三
――――朝。
硬いパンと質の悪いチーズを水で流し込み、宿を出る。
気だるげに朝を迎えるイルとは対照的に、昨夜の夜更けまで話し込んでいたクロだけは、異様な調子の高さだ。
ここ数日で大量に消費してしまった食品類の補充のため、街中の店へと立ち寄る。
河川の街ということもあり、新鮮な川魚などは豊富だが、野菜などは萎びて少量しかなかった。
勿論、高価な油、砂糖などは殆どあらず、道中で森があることを祈るばかりである。
水を充分に補給し、まだ店々が静寂を横たえている中、俺たちは河川の街を出た。
「いや~、良い天気だねっ」
「私は……眠い」
ガルルッ♪
新たに加わったクロは既に仲間のように振る舞っているが、別段気にもならない。
「そうだっ。エンたちは何処に向かって旅をしているの?」
此方を見るイルに、俺は頷いた。
「私ったいはアウストリディアに向かってるのじゃ」
「アウストリディア? あの大帝国の?」
「うむ。そうじゃ」
イルは何故か自慢げに胸を張った。
「何で其処に??」
「うむ~。別に理由はないのぉ。あるとすれば、ただ興味があるだけじゃ。お主は何故あの街に?」
「僕? 僕はね~イルたちに出合うためさっ」
イルと同じく、無駄に端整の取れた顔を綻ばせて言った。
「本当のことをはなせいっ」
「ごめんごめん。実は、僕はザリアガイルと言う国に向かっている最中だったんだ」
「ほほぉ。ならば私たちに着いて来ていいのか?」
クロは少し思案するが、直ぐに元の緩い表情に戻す。
「大丈夫っ! そんなに大事な用じゃないからさ~。それに、エンたちといた方が楽しそうだしっ」
「そうかそうかっ。それは私も嬉しいのぉ」
「エンも嬉しいっ?」
「――――興味ないな」
「そんな~」
数千ラッド進むと、大地は何もない荒地からまた森林へと変化していく。尽きないクロのお喋りに、少し感心しながらも歩を進める。
既に履き慣れた革靴は磨り減り、もうそろそろ寿命であろうかと思案する。
休憩の最中に、毎日かかさない刀の手入れを始めた
。
地面に赤黒の鞘の刀を置き、竹製の目釘抜きで柄を外す。
刀を鞘から抜き、銀に怪しく光る刀身が姿を現す。
「おぉ。それって刀だよね?」
「そうだ」
「珍しいねぇ。初めて見たよ僕……」
左手で柄頭を握り、刀を斜めに立てる。そして、右手の拳で軽く左手首を打つ。軽快な音が鳴り響き、クロは興味津々此方を見ていた。
そして茎が軽くゆるんだところで、調子をはかってさらに二、三回手首を打つ。すると、自然に抜けて出た柄を抜き取る。
銀色のはばき、切羽、鐔を順に外していき、高価な油を染みこませた布で刀身を拭く。さらに、何も染みこませていない布で軽く拭く。
最後に傷や錆がないかを確認し、外した時と逆の順番で鞘に収めていけば終了だ。
「その刀は、昔から使っているの?」
「そうじゃぞ。あれはえんの親の形見じゃ」
「なるほど。そういえば、2人と……ガルって何時から知り合いなの?」
ガルルッ♪
「生まれた時から共に生きてきたかのぉ?」
「あぁ、そうだな」
ふと過去の記憶が蘇る。炎に包まれた記憶が。
山奥の赤き竜を祭る祭壇。血を飲む成人の儀式。どれも懐かしいものばかりだ。
「お前は、仲間はいないのか?」
ふと、興味を思ったことを口にする。
「僕? ぼくに言ったのっ!?」
「そうだ」
「やったぁ!! ついにエンに興味を持ってもらったぁ~~」
無意味に喜びの声を上げる。
「どうなんだ?」
「ぁっ。そうだね。僕には……いないかなぁ」
「そうか」
別に聞きもしないのに、話を始めるクロ。
「僕は凄い田舎に住んでいて、僕以外に同じくらいの歳の子はいなかったんだ。だから友達はいないのさ」
「安心せいっ。えんも友達は私たちだけじゃい。皆死んでしまったからのぉ」
「死んだ……?」
此方を見るクロ。
「そうだ。気にするな。もう昔のこと」
「そ、そっか――――でも、大丈夫だよっ! 僕がいるからねっ!」
そう言って、手を握るクロ。その矢先、背後から感じる気配と、俺たちに向けられる声。
「やっとみつけたぜ……てめぇらっ!!」
後ろを振り返ると、街でガルが倒した男たちがそこにはいた。しかも、今回は数が異様に多い。見ただけでも数十はいるだろう。
「ほほぉ。これは面白いのぉ。今回は私が――――」
「駄目だ」
「むむむむむっ! いやじゃっいやじゃっ! 私も戦うっ! 今回はエンが何を言おうと戦うのじゃッ!」
「何、訳のわからねぇこと言ってやがるっ! てめぇらっ! やっちまえっ!!」
俺が止めるよりも先に、イルの全身から溢れる高密度のエネルギー。
「これは……魔力っ!? イルがなぜっ!」
「イルっ――――くそっ」
俺たちの言葉を無視し、イルは両手をその大きな胸の前に持っていく。そして、狂気に似た笑みと共に声を上げた。
「炎よ炎。憎き魔の力を吸ってその力の断片を我に付与せよ。けちらせっ――――鬼火っ」
周りを渦巻いていた高密度の魔力が、途端に手に集束する。そしてイルが言葉を放った瞬間、一気に燃え上がった。
イルから放たれた頭蓋骨程の炎の塊は、物凄い速さでゴロツキたちの足元に飛来した。
地を伝って男たちの服を焦がす炎。
「な、なんだこれはっ!?」
「まほうだっ! まほうだあぁぁぁっ」
殺すには小さすぎる炎でも、一度引火物に燃え移れば相当の恐怖を植えつける。
さらに世界で極少数しか使えぬ魔法となれば、その恐怖は何倍にも加速するであろう。
ゴロツキたちは咄嗟に武器を投げ捨てて、子供のように背を向けて走り出した。
「はっはっはっはははっ。これは面白いのぉ」
脱兎の如く逃げる男たちを見て、意地悪く笑うイル。
そんな姿に俺はため息をつき、ガルは炎に怯えて傍らで顔をチョコンと出している。
「そんな、まさか――――――いや、違うよね」
「どうしたしのじゃ、クロ? まさかびっくりしたのか? かっかっか」
「ぇっ、う、うんっ。まさか、こんな可愛いイルが魔法を使えるとは思わなかったから……」
「そうだろ、そうだろっ。私はこう見えても凄いのじゃぞ?」
「これで、イルが行動を共にしている理由がわかった気がするよ」
イルは胸を張って笑っていたが、俺の視線に申し訳なそうに片目を瞑った。
「はぁ。まったく」
「どうしたのエン?」
「なんでもない」
ゴロツキたちの再来に少しの驚きはあったが、旅路は順調に進み。河川の街を抜けて、四度目の夜が来ていた。
長く続く森林は未だに抜けられず、夜営を繰り返している。
既に夕食も食べ終え、俺たちは睡魔の世界へと足を踏み入れていた。
そんな時、ふと鼓膜を刺激する美しい声色。
「相変わらず、いい声だな」
「ん? なんじゃ、起してしまったかのぉ」
「別に気にしていない」
イルは夜空を見上げて、再度歌詞のない歌を始める。
何処かで聞いたことのある懐かしい歌声。以前、母親の子守唄のように聞いていた歌。
脳を安心させる心地よい感覚に浸りながら、硬い地面に身を横たえる。
幾千の歳月が刻まれ、世界を震撼させたその声色は、今や俺たちの世にその大きな身体を納めている。
ずいぶんと因果な関係だと、心の中で自重しながら俺は睡魔の世界へと落ちていった。
*
僕はガル。竜犬だ。主人は、銀髪のえん兄ちゃん。
少し前に、新しい仲間が加わった。真っ黒姿のクロだ。
イルとえん兄ちゃんは、もう慣れたようだけど僕は違う。
ガルルルル
「エン~。ガルがまだ僕を信じてくれないよぉ」
「頑張れ」
えん兄ちゃんは僕が守るのだっ。邪魔をする奴らは許さない。
クロはもう少し警戒しておこう。
ガルルルッ ガルガルッ
「えん~。全く頑張れないよぉ」
「ほほほぉ。クロはまだまだじゃなのぉ」
ガルガッ
「なんじゃて? 私が言うなじゃと? このっ、ふざけおって」
ガルガル~♪
「このっ!!」
「ははははっ。イルもまだまだだねぇ」
ガルガッ
一番はえん兄ちゃんだ。イルは友達。クロはまだ僕の敵だ。
ガルルッ
*
森林を進んでいくと、忽然とそれは現れる。
無機質に積み上げられた白石の巨大な壁に、数十ラッドはあるであろう門。
「着いたのか? ――む? 扉の前で並んでいるあやつらは何じゃ?」
「知らない」
「2人とも。あれを見て」
クロの指差す方向には、城塔の上に立たれた鉄製の棒切れ。その棒切れの先端には、1ラッド程の旗が掛けられていた。
「ほほぉ、おれは――アウストリディアの軍旗かの?」
「そうさっ! この街は帝国の管轄内にあるようだねっ」
白地の布に真っ赤な城の絵が描かれた旗。かつての「炎獄の日」で大きな戦果を上げた帝国の軍旗だ。
「いくぞ」
「っあ! 待ってよエン~!」
「ふっ。思い出したてしまったかのぉ?」
ガルル?
人の列に並び、少しすると直ぐに俺たちの番がやって来る。門を守っていた兵士が此方を見る。
「通告書はあるか?」
「ない」
「ないだと? 旅人か?」
「そうだ」
鉄製の細長い槍を地面に着き、此方を訝しげな表情をする。
「安心しろ門番よっ。私たちは怪しい者ではないぞっ」
「――――そうは見えんがな?」
ちらりとその黒いドレスに目をやる。
「あははははっ。大丈夫ですよ兵士さん~。ただの旅人ですのでっ。これ、私の通行書です~」
「――――これはっ。わかった。通行を許そう」
「ありがとうございますっ!」
たまたまクロが持ち合わせていた通行書のおかげで、なんとか街中に入る事が出来た。
「助かったクロ」
「へへっ。これでも幾つもの街を越えて来たからねっ! エンたちは今までどうやって、きたの?」
「私たちは、別に怪しまれるわけでもなく入れたぞい。なにせ、帝国に監視された街は初めてじゃからのぉ」
「なるどね~。なら、せっかくだから通行書を発行しちゃおうか? 少し値は張るけど」
イルが此方を見る。
「案内してくれ」
「了解っ! ついて来て~」
帝国の管轄されているこの街は、一つの前の所より遥かに清潔で整っていた。瀝青に覆われた街路、森林内には見えない石煉瓦の建物。
8つの巨大な城塔と、それらを結ぶ城壁で構成され、内部では幾つもの店々が佇んでいる。
俺たちが向かったのは、入り口から数百ラッド進んだ広場のような所。
美しい自然の公園や噴水があるそこに、異質な二階建ての建物が一つ。
「あれは?」
「帝国の居留場所だよ。あそこで通高書を発行するんだ」
建物の屋根には軍旗が昇り、太陽の光が輝かしく差している。
無機質な白石の建物の前には2人の門番が立ち、数人の商い人が出入りを繰り返していた。
室内に足を踏み入れると、木製の出口窓に数人の礼服を着込んだ男女が待ち受けている。
その一人に近づいていく。
「こんにちわ。どういったご用件で?」
「通行書の発行をお願いしたいんです~。僕じゃなくて、こっちの2人のっ」
「通行書の発行ですね。此方に簡単な記入をお願いします。何か身分を証明する物はありますか?」
「これで、大丈夫ですかね?」
俺たちが紙切れに名などを記入しているうちに、クロが自身の通行書を渡す。
「はい、確かに――――受け取りました。それでは、此方もお預かりします。少々時間がかかるので、街中でも歩くとよい暇潰しになるでしょう」
「わかった。行くぞ」
建物を出ると、真上から差す太陽を見上げる。
「もうお昼時だね。そろそろお腹が空いてきたんじゃないイル?」
「そうじゃのぉ。そう言われてみれば……えんっ。飯を食いにいくぞいっ」
「ははっ。やっぱりねぇ~いこうっエン」
「わかった」
ガルル!
「なんだ? お前も腹が減ったのか?」
ガルルッ
「そうか。それなら行こう」
ガルッ♪
帝国の居留する建物を少し戻ると、飲み屋街何件も佇む通りに出る。
昼時でも喧騒に溢れ、頬を赤らめた男たちが声を上げている。その中でも一際ざわめきで埋まる建物へと入った。
適当に隅の席に腰を下ろす。
「さて、何があるのかのぉ?」
「鹿肉の料理とかが有名なようだねっ」
「ほほぉ、これはえんのとどちらが上手いか食べ比べじゃのぉ」
店の者に適当に料理を頼み、来るのを待つ。
「イル、あんなに頼んで大丈夫だったの?」
「勿論じゃっ。あれでも足りないくらいじゃわいっ」
「うっそ~~~。そんな大食いには見えないんだけどなぁ」
その後、来た食事を圧巻の勢いでイルは完食し、クロと店の者たちに歓声を上げさせた。
そのまま、酔いの回った男たちに酒を貰いうけ、別席で飲み比べをしている。
「ガル。美味しかったか?」
ガルルッ♪ ガルッガルッ~
「そうか。良かった」
「ぁっ、そうだっ! 僕は少しこの街に用事があったんだっ」
「そうなのか?」
「ちょっとね~。その用事を済ましているから、数時間後にまた発行所で落ち合おうっ」
「わかった」
「それじゃ、余り飲みすぎないでね~」
*
「おっまたせ~……って、大丈夫イルっ!?」
「なははははっ。大丈夫に決まっておろう~あれ? なんか揺れてるぞクロ」
「揺れているのはイルだからっ! ほらっ、水飲んで――――」
酒場の男たちとの飲み比べで、既に全身に酔いの回ったイル。
「クロはそいつを頼む。俺は発行書を貰ってくる」
「ぁ、うんっ。わかったよっ」
既に夕刻近くともあり、室内には人々はあまりいない。先ほど、対応した者のところに行く。
「来たぞ」
「はい。これが発行書です。もう一人の方は?」
「外で待っている」
「そうですか。これを見せれば、殆どのところは自由に行く事ができますよ」
「すまない」
そう言って立ち去ろうとする俺を、呼び止める女。
「2つほど質問を宜しいですか?」
「なんだ」
「貴方の苗が書かれていないのですが?」
「苗はない」
「ない?」
「そうだ。当の昔に捨てた。不都合なのか?」
女は、少し訝しげにするがかぶりを振る。
「わかりました。それでは、もう一つ。クロリアさんとは何処でお知り合いに?」
「クロのことか?」
「そうです」
「旅の途中で出会った」
「なるほど――――わかりました。ありがとうございます」
偽善の笑みを浮かべ、そう言う女。
そんな不自然な笑みが引っ掛かりながらも、背を向けて外へと出る。
入り口前には床に座り込むイルと、背中を必死に擦るクロの姿。
俺に気がついたガルが此方に寄って来る。
ガルルッ
「なに? イルが可笑しい?」
ガルガルッ
「そうだ。酔っているんだ」
ガル?
「あぁ。全くだっ」
ガルガルガッ!
「次からは気をつけよう」
ガルル♪
*
夜も更け、世界は常闇に移り変わっていた。皇后たる月の魔力を浴びた大地は怪しく芽吹き、雲の出現を抑えていた。
とある街の宿の一室で、俺たちは身を置いていた。
品質の余り良くないランプの光に照らされる、クロの白顔。
「少しの間、此処に滞在するんだよね?」
「あぁ」
「明日は服を買いに行くぞっ! 服をっ!!」
未だに新品のように、小綺麗な黒のドレスがランタンの光を吸う。
「イルは存外、お洒落好きなんだね」
「勿論じゃッ。女のたしなみじゃからのぉ」
「ははっ、確かにねっ。古神でも、物好きが居たって聞いたことがあるし」
ガルルル?
「ん? 古神ってのはね、この世界に存在する神様のことだよ。ガルッ」
「お主は、ずいぶんと古神に興味があるようじゃのぉ?」
そう言われ、クロは笑みを浮べる。
「そうだね。僕も一応あの日の被害者でもあるからさ」
「炎獄の日か」
「うん。黒き闇に囚われた三神が、世界を滅亡に追い込んだ日のことさ」
「その戦いで蛇神は帝国につき、黒鳥は死に、黒虎はその力を封印されたのじゃのぉ」
物悲しげにランプの火を見詰めるイル。
「そう。でも、最悪の源である黒竜は未だに逃亡しているんだよね」
「だが、近頃帝国が動くのだろう?」
「そうなんだっ! やっと、蛇を除く古神の一族を根絶やしにするべく、帝国が重い腰を上げたんだ」
古神。世界を揺るがす程の力を持ち合わせた神々。竜、虎、蛇、鳥の四ツ神が反旗を起した日。
人々はその日を――――「炎獄の日」と呼ぶ。
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