f−1/4 祭りの夜

  - 27年前 夏 -


「お姉ちゃん、縁日に行こうよぉっ!」

夏休みのある日、私は宿題もそこそこに、近所の神社のお祭りに出かけようと、国語の宿題の真最中だった姉を誘った。

「うん、これが終わったらね」

姉は鉛筆をノートに走らせながらも、わがままにねだる私を、なだめるように言った。

父から小遣いをもらった私は、早く縁日に行きたくて行きたくて、うずうずしていた。

早く姉の宿題が終わらないかと、机の横を動物園の熊のように、ウロウロ歩きまわりながら、無言で催促をする私に、姉は苦笑いをうかべながらも、ちゃんと宿題を済ませ、

「じゃあ、行こうか?」

「うんっ!! 行こう行こうっ」

私は自分の宿題がまだなことも気にせず、浴衣に着替え、姉と手を繋いで出かけた。


 こんな田舎でも、お祭りの縁日は市内のお祭りと同じようなもので、金魚すくいや輪投げ、綿菓子などの店が、神社の参道沿いに、所狭しと並んでいた。

暗い夜の境内の参道が、いつもと違って今日ばかりは、とてもにぎやかで明るい。

この神社の裏山には深い森があり、そのせいで昼間っから薄暗く、境内の裏にでも行こうものなら、本当に妖怪でも出てきそうなくらい、普段は不気味な所だった。

その森には汚い沼があり、河童が住んでいるという噂まであったほどである。

だから私は、ここには殆ど来たことがない。

縁日ででもなければ、たぶん来たいとも思わなかっただろう。

「わ〜い、お姉ちゃん、こっちこっちぃ」

私は姉の手を引っ張って、縁日の中を駆け回った。

この日ばかりは、いつもの母とのコトも忘れ、無邪気に楽しむことができた。

姉と一緒に金魚すくいをし、一緒に色違いの綿菓子を並んで食べた。

輪投げで景品のキャラメルを狙ったが、思ったように入らず、残念そうに私がぐずっていると、姉が代わりに景品を取ってくれた。

「ありがとう、お姉ちゃん」

「ホント、恭子はお菓子が好きね」

「えへへ」

私は笑って、その景品のキャラメルを、後で姉と一緒に食べようと思い、マンガ本の付録でもらった、少女マンガのポーチに入れた。

その後、一回りし終えた頃、私はある一軒の屋台を見つけた。それは、とてもおいしそうなリンゴ飴の店だった。

他にもリンゴ飴の店はあったが、そこで売られていたリンゴ飴は、他の店のよりも大きくて、とてもおいしそうに見えた。

だが、それまでにお小遣いを使い果たしていた私には、そのリンゴ飴を買うお金がない。

「う〜………………」

店の前で、物惜しそうに私が見ていると、

「仕方ないわねぇ」

姉は肩をすくめて財布を取りだした。

少し古い、ビニール製のピンクの財布。

姉は財布の中身と、リンゴ飴の値段を交互に見て、少し思案してから、

「おじさん、それとそれ、下さい」

と、大きなリンゴ飴と、小さなヒメリンゴ飴を買った。そして

「お姉ちゃんも、もうお小遣い使い切っちゃった」

そう言い、私に大きい方のリンゴ飴をくれた。

「え、え、で、でも………………?」

私は本当にもらっていいのか戸惑った。

買ったのは姉のお金でだし、姉の方が年上なのだから、大きい方のリンゴ飴を取ればいいのに、と。

「だって恭子、リンゴ飴好きでしょ?」

「うん………………でも…………………」

「いいからいいから。さ、食べよ」

言って姉は、小さなリンゴ飴を頬張った。

「ん、おいし♥」

それを見て、私も少し躊躇しながら、姉が買ってくれたリンゴ飴に口をつけた。

「おいしいっ!」

口の中に、飴とリンゴの甘い味が広がる。

そのあまりのおいしさに、私は思わず口を大きく開けて、もう1口かぶりついていた。

すると、

「はいっ、恭子、そのままそのままっ♥」

姉は愛用のカメラで、口をあんぐりと開けた、私の顔写真のアップを撮った。

去年の誕生日に、姉が父に買ってもらった、人気マンガの猫が描かれたトイカメラだ。

姉はそのカメラを本当に大事にしていて、いつも持ち歩いていた宝物であった。

そのカメラの、一瞬光ったストロボの眩しさに、私の目の中がチカチカした。

「やだぁ、変な顔、撮らないでよぉっ!!」

「あははは、ごめんごめん」

姉は悪戯っぽい笑みをうかべてから、小さなリンゴ飴を頬張った。

その後、もう少し縁日を見物してから、私達は帰宅するつもりだった。

でも、さっき姉に間抜けな顔の写真を撮られたことを思い出し、私はちょっと仕返ししてやろうと、つまらない悪戯を思いついた。

人垣の中の少し前を歩く姉に気付かれないよう、私は屋台の脇に入って隠れたのである。

私がいなくなって、きっと姉は私が迷子になったと思い、驚くに違いない。

案の定、姉はいつの間にかいなくなった私に気付いて、

「き、恭子、恭子ぉっ?!」

姉はいつになく慌てふためき、あたりをきょろきょろと見渡した。

その様子を、私は金魚すくいの屋台の影からこっそり盗み見ていたが、その姉の表情は、私が今までに見たことのないほどに、絶望にくれているように見えた。

「お、お姉ちゃん、そんなに私のこと、心配してくれているんだ………………」

姉に申し訳ないことをしたと思い、私は姉の前に出ていこうとすると、すっかり私が迷子になってしまったと思った姉は、血相を変えて神社の方へ探しに走って行った。

「恭子っ、恭子っ、恭子ぉっ!!」

「お、お姉ちゃーんっ、私、ここにいるよぉっ!」

私は姉に声をかけたが、周りの雑踏の声にかき消され、姉の耳には届かなかった。


   ※※※※※※※※※※※


 どれだけ意識を失っていたのだろう?

とても長かったような気もするし、一瞬だったような気もする。

次に気がついたときには、私は宿屋の部屋に戻って、サワちゃんに介抱されていた。

「あ、ゴメンね、サワちゃん。迷惑かけたかな?」

「本当に、どうしちゃったんです? 縁日のお店の人や、神社の人が宿の人に連絡して、やっとの思いで、ここまで運んでもらったんですから」

「ゴメンゴメン。ホント、サワちゃんにはとんだ迷惑かけちゃったみたいね」

「まったくですよ。先生が私に倒れ掛かってきたせいで、食べかけだったチョコバナナを落としちゃったじゃないですかぁ!」

不服そうに頬を膨らませ言う彼女だったが、その表情には安堵の色がうかがえた。

「ほほ〜、私よりチョコバナナの方が大事なわけね? まあ、いいわ。来月の給料、楽しみにしてなさいね。ふふふふふ」

「あ、そ、そんなぁ〜、私ってば今月、ピンチなんですよぉ!! いや、いっつもピンチですけどぉ!」」

「ふふ、仕方ないわね。じゃあ、今回だけは許してあげる」

「よ、よかった〜。で、でもホントに大変だったんですからね。倒れた先生、私一人じゃ運べないんで、そのとき目の前にあったタコ焼き屋のおじさんに先生運ぶの手伝ってもらおうと思ったら、先生の姿見るなり面倒くさそうに『重たそうからやだなぁ』、ですってぇ。ヒドいですよねぇ」

(な、何だとぉぉぉっ?)

「だから私言ってやったんです。どうせ本人気絶してるから、おっぱい触ってもいいよ、って」

(ちょっと待てぇぇぇぇぃ!!)

「そしたらそのおじさん、『中年女の貧乳に興味ねぇ』って失礼なコト………、先生、どうしたんです? 眉間ピクピクさせて?」

「そのタコ焼き屋、後でぶっ飛ばす! でもってサワちゃん、やっぱ減給」

「な、何でぇぇぇぇぇ????????」

涙目で絶叫するサワちゃん。

ええ〜い、しばらく反省してなさいっ!

そんなことよりも、

  ……………お姉ちゃん………………

今夜の縁日で、私はすっかり忘れかけていたあの日のことを、思い出してしまった。

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