――――朝。

 


 硬いパンと質の悪いチーズを水で流し込み、宿を出る。



 気だるげに朝を迎えるイルとは対照的に、昨夜の夜更けまで話し込んでいたクロだけは、異様な調子の高さだ。



 ここ数日で大量に消費してしまった食品類の補充のため、街中の店へと立ち寄る。



 河川の街ということもあり、新鮮な川魚などは豊富だが、野菜などは萎びて少量しかなかった。



 勿論、高価な油、砂糖などは殆どあらず、道中で森があることを祈るばかりである。



 水を充分に補給し、まだ店々が静寂を横たえている中、俺たちは河川の街を出た。



「いや~、良い天気だねっ」



「私は……眠い」



 ガルルッ♪



 新たに加わったクロは既に仲間のように振る舞っているが、別段気にもならない。



「そうだっ。エンたちは何処に向かって旅をしているの?」



 此方を見るイルに、俺は頷いた。



「私ったいはアウストリディアに向かってるのじゃ」



「アウストリディア? あの大帝国の?」



「うむ。そうじゃ」



 イルは何故か自慢げに胸を張った。



「何で其処に??」



「うむ~。別に理由はないのぉ。あるとすれば、ただ興味があるだけじゃ。お主は何故あの街に?」



「僕? 僕はね~イルたちに出合うためさっ」



 イルと同じく、無駄に端整の取れた顔を綻ばせて言った。



「本当のことをはなせいっ」



「ごめんごめん。実は、僕はザリアガイルと言う国に向かっている最中だったんだ」



「ほほぉ。ならば私たちに着いて来ていいのか?」



 クロは少し思案するが、直ぐに元の緩い表情に戻す。



「大丈夫っ! そんなに大事な用じゃないからさ~。それに、エンたちといた方が楽しそうだしっ」



「そうかそうかっ。それは私も嬉しいのぉ」



「エンも嬉しいっ?」



「――――興味ないな」



「そんな~」



 数千ラッド進むと、大地は何もない荒地からまた森林へと変化していく。尽きないクロのお喋りに、少し感心しながらも歩を進める。



 既に履き慣れた革靴は磨り減り、もうそろそろ寿命であろうかと思案する。



 休憩の最中に、毎日かかさない刀の手入れを始めた


 地面に赤黒の鞘の刀を置き、竹製の目釘抜きで柄を外す。



 刀を鞘から抜き、銀に怪しく光る刀身が姿を現す。



「おぉ。それって刀だよね?」



「そうだ」



「珍しいねぇ。初めて見たよ僕……」



 左手で柄頭を握り、刀を斜めに立てる。そして、右手の拳で軽く左手首を打つ。軽快な音が鳴り響き、クロは興味津々此方を見ていた。



 そして茎が軽くゆるんだところで、調子をはかってさらに二、三回手首を打つ。すると、自然に抜けて出た柄を抜き取る。



 銀色のはばき、切羽、鐔を順に外していき、高価な油を染みこませた布で刀身を拭く。さらに、何も染みこませていない布で軽く拭く。



 最後に傷や錆がないかを確認し、外した時と逆の順番で鞘に収めていけば終了だ。



「その刀は、昔から使っているの?」



「そうじゃぞ。あれはえんの親の形見じゃ」



「なるほど。そういえば、2人と……ガルって何時から知り合いなの?」



 ガルルッ♪



「生まれた時から共に生きてきたかのぉ?」



「あぁ、そうだな」



 ふと過去の記憶が蘇る。炎に包まれた記憶が。



 山奥の赤き竜を祭る祭壇。血を飲む成人の儀式。どれも懐かしいものばかりだ。



「お前は、仲間はいないのか?」



 ふと、興味を思ったことを口にする。



「僕? ぼくに言ったのっ!?」



「そうだ」



「やったぁ!! ついにエンに興味を持ってもらったぁ~~」



 無意味に喜びの声を上げる。



「どうなんだ?」



「ぁっ。そうだね。僕には……いないかなぁ」



「そうか」



 別に聞きもしないのに、話を始めるクロ。



「僕は凄い田舎に住んでいて、僕以外に同じくらいの歳の子はいなかったんだ。だから友達はいないのさ」



「安心せいっ。えんも友達は私たちだけじゃい。皆死んでしまったからのぉ」



「死んだ……?」



 此方を見るクロ。



「そうだ。気にするな。もう昔のこと」



「そ、そっか――――でも、大丈夫だよっ! 僕がいるからねっ!」



 そう言って、手を握るクロ。その矢先、背後から感じる気配と、俺たちに向けられる声。



「やっとみつけたぜ……てめぇらっ!!」



 後ろを振り返ると、街でガルが倒した男たちがそこにはいた。しかも、今回は数が異様に多い。見ただけでも数十はいるだろう。



「ほほぉ。これは面白いのぉ。今回は私が――――」



「駄目だ」



「むむむむむっ! いやじゃっいやじゃっ! 私も戦うっ! 今回はエンが何を言おうと戦うのじゃッ!」



「何、訳のわからねぇこと言ってやがるっ! てめぇらっ! やっちまえっ!!」



 俺が止めるよりも先に、イルの全身から溢れる高密度のエネルギー。



「これは……魔力っ!? イルがなぜっ!」



「イルっ――――くそっ」



 俺たちの言葉を無視し、イルは両手をその大きな胸の前に持っていく。そして、狂気に似た笑みと共に声を上げた。



「炎よ炎。憎き魔の力を吸ってその力の断片を我に付与せよ。けちらせっ――――鬼火っ」



 周りを渦巻いていた高密度の魔力が、途端に手に集束する。そしてイルが言葉を放った瞬間、一気に燃え上がった。



 イルから放たれた頭蓋骨程の炎の塊は、物凄い速さでゴロツキたちの足元に飛来した。



 地を伝って男たちの服を焦がす炎。




「な、なんだこれはっ!?」



「まほうだっ! まほうだあぁぁぁっ」



 殺すには小さすぎる炎でも、一度引火物に燃え移れば相当の恐怖を植えつける。



 さらに世界で極少数しか使えぬ魔法となれば、その恐怖は何倍にも加速するであろう。



 ゴロツキたちは咄嗟に武器を投げ捨てて、子供のように背を向けて走り出した。



「はっはっはっはははっ。これは面白いのぉ」



 脱兎の如く逃げる男たちを見て、意地悪く笑うイル。



 そんな姿に俺はため息をつき、ガルは炎に怯えて傍らで顔をチョコンと出している。



「そんな、まさか――――――いや、違うよね」



「どうしたしのじゃ、クロ? まさかびっくりしたのか? かっかっか」



「ぇっ、う、うんっ。まさか、こんな可愛いイルが魔法を使えるとは思わなかったから……」



「そうだろ、そうだろっ。私はこう見えても凄いのじゃぞ?」



「これで、イルが行動を共にしている理由がわかった気がするよ」



 イルは胸を張って笑っていたが、俺の視線に申し訳なそうに片目を瞑った。



「はぁ。まったく」



「どうしたのエン?」



「なんでもない」



 ゴロツキたちの再来に少しの驚きはあったが、旅路は順調に進み。河川の街を抜けて、四度目の夜が来ていた。



 長く続く森林は未だに抜けられず、夜営を繰り返している。




既に夕食も食べ終え、俺たちは睡魔の世界へと足を踏み入れていた。



 そんな時、ふと鼓膜を刺激する美しい声色。



「相変わらず、いい声だな」



「ん? なんじゃ、起してしまったかのぉ」



「別に気にしていない」



 イルは夜空を見上げて、再度歌詞のない歌を始める。



 何処かで聞いたことのある懐かしい歌声。以前、母親の子守唄のように聞いていた歌。



 脳を安心させる心地よい感覚に浸りながら、硬い地面に身を横たえる。



 幾千の歳月が刻まれ、世界を震撼させたその声色は、今や俺たちの世にその大きな身体を納めている。



 ずいぶんと因果な関係だと、心の中で自重しながら俺は睡魔の世界へと落ちていった。


               *



 僕はガル。竜犬だ。主人は、銀髪のえん兄ちゃん。



 少し前に、新しい仲間が加わった。真っ黒姿のクロだ。



 イルとえん兄ちゃんは、もう慣れたようだけど僕は違う。



 ガルルルル



「エン~。ガルがまだ僕を信じてくれないよぉ」



「頑張れ」



 えん兄ちゃんは僕が守るのだっ。邪魔をする奴らは許さない。



 クロはもう少し警戒しておこう。



 ガルルルッ ガルガルッ



「えん~。全く頑張れないよぉ」



「ほほほぉ。クロはまだまだじゃなのぉ」



 ガルガッ



「なんじゃて? 私が言うなじゃと? このっ、ふざけおって」



 ガルガル~♪



「このっ!!」



「ははははっ。イルもまだまだだねぇ」



 ガルガッ



 一番はえん兄ちゃんだ。イルは友達。クロはまだ僕の敵だ。



 ガルルッ




                *



 森林を進んでいくと、忽然とそれは現れる。



 無機質に積み上げられた白石の巨大な壁に、数十ラッドはあるであろう門。



「着いたのか? ――む? 扉の前で並んでいるあやつらは何じゃ?」



「知らない」



「2人とも。あれを見て」



 クロの指差す方向には、城塔の上に立たれた鉄製の棒切れ。その棒切れの先端には、1ラッド程の旗が掛けられていた。



「ほほぉ、おれは――アウストリディアの軍旗かの?」



「そうさっ! この街は帝国の管轄内にあるようだねっ」



 白地の布に真っ赤な城の絵が描かれた旗。かつての「炎獄の日」で大きな戦果を上げた帝国の軍旗だ。



「いくぞ」



「っあ! 待ってよエン~!」



「ふっ。思い出したてしまったかのぉ?」



 ガルル?



 人の列に並び、少しすると直ぐに俺たちの番がやって来る。門を守っていた兵士が此方を見る。



「通告書はあるか?」



「ない」



「ないだと? 旅人か?」



「そうだ」



 鉄製の細長い槍を地面に着き、此方を訝しげな表情をする。



「安心しろ門番よっ。私たちは怪しい者ではないぞっ」



「――――そうは見えんがな?」



 ちらりとその黒いドレスに目をやる。



「あははははっ。大丈夫ですよ兵士さん~。ただの旅人ですのでっ。これ、私の通行書です~」



「――――これはっ。わかった。通行を許そう」



「ありがとうございますっ!」



 たまたまクロが持ち合わせていた通行書のおかげで、なんとか街中に入る事が出来た。



「助かったクロ」



「へへっ。これでも幾つもの街を越えて来たからねっ! エンたちは今までどうやって、きたの?」



「私たちは、別に怪しまれるわけでもなく入れたぞい。なにせ、帝国に監視された街は初めてじゃからのぉ」



「なるどね~。なら、せっかくだから通行書を発行しちゃおうか? 少し値は張るけど」



 

イルが此方を見る。



「案内してくれ」



「了解っ! ついて来て~」



 帝国の管轄されているこの街は、一つの前の所より遥かに清潔で整っていた。瀝青に覆われた街路、森林内には見えない石煉瓦の建物。



 8つの巨大な城塔と、それらを結ぶ城壁で構成され、内部では幾つもの店々が佇んでいる。



 俺たちが向かったのは、入り口から数百ラッド進んだ広場のような所。



 美しい自然の公園や噴水があるそこに、異質な二階建ての建物が一つ。



「あれは?」



「帝国の居留場所だよ。あそこで通高書を発行するんだ」



 建物の屋根には軍旗が昇り、太陽の光が輝かしく差している。



 無機質な白石の建物の前には2人の門番が立ち、数人の商い人が出入りを繰り返していた。



 室内に足を踏み入れると、木製の出口窓に数人の礼服を着込んだ男女が待ち受けている。



 その一人に近づいていく。



「こんにちわ。どういったご用件で?」



「通行書の発行をお願いしたいんです~。僕じゃなくて、こっちの2人のっ」



「通行書の発行ですね。此方に簡単な記入をお願いします。何か身分を証明する物はありますか?」



「これで、大丈夫ですかね?」



 俺たちが紙切れに名などを記入しているうちに、クロが自身の通行書を渡す。



「はい、確かに――――受け取りました。それでは、此方もお預かりします。少々時間がかかるので、街中でも歩くとよい暇潰しになるでしょう」



「わかった。行くぞ」



 建物を出ると、真上から差す太陽を見上げる。



「もうお昼時だね。そろそろお腹が空いてきたんじゃないイル?」



「そうじゃのぉ。そう言われてみれば……えんっ。飯を食いにいくぞいっ」



「ははっ。やっぱりねぇ~いこうっエン」



「わかった」



 ガルル!



「なんだ? お前も腹が減ったのか?」



 ガルルッ



「そうか。それなら行こう」



 ガルッ♪



 帝国の居留する建物を少し戻ると、飲み屋街何件も佇む通りに出る。



 昼時でも喧騒に溢れ、頬を赤らめた男たちが声を上げている。その中でも一際ざわめきで埋まる建物へと入った。



 適当に隅の席に腰を下ろす。



「さて、何があるのかのぉ?」



「鹿肉の料理とかが有名なようだねっ」



「ほほぉ、これはえんのとどちらが上手いか食べ比べじゃのぉ」



 店の者に適当に料理を頼み、来るのを待つ。



「イル、あんなに頼んで大丈夫だったの?」



「勿論じゃっ。あれでも足りないくらいじゃわいっ」



「うっそ~~~。そんな大食いには見えないんだけどなぁ」



 その後、来た食事を圧巻の勢いでイルは完食し、クロと店の者たちに歓声を上げさせた。



 そのまま、酔いの回った男たちに酒を貰いうけ、別席で飲み比べをしている。



「ガル。美味しかったか?」



 ガルルッ♪ ガルッガルッ~



「そうか。良かった」



「ぁっ、そうだっ! 僕は少しこの街に用事があったんだっ」



「そうなのか?」



「ちょっとね~。その用事を済ましているから、数時間後にまた発行所で落ち合おうっ」



「わかった」



「それじゃ、余り飲みすぎないでね~」






                *



「おっまたせ~……って、大丈夫イルっ!?」



「なははははっ。大丈夫に決まっておろう~あれ? なんか揺れてるぞクロ」



「揺れているのはイルだからっ! ほらっ、水飲んで――――」



 酒場の男たちとの飲み比べで、既に全身に酔いの回ったイル。



「クロはそいつを頼む。俺は発行書を貰ってくる」



「ぁ、うんっ。わかったよっ」



 既に夕刻近くともあり、室内には人々はあまりいない。先ほど、対応した者のところに行く。



「来たぞ」



「はい。これが発行書です。もう一人の方は?」



「外で待っている」



「そうですか。これを見せれば、殆どのところは自由に行く事ができますよ」



「すまない」



 そう言って立ち去ろうとする俺を、呼び止める女。



「2つほど質問を宜しいですか?」



「なんだ」



「貴方の苗が書かれていないのですが?」



「苗はない」



「ない?」



「そうだ。当の昔に捨てた。不都合なのか?」



 女は、少し訝しげにするがかぶりを振る。



「わかりました。それでは、もう一つ。クロリアさんとは何処でお知り合いに?」



「クロのことか?」



「そうです」



「旅の途中で出会った」



「なるほど――――わかりました。ありがとうございます」



 偽善の笑みを浮かべ、そう言う女。



 そんな不自然な笑みが引っ掛かりながらも、背を向けて外へと出る。



 入り口前には床に座り込むイルと、背中を必死に擦るクロの姿。



 俺に気がついたガルが此方に寄って来る。



 ガルルッ



「なに? イルが可笑しい?」



 ガルガルッ



「そうだ。酔っているんだ」



 ガル?



「あぁ。全くだっ」



 ガルガルガッ!



「次からは気をつけよう」



 ガルル♪


                *


 

 夜も更け、世界は常闇に移り変わっていた。皇后たる月の魔力を浴びた大地は怪しく芽吹き、雲の出現を抑えていた。



 とある街の宿の一室で、俺たちは身を置いていた。



 品質の余り良くないランプの光に照らされる、クロの白顔。



「少しの間、此処に滞在するんだよね?」



「あぁ」



「明日は服を買いに行くぞっ! 服をっ!!」



 未だに新品のように、小綺麗な黒のドレスがランタンの光を吸う。



「イルは存外、お洒落好きなんだね」



「勿論じゃッ。女のたしなみじゃからのぉ」



「ははっ、確かにねっ。古神でも、物好きが居たって聞いたことがあるし」



 ガルルル?



「ん? 古神ってのはね、この世界に存在する神様のことだよ。ガルッ」



「お主は、ずいぶんと古神に興味があるようじゃのぉ?」



 そう言われ、クロは笑みを浮べる。



「そうだね。僕も一応あの日の被害者でもあるからさ」



「炎獄の日か」



「うん。黒き闇に囚われた三神が、世界を滅亡に追い込んだ日のことさ」



「その戦いで蛇神は帝国につき、黒鳥は死に、黒虎はその力を封印されたのじゃのぉ」



 物悲しげにランプの火を見詰めるイル。



「そう。でも、最悪の源である黒竜は未だに逃亡しているんだよね」



「だが、近頃帝国が動くのだろう?」



「そうなんだっ! やっと、蛇を除く古神の一族を根絶やしにするべく、帝国が重い腰を上げたんだ」



 古神。世界を揺るがす程の力を持ち合わせた神々。竜、虎、蛇、鳥の四ツ神が反旗を起した日。



 人々はその日を――――「炎獄の日」と呼ぶ。


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