訳を思いつかなかったすばるは逃げるようにして校舎に走っていく。

 長い黒衣のすそはずるずると引きずられている。

「仮装する演目なんて無いわよねぇ?」

 まこが眉をひそめて言った。

 あゆはおかしさがこみ上げてきた。

「ふふっ」

「どうしたの?」

「ううん、なんとなく」

 あゆは笑って答えた。


 プログラム通りに進み、二百メートル走が行われていた。

 そして、次の種目が長距離走なのにすばるはまだ来ていなかった。

「今日も休みなのかなぁ、すばるくん」

 応援席にいたクラスメートの女子が言った。

「そうだね」

「長距離、すばるくんの代わりに誰か出ようよ。ほら、男子だれかいないの?」

 女子の一人が提案した。

「え~?」

 男子の側からブーイングが飛んだ。

 が、女子の一人が睨みつけて、一斉にそれは止まる。まこのやる目つきにそっくりであった。

 すると、吉田が立ち上がった。

「おれ、すばるの分も走るよ。一応バスケ部だし」

「いいの? 吉田」

「うん。おれ、すばるのこと初めっから責めすぎた。だから謝るつもりで走る」

 吉田が言った。その時だった。

「サンキュー、吉田! でも、やっぱりオレ体力ありあまってるからちょっくら走るわ」

 吉田の横を風が通りぬけていった。吉田は驚いて、すばるを見た。すばるは体育服に着替えて走る気満々のようすである。

「すばる!」

吉田が呼んだ。

「なんだよ?」

 すばるが振り向いた。

「おまえ今まで何してたんだ?」

「えーと、……ちょっと故郷に帰ってたといいますかねぇ…」

 影の国はすばるの故郷ではあるので、嘘ではない。が、言い訳として苦しかった。

吉田は変な顔をした。

「なんだそりゃ」

「あ、土産を期待してたんなら何にもねーぞ」

「期待してねぇって」

それより、と吉田が続けた。 

「この前とか……悪かった」

「あー? 聞こえねーよ」

 手を耳に当ててすばるが言った。

 聞こえてないはずはない。だが、すばるは聞かない。

 吉田は一瞬、言いよどんでから、慌てて叫んだ。

「なんでもねーから! 一位取れよ、絶対な!」

「おう!」

 からからとすばるは笑って返事した。


 応援席ではクラスメートたちが話していた。

「ねえ、聞いた?」

「うん。すばるくんが浅野くんのことをいじめてたのって嘘だってね」

「さっき、浅野がみんなに言ってたね。転校する前に誤解を解きたいからって」


『僕もすばるさんのこと悪く言っちゃって、それでケンカになってしまったんです。僕、ケンカ弱いから一方的に殴られちゃいましたけど。僕も悪いんです。それなのに、何も言わないで僕を責めないでくれました。すばるさん、やっぱり憧れます』


「……だって」

「あたしたち、けっこうすばるくんに辛くあたっちゃったかも」

「うん。すばるくんがしばらく休んでたのもそのせいかも。謝らなくちゃ」

 席に戻ってきていた吉田が口を挟んだ。

「あいつは、謝っても聞かねーよ」

「じゃあ、どうすればいいの?」

「みんなで応援すりゃいいじゃん!」

吉田が明るく言った。女子たちは頷いた。

「…そうだよね。あ」

 ピストルが鳴った。長距離走が始まった。

「あ、すばるくん、トップだよ!」

 女子が言った。

「このまま行けー!」

 男子が言った。

 クラスメートの声援がすばるを包んだ。


 同時刻、屋上には複数の人影があった。

「すばるさんにはこちらの世界のほうが合ってるのかもしれませんね」

 一着の旗を掲げてクラスメートに向けて笑うすばるを見ながら、アサノ影法師が言った。

「影法師さま~、そろそろ戻りましょうよ」

 困り顔の影の大臣が言った。影法師の背後では講堂を抜け出した闇や影人たちが酒を呑んでどんちゃん騒ぎを起こしていた。大臣は困り果てている様子である。

「もう少しここにいさせてよ。すごく心地がいいんだ」

影法師は楽しむように笑った。

 浅野の姿を見つけたすばるが彼にブイサインを向けているところだった。

 

かくして体育祭は終わりを告げた。

 体育委員や陸上部などの運動部は後片付けで学校に残った。

 片付けが終わると、あゆはまこに会った。

「あー、おつかれあゆ。これは明日筋肉痛だわね」

「うん、疲れたねー足がぼろぼろだよ」

 あゆが苦笑して答えた。

「この後打ち上げがあるじゃない? あゆも一緒に行くでしょ?」

 まこが聞いた。

「あ、私は…」

 あゆは困ったような顔になった。

「なーに? 西之森くんが待ってるの?」

「……まこちゃん」

「わかってたよ。今のあゆ、すんごくうれしそうだもん。早く行ってあげなよ」

 まこが笑った。

「ありがとう、まこちゃん」

「べつに何もしてないよー?」

 まこはあゆが校門の角を曲がって見えなくなると、静かに目をぬぐった。


 あゆは坂のところですばるの背中を見つけた。

するとうれしくなって夢中になって、坂を駆け下りて、すばるの後を追いかけた。

走る両足が風をつくる。あゆは空が晴れているのがうれしくてたまらなかった。

 途中であゆは足を止めて、両の手を口の両端に立てた。

「すばるーっ!」

 呼ぶと、すばるが振り向いた。あゆは言葉の先を紡いだ。

「ずっといっしょにいてねーっ!」

 すばるはぎょっとしていた。

 周りには他にも下校中の生徒が幾人かいてあゆたちの方を振り返っている。

(何言ってんだ、あいつ…)

 でもやっぱりうれしかった。

 あゆのそばにいてあげるのは今までずっと自分の義務のような気がしていた。

 だが、これからはきっと違うだろう。

 すばるの顔に笑みが浮かぶ。

「これからもよろしくなーっ!」

 あゆに負けじとすばるは叫び返し、向こうから来る太陽の光に目を細めた。

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影、走る! 玻津弥 @hakaisitamaeyo

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