f−5/3 2人のファン
その2日後、私はちゃんと謝ることもできないまま、母は帰らぬ人となった。
別れを惜しむ間もなく、葬儀もその明後日には執り行われ、私の心の中にまた一つ、大きな穴が開いてしまったようだった。
この二十数年もの間の、私と母との間にできた大きな溝が、やっと埋まったというのに、別れはあまりに呆気ないものだった。
急のことで、参列者も少なかった葬儀も恙なく終わり、私と父は、母の遺品の整理をするため、一旦家に帰ることにした。
懐かしい実家近くの農道を、父と一緒に歩きながら、私達は母や姉の思い出話しをした。私が幼かった頃のことから、最近の事まで、このわずかな道すがらの間では、とてもではないが語り尽くせそうもない。
「そう言えば父さん、一度、東京にある私のスタジオまで来た事があったよね。あれには驚いたわ、ホント」
「そ、そうか? そんなに驚くようなことじゃぁないと思うが?」
首を傾げて言う父に、私は呆れ顔で肩をすくめた。
「驚くわよ。あんな用事で熊本から東京まで来る人なんて、普通はいないもの」
それは、今から5年ほど前のことだった。何の連絡もなく、突如ひょっこりとスタジオにやって来た父は、妙に戸惑いながら、私に一台のカメラを手渡し、
「写真の現像を頼みたいんだが?」
言った第一声がそれだった。
写真の現像だけなら、東京どころか熊本市街に行くまでもなく、実家の近所にだってやってくれる店は、いくらでもあるというのに?
本当はただ、私の事が心配で、東京に出て来る理由が欲しかっただけなのだろう、父はそんな口実をつけて、はるばる東京まで出て来たのである。
「でも、嬉しかったよ。だってあのカメラは……………………」
「ああ、アレは雅子の遺品だったからな」
父が持参したカメラは、死んだ姉が愛用していた、あの玩具のカメラだった。
そんな可愛らしいカメラを、大の男の父が持って現れたのだ。
そのときは、思わず笑ってしまったが、
「雅子の遺品でな。調べていたら、フィルムが入ったままなんだ。電池も残ってないし、私はこういったものが苦手で開け方も分からないんだ。すまないが見てくれないか?」
そんな不器用な父が、私には可愛く思えた。
それに、そのカメラにまだフィルムが残っているということは、もしかしたら生前の姉の姿が、写って残っているかもしれない。
私は父のその依頼を喜んで受けた。
カメラに残っていたフィルムは、姉が死んでからずっと中に入ったままなので、古くて変色と画質の劣化もあったが、プリントには特に問題はなさそうだった。
早速、全カットをプリントしてみたが、残念なことに、姉の姿は1枚も写ってなかった。写っていたのは、両親と私ばかり。家族思いの姉らしい写真に、思わず目頭が熱くなる。
その中で、あの夜、リンゴ飴を大きな口を開けて頬張る私の顔が写った写真は、何とも印象的だった。
だが、私と父の目を一番引いた写真は、その前の年の春に、みんなで熊本城の花見に出かけたときの、数枚の家族写真であった。
今にして思えば、その中の1枚に込められた姉の想いに気付いていれば、私と母の間柄は、もっと早くによくなっていただろう。
母の手作り弁当の卵焼きを食べている私を、桜の木の下で優しく見つめる母の笑顔。その写真を見ていたのに、母の気持ちに私は気付いていなかった。
ずっと、母の気持ちを分かっていなかった。
分かっていたのは、姉だけだったのだ。
やはり私は大馬鹿者だった。
「ホント、姉さんには敵わないや」
不思議なもので、久しぶりの実家は、妙に広く感じられた。
東京の部屋が狭いというわけでもないが、きっとこの家には今、父と私の2人しかいないので、殺風景に感じたからかもしれない。
そんなことを思いながら、私達は早速、母の遺品の整理を始めた。
とはいえ、母とは長い間不仲であったということもあって、何だか他人のモノを触るみたいで、少し気が引けてしまい、あまり作業は進まなかった。
それでも何とか一通りの整理を終えた頃、
「何だろ、コレ? お父さん知ってる?」
「いや、何だろうな? 今までこんなのがあるなんて、全然気付かなかったよ」
押し入れの中から、いやに重たい段ボール箱が出てきた。
ガムテープで厳重に封印されていたが、何度も空けては閉め、空けては閉めを繰り返したのだろう、テープの周りだけ段ボールがボロボロになっている。
訝しげに思い、母には申し訳ないけど、その箱を開けて中を見てみると、何冊もの真新しい本が、丁寧に積み重ねて入れられていた。
しかもそれらは全て、私が今まで出版した写真集だったのである。
「ど、どうして母さんが、私の本を? しかも今までに出した作品全部?」
いや、そんな事はもう分かっていた。
何だかんだ言っても、母は…………………、
「いつも影から、ずっとおまえを応援していたんだよ」
「……………うん」
箱の中には、ビニールに包まれたままの本とは別に、開封された同じ本が全種、B3サイズの封筒に、大事に入れられていた。
母は同じ本を2冊づつ買って、一方を保存用として置いていたのだ。
封筒に入った本を出してみると、何度も繰り返して見たのか、少し厚くなっている。そしてそられの本の何冊かには、私の直筆サインが入っていた。
「私が気付かないうちに、サイン会にも来てくれてたんだ………………………」
声にならず、私はその本を抱いて泣いた。
母の葬儀の次の日、私が帰ってきた事を知って、結婚して大分に引っ越していた明子が、久々に会いに来てくれた。
葬儀の後とあって、再会を祝うようなことはなかったが、親友との再会は、心の中にポッカリ穴が開いてしまった今の私には、何よりの励みになった。
葬儀会場となった村の公民館前の公園で、私と明子はベンチに並んで座り、これまでの事を語り合った。
「じゃあ、また東京に帰っちゃうの?」
「うん。仕事があるから。サワちゃ…………じゃなかった、マキちゃんも待ってるしね」
予定していた函館での仕事ももうすぐだ。あまりゆっくりしている余裕はない。
初七日が終わったら、バイクをこちらに置いて飛行機で帰らねばならなかった。
「そうなんだ。あの子、ホントにお調子者だから、恭子に迷惑かけてないか心配してたんだけども、その様子なら、心配いらないみたいだね」
「うん、いつも私の方が助けられているくらいだよ。本当に助かってるわ」
「まったく、私ら姉妹そろって、恭子の面倒みる羽目になるとはね」
「へいへい、申し訳ありませんねぇ〜」
間抜けに答える私を見て、明子はケラケラ笑い、
「よかった。落ち込んでるんじゃないかと思ってたけども、もう平気みたいだね」
私を気遣う彼女の言葉に、目頭が熱くなる。私と母との事をよく知っている彼女だからこそ、私の心情を察してくれていたのだろう。
学生時代からのつきあいとはいえ、何ともありがたいことだ。
「あんたの元気な顔見て安心したよ。もう、手遅れだけど、彼に会ってやってくれる?」
「え?」
言うと明子は、公園入口あたりの方に手を振って合図をした。
すると、そこの木の陰から小さな車椅子を押して、1人の男性が姿を現した。
車椅子には、彼の娘なのだろう、5歳位の女の子が、恥ずかしそうにモジモジして、こちらを見つめている。
一方、車椅子を押していた男性の方はというと、一瞬誰なのか分からなかったが、特徴のある口元のホクロで、彼が誰なのかがすぐに分かった。
「ま、まさか…………大介、なの?」
「久しぶり、恭子。いや、今は先生か?」
「昔通り、恭子でいいよ」
「そ、そうかい?」
苦笑いを浮かべ、照れくさそうにする彼。
今は結婚し、家業を継いだと聞いていたが?
「あんたの帰郷聞いて、私が連絡したのよ。ちょっと気まずそうにしてたけど、無理矢理連れて来たの」
「ホント、沢田さんには、いつも助けられてばかりだね。恭子と仲を取り持ってくれたのも、沢田さんだったし」
照れると、すぐに頭をかく癖は、昔から変わらない。
大介は私の方に向き、緊張しているのだろう、一度深呼吸をしてから、
「本当に久しぶり。元気で安心したよ」
「う、うん、大介もね」
嬉しいやら恥ずかしいやら、私も彼も、まるで初めて告白したあの日のように、お互い顔を赤らめていた。すると、彼が連れていた車椅子の少女が、彼の上着の袖を引っぱり、何やら訴えかけるような目をして彼を見上げた。
「おっと、ゴメンゴメン。恭子、娘の美也子だ」
「は、初めまして……………………」
紹介された彼女、美也子ちゃんは、上目遣いで恥ずかしそうに挨拶すると、すぐに大介の腕に抱きつき、恥ずかしそうに顔を隠した。
「コラコラ、せっかく写真の先生に会えるって、喜んでいたくせに」
「え?」
「僕が君と知りあいだって言って以来、美也子は君のファンになってね、写真集も全部集めているんだ。今日、会いに行く、って言ったら、絶対サインをもらうんだって、ここまでついて来たんだよ」
「そ、そうなの?」
お世辞か何かと思ったが、当人の美也子ちゃんは、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、モジモジしていた。
そしてよく見れば、私の処女作である、『北海道の絶景』を大事そうに抱えている。
「見ての通り、娘は足が悪くて、今まで九州から出たこともないんだ。
医者の話しでは、治療を続ければ歩けるようになると言われているんだが、本人に歩く自信がなくて、治療もなかなかすすまなかった。そんなときに、その本の写真を見た美也子は『いつかきっとそこに行くんだ』って、リハビリを、自らすすんで受けるようになってくれたんだよ。本当に君にも、その本にも感謝しているんだ」
彼がそう言うと、美也子ちゃんはおずおずと本を開いて、私の初作品『襟裳と大海原』のページを見せた。初めての北海道撮影旅行で、最南端の岬から雄大な太平洋を写した、あの写真である。
「私、ここが好き。こんな大きな海見てたら、何だか歩けそうな気がするの。」
満面の笑みで答える彼女。その瞳の輝きは、彼女に感動を与えた側の私の方が、逆に感動をもらったような気にさせてくれた。
「そうなんだぁ? 実は私もその景色が好きで、必ず何年かごとに行ってる場所なのよ。そうだっ。じゃあ美也子ちゃんの足がよくなったら、そこに連れてってあげようか?」
「ほ、本当?」
「うん、約束する」
私と指切りをする嬉しそうな彼女の顔に、大介の表情もほころんでいた。
私は改めて、この仕事に就いたことに誇りを感じた。
こんなにも見る人に感動を与えることができるなんて、写真家になって本当によかった。
ずっと自分を不幸せだと思っていたが、そんなことはない。
天国の姉と母も、こんな私のことを、きっと喜んでくれているに違いない。
そんな私に答えるように、公園の桜から花びらが、風に乗って舞い上がった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
急な事だったので、九州への帰郷はあっと言う間に終わってしまった。
だが、葬儀は悲しかった代わりに、私の人生において、いろいろなわだかまりも晴れて、それなりに有意義な数日間でもあった。
そして、思いもしなかったファンとの出会いは、私をさらに大きくしたような気がする。
母の墓前に最後の別れを告げて、東京へ帰ると、スタジオのみんなは私を笑顔で出迎えてくれた。
「先生、おかえりなさい」
「おかえりなさい」
「お疲れさまです」
「センセ、お土産はぁ?(←サワちゃん)」
しっかり者のハルちゃんやメグちゃん。少し頼りないけど、夜景撮影の達人マコトくん。そして、熊本土産の銘菓『いきなり団子』を買ってくるのを忘れ、ご立腹のサワちゃん。
そうだ。私にはここにも大事な家族がいる。
今度は私が、みんなを見守っていかなくてはならないんだ。
「みんな、次の函館の撮影会。絶対に成功させるよ」
『はいっ!!』
以前の、いや、以前にも増して気合いのこもった私の掛け声に、頼もしい家族達は元気に答えた。
桜と家族写真 京正載 @SW650
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