第4話 人事部の霧谷課長
もともとは営業部所属であり、彼の渋い顔立ちとちょこんと口の上に乗った髭が可愛らしいと評判だ。
「本当に、人間とは見た目だけでは計れない一面がある」
営業職の時からたびたび感じてはいたことだが、人事部に異動になってからはそのことを深く実感するようになった。
晴間結子もその1人。
そそっかしく危なっかしい彼女は初め、霧谷の部下だった。
営業職は会社の中でも花形だ。
お客様から契約を取ってくる為に、彼らには各々武器がある。
それは容姿であったり会話力であったり、自身の一番得意なことを磨き上げるのだ。
そんな中、結子と言えば、取り立てて優秀なところがあるわけではないが、彼女の武器はその隙だらけの人間性であった。
決して完璧ではないからこそ、一生懸命な結子を警戒する者は少ない。
結子は他人と打ち解けることが上手かった。
それを生かすまでが本当に大変だったものの、そんな結子もこの度、会社から表彰されるレベルの大きな契約を取ってこられるまでになった。
「……」
(長年指導したかいがあったというものだ)
霧谷がウンウン頷く。
例えパソコンを壊されても、霧谷が諦めなかったおかげで、結子はなんとか1人でも契約が取れるまでに成長した。
根性があり社交性があり、なにより神経が太い。
彼女の存在は今後、営業部には欠かせなくなるだろう。
結子自身は自覚していないのか、少し自虐的なきらいはあるが。
「まったくもって、人間というのは一面だけでは推し測れない」
だから、渋くて素敵と評判の霧谷総一郎が、今まさに社内でギックリ腰を起こして四つん這いになっているなんてことも、あり得る事なのだ。
事の起こりは、バーベキューで使った紙皿が予定していた量より多かったことに始まる。
社内に予備があるとの話だったので、手が空いていた霧谷が取りに行くと手を挙げたのだ。
(なんとなく…なんとなく嫌な感じはしていたんだ)
霧谷はここ最近、腰に違和感を抱えていた。
でもこの行事が終われば休みに入るし、土日ゆっくり休めばよいと思っていたのだ。
ところがどっこい、デスクの上に紙皿を見つけ、それを取ろうとした時に、ぽろっと書類が落ちた。
1枚の紙切れはするんと床を滑るようについたての向こうに落ちていった。
面倒だが大事なものだと困るので、仕切られたあちら側に行き、書類を取ろうと腰をかがめたその時だった。
びきりと音がして、腰にまるで電撃のような感覚が走る。
「……」
それから痛みで微塵も動けなくなった霧谷は、四つん這いになった状態で、室内で呆然としていたところであった。
(困った…)
携帯は紙皿を取る時にデスクに置きっぱなしにしてしまったし、ついたての向こうにいることで室内の人間には気づかれにくい位置だ。
また窓の外はバーベキューの煙で、まるで霧がかかっているように霞んでいる。
外からもなかなか気がつかないだろう。
半ば絶望的な気持ちになったところで、ガチャリと扉を開ける音が聞こえた。
「あれ…?霧谷課長いないや」
(この声は…晴間さんか)
待ちに待った助けではあるのだが、霧谷が躊躇し初動が遅れた。
「紙皿紙皿…あったあった!」
近くまで来ているものの、やはり仕切りのせいで結子は霧谷に気がつかない。
結子はもちろん助けてくれるだろう。
けれど元部下にこの情けない姿を見られることは霧谷の矜持が拒否反応を示す上、なにより彼女は悪気なく事を大きくしそうだ。
(同期が一番だが、せめて…せめてまだ冷静に対応してくれそうな、雪本さんか…出雲くんとかが良かった)
しかし文句を言っている場合ではない。
意を決して、霧谷が口を開ける。
「は…」
「わーっ!!」
霧谷の声がかき消される。
上を向くこともできない為、何が起こったのか一切わからない。
結子の声だけで何が起こったのか知る。
「い、出雲くんか…びっくりした…。振り向いたら後ろに立ってるんだもん」
(おお、よかった)
今度こそ念願の助けだ。
もう一度声を出そうと口を開ける。
「い…」
「晴間先輩。俺と付き合ってください」
ぴたりと空気が止まった。
霧谷も言葉を失い黙り込む。
一番驚いたのは結子だ。
「へ…?」
「……」
「い、出雲くん、顔が真っ赤なんだけど…お酒飲んだ?」
「飲んでません!俺は烏龍茶ですから!」
「…??出雲くんは烏龍茶じゃないけど…」
「俺は烏龍茶じゃないです!」
「う、うん…」
明らかにおかしい出雲の様子に、霧谷も四つん這いのまま冷や汗をかく。
下戸とは聞いていたが、こういう風になるタイプだったのか。
(ところでさっきの話は…)
「わ、私、紙皿取ったし行くね!出雲くんもほら、詩穂ちゃんとお話ししてなかっ、」
「俺は、」
がたんと音がする。
仕切りが揺れて霧谷がビクッと体を震わせた。
「俺は、あの夜幸せでした。あなたが覚えていなくても」
「しっ…!?そ、それは気のせいだよ。私よりも素敵な女性は出雲くんの周りにたくさんいるから、そ、そんな簡単に幸せとか言っちゃダメだよ」
色々と気になるポイントはあるが、霧谷は心の中で出雲を応援する。
結子に足りないものは自信だ。
彼女の周り、特に同期には目に見えて容姿が秀でていたり、なんでもソツなくこなす者が多かった。
その中にいた結子は少なからず劣等感を持っており、さらには男女関係なく仲良くなれるその性質が、彼女を恋愛から遠ざけていた。
霧谷はそれを少し気にしていた。
「俺、あなたのことが大好きです」
「んっ!?いや、でもそれはいっときの、」
「気の迷いなんかじゃないです。俺のことはどうでもいい。あなたの気持ちが知りたい」
「いや、その…えっと…か、顔。近いかも…」
霧谷からは一切見えないが、結子が茹でダコのように真っ赤になっている姿が思い浮かぶようだ。
「キスしていいですか?」
「きっ!?」
「顔が近いからしたくなりました。いいですか?」
「えっ、ええと、その…その…」
それからしばらく無言の時間が続いた後、とても小さな声で「はい」と結子の返事が聞こえた。
「……」
(よかったね…)
結子の恋愛事情の件が片付いて、霧谷の目下の悩みはひとつだけだ。
一体自分はいつ助けてもらえるのだろうか。
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