f−5/2 後悔
木之本から高速道路に乗り、私のバイクは九州を目指して疾走した。
昼に滋賀を出たので、熊本まではどんなに急いでも深夜を過ぎる。
よく考えれば、バイクを宿に預けて新幹線を使えばよかったと気付いたのは、すでに関門海峡を越えて福岡に入った後だった。
そんな事に気付かないほど、私は平静さを失っていたのだ。
深夜の九州自動車道を走る間、私の頭の中を、幼い頃の記憶が次々と過よぎっていった。その中でも一番印象的だったのが、家族みんなで出かけた、熊本城の花見であった。
父と母と姉と私。みんなが仲良く暮らしていた、一番平和だった頃の記憶。
その記憶があったからこそ、私は昔から熊本城が好きだったのだろう。
途中、熊本城があるであろう熊本市街の方を見るが、距離もあるし、この時間ではさすがにライトアップもされておらず、どのあたりに城があるのか分からなかったが、それでも何か感慨深いものが感じられた。
「昔は、よく花見に行ったっけ」
春になると、家族で熊本城の花見に行き、母の手作り弁当をよく食べたものだ。
あのときの卵焼きの味を、今日、琵琶湖で会った家族が思い出させてくれた。
母が作った卵焼きも、今日食べた卵焼きと同じように、幼かった私が食べやすいように、甘く味付けされていた。
あの頃の記憶は、何もかもが懐かしい。
「私にも、そんな時期があったんだ」
今まで何故、私はそんなことも忘れていたのだろう?
辛い記憶が、そんな幸せだった記憶を、封印していたのだろうか?
いや、そんなことはない。
私は確かに、全てを覚えていた。
ただ、何もかも忘れたかっただけなのだ。
姉との悲しい別れを認めたくないあまりに、全て一緒に忘れようとしていただけなのだ。
母とだって、実はそんなに不仲だったわけではない。
子供の頃、勉強の事で怒られるなんて、どこの家庭でもある話しではないか。
私はその事で母に反発をして、そしてあの日、姉は帰らぬ人となってしまった。
そんな不幸が重なり、いつの間にか母との関係もギクシャクしだしたのである。
気がついたときには、もう私と母との親子関係は、どうしようもないくらいに、バラバラになってしまっていたのだ。
「私も母さんも、本当はお互いを嫌ってなんていなかったんだ」
(きっとお母さんは、私なんかいなくなった方がいいって思ってるんだっ! 死んじゃった方がいいって思ってるんだっ!!)
あの日、憎まれ口を言う私の頬を叩いた姉の、悲しそうな一言が、今さらのように頭の中で何度も蘇る。
(そんなこと言わないで…………ね)
姉さんは分かっていたんだ。
私の心も、母の気持ちも、何もかも。
「やっぱり姉さんには、敵わないなぁ」
当時、小学生だった姉が、大人となった今の私にでさえ、とても大きな存在に思えた。
高速道路を下りて、懐かしい故郷の県道を走る。
実家までは、ここからさらに十数キロの県道を走らなければならない。
私が家出した頃にはまだなかったが、こんな田舎もだんだん近代化されてきているらしく、大きなマンションがいくつも建ち並んでいる。
母が運び込まれた病院は、そのすぐ近くに最近できた総合病院だ。
すでに面会時間ではないが、受付前に行くと、
「恭子…………………」
フロアで私を出迎えたのは、すっかり白髪の目立つようになった、年老いた父であった。まるで私が帰ってくるのが分かっていたかのように、父は私を見ても驚く様子もなく、昔同様に暖かい笑顔で私を受け入れてくれた。
「お父さん」
「おかえり、恭子」
私が東京で成功してからは、1〜2年に1度は帰郷するようにはしていた。
その度に、母と衝突ばかりしていたが、それでも父のフォローのおかげで、帰ってくることにさほどの気まずさは感じなかった。
だが、今は再会を懐かしんでいる場合ではない。
私は母がいるであろう、病院の上の階の方を見ながら聞いた。
「お母さんの様子は?」
父は表情を曇らせ、黙って首を左右に振った。
どうやら、あまりいい状況ではないらしい。
「ここにいても何だ、とりあえず病室においで。いろいろ話したいこともあるだろう?」
「うん」
照明が消えて、わずかに非常灯だけが灯る暗い廊下を、私と父は重い足どりで病室に向かった。
病室へ向かう途中、父は思い出話しでもするように、それでいて何故か私の方を見ず、
「おまえが家出をした日、母さんが妙に塞ぎ込んでいたのを覚えているかい?」
「えっ? ああ……………、うん」
その問いに、私も曖昧に答えた。
何を今頃そんな昔の話しをと思ったが、確かにあの日、母はいつもにも増して憂鬱そうな雰囲気だった。朝から酔い潰れ、あまりに雰囲気が悪そうだったので、あえてそんな母をさけ、大介とのデートの準備をしたのを覚えている。
すると父は、少し躊躇いがちにポケットから、1枚の紙切れを出して私に見せた。それは新聞の切れ端で、かなり昔の三面記事なのか、黄ばんだ紙に簡単な記事が三十行ほど記されていたが、何よりそこに添えられた写真に、私は声を詰まらせた。
「こ、これって…………………まさか?」
まだ十歳ほどの、幼さない子供の顔写真。
その顔が、死んだ姉にあまりにもそっくりだったのである。
記事の冒頭には『虐待死』の文字が見えた。
姉と同じ顔の子供と死の1文字が、私の胸を締めつけた。
「それは、おまえが家出した日の、朝刊の切り抜きだよ」
「え?」
「その死んだ子供は、母さんが以前勤めていたコンビニに、よく来ていたらしいんだ。ほら、何度が言ってただろ。雅子にそっくりな子供が、笑って自分に手を振っていたと。母さんはその記事を見て、実はその子は親しみで手を振っていたのではなくて、自分に助けを求めていたんじゃないのかって、ずっと悔やんでいたんだよ。母さんもその子が雅子に似ていたから、何かと親切にしていたので、その子も母さんになついていたそうだからね」
「そ、そんなことが……………………」
その話しを聞いて、私は何も言えなかった。
母は姉だけでなく、姉にそっくりなその子まで無くしてしまったのだ。
心に受けた傷も、大きかったことだろう。
そうとも知らずに私は、そんな母を残して家出をしてしまった。
「どうしようもない親不孝者だね、私は」
呼吸器と点滴をつけ、硬そうな病院のベッドの上に横たわる母の姿は、前に会ったときよりも、さらに老けて見えたのは気のせいではないだろう。
写真家の私の目は、何でも無意識に観察して見る癖があり、前に会った母の顔は鮮明に覚えている。
こんなにも急に、人が老け込むものなのだろうか?
思わずそう思いたくなるほどに、母の姿はすっかり変わってしまっていた。
「母さん…………………」
ベッドの枕元に立ち、私は声をかけた。
その声に反応するように、母は静かに眠っていた目をうっすらと開けて、傍らに立つ私をゆっくり見上げた。
その弱々しい視線を向ける母を、私は直視できない。
何で、こんなになるまで、私は母に何も言えなかったのだろう?
東京で、独り立ちするだけの度胸があった私が、こんな小柄な母にだけは、どうしても臆病になってしまう。
その気になれば、もっと早くに打ち解けることだって、できただろうに?
「き………………恭子?」
「母…………さん………………」
しばらく見ない間に、すっかり細くなってしまった手で、母は私の手を取り、
「本当に、バカな子だよ、おまえは………………。こんなにも親に心配させて…………」
声音を震わせ言う母の声は、悲しそうで、何故かそれ以上に嬉しそうに聞こえた。
「ゴメン……………、母さん」
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