第二章 一


 赤黒く、強い輝く太陽が天に上がり、何処までも続く地平線に一本の道を創る。



 雲のない大空を過去の竜の幻影が、悠々と泳ぎ始める。



 世界は広い。数千ラッドも離れれば何が起きたかを知るには絶大な時間をようする。



 その者によっては何にも耐え難い真実でも、他の者にとっては普遍的な出来事の1つに過ぎない。



 しかしながら、今回の出来事はそういうわけにはいかなかったようだ。



 古神の力を得た二体の化け物(人間)の戰。

  


 その戦いの記録は、遥か先の国に伝播していたーーーーーーーーーーーー



  

 ーーーーアウストレディア。



 白色の壁に包まれた空間。



 辺りには汚れ一つ見当たらず、大人が数十人入っても余裕がある程に広い。



 中心には赤茶色の大きな円卓が設置され、計8つの椅子がある。



 この部屋に1つしか存在しない扉の直近に位置する椅子に座る男が口を開いた。



「して、あの噂は本当なのか? 竜が出たとの噂は」



 その貧相な頭部とは反対に、膨れ上がったお腹を隠すように着飾った黒色の礼服はきらびやかである。



「私の部下の確かの情報です」  



 次に言葉を放ったのは円卓の東側の中心に腰を据える男性。



 白髪の混じった黒髪を短く整え、その風貌は穏やかではあるが瞳には鋭い光が見える。

 

 年は初老であり、見た目では若作りの方であることは否めない。



「ほぉ? お前さんの部下はしくじったと聞いたが?」



 そんな初老の男を馬鹿にするように笑ったのは西側の中心には座る者であった。



 岩のように大きな体躯を持ち、その顔にはたくさんの髭を蓄えていた。



 彼はさらにしわがれた声を震わせた。



「やはり、お主のような若造には王の責任は重かったか? がはは」


「そのようなことをおっしゃるでないエンディラの王よ。今は噂の真実を問う時

ですぞ」



 最奥の北側の中心の者がそう嗜めると、エンディラの王と呼ばれる大男は口を

つぐんだ。


 さらに顔立ちの整った北側の美青年は言葉を放つ。



「その噂を真実とみてよいのだな? ……うむ。それでは次は何故彼らが生きているか

だ。確実に根絶やしにしたはずでは?」



 その若い歳とは裏腹に鋭い眼光を光らせて、南側の席に腰を落ち着ける男を見た。




「そ、そうであったはずだ。炎獄の日をもって古神の一族、特に竜人族は最優先で根絶やしにした。嘘ではない」



「ふむ。竜を名乗るただの者という可能性もないこともないか。しかし、我々にとって

良い者ではないことは確かであろう」



 青年の言葉にその場に居たものは強く頷いた。



「情報が足りぬ。引き続きサムリスの王にこれは任せるとしよう」



「――――ありがたき幸せ」



 青年に任を与えられた東側の男は頭を垂れた。



 体格の良いエンディラの王は何処か不満そうであるが、反論はしないようである。



「それでは、次の議題へと行こうか」



 その後も、この世界を統べる四人の王たちの会議はつづくのであった。




 ――――沿岸の街、『エンリ』。



 潮風の独特の臭いが鼻腔ををくすぐり、港から聞こえる喧騒はまるで祭囃子のように

けたたましい。



 木製の程よい広さの部屋に、朝の暖かな光が差す。



 むくりと身体を起こすと、朝の日課となっていた鍛錬を始めるのは――――白髪の短髪の少年であった。



 愛用の武具を持ち、宿舎の外に広がった綺麗に整えられた庭へと出でる。



 ふっ――と息を落とし、刀を持つ手に力を篭めた。



 そして――――振る。



「――――ふっ。――――ふっ」



 一定の調子を崩さずに、丁寧にそして力強く――――振る。



 脳裏にはあの時の光景が影となってチラつく。



 黒装束の男の姿。激しい戦闘。最後の「ありがとう」の言葉――――



 それら全てを断ち切るかのように――――――――振る。



「――――――ふっ!!」



「まだ気にしているのかの?」



 ふと、背後から聞きなれた声色が耳に侵入した。



「ふっ。ふっ――――――」



 それでも振り返らずに一心に刀を振り続ける。



「だんまりかのぉ」



「ふっ――ふっ」



「まぁ、それもよかろう。忘れるべき記憶とはないものじゃ――――」



 ひたいを汗が流れ、全身の熱気が放出されていく感覚。



 イルは少し間、静寂に身を傾けたあと言葉を落とした。



「だが、お主にも竜の力の修行をする時が来たようじゃの」



「ふっ、――――ふぅ」



 その言葉に少年は初めて刀を振るのを止めたのだった。




「なんじゃ? 興味をもったか?」



 悪童のような無垢な笑みを浮かべ、此方を見つけるイル。



「どういうことだ?」



「そのままの意味じゃ。おぬしの好きな修行じゃわい」



 イルは納めていた腰を上げ、その綺麗な人差し指を此方に向ける。



「おぬしの心(なか)にある力を最大限に引き出す修行じゃ」



 その時、ふと身体の奥底の大きな何かが騒ぐ。



「それじゃ、その力。我の分身ともいえる力じゃ。炎よ」



「――――」



 イルの背後には太陽が昇り、その光が彼女を照らす。



 地面に浮かび上がる影はその細身の身体とは一変して巨大で、おぞましい。



 彼女は――――竜。



 紅き――――――――――――竜だ。



「ふふ。やる気になったようじゃの」



「何をすればいい?」



「まずは――――――――服を脱げ」



 その言葉は異様に脱していた言葉だった。




「何を驚いておる?」



「――――――なんでもない」



「ふん。変なやつじゃ」



 徐に服を脱ぎ、鍛え抜かれた上半身が露になる。


 

 イルは此方に近づき、手を自身の顎に宛がう。そして、鋭い目つきで俺の身体を

黙視し始めた。



「ふむ、ふむ。なるほどのぉ」



「何かわかるのか?」



「お主の中を見ていた。力の流れをな」



 そう言うと、イルはその白き手を腹へと向ける。



 柔らかい手の感触が腹を通して伝わってきた。



 刹那――――――――身体の中がざわめく。



 同時に活火山が噴火するように奥底から熱くなる妙な感覚。



「感じたか? これがお主の力の源――――竜の血じゃ」



 脳裏には、幼少の頃の儀式が浮かび上がってくる。



 成人の暁に紅き血を飲む。血飲みの儀式。我等が竜神の一族の聖なる儀式。



「さきのクロリアとの戦いでは、運よく力を発言できたが、まだまだじゃ」



「そうなのか?」



 イルは頷く。



「竜神には大まかに三の段階がある。1つは、常時の筋力の増加。2つは、炎の使用。

そして三つが、竜神の力の使用。四の段階もあるが、いまいいだろう」



「俺は今どの段階なんだ?」



「ふむ。お前は二じゃな。それも、不完全な二じゃ」



「不完全?」



「そうじゃ。どれ、ためしにクロリアとの戦闘時の力を出してみれい」



 イルはそう言って後方へと下がる。



 それを一瞥すると、俺は心(なか)にある熱き力に呼びかける。



 そして一気に――――――――――出す。



「――――出ない」




 あの時のように、身体からは炎がでることなく、心の中に何か妙な力は感じるが

それを引き出すことができない。



「やはり、無理かのぉ」



「どうしてだ?」



「うーむ。おそらくじゃが、まだお主の中の竜血が共鳴しておらんのじゃろう」



「共鳴?」



 イルは未だに鋭い視線を向けながら返答した。



「そうじゃ。お主の人間の血と竜の血は異なる。それらが共鳴するには時間をようする

のじゃ」



「なるほど」



「このまま共鳴するのも待つのもありじゃが…………」



「何か他に方法があるのか?」



 イルは腕を組み、答えた。



「うむ。少し手荒になるがのぉ」



「それは?」



「竜の血の割合を多くしてやればいいんじゃ。簡単にいうとの、私の血をお前が

呑むということじゃ」



 そう言って、その漂白の顔に笑みを浮べる。



「なんじゃ、いやそうな顔をして? 失礼じゃのぉ」



「血を飲むのか?」



「初めてなわけでもなかろう。気にする出ない」



「――はぁ。わかった。頼む」




 イルは俺が腰に携えていたダガーをひょいっと抜き取り、穏やかな笑みを此方に向けた。



 そして自身の手に当て――――――引いた。



 手からは真っ赤な血が流れ、その美しくも危なげな液体を俺の口元まで近づける。



 彼女は言った。



「さぁ、呑むのじゃ」



 躊躇う感情もなく、引き込まれるようにその血を呑んだ。



 ――――――刹那。



 口内から身体の中へ密度の濃い液体が侵入していく。



「くっ」



 同時に先ほどもまで感じていた力が爆発するような感覚に見舞われ、視界を火花が打った。



「どうやら、共鳴が強くなっているのぉ」



「くそっ」



 イルの美しい声も今は耳には入らない。



 身体中が熱く、溶けてしまいそうである。



 クロリアと戦闘した時よりも遥かにその度合いは強く、地面に手をつく。



 朦朧とする意識の最中、あの時の情景が浮かび上がってきた。



 周りを紅き炎に包まれ、焼け焦げた臭いが鼻腔を刺激する。



 竜神の里が破壊されたあの時のことが――――――――――――




 ――――数年前。



 太陽が東からその眠たげな顔を覗かせ、萱葺きの屋根が連なる小さな里にも日差しが差す。



 里が一望できる高台に寝転がり、大空をおぼろげに見詰める少年が1人。



 そして、そんな彼に会うべく、長い梯子を一心に上る少女が1人。



「やっぱりここにいたっ! 炎っ!」



 薔薇のように真っ赤で鮮やかな色の長髪を纏め、その紅い双眸を少年――炎に向ける。



「また空を見ていたの?」



「ん」



「もうすぐご飯だよ。早く行こう」



「ん」



 一向に起き上がろうとしない炎に、頬を膨らませる彼女。



「ねぇ、ねぇってば! 早く行かないとなくなっちゃいうよ?」



「ん」



「――――もう。いいよ~だっ! 私が全部たべちゃうんだからっ!」



 そう言って彼女は何時も見慣れた悪戯っ子のような笑みを浮べるのである。



 その笑顔が見たくて僕は何時も悪戯をしてしまう。



 その穏やかな彼女のことが好きで、僕は何時もわがままをいってしまう。



 その日も、そんな日常が何時ものように過ぎていくと思っていた。



 まさか、そんな日が突如として失われるなんて思うわけがなかった――



 

 焦げた臭いが鼻腔を刺激する。



 何時の間にか寝ていたらしく、目を開けると外は闇に染まっており綺麗な星々世界を見下ろしていた。



 再度、鼻腔に焦げた臭いが侵入する。



「なんだろ?」



 徐に起き上がり、辺りを見回すと――――――――



「これは……なに?」



 凄惨な光景が広がっていた。



 血のように真っ赤な炎に包まれた家々。


 

 それらはボロボロに崩れ落ち、周辺には争いの痕跡が残されていた。



 折れた剣。焼け焦げた何か。血に塗れた地面――――――



 全てが異様で理解が追いついていかない状況。



 何が起こったのか考える間もなく、僕の脳内には1人の少女の姿が浮かび上がっていた。




「――――結!!」




 彼女の名は――――結。



 竜神族の長の娘であり、竜の力を操る僕の大切な幼馴染。



 僕は駆けていた。一心に駆けた。



 彼女の元へと――――――――駆けた。



 そして、炎に包まれた家屋に挟まれた道に彼女は――――――いた。




「ゆい……?」



 地面にうつ伏せに寝転んでいるそれは、雑巾のようにボロボロで黒ずんでいる。



 それが僕の幼馴染の『結』であるなんて、普通ならわかるわけもない。


 

 でも、僕にだけはわかった。それが『結』だってことが――――



 あれだけ多くの時間を過ごし、あれだけ彼女との思い出を作ってきた僕だからあれ――――いや、彼女が結だということがわかる。



 だけど、同時にもう駄目だということもわかってしまう。



「――――――」



 この世界で大切な人が死ぬことはよくあること。



 親友が死んだ時もこんな感覚だった。



 涙は出ない。出るのは怒りだけ。


 

 何故あの時自分がついていかなったのか? こんなことをしたのは誰なのか?


 何故僕じゃなくて結だったのか――――――

 


 強く握り締めた手から滴る血も気にならない。



 心の中で渦巻く怒りが、僕を変化させていくのがわかる。



 これは僕の罪。彼女の死は――――――僕、いや俺のせい。



 ――――刹那。



 頭上を巨大な何かが通りすぎる。



 そして、目の前に降り立ったそいつはその大きくおぞましい口を開いて言った。



『少年よ。力が欲しいか――――』



 俺は炎。火炎の如く熱き竜の力を操る竜神族の生き残り――――――炎。




 即座に意識が過去の世界から現在へと移行した。



 目の前には巨大な竜はいないが、美麗端麗の女性が1人いる。



 彼女は、心配した素振りも見せずに笑みを浮べた。



「どうやら、戻ってきたようじゃの?」



「なんだったんだ」



「おそらく、お主が一番印象に残っている記憶へと飛んだのじゃろう。私と出合った頃のぉ」



 炎の記憶。俺はあの時誓った。これ以上俺のような者を増やさないことを――



「どれ、改めて力を出してみるのじゃ」



「出来るようになるのか?」



「お主は気がついていないかもしれぬが、今のは相当危険が伴っていたのじゃぞ? ほれ、やってみれい」



 そい言われ、先ほどと同様に身体の奥底に潜む力に呼びかける。



 刹那。身体中の温度が上昇した。そして全身から泉のように溢れ出す――炎。



「この力だ……」



「ふふ。出来たようじゃの。その感覚を忘れるでない」



 心を落ち着けて炎の放出を止めると、一気に疲労が身体を襲った。



「気がついたか? それが力の代償じゃ。今のお主では数分が限界じゃろうて」



「長くするには?」



「そうじゃの、まずは慣れるしかないの」



「そうか」



 ならばやるしかない。俺は再度炎を放出するのであった。




  ――翌日。



 昨日の疲労のせいか、久しぶりに早朝鍛錬は取りやめ、昼近くに身体を起した。



「――――――」



 朦朧とする意識を覚醒させながら、側に寄り添っていたガルの頭に手を置く。



 ガル?



「良く寝たか?」



 ガルガルッ♪



「そうか、よかった」



 そんな他愛もない会話をしていると、東側についた室内へと続く扉が開かれ、手に

大量の食物を抱えたイルが姿を現した。



「もぐもぐ……起きたのか……もぐもぐ――――」



 頷くと、イルは口を栗鼠のように膨らませながら腰を下ろす。



「もぐもぐ……ごっくん。そうじゃ、何やら付近の町で騎士達の姿を見た者がいると言っていた者がいたわい」



「騎士?」



「そうじゃ、何やら面白いことになりそうじゃの。ふふふ」



 イルはそう言って、また食物を口に頬張るのであった。



『騎士』


 古神大戦時に出兵され、武勲を上げた者たちに与えられた称号。現在ではその家系の者が引き継ぐ事が多いが、一般の者もある程度の功績を上げれば騎士になることができる。



「今奴等と戦うのは厳しい」



「ほぉ、珍しく弱気じゃのぉ」



「当たり前だ。奴等の強さは俺たちが一番わかっているだろう?」



 イルは笑みとも取れる曖昧な表情で頷いた。



「直ぐに移動する」



「ふむ。仕方ないの」



 イルと共に簡単な食事を済ませ、眠たげに唸るガルの頭を撫でる。



 外に出ると穏やかな陽光が差し、淀んだ気持ちも些か晴れる感覚に陥った。



 しかしそれもつかの間ーーーー



「止まれっ!!」



 怒号に満ちた鋭い声色。



 汚れの見えない銀の鎧を身につけ、腰には眩い光を放つ剣を帯びている。



「ーーーーーーー騎士」



 足首まで伸びる白色のマントを翻す集団が目の前に立ちはだかった。


 その数は7人。1人を除いて殆どが屈強な男たちで、その顔には強い自信が見て取れる。



 首もとには鳥の形を型どった銀のネックレスが見えた。



「なんだ?」



 炎が別段焦りを見せずにそう言うと、騎士団の中心に陣取っていた髭面の男が

感心したように声を上げる。



「なるほど。この騎士の数を見ても恐れを知らぬか。ただの馬鹿なのか、それとも……」



「何の話だ?」



「貴様に我等が主君から捕縛命令が出ている。大人しく着いて来て貰おうか」



「のぉ、それは本当にこやつのことなのか?」



 炎を差し置いて言葉を放ったのはイル。その瞳には好奇の光が溢れている。



「ただのかんちがいと言うこともあるじゃろう」



「我らを疑うつもりか小娘? 間違いである訳がない」



「その根拠はなんじゃ? 人物画でもあるというのかの」



「それは……」



 急に押し黙る男。それを見て確信する。


 

 彼らは俺たちのことを断定しているわけではない。おそらく服装やつれている人数などで推測しているにすぎないのであろう。



 イルはさらに笑みを深める。



「なんじゃ、図星かの。まったく困ったものじゃのぉ」



 彼女の言葉に背後で控えていて若い騎士が怒号した。



「だまれっ! 騎士の権力を知っているだろう。貴様らは大人しく着いて来るしかないのだっ」



「貴様こそ口を慎めっ! 己が騎士であることを忘れたか!?」



「し、しかし……」



 余りの剣幕に紅い騎士は押し黙る。初老の髭面の男は改めてその鋭い視線を差す。



「若い者がすまないな。しかし、こいつの言うこともわからぬお前達ではないだろう?



「そうじゃのぉ……」



 イルの綺麗な瞳が此方を向いた。


「はぁ……わかった。着いていく」



 此処で彼らと戦うのは論外。今は大人しくついていくしかないだろう。



 幸運なことに今は騎士たちも此方が目的の者かは断定できていないのだから。



「よし。では、拘束させてもらうぞ」



 俺とイルは両手に鎖をはめられ、ガルは口を開くことがないように口を縛られる。



 その最中、暴れようとしたガルを制する炎のことを凝視する騎士がいたが、別段気にすることはなかった。



 その後直ぐに騎士たちの本営に行くと思いきや、まずはエンリの酒場に連れて行かれた。



「ほほぉ? 酒場とは……」



「まずは貴様らの身元を照合する。数日はかかるだろうが安心しろ。この一帯は我ら

 がサムリス王国が管轄している」



「サムリスか……」



 この世界を統治する人間の王国の一つ――サムリス王国。


 

 王国の中ではまだ新しい新国である。よく確認すれば、サムリスの国色は白色であった。



 確か帝国とサムリス王国は最近さらにその信仰を深めたと聞く。



「ここが貴様らの部屋だ。逃げようと思わんことだ。常に我等が騎士が監視していることを心得よ。――サイラ、こやつらの世話を任せる。お前なら我らより詳しかろう」



「――はい」



 サイラと呼ばれた者は灰色の長髪に長身の女性。



 白色の肌に海のように澄んだ双眸、イルに負けて劣らずの身体を見てイルは少し敵愾心を抱いたのが見て取れた。



「では、頼んだぞ」



 灰色の彼女を置き、他の騎士たちはその場を去って行く。



 その時の炎の頭には、彼女が先ほど凝視していたことなどとうに消え去っていたのである。




 常闇の空に悠然と輝く星の光。



 竜人族の言い伝えでは、あの星々は幾星霜の時を経て出現した竜の亡骸であるという。



 その膨大な魔力により今でも輝きを放っているのだと結が楽しそうに言っていたのを覚えている。



「む~……暇じゃッ。暇なのだぞっ炎」



「そうか」



「む~~」



 先ほどから暇を持て余し駄々をこねるイル。その姿を見ていると、本当にあのような美しい星になるのだろうかと疑問が過ぎった。



「……そう騒がないでください」



 まだ聞きなれない控えめな声がイルを制する。



「む~~~~なんじゃ、サイラまでそう言うのかのぉ」



「……一応、監視対象なので」



 まるで命のない人形のように無機質な表情で淡々と答えるサイラ。


 

 何故だかはわからなぬが、イルやガルまでも彼女には心を開いているようであった。



「そうじゃっ! どうせならサイラの話を聞こうかのっ!」



「…………別に話すことはありません」



「ほれ、いいから話してみるのじゃっ。何故騎士になったとかあるじゃろうて」



 彼女はイルに促されるままにその重い口を開いた。



「……私の家庭は元来騎士の家計というわけではありませんでした」



「ほほぉ、それでは古神戦線には出ていないと」



「……はい。そもそも戦争とは無縁の家庭でした」



「ならばどうやって騎士に?」



 サイラは一瞬沈黙すると、再度口を開く。



「……騎士の家系の養子にはいったのです。数ヶ月前のことでした、突如古神族の残党が私の家族を襲ったのです。ただ騎士と関わっていたというだけで……」



「ふむ、それは本当に古神の一族か? どの一族じゃ」



「……アイラス様は黒虎の一族とおっしゃっていました」



「アイラス?」



「……はい。先ほどの団を率いていた方です」



 体格の良い男の姿が脳裏に浮かぶ。



「じゃが、何故おぬしは養子に? 復讐のためか?」



 本当に一瞬だが彼女の顔が歪んだが、直ぐに元の無機質な顔へと変貌した。



「……わかりません。確かにその時は抑えきれないくらいの怒りと悲しみが湧きました。でもそれだからといって全ての人を恨もうとは思いませんから。今幸運な事に多少の魔力を有していた私は養子へ拾っていただけましたし」



「なるほどのぉ、魔法を使える者は希少じゃからか」



 イルは何処か含みのある笑みを浮べて此方を見た。



「なんだ?」



「ふふふっ、おぬしはこういうのには疎いか……」



「なにがだ?」



 俺はガルの頭を徐に撫でながらそう言葉を放つ。



 イルはそれには答えずにサイラを見た。



「サイラ。何が望みじゃ?」



「…………ッ」



 理解の出来ない俺と目を見開くサイラ。



「隠さないでもよい。お主が何かを隠しているのはわかっているのじゃ」



「……どう言うことですか」



「ふむ、そう簡単には漏らさないか。よい、よい……それでは何もわかっておらぬ馬鹿もおることだし教えてやるかのぉ」



 イルの言葉に少し眉間に皺がよるが、言葉に出すことはない。



「まず私が気になったのは、何故私たちの居場所が特定されたかということじゃ。私たちはただの旅人。そんな者をどうやって探し出す?」



「…………」



「そして見つかってしまったわけじゃが、そこで不可思議なことが起こったのぉ。なんだと思う? 炎」



「俺たちのことを知らないということか」



「ソノ通り。場所は特定しているのにはっきりとした様相はわかっていない。ならばなぜ我等が捕縛されたか。他にも似ている者はいたじゃろうに」



「…………」



 サイラは表情を変えることはない。



「そこで考えられるのが2つじゃ。一つはまったくの偶然。そしてもう一つは……騎士の中に私たちのことを知っている者がいた場合じゃ。そうじゃろサイラ? お主の炎への視線。そしてアイラスがお主を監視役に使命した時の言葉。どれを取っても私らを知っていると物語っているぞい」



「…………」



 俺は脳内にアイラスの言葉を反芻させる。



 『――サイラ、こやつらの世話を任せる。お前なら我らより詳しかろう』



「なるほど」



「やっとお主も理解したか」



 俺の訝しげな表情にイルが笑みを零す。



「そうじゃ、ここでまた不可思議な点があるのぉ。なぜ知っておきながらアイラスという者に伝えずにいるのか。そろそろ口を開いたらどうじゃ?」



「…………もう隠しても意味がないようですね」



「ふむ。やっとかいの」



「……イルさんの予想は当たっています。貴方達の場所を特定できた理由は、貴方達の戦いを実際にこの目で見ていたからです」



「なんと、ではクロリアの仲間かの? おぬし」



「……はい。クロリア様は私の恩人です。でも安心して下さい。私は貴方たちを恨んではおりません」



「そうかのぉ」



 サイラは頷く。



「……はい。これで貴方達を特定できたのはおわかりでしょう。そしてそれをアイラス様に言わずにいた理由は…………」



 刹那、漆黒の空を映す窓ガラスに橙色の線が混入した。



 同時に耳を劈くような轟音。



 咄嗟に外を垣間見ると、そこには巨大な炎の柱が伸びていた。


「何事じゃっ?」



「戦闘が起きている」



 俺がそう言うと、サイラがその控えめな声を強めた。  



「……行きましょう」



「いいのか?」



「いいのじゃよ炎っ! 詳しい話はあとじゃろう?」



「……はい」



 二人は何処か理解した様子で頷きあう。



「いくぞガルっ」



 流石は頭のよい相棒であり、寝起きでも主人の言うことは忠実に従う竜犬。



 取り上げられた武具を身につけ、突如始まった喧騒を背に感じながら酒場を出る。その最中騎士の骸を見たが、別段サイラの表情が変わることはなかった。



 静かさが横たわっていた沿岸の街ーーーーエンリはその姿を変貌させていた。



 至るところで立ち上る煙。鼻腔を激しく刺激する死臭。そして悲鳴と戦闘音。

 


「まるで戦争じゃの」



「……行きましょう」



「どこに向かう?」



「……まずは安全な場所へ」



 そう言ってサイラは思い出したように俺たちに嵌められた拘束具を外した。



 ガルガルッ!



「苦しかったか? よく頑張った」



 ガルルッ♪


「それよりも、拘束具を解いていいのか?」



「……いいのです。詳しいことはまた後で」



「わかった」



 酒場のある通りを西へ行くと広場へと出る。そこでも多数の骸が転がり、以前の活気は狂気へと移り変わっていた。



 そのまま広場を抜けて、外へと繋がる門を抜けようとした矢先ーーーー



「…………ッ!」



 サイラの頬を掠める一本の弓矢。そして背後から放たれる殺気の籠った怒号。



「サイラッ! 貴様ッ……何をやっている!?」



 振り替えるとそこにはーーーー



「……アイラス様」



 白色のマントは汚れ、所々に流血の痕が見える屈強な男ーーーーアイラス。



 その背後には三人の騎士も窺えた。    



「反乱軍の連中かと思って来てみれば、全くあの制約はどうなったのか……何故酒場から抜け出している? 理由があるのだろうなっ!?」



「…………」


 

 アイラスの言葉でこの騒動が反乱によるものであると理解に至った。



「黙っているのではないっ!!」



 その叫び声と共に背後の騎士から威嚇の矢が放たれた。咄嗟にその矢を俺は弾いた。



「貴様ッ……!!」



 咄嗟に身構える俺を制止てサイラが前に出た。



「……お止め下さい」



 しっかりと芯の籠った声色。

  


「何の真似だサイラっ。そこをどけっ!」



「……退きませぬ」



「貴様ッ、その罪人を庇うというのかっ!? 拾ってやった恩を忘れたかッ」



「……拾ってやった?」



 今まで抑制していたかのように、彼女の声から怒りの色が滲み出していく。



「……私が何時までも気づかないと思ったのですか? 私の両親は生き残りの古神族に本当に殺されたと信じているとっ!?」



「な、なにを言っている……」



「……クロリアさんは仰いました。私の両親を殺したのは古神族なんかじゃない。大好きだった両親を殺したのは……貴方だっ!!」



 俺の頭の中でやっと彼女が俺たちを解放する理由を見つけた。



 何処かで自分の中の怒りをぶつける機会を潜めていたのだ。



 詳しい理由はまだあるだろうが今の俺にわかることはない。



「な、なにを訳のわからぬことをっ……そんなことクロリア様の行き掛かりではないかっ! 証拠などないっ」



「……証拠ならあります」



 そう言ってサイラが懐から取り出したのは彼らを騎士と象徴するネックレスだった。



  


 勿論それは彼女のものであらず、他の誰かの物。


 それを見た瞬間、アイラスの顔が驚愕の色に染まる。


「それは……っ!」


「……これは貴方のですよね、アイラス様。銀色ではなく金色は団長位の証。そして裏には貴方の名が刻まれています。これを何処で見つけたかお分かりになりますか?」



「…………ッ」



「……そうです。私の家だった場所で発見しました」



 その犯行の主犯が彼だと言うことは誰からも明らかだった。


  

 彼の背後に控えていた騎士でさえ目を見開き、アイラスを見つめていた。



 サイラが続けるよりも先にアイラスが言葉を放つ。



「失態だ。まさかそんな所で落としていたとは……騎士として失格かーーーー」



「……やはり貴方だったのですね」



「その通りだ、サイラ。貴様の魔力の才を見過ごす訳にはいかなかった」



「そんな理由でっ! 私の両親をっ……!」



 地面に落としていた視線を此方に向けるアイラス。



 その狂気に満ちた相貌にサイラは後ずさる。



「そんな理由だと? 貴様は己の能力をわかっていないようだな。今はまだ未熟だが、貴様は私よりも越える力を有しているのだぞ? そんな小娘を小話にできるわけがなかろうっ!」



「………ッ」



「私の目的を果たすためにも貴様が必要だったのだ」



「……目的?」

 


「そうだ。私の目的は…………サリムス王を殺し、私が王となること」



 その欲望にまみれた夢にイルはため息落とし、サイラは退いていた足を踏み出す。



「……例えこのまま上手くいっても貴方が王になることは出来なかったでしょう。貴方はーーーー王の器ではありません」



「なんだと……? 貴様に何がわかるっ!!」



 怒号するアイラスに落胆する灰色の麗人。



「そのような陳腐な夢しか語れぬ者が王を語る資格はないっ!!」



 初めて心の底からの怒りが彼女から出ているのがわかった。



 その剣幕にアイラスは一瞬押し黙ったが、すぐにその表情を鬼のように歪め、その腰に帯びた剣を抜いた。  



 咄嗟に俺たちも構えるが、再度サイラが制する。



「失態は見つからなければいいのだっ! 貴様を殺して隠せばいいのだっ!!」



 知能の低い獣のように一直線に走ってくるアイラスを見ながらサイラは徐に剣を抜いた。



 それは赤い宝石の嵌め込まれた銀色に輝く美しい細剣。


  

 アイラスの攻撃が到達するよりも先に、その殺気に満ちた薄汚い剣は正義を貫く剣に芯を折られていたのである。



「止めはさしません。貴方を裁くのは私の王だった方です」



「ーーーー」


 

 騎士の命とも言われる剣を折られたアイラスも流石に動くことは出来ず、その後背後に控えていた騎士に連れられてその場を去った。



 彼らは彼女の境遇や騎士を去ることに口を挟むことはなかった。



「ふむ、あやつらは中々わかっているではないか。して――」



「……なんでしょう?」



「まだお主に聞いていなかったことがあっての。何故私たちを憎んでおらぬのじゃ? クロリアはお主にとって大事な人とみえる。加えてわれらの戦いを見ていたと申すからのぉ。なぜじゃ?」



 サイラは初めて春先に咲く花のように可愛らしく笑みを携えて言った。



「クロリアさんが生きているからですよ」



「な、なんじゃって……?」



 この時ばかりはイルの驚きを馬鹿にすることはできないだろう。俺の脳内にも混沌の色が出ていた。



 再度イルが言葉を漏らそうとした途端、背後から放たれる声色。



「やぁ、みんな。久しぶりだね」



 そこには死んだはずの、俺が殺したはずのクロリアの姿があったのだった。



 咄嗟に刀を抜く。それに倣ってイルとガルも闘争本能を露わに構えた。



「まぁ、まぁ落ち着いてっ! 今君たちと争う気はないよっ!」



「そう言われてやめるとでも?」



「うーん……」



 クロリアがその困った瞳をサイラに向ける。



「……みなさん落ち着いて下さい。クロリアさんは大丈夫です」



「まだ会ったばかりのお主の意見に力があるとでも思っているのかの? サイラ」



「……そうですね。ですが本当です。まずは話だけでも聞いてください」



 俺たちは訝し気な視線を見せながらも、渋々武器を納めた。もちろん警戒心は最大限にまで高めながらだが。



「……ありがとうございます」



「礼はいい。早く話せ」



「ははっ。相変わらずエンは厳しいね。元気にしていたかい?」



「…………」



「まぁ、いいや。それで何から話そうか……そうだね、まずはなぜ僕が生きているのかだね」



 クロリアは楽しそうに笑った。



「別に難しいことではないんだ。僕が蛇神の力を有しているのは知っているだろう? ん、あぁサイラも知っていることだから心配しないで」



 サイアラは頷く。



「君にやられた後、僕も確かに一度死んだんだ。でもなんの因果なのか、蛇神の力が覚醒していたみたいでその突出した再生能力が僕を生き返らせたというわけ。その時のことはサイラの方が知っているかな」



「……はい。私は何もかも見ていましたから。私がクロリアさんに駆け寄った時には既に

体の至る所で回復の兆しが見え始めていました。もしやと思い私の魔力を十分に授けたら数時間もしないうちにクロリアさんは命を回復されたのです」



「うむ、古神の力の恩恵を受けているお主ならば、不可能ではないかの」



「流石イルは話がわかるねっ!」



「たわけっ、気安くよぶなっ! まだお主が私たちを襲わぬ理由は聞いておらぬ」



「それもそうだね」



 クロリアはまた楽しそうに笑みをこぼす。

 



「僕が君たちを襲わない理由はね、真実を知ってしまったからさ」



「真実だと?」



「そうだよエン。僕は君に殺されるまで家族が殺された原因は君たち蛇を除いた古神にあると思っていた。だけど本当は違っていたんだ」



 俺たちは思わず耳を傾ける。



「炎獄の日を起こしたのも、僕の家族を殺したのも全て蛇神と結託したアウストレディアのせいだったんだよ」



「それは本当のことなのか?」



「本当さ。僕には幼いころの記憶が曖昧だったんだ。今までは気にしてこなかったけど、君に一度殺されて生き返った瞬間、嘘のように過去の記憶が蘇ってきたんだ。そう、おそらく僕の記憶は故意に封じられていた」



 クロリアは少し悲しそうに眼を伏せたかと思えば、途端に声を張り上げた。


「そしてわかった。僕の家族が殺された原因は、あいつらの古神実験の生贄にされていたんだ。その最中で奇跡的に力を受け入れることができた僕は記憶を封じられた」



 一瞬の静寂が場を支配する。そしてクロリアは悲しそうに笑った。



「ごめんねエン。君を疑っていたよ。でも信じて、もう僕は君を疑わない」



 その言葉に初めて心は安定を求めるように震えた。

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