f−2 消せない過去
f−2/1 さよなら、お姉ちゃん
その後、私はサワちゃんと宿の女将に礼を言いに行った。
女将も私を心配して、近所の病院を紹介してくれたが、あまり迷惑をかけるのも何なので、ちょっと目まいがしただけだからとそれをに断り、その後でもう一度風呂に入って、自分の気持ちを落ち着かせようとした。
露天風呂に浸かり、夜空を見上げる。
この季節のこの時間なら、東の空に夏の星座が見えると思ったが、湯煙でよく見えなかった。
久々に天体撮影でもと思ったが、あいにく赤道儀(天体の動きを追跡する雲台)を持ってきていないので諦める。
他に何か面白い被写体はないものかと、湯の中であれこれ考えたが、なかなか思いつかなかない。
思いつかないが、それでも必死に考えた。
仕事のことを考えることで、さっき思い出した幼い頃の記憶を、忘れたかったのである。
少しでも他のことを考えることで、気持ちをまぎらわせたかった。
だが、あの日のことを、どうして忘れることなどできよう?
「ごめんね……………お姉ちゃん………」
いつの間にか私は、湯の中で声をあげて泣いていた。
風呂から上がり、脱衣所の椅子に腰掛けて扇風機にあたる。
泣いたことで、少し気分が落ち着いてきたようだった。
私はぼんやりと脱衣所の壁を見つめ、
「今年は、墓参りに行こう………………」
ふと、そう思った。
※※※※※※※※※※※
悪ふざけのせいで、姉とはぐれてしまった私は、姉を必死に探したが、どうしても見つけることができず、仕方なく大急ぎで家に帰って、そのことを両親に話し、一緒に探してもらった。
しかし、どんなに探しても姉は見つからず、夜店の人にも聞いてまわったが、消えた姉の姿を見た者は、誰一人いなかった。
その後、姉の捜索依頼を出した警察から連絡があったのは、次の日の朝だった。
電話を受けて、急いで現場の神社の裏へ行くと、何人もの警察官や白衣を来た監察医らが、慌ただしく右往左往している。
縁日があった神社の、裏にある小さな沼。
昼間でも殆ど日が射さず、鬱蒼と茂った雑草で周りがよく見えない、不気味な場所だ。
私はその現場で、呆然と立ち尽くす父の袖を引っ張った。
「お、お父さん、お姉ちゃんは? お姉ちゃんはどこぉ?」
姉が見つかったと聞いて急いで来たのに、姉らしき姿がどこにも見当たらない。
本能的に、何かとんでもないことになっていると感じていたのか、自分でも声が震えているのが分かった。
「ねえっ、お姉ちゃんはっ?!」
すでに私は泣き出していた。
最悪の結果を感じ取っていた。
そして、残酷にもその予想は当たっていた。
しばしして、警官達が担架を持って現れ、神妙な面持ちで1人の警官が、両親に言った。
「お気の毒ですが…………………」
そして、担架に乗せられた小さな遺体を、2人に見せ、両親はその場で泣き崩れた。
姉の死因は水死だった。
現場の状況から、姉は私が迷子になったものと思い、こんな薄暗い場所まで探しに来たところ、うっかり足を滑らせて、沼に落ちてしまったらしい。
子供だった私には、姉の死に顔は見せられなかったが、父と母の様子を見れば、だいたいの想像はついた。
泳げない姉は、汚い沼の水を飲んで、苦しみもがいて死んだのである。
きっと、酷いことになっているのだろうと。
「ま、雅子ぉぉぉっ!」
警察署地下の霊安室で、姉の小さな遺体を前に両親は泣き続け、私はそんな家族を、放心状態で少し離れた場所から見ていた。
姉や両親のそばに、近付く勇気がなかった。
姉のそばに近寄る資格が、私にはないような気がした。
それもこれも、私があんなつまらない悪戯をしてしまったせいなのだ。
あの優しかった姉が、大好きだった姉が、私のせいで死んでしまうだなんて……………。
幼心にも私は、自分の犯した罪の重さに、本当にどうにかなってしまいそうだった。
悲しくて、狂いだしそうな気分だ。
私が放心状態でいると、母は姉の遺体にすがりついて泣き叫んだ。
「な、何故、雅子がぁぁっ?!」
母のその一言に、私は心臓がえぐり取られるようなショックを受けた。
(何故、恭子ではなく、雅子の方が死んでしまったの?)
私には、母がそう言ったように聞こえた。
母も、そんなつもりで言ったのではないだろう。でも、私にはそう思えてならなかった。
(…………………そう………だよね)
霊安室の隅で、私はうなだれ涙を流した。
私の方が死ねばよかったんだ。
優しくて頭が良くて、美人で何でもできる姉と違って、何の取柄もない私が死んだ方が、きっとよかった。
私なんか、この世にいたって仕方ないんだ。
そう思うと、その部屋にいることさえ、私には耐えられなかった。
気力なく、トボトボと霊安室を出たところで、私は我慢できずに声をあげて泣いた。
静かな廊下に、私の泣き声が虚しく響いた。
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