f−3/4 弟子入り
1時間後、撮影を終えた私達は、再びバスで事務所への帰路についていた。
帰りのバスの中ではみんな無口になり、はたして自分達が撮影した写真を、山田先生からどう評価してもらえるか、そのことだけを考えているようだった。
もはや彼らの頭の中には、面接に受かるかどうかということは消え失せていたに違いない。
そんな中にあって、私は他の人達と違って、むしろリラックスさえしていた。
どうせダメに決まってる。
安物のカメラで、基礎知識もなく、ずぶの素人である私の作品が受かることなど、ありえないだろうから。
「次の仕事を探さなきゃ………………」
私は窓枠に頬杖をついて外を眺めた。
信号待ちの間には、電柱などに貼られた仕事の募集広告を探したりもしたが、なかなかいい仕事は見つけられない。
財布の中には、とりあえずアルバイト情報誌を買う程度の余裕は残っていた。
しかし、中卒でまだ15歳の私に、この大都会で仕事など、そう簡単に見つかるわけはない。見つけても、住む場所やしばらくの生活費等の問題もある。
今回の面接を受けようと思ったのも、泊り込みの文字に魅かれただけなのだ。
「もっと、私に向いた仕事があるといいんだけど……………………」
そうこう思案している間に、バスは最初いた上野の事務所に到着した。
このまま私だけいなくなっても、別にかまわないだろうが、山田先生とは先日、皇居で少し立ち話しをした間柄だ。
何も言わずに帰ってしまうのは、あまりに失礼だろうから、一応は面接の結果だけでも聞いてから、失礼することにした。
事務所へ帰ると、すぐに1階のラボで、私達が撮影したカメラの、フィルム現像が始まった。すぐにプリントもできるらしい。
待っている間も、私以外の全員、落ち着かないのだろう、事務所の椅子に座って貧乏揺すりしている者や、部屋の中を歩き回っている者、自分のカメラをいじくり、緊張をごまかす者など様々だった。
その様子を、落選確実な私だけが、この後の予定を考えながら、窓から外を眺めていた。
時刻はすでに5時を過ぎている。
空虚なこの部屋の中で、無駄に過ぎていく刻を、事務所の時計が示していた。
今日はもう、別の仕事を探す時間はない。
「夕食は今日もアンパンかな……………」
東京に着いたときより、かなり軽くなった財布の中身と相談しながら、夕食メニューを決めた。昨日も一昨日も同じ内容だが。
しかし、今日はしのげても、明日以降はかなりきびしい。もって、後3日くらいか? そこから先は、どうやってしのごう?
現代日本で飢え死になんて、あまり考えたくもないが、このままではそうなってしまうのも時間の問題だ。
(ホント、なにやってんだろ、私。受かるわけないのに…………………)
窓の外の、夕日に紅く染まるビルを見ていると、虚しさが増してくる。
このとき私は、明日こそ本当に、実家に電話をしようと思った。
父に言えば、きっと迎えに来てくれるに違いない。
そして、イヤだけど母に謝ろう。
何か東京土産の一つも持って帰れば、少しは許してくれるかもしれない。
(…………まさか、ね………………)
私を嫌っている母が、そんなことで私を許してくれるわけがないではないか?
きっと『あんたがいなくなって、晴々してたのに』、とか言われるのがオチだ。
そう思うと、電話する意思がまた鈍ってくる。
虚ろな目で部屋の天井を見上げる。
白い天井にできた小さな染み汚れが、不思議と気になった。
それはただの汚れであって、そのもの自体に何の意味もない。
意味も何もないその汚れは、今の私と同じようなものだ。
意味のない私がどこでどう死んでも、誰も何とも思わないだろう。
(死んでもいいの? 惨めに、誰も知らないこの街で、たった1人で死んでも?)
心の中のもう1人の自分が言った。
(いいよ死んでも。どうせ私なんかが死んでも、誰も悲しまないもの!)
(ホントに? ホントにそれでいいの?)
(……………………………………)
自分自身の問いに、自分でもその答えが見出せなかった。ただ、
(イヤだ。イヤだよ………………………)
いつの間にか私の目に、涙が溜まっていた。
惨めさと悲しさで、泣き出したかった。
でも、そんな自分もイヤだった。
私は頭を振って、そんな自分をごまかした。
でもこの先、私は本当にどうなってしまうのだろう?
今も人目を忍んで、公園などに隠れるようにして、野良犬のような日々を送っている。
もはやいつ、どこでのたれ死んでも、おかしくはない状態なのだ。
(こんなことになるなんて、今まで思ってもいなかった。少なくとも、熊本で平和に暮らしていた頃には………………………)
平和に暮らしていた?
いつも何かと母からグチグチ小言を言われ、自分の存在価値を否定され続けた、日々が?
いや、今にして思えば、あれでもまだ私には生きる希望だけはあった。
孤独で誰も頼れない今に比べれば。
父も明子も、そして大介も、誰も気心の知れた人がいない、ここでの暮らしに比べれば。
(私は………………………………)
思わず唇を噛みしめ、自分がどうすべきか考えた。
でも、今の状況で何ができるのかが分からない。
何もできない自分が悲しかった。
(………………やっぱり明日こそ、父さんに電話しよう。どんなに怒られてもいい。母さんに、どんなにバカにされてもいい。家に、姉さんがいた熊本の家に帰るんだ…………)
そう心に決めると、そこへようやく今日撮影した写真ができあがったようで、山田先生と編集者の人が、写真が入った封筒を手に事務所に入ってきた。
それを待ってましたと、他の面接希望者達は一斉に椅子から立ち上がり、まるで軍隊の新兵ように直立不動で出迎えた。
すでに面接を諦めていた私は、少し遅れて立ち上がり、先生におじぎだけした。
もはやこれは面接というより、撮影会の作品審査と言った方がいい。
出来上がった全員の作品を、山田先生が1枚ずつ審査し評価していく。
その様子を、私もみんなの輪から少し外れて、審査されていく写真を見ていた。
当時、写真の基礎も分かっていなかった私には、それら全てが素晴らし作品に見えた。
土煙をあげて疾走する躍動的な白馬や、眼光鋭く刺すような目でこちらを睨みつける鷹。咆哮をあげて今にも飛びかかってきそうなライオンに、動物園であって意外な狙い目なのか、園内の道にいた鳩が優雅に舞う姿など、普通に動物園を見ていただけでは、こうも迫力のある動物の生態に、気付くこともなかっただろう。
どれもみんな、感動的な写真であった。
それらをまとめただけで、かなり立派な動物写真集ができ上がりそうな気さえする。
だが、それらを審査する山田先生は、まるで何も感じないといった顔で、次々とそれらの写真を机の脇に置いてボツにしていった。
普段からもっとすごい写真を見ているからだろうか、表情もいたって平静だ。
すると、
「おっ?」
突如、山田先生の手が止まった。
私の位置からは、どんな写真を見ていたのか分からなかったが、先生はしばしその写真を眺め、隣にいた出版社の人にもそれを見せ、
「どうよ、これ?」
「いいっすね。いや、これは面白い」
と、感嘆の声をあげた。そしてもう1人の審査員にも見せると、
「こりゃ、傑作だぁっ」
と、こっちはいきなり笑いだした。
それにつられるように、さっきまで不機嫌そうな顔をしていた山田先生まで笑いだした。
「誰だい、この写真を撮ったのは?」
山田先生がかかげたその写真に、全員の視線が集中した。
それは、間抜けな顔でこっちを見つめる、ダチョウの顔のアップであった。
間違いなくそれは、私が撮ったものである。
恥ずかしいけど、私はおずおず手を上げ、
「そ、それ……………私が…………」
「そうか、君か? 確か烏丸君だったね? いやあ、傑作傑作!」
先生は、再び大声で笑いだした。
それを私は顔に出さず、心の中で憤慨した。
(な、なにもそんなに笑うこと、ないじゃない………………………)
でも、そんなひどい写真なのだろうか?
自分なりにいい出来だと思ったのに。
まあいいさ、どうせ素人が撮った写真だ。
笑いたくば笑え。旅の恥はかき捨てだ。
私は明日、九州に帰るんだ。どんなに笑われたってかまうものか、と思っていると、
「よし。君、採用決定っ!」
「……………………え?」
訳が分からない私は、その写真のダチョウに負けないくらい間抜けな顔で言った。
次の日には私は、スタジオ4階にある六畳一間、ユニットバスにエアコン付という、昨日までとは比べ物ならないくらいに、快適な環境の部屋にいた。
何より、もう雨露を気にしなくていいのはありがたかった。
でも…………………、
「ホ、ホントにいいのかな?」
何故、私は今ここにいるのか、何でこんな事になったのか、いまだによく理解できず、部屋の隅で所在なげに佇んでいた。
あの面接の後、私は殆ど無理矢理にこの部屋に通されたかと思うと、出版社の人があれこれ準備を済ませてくれたので、自分では何もしないのに、いつの間にかこの部屋の主にさせられてしまっていたのである。
この街では小さい部屋かもしれないが、ここ数日の間、宿がわりに使っていた公園のトイレどころか、実家にある私の部屋より広くて奇麗で使いやすい。
本当に、こんな素敵な部屋に、私なんかがいてもいいのだろうか?
私は家出人の上に、写真関係の仕事は未経験だし、今は偽名まで使っている。
もしもそれがバレたらと思うと、恐ろしくてとてもくつろぐ気になどなれない。
嘘をついているという後ろめたさに、胸が張り裂けそうな心地でもあった。
本当の事を言うべきかどうか悩んでいると、突然ドアがノックされ、思わず私は悲鳴をあげてしまった。
「どうだい。気に入ったかね?」
訪ねてきたのは、山田先生だった。
私が1人で住む事になって、心配して覗きに来てくれたようだが、その私はまだ本当の事を言う決心がついておらず、バツが悪くて視線を泳がせた。
「ふむ、戸惑っているようだね。無理もないが、まあ楽にしたまえ」
「で、でも私、あんな写真で……………、それに…………………………」
それに、私は家出人で、素人で、と言いかけて、思わず口ごもる。
本当のコトを言う決心が、勇気がなかった。
黙っていれば、この奇麗な部屋で暮らせるんだ。
もう野宿なんてしなくていいんだ。
そう思うと、どうしても事実を言えなかった。
私のその思惑を知ってか知らずか、山田先生は部屋の窓から外を眺め、
「まあ、そう気にすることはないよ。あれはあれでいい作品だった」
「そ、そうでしょうか?」
「ダチョウのような気性の荒い鳥の、あんな自然な顔なんて、そうそう撮れるものではないよ」
「…………………………………」
「でもまあ、写真の構図も悪かったし、ピントも合っていない。もし撮ったのが私だったら、間違いなくゴミ箱行きだったがね」
「あう…………………やっぱり……………」
何を期待してたのか、私は写真のダメだしをされて、ガックリと肩を落とした。
「で、でも、だとしたら何で私なんです? 他の人の方が、よっぽど…………」
「そう思うかね?」
「え?」
「確かに、他の写真の方が出来はよかった。でもね、どれも普通すぎるんだ」
「そ、そうでしょうか? 素人の私が言うのも何ですが、どれも素晴らしい作品だったと思うのですが? 特にあの馬の写真なんて、今にも画面から飛び出して来そうな迫力だったと、私は感じましたけども……………?」
「いや、まあそうだろうけどね」
「?」
「でもね、写真の基礎を踏まえていれば、あれくらいは撮れるものだよ。後は撮る人間の感性というか、センスをいかに作品に反映させるかが問題なんだ」
言われて、私は写真の奥の深さを知った。
あんなにも私が感動した、他の面接希望者の作品でさえ、山田先生に言わせれば、普通によくできた程度に過ぎないのだ。
「君、烏丸君でいいかい?」
「え、あ、はい………………」
「君はまだ、写真をよく分かってはいない。だが、才能はあると、私は思うんだよ」
「……………………………」
「昨日、他に面接に来た希望者も、それなりに腕のある者達ではあったが、すでに基礎を知っている彼らに、これ以上は特に教えるべき事などありはしない。そこから先は、自分達で見つけるしかないのだ。撮り方にも、それぞれのスタイルというものがあるからね」
そう話す山田先生の顔は、先日の面接のときとは別人のように穏やかだった。
そう、前に皇居の前で会ったときのように、優しい老人の顔だった。
私が先生の顔に呆気にとられていると、
「君は……………」
「は、はいっ?!」
「君は私と一緒に、写真を学びたいかね?」
いつの間にか、いや、恐らく本当はそういう顔なのだろう、山田先生は写真家としての厳しい顔にもどって、私を見据えて聞いた。
仕事に厳しいプロの目は、いいかげんで自分勝手に生きてきた、私の心の奥まで見透かしているかのようだった。
「あ………………わ、私は……………」
その視線のプレッシャーに、私はどう答えていいのか分からない。
いきなりそんなことを聞かれても、自分の将来とか進むべき道なんて、今まで本気で考えたことなどなかった。
とにかく今は、今日明日をどうやって生き抜くか、実家に帰るか東京に残るかべきか、そのことしか頭になかった。
それ以外の事を、考えるだけの余裕など全くなかった。
何も、写真家になりたいワケではない。
それどころか、何が何やらサッパリ分からない写真の世界に、それほど興味もなかった。
しかし、
「よ……………よろしくお願いします」
私は何故か、そう答えていた。
自分でも何を言っているのか分からない。
山田先生の迫力に気圧されたからか、それともこの話しを断り、再び路頭に迷うのが恐かったからかもしれない?
しかし、私の写真家としての人生が、この日から始まったのは間違いない。
写真家、烏丸恭子(仮名)の誕生である。
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