f−2/2 恭子 学生時代の春
姉の葬儀も終わり、夏休みも過ぎて、2学期が始まっても、母はずっと気が抜けたように、落ち込んだままだった。
例年通りなら2学期の前日には、私にちゃんと夏休みの宿題をやったかどうか、しつこいくらいに聞いてくるのに、今年は何も言ってはこなかった。
言われるのはイヤだったが、言われないのはもっと辛かった。
「い、行ってきます」
「…………………………………」
学校に向かう私を、母は黙って見送った。
もはや、姉のいない我が家では、子供がいないも同然と感じているのだろうか?
(やっぱり私は、いらない子供なんだ)
いつ頃からか我が家では、家族の中での会話というものが、殆どなくなっていた。
それから6年、私も中学3年生になり、母も少しは姉の死から立ち直れたようであったが、それでも私との間の、何かギスギスしたような間柄は、相変わらずだった。
どうしてもお互い打ち解けず、何か話しかけようとするだけで、視線だけは無意識にそらしてしまう。
こんなことではいけないと分かっていても、どうすることもできなかった。
父が仕事で留守のときは、まるで通夜のように家の中は静まりかえっていた。
そんな私達を、父は何とか和解させようと思っていたようだが、人間関係において不器用な父には、どうすることもできなかった。
私は日に日に母を避けるようになり、母はアルコールに頼るようになった。
そんな母を、私も父も黙って見ているしかなかった。
家庭崩壊とは、我が家のような家族のことをいうのだろうか?
母と一緒にいるだけで、私はまるで針のむしろにでも座っているような心地だった。
本当に、姉がいた頃がなつかしい。
今になって、改めて姉の存在の大きさを、私は感じていた。
そんな私が非行に走らずいられたのは他でもない、親友の沢田明子のおかげである。
そう、私の仕事のアシスタントをしているサワちゃんの姉、サワちゃん1号だ。
彼女の存在は、何より心の支えであった。
しっかり者の彼女は、死んだ姉とイメージが重なるところがあって、私は何かと悩み事があると、彼女に相談することがあった。
もちろん、死んだ姉のことや家庭の中でのもめ事は内緒にしていたが、そんなある日、
「ところで、恭子には彼氏っているの?」
昼食時間に、突如、明子は菓子パンを食べながら、まるで世間話しでもするかのように聞いてきた。
唐突に変なことを言うものだから、私は飲みかけていた牛乳を吹き出し、
「な、な、な、何をいきなり??????」
慌てて間抜けな声をあげた。
気まずさと恥ずかしさで、顔が赤くなっていくのが、鏡を見なくても分かった。
「まぁまぁ、何もそんなにビックリするような質問でもないでしょ?」
「そ、そりゃそうだけど…………………」
「で、どうなの? 彼氏はいるの?」
「そんなの、言わなくても明子は知ってるでしょ。いるわけないじゃない」
「うん、やっぱりね。いるわけないか」
「あ〜き〜こ〜っ!!」
あまりと言えばあまりの言葉に、私が顔をしかめると、何故か彼女はニタニタ笑って、
「メンゴメンゴ。ちょっと確認しただけ」
「で、何? 私に彼氏がいちゃあ、いけないの?」
「そうじゃないよ。恭子ってば、何だかいっつも暗いから、恋の1つでもすれば、少しは明るくなるんじゃないかと思ってね」
「暗い女で悪ぅござんした」
プイッ、とそっぽを向いて、クリームパンに口をつけた私に明子は、
「まあまあ。そんなモテナイ君の恭子に、朗報があるんだけど」
と、もったいぶりながら、私が予想もしていなかったことを言った。
「実は隣のクラスで、恭子に気があるっていう、物好きな男子がいるんだけど」
「え?」
私は思わず我耳を疑った。こんな美人でも何でもない、メガネっ子の私に、そんな?
「ウ、ウソでしょ? 今日は4月1日じゃないわよ。私をからかってるんでしょ?」
間抜けに取り乱した声で聞く私に、彼女は何故か感慨深げに腕組みなどし、
「まあ、世の中にはマニアな人っているんだなぁ〜って、私も感心してんのよ」
「わ、悪かったわねぇ……………」
言うが、思いもよらぬ話しに、私の鼓動は早鐘のように鳴っていた。
「で……………誰なの、そのマニアって?」
私はまるで『興味はないけど、一応聞いといてあげるわ』と、いったようなそぶりで、明後日の方を向いて彼女に聞いた。
すると明子はニヤニヤ笑い、
「うふふふ、聞いて驚け、この幸せ者ぉ!」
私の頭にヘッドロックをかけて言った。
「C組の佐藤君だ、チキショーッ。羨しいぜコノヤローッ!!」
「ちょ、マジッ? ホントにホントなの?! 佐藤君って、あの佐藤大介君?」
佐藤君は全校でもかなりのイケメンで、私も秘かに好意を抱いていた相手だった。
私の他にも、何人か彼を狙っている女子がいるらしいのだが、今は誰とも付き合っていないらしい。
その佐藤君が、私に?
私は明子のヘッドロックから逃れ、逆に彼女の首を両手で絞めあげて聞いた。
「明子、いい? そういった冗談は、マジで相手を傷つけるのよ。もしもウソだったら、本当に孫の代まで祟るからねぇ!」
「ホ、ホントだって。C組にいる私の従兄弟が、本人から聞いたんだからっ!」
私に前後にブンブンゆすられ、彼女は頭をガクガク揺らしながら答えた。
それを聞き、私の顔の筋肉が緩んだ。
「あ、あははは……………………………」
思わず笑みがこぼれる。
こんなにも気分が高揚したのは、何年ぶりだろうか?
姉の死後、何かと暗い家庭環境のせいか、私も普段から陰に籠ることが多かった。
だが、こんな私にもやっと春が来たのだ。
ニヤける私に明子は、私と同じような顔でニヤニヤしながら、
「ヘェ〜、恭子でもそんな顔、するんだ」
「え、ど、どういうこと?」
嬉しさに心ここにあらずだったが、私は一応平静を装って聞いた。
明子は、一旦ため息をついて、
「あんたも女の子なんだ、ってこと」
「な……………何よぉ?」
「恭子ってばさ、私の前では明るく振る舞っているけど、本当は何か辛いことが、あるんじゃないの?」
「……………………えっ?」
「本当は泣きたくてたまらないのに、無理をして笑ってるの、分かってたよ」
「……………………………………」
見透かされていた。
私の本当の心を、彼女に、親友の明子には全て見透かされていたのだ。
「何があったのか知らないけど、初めて会った頃からさ、何て言うのかな、恭子の態度には妙な違和感があったのよね。私達の前では本当の自分を隠して、陽気な仮面を被ってる。そんなふうに見えてたよ」
言って明子は、笑顔で私の肩を叩いた。
「悩み事があるんなら、何でも話してよ。私達、友達なんだからさ、相談くらいは聞いてあげるって。話してみたら、少しは気分も楽になるかもよ?」
その言葉に、私の目じりに涙があふれた。
「あ……………明子………………」
「あ、でもお金の話しだったらパスね。私ってば今月、ピンチなんだから」
「…………バカ…………ありがとう」
暖かい彼女の言葉に、私は胸の中に熱いものがあふれ、嬉しさに涙が頬を濡らした。
嬉しくて涙を流したのは何年ぶりだろう?
その頃の私にとっては、明子はただ1人の友達と呼べる存在で、家族よりも近い存在であった。
その後、私はこれまでの家庭の事情を、彼女に全て話した。
私のせいで死んでしまった姉のこと。
それがきっかけで、母とはずっと気まずい関係が続いてしまっていること等々。
聞き終えて明子も、何かしらのショックを受けたみたいで、いつもの能天気な彼女からは想像もできないほど、表情を曇らせていた。
「ゴメンね、恭子。そんな辛い話し、私になんかしたくなかったでしょ?」
「ううん、そんなことはないよ。聞いてくれて、何だか心の中で支えていた何かが、取れたみたい。ホント………………ありがとう」
私は彼女の胸の中で嗚咽した。
その日の放課後、私は彼女からの紹介で、佐藤君と初めて話しをすることができた。
「あ、あの………………は、浜野恭子です。よ………よろしく…………………」
待ちあわせの体育館裏で、憧れの彼を前にモジモジする私に、明子の冷やかす声がする。
「ヒューヒュー、見てられないよぉ、お2人さ〜ん!!」
「う…………、うるさーいっ!」
「おお〜、恐い恐い」
明子は戯けて言い、「後はお若いお2人で」と、お節介な仲人のように、そそくさと去って行った。
何気なく佐藤君の顔を見ると、彼も照れくさそうに、顔を少し紅潮させていた。
私は声音を震わせ、
「えと、そ、その…………………」
言いかけたが、そこから先が出てこない。
頭の中が真っ白になりかけたが、
「あ、あの、そんなに硬くならないで」
言いたい言葉が声にならない私に、佐藤君は優しく声をかけてきてくれた。
その一言に、私も少しは落ち着きを取り戻すことができたが、それでもまだ心臓は高鳴ったままだ。校庭を10周でもしたかのように、全身汗まみれになっていたが、それさえ今は気にはならなかった。
いつまでもオドオドしている私を見て、彼は苦笑いをうかべ、
「浜野さん、僕とお付き合いしてもらえませんか?」
夢のような彼のセリフに、私は本当に夢でも見ているのではないかと思った。
「……………はいっ!」
答えると、すぐ背後の体育館の影から、明子の歓喜の声が聞こえたが、その声も殆ど私の耳には聞こえなかった。
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