第5話 営業部の五十嵐くん
「おっ」
彼が手にしているのは本日行われる研修での担当表。
担当といっても、この2泊3日の5年目研修において発生する雑用の割り振りである。
担当は机の片付けと普段なら面倒と感じるところだったが、横に並んだ名前に五十嵐は反応した。
「晴間ー!」
教室の中で折りよく彼女を見つけ声をかける。
休憩中にほかの同期と楽しそうに話す彼女の瞳が、五十嵐を捉えた。
「俺たち担当一緒じゃん。よろしくな」
「えっそうなの?」
「お前見てないのかよ」
机の上に散らばる書類の中からなんとか目当てのものを探し出し、目を通す。
自分と五十嵐の名前を見つけたのか、彼を見上げ嬉しそうに笑った。
「本当だー!よろしくね!」
その後すぐに講師が入ってきたため五十嵐は机に戻るが、着席すると同時に首をひねる。
「……?」
今有り得ない感情が心をよぎった気がしたが、処理の仕方がわからずそっと心の奥に仕舞った。
五十嵐祐樹の所属する会社には研修制度がある。
部署ごとに行うこともあるが、今回は勤務年数が5年になる者が一箇所に集められて講義を聞く手筈になっていた。
2泊3日の後半は3年目研修と重なるものの、今この研修場所にいる者は全員同期生。
事業所はあちこちにあるので、遠隔地で就業している同期等久方ぶりに会う者も多い。
かく言う
「営業成績良くて表彰されてたよな。おめでとう」
「ありがとー。でもまだまだ部署のお荷物だよ。今年入って来た後輩も優秀な子ばっかりだから、すぐに抜かされちゃうかも」
研修後、ひとつの長机を教室から倉庫までふたりで運びながら、のんびり喋る。
「お前んとこにめっちゃ可愛い子入ってこなかった?あのお洒落な…
「
そう言いながら結子がじっとりした目で五十嵐を見つめた。
それにナイナイと首を振るも、背中に汗をかいたことは秘密だ。
五十嵐祐樹は女たらしである。
すらりとした長身にほどほどの筋肉を兼ね備え、人懐っこい笑顔と大きな瞳、それでいて積極的で女好き。
いわゆる典型的な肉食男子で、歴代の彼女は余すことなく皆可愛くて家庭的と評判だ。
「前に付き合ってた子はどうなったの?元レースクイーンの」
「彼女は良い子だったんだけど、C Aとの合コン行ったことがばれて捨てられた」
「アッハッハ。ざまあ」
酒好きという共通点と、なんでもはっきり言う結子は気兼ねなく付き合えて好きだ。
もちろん五十嵐のタイプからはかけ離れているし、友達としてである。
どちらかというと男友達に近い。
「うるせえ。お前は相変わらず何一つ浮いた話もねえんだろ」
笑いながら机を倉庫に入れ、所定の場所に仕舞う。
一昨年結子と会った時は、クリスマスは1人で焼酎呑んでたらツマミに当たって救急車に運ばれましたと宣言していた。
彼女の性格からして今年も変わりはないだろうと踏んで言った言葉だった。
ところがいつになっても結子からそれに対する返事がない。
「おい…」
不思議に思って顔を覗き込むと、予想外の光景があった。
「えっ」
「……」
結子の顔が、耳の先まで真っ赤だったのだ。
例え人前で吐こうがどれだけ怒られようが、全部笑い話に変えてしまう、羞恥心などとうの昔に消え去っていたものだと思っていた彼女が。
それに驚き固まっていると、背後でガチャンと扉が閉まる音。
「えっ!?」
「へっ!?」
大慌てで分厚い扉に駆け寄るが、外から鍵がかけられている。
「えっ!?嘘!おーい!開けてー!」
「内側に鍵ねえのかこれ!おい!」
バンバンと狂ったように叩くが、施錠された扉はびくともせず、また人の声も聞こえない。
机を片付けるためちょうど奥におり、電気もつけず扉の隙間から入ってくる光だけで作業を行なっていたことが凶と出た。
鍵をかけたのは恐らく警備員か管理人の誰かだろう。
結子が慌ててこちらを見てくる。
「け、携帯は!?」
「ゲッ!お前も持ってねえの?俺置いて来ちまったよ!」
「そういえば今夜…台風来るんだっけ?」
結子の言葉にゾッとする。
倉庫は外にあり、他の建物から独立して建っていた。
その為に異様にしっかりした扉が付いていたわけだが、わざわざ台風の日に外に出る者がいるわけもなく、今夜中の発見は難しい可能性がある。
「やだぁあ!今日の夕飯、カレーって聞いたのにィ!」
「お前…余裕そうだな」
入浴や異性と一緒に閉じ込められるという問題より真っ先に、夕飯の話を出してくる結子に呆れる。
外から、強い風の音が聞こえた。
「雨…すごくなってきたね」
「そうだな」
屋根や壁にバチバチと雨が当たる音が響く。
あれから色々試したものの、結局2人は外に出られず、助けが来るまでここで過ごすことになった。
幸い倉庫内は非常用の備蓄庫も兼ねており毛布があったので、それにくるまって少し隙間を開けて壁を背にして座っている。
「…で、なんだったんだよアレ」
「なにが?」
「お前、さっき浮いた話を聞いた時様子変だったろ」
「そ、それは…」
ぎくりと結子の表情が変わる。
あれに驚いたせいで閉じ込められた時の反応が遅れてしまった。
(あの時…)
ふと思い出しそうになり、頭を振ってこの感情を外に追いやる。
「やめておけ。お前に手を出すなんてその男は詐欺師だ」
「ちょっとー!」
「冗談冗談。で、どんなブサイクだ?」
「う…それがブサイクじゃないの…」
(えっ?本当に詐欺師?)
焦る五十嵐を放って、結子が言いにくそうに続ける。
「その…3年目にさ…うちの事業所の経理部の子がいるんだけど…知ってる?」
「あ、おお。経理は営業と違って人数多くねえもんな。ええと、俺らの同期の
「うん」
「その部下が確かとんでもない真面目野郎って話だったな。けどすげえイケメンで女がキャーキャー言ってた」
「……」
「思い出してきたぞ。俺それで気になってた女の子にちょっかいだしたら、ワタシ
言いかけてふと結子を見ると、先ほどと同じく顔を真っ赤にしている。
五十嵐の心がざわめいた。
「おい…まさかそいつが…」
「……」
「なんだ?好きになったのか?」
「いや違くて…いや違くないんだけど、その…す、好きって言われて…」
結子の言葉に呆気にとられる。
思わず否定の言葉がついて出た。
「お前…モテなさすぎるからって妄想に走るなよ…」
「も、妄想じゃない!…と思うんだけど…」
結子も否定しつつも自信は無さそうだ。
ただ彼女は嘘をつけるような人間ではないし、なにより彼女自身がいちばん混乱している。
「き、キスして、す、好きだって言われたんだけど…慣れないお酒飲んでたからか、急に寝ちゃって…」
「……ハァ?」
「起きたらその、覚えてないみたいで…」
ごにょごにょと結子の声は尻すぼみになる。
彼女の話によると、社内で開かれたバーベキューでなにを間違ったのか、下戸の出雲がお酒を飲む事態になったらしい。
そのまま2人きりになったところで彼に告白されキスされたと。
ところがお酒に弱い出雲はその後すぐに寝てしまい、起きると全てを忘れていた。
状況を整理し、五十嵐はパンと自身の腿を叩いた。
「お前は弄ばれたんだ」
「ウヒィ!やっぱり?」
「酔った勢いであわよくば一発やろうとしてたんじゃね?あとは覚えてませんって言やあいいわけだからな」
「な、なるほど……ん?」
ウンウン頷いていた結子がぴたりと止まる。
そして衝撃を受けたような顔をしながらこちらを見た。
「そ、それ…私が最初に彼にやったことかも…」
「…は?」
ぽかんとする五十嵐に結子が話したことは、出雲と夜を明かした事件の話。
酔った勢いで出雲を襲い会社を辞めることも覚悟した結子だったが、逆に責任をとってほしいと要求されたのだそうだ。
ただ結子はこれっぽっちも覚えていないし、どう考えても出雲のためにならないので断ったのである。
(字面だけだと、おめーの方がえぐい真似してんじゃねえか…)
「まさか…」
それを聞いた五十嵐が、ぽつりと漏らす。
「まさか…アイツ本気でお前のこと好きなの?」
「…うう。あんな若くて完璧な子が私になんて…まだ信じられないけど、もしそうなら…」
結子が頰を染めて、眉間にしわを寄せて呟く。
「出雲くんも…こんな気持ちだったのかな」
「……」
その表情に、五十嵐が慌てて顔を背けた。
(お、おかしいだろ…)
今朝からずっと感じていた違和感。
結子に持った有り得ない感情。
「実は覚えてるけど、キスがド下手だったから萎えて嫌いになったとかそういう理由だったらどうしよー!」
頭を抱える結子を、五十嵐は振り返る。
(くっそ…熱に浮かされたみたいだ…)
もともと五十嵐は我慢強かったり、理性的な性質ではない。
女性とふたりきりで閉じ込められるという非日常な空間は、彼の少ない理性を揺らすのに一役買っていた。
(しかも…)
思わず口をついて出る。
「本当に下手なのか試してみるか?」
「何言って…」
笑う結子に、黙って顔を近づける。
「えっ」
(可愛い)
唇が触れる寸前、朝からずっと感じていた感情が顔を出す。
恋する女性は可愛くなるとは言うが、まさかあれだけ男勝りな結子が、恋愛面においてあんなに初心な反応を見せるとは。
五十嵐はギャップに弱かった。
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