第6話 経理部の雷久保さん
風と雨が吹き付ける中、びしょびしょに濡れながら倉庫の前に着く。
視界が悪くもなんとか鍵を開けて、扉を押した瞬間、閃光が走った。
いっとき遅れて轟音が響く。
「お前ら…なにしてんの?」
その雷の光で一瞬、室内が露わになった。
衝撃的な光景を目の前に、思わず言葉がごぼれる。
「腕ひしぎ十字固めえええ!!」
「いてえええ!!死ぬ死ぬごめんまじごめん!!」
そこには
五十嵐は相当痛いらしく、謝りながらバンバンと床を叩いている。
(なにこれ…)
こちらに気がついた結子が、技を解いてこちらにかけよってくる。
「あっ開いた!晶ちゃんありがとう!」
「うん…何があったの」
「なんか…女日照りが続いて頭がおかしくなっちゃったみたいだから、正常に戻すために技をかけといた」
「…そうなんだ」
五十嵐を見るとどこか口惜しそうな顔をしている。
結子はああ言ったが、それだけではなさそうだ。
「よく俺らがここにいるって気づいたな」
「ああ…晴間と同室の
「日頃の行いだね…」
「……」
結子は今日飲むつもりで大量の酒を購入し宿泊所に置いていたので、それを放ってどこかに行くのは有り得ないと雪本は主張していた。
(日頃の行いと言えば日頃の行いかな)
いっぺんにいなくなった結子と五十嵐の2人が直前に片付けをしていたという目撃情報があり、こうして倉庫まで確認しに来たのだ。
「雨すごいから大して役に立たないかもしれないけど」
2人に傘を持たせ、宿泊施設まで歩いて行く。
予想通りまるで海にでも入ったかのように全身ずぶ濡れになったが、
「恵理香ー!本当にありがとう!ところで夕飯は!?まだある!?」
「アンタ開口一番にそれ…?あるから先に風呂入って来なさいよ」
「はーい!」
雷久保にお礼を言って、結子と恵理香は女子専用のフロアに消えていった。
それをぼーっと見つめる五十嵐に、後ろからボソッと声をかける。
「ねえ。さっき晴間は五十嵐が頭おかしくなったって言ってたけど、なんかしようとしたの?」
「えっ…」
ドキリと五十嵐の動きが止まる。
そのまま斜め下を見て、ごにょごにょと言葉を発した。
「いや、ちょっとカワイイなと思ってキスしようとしただけだよ」
「立派な暴行罪だけど…」
「いや未遂だから!俺技決められたし!あっちの方が暴行罪だろ!」
「じゃあ2人はなんともなかったんだよね」
「ん?そうだけど…いやに突っかかってくんな。まさかお前晴間のこと…」
「違うよ。僕既婚者だし」
訝しむ五十嵐を一刀両断して、背を向ける。
五十嵐の様子が明らかにおかしい。
また面倒臭そうな展開になったものだ。
先を歩きながら、ふうとため息をついた。
(晴間のことが好きなのは、僕の部下だよ)
「晴間先輩に告白をしようとして…その焦りが先に立ってしまって、味がわからなくなってしまったんです」
部下からの意外な暴露に、雷久保は持っていた水を落としそうになった。
「晴間って…営業の?5年目の?」
「はい」
「え…?マジで言ってんの?」
「…?変でしょうか」
そんな反応を、
出雲は雷久保の直属の部下である。
バーベキュー中に出雲が倒れたと聞いて慌てて駆けつけたところだった。
どうも烏龍茶と勘違いしてお酒を飲んでしまったらしい。
大したことではなかったし、被害も何もなかったのでそれは些末なこと。
なんともなしに、味で気がつかなかったのかと聞いたところ、返ってきた返事は大事だった。
「俺は駄目な男ですね…。ちゃんと告白しようとしたのに、結局酒に負けて寝てしまって」
「ん?お、おお…」
寝た出雲を引きずってきた結子は様子が変だったので、何かがあったことは明白なのだが、どうも彼は覚えていないらしい。
(…うーん)
出雲のような男が、わざわざ結子のような女に惚れる。
100人中100人が有り得ないと言いそうだが、雷久保には出雲が結子に好意を持った理由は、わからなくはない。
出雲はとにかく真面目だ。
それは彼の最大の長所であり、短所だった。
思考は論理的で行動も効率的。
慎重な性格と高い集中力、潔癖とも言える心根。
経理においてそれは重要な役目を果たすが、日常生活においては彼は自身を面白味のない男だと自覚していた。
反面、結子はいつどこでも楽しそうだ。
友人も多く、どんな経験でも話のネタへと変えてしまう。
もちろん大雑把で適当という大きな短所はあったが、出雲には奔放な彼女が眩しく見えたに違いない。
(見る目がないって言うか、そもそもの女性のタイプがおかしいって言うか…)
雷久保がウンウン悩みながら、目の前の出雲を見る。
「一番ビビってるのは晴間だろうな…」
「!やはり可笑しいですか…。俺みたいな若造が、晴間先輩のような大人の女性に好意を寄せているなんて」
「い、いやそうじゃなくて」
「俺はやっぱり、遊ばれてしまったのでしょうか…」
「……」
(なにがあったのか知らないけど…何かあったんだろうなあ)
出雲は無表情だが、これはかなり落ち込んでいる時の表情だ。
長い付き合いの部下の鉄仮面の内側は大体わかるようになった。
どうにかしてあげたいが、仕事ではなく恋愛のことなので、本人達に任せておくのが一番良い気はする。
間に立って上手く立ち回れる自信はない。
(うーん…)
「じゃあ聞くけどさ」
少し考えてから口を開く。
出雲の瞳がこちらを捉えた。
「出雲から見て晴間は、人の心で遊ぶような人間なの?」
「それでは5年目と3年目の皆さんに日頃の感謝を込めて、乾杯!」
進行の掛け声で、一斉に大小様々な乾杯の声が響き渡った。
今日は5年目研修の2日目であり、3年目研修の1日目。
明日5年目は帰路に着き、3年目は研修に入る。
この重なった夜を、せっかくなので宿泊施設の広間にて皆で親睦会をしようと立ち上がった企画だった。
部屋はよくあるお座敷の大部屋で、カラオケも付いている。
本日から3年目が集まったので当然、
「い、出雲くんいる…」
結子が小さく漏らした言葉を、雷久保は聞き逃さなかった。
出雲は3年目なのでそれはまあ当然いるが、彼女は何も考えてなかったのだろう。
途端に動揺しだした結子を見て、しばらく悩んだのち隣に座る。
(営業の近くに座ると飲まされそうになるから本当は嫌なんだけど)
「あ。晶ちゃん、お酒足りてる?お酌するよ!」
結子が気を遣ってくるが、持っているものはドレッシングの瓶だ。
目はチラチラと泳いでいるし、明らかに出雲を気にしている。
出雲は彼らと真逆に位置する席にいるので少々遠い。
「晴間…。僕が注ぐからいいよ。ドレッシング飲みたくないし」
「へ?あ、ありがとー!」
結子のぶんもビールを入れてやる。
「晴間ぁ!契約おめでとう!」
「あ、ありがとう!」
あちこちから声がかかるが、結子はそれどころではない。
腰を浮かせながらソワソワしている。
ビールを一口飲んで、雷久保が小さく声をかけた。
「晴間。出雲とちゃんと話しなよ。素面で」
「えっ!?」
結子がギギ、と錆びついた部品のような動きでこちらを見やる。
「な…なんでそう思うの」
「…むしろなんで気がつかないと思うの」
その言葉に全てを見透かされていることを察したのか、観念したように結子が座り直した。
手元のコップを見つめながら、言葉を漏らす。
「その…出雲くんが私のこと…良く想ってるって、本当かな?」
「疑わしいの?」
「…あんなに素敵な子が、私なんかに振り向くなんておかしいかなって…。みんな絶対おかしいって言うよ!」
「そっかあ。じゃあ遊ばれただけかもしれないね」
「うっ…それ五十嵐にも言われた…」
落ち込む結子は出雲とそっくりだ。
だから雷久保は、あの時と同じことを言った。
「晴間から見て出雲は、人の心で遊ぶような人間なの?」
その瞬間結子が驚き、同時にその瞳が強い意志を持った。
雷久保の脳裏に同じ質問をした時の、出雲の記憶が蘇る。
「ううん!あんなに誠実で真面目な子が、そんなことするはずない」
『いいえ。あんなに優しくて純粋な人が、そんなことするはずありません』
(…ゾッコンじゃん)
あの時と寸分違わぬことを思い、ビールを机の上に置いた。
「だったら遊びじゃないんじゃないの」
「…そっか」
結子が誰に言うでもなく呟く。
次の瞬間彼女が立ち上がった。
「え。今?」
ギョッとする雷久保を置いて、結子がズンズン歩き出す。
ところが距離が遠い上に、すし詰めの宴会場は非常に動きづらい。
「ちょっと通るね!」
「なんだ晴間!飲み足りなくてこっちまで酒取りに来たか!ほらほら」
「えっいや、あの、あああありがとう!」
ビールを注がれモタモタしている間に、後輩がマイクを持ってくる。
「晴間先輩、カラオケ!好きでしょ!どうぞ!」
「いやちょっと今は…」
「五十嵐先輩も歌うらしいですから!ぜひ!」
「えっ、いやその」
結子が出雲を見るが、彼は彼で大量の女性に囲まれてその処理に必死だ。
結局マイクを押し付けられ、五十嵐のいる壇上まで引っ張られた。
すると冷やかしの声が飛ぶ。
「昨日倉庫に閉じ込められたペアか!」
「何それ?」
「間違って密室に2人きりで閉じ込められたんだってさ」
「やだ!何かあったんじゃないの〜?」
(…げ)
雷久保が頭を抱える。
せっかく出雲の耳に届かないように黙っていたのに、いつの間にか広まっていたらしい。
早く否定すれば良いのだが、結子は無言でジッと手元のマイクを見ている。
「それは教えられないなあ」
五十嵐に至っては結子をチラチラ見ながら意味深なことを言っているドスケベ野郎だ。
絶対にこの男が噂を広めたに違いない。
(さ、最悪だ…)
出雲を見れば無表情のまま目線を逸らし、席を立とうとしている。
もちろんまわりはお手洗いにでも行くのだろうと思っているだろうが、雷久保は察する。
あれは相当ショックを受けている。
(タイミング悪すぎ、)
「出雲くん!」
宴会の喧騒をかき消す、大きな声が響き渡った。
振り向けば結子が持ったマイクの電源を入れて、出雲に向かって喋っている。
広間から出ようとしていた出雲の瞳に、結子が映った。
「あなたが好きです!」
まっすぐに放たれた言葉はそのまま、会場中に伝わった。
一瞬あたりが水を打ったようにシンとなって、次に冗談だと思った人間がヤジを飛ばす。
「年下に手を出すなー!」
「出雲ー!断っていいんだぞー!」
(今言う…?)
雷久保が呆気にとられた。
こんな酒の席で大っぴらな暴露。
さらにはあの賑やかし担当の結子が言っているのだ。
普通の人間は何かしらの出し物だと思うだろう。
出雲も固まっている。
「……」
人の視線が集中して、出雲が眼鏡を上にずらす。
次の瞬間、ぶわっと彼の両目から涙がこぼれた。
予想外の事態に雷久保も周りの人間もギョッとするが、表情は変えないまま、出雲はぼろぼろと涙を落とし続ける。
「すみません…俺、その…」
慌てて駆け寄った結子がハンカチを出そうと自分のポケットをバンバン叩くも、いつのものかわからないカチコチの塊しか出てこない。
出雲の服を探り、彼のきっちり畳まれた新品のハンカチを取り出して渡した。
(し、しまらねえ…)
その場の全員が結子の女子力の無さを痛感したが、出雲はそれで良かったらしい。
涙を拭きながら口を開く。
「俺も…好きです。大好きです」
予想外の返事にどよめきが走った。
それが聞こえないのか、結子はマイペースに続ける。
「ご、ごめんね。いっぱい傷つけたと思うんだけど」
「いえ…俺こそすみませんでした」
「私でよかったら、どうかお付き合いしてください」
言い終える前に結子が腰を折り曲げ、手を差し出す。
それを見て出雲が微笑んだ。
「はい」
彼の返事に、パチパチと小さな拍手が沸き起こる。
それに呼応して、唖然としていた同僚たちも拍手をし出し、まるで波のように広がっていった。
冷やかしの声や囃し立てる口笛の真ん中で、照れくさそうに笑う2人を見て、雷久保が脱力したように壁に背中をつける。
(心臓に悪いなあもう…)
『晴間さんの最大の強みは、一度決心したら目標しか見ないところかな』
今更になって、彼女の元上司がそう言っていたことを思い出した。
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