第3話 営業事務の雨宮ちゃん
「本日付けで営業事務として働くことになりました、
そう言ってにっこり微笑むと、男性陣が落ち着かない様子で頬を染めた。
今年度から、詩穂は新入社員としてこの会社に入社した。
この度研修を終えて、こうして営業事務に配属された訳だ。
初めての社会人生活だが、彼女に不安はない。
(詩穂の魅力があれば、なんだって上手くいくに決まってる)
その言葉を証明するように、雨がしとしと降りしきる天気ではあったが、室内はまるで太陽が出てきたように明るくなった。
雨宮詩穂は可愛らしい。
23歳という若さもさることながら、なによりその大きな瞳や大げさな挙動、妥協を許さないセンスが彼女の可愛さを維持している。
今日も今日とて例え会社に行くだけでも、1時間かけた化粧と、自分をひときわ可愛く見せる為の装飾品や小物は欠かさない。
お気に入りの香水を身に纏い、髪の毛は自分に一番似合うスタイルで。
「雨宮ちゃん、この時の会議費の申請しといてくれない?」
「わかりました!任せてください」
「いつもありがとう。雨宮ちゃんがいると職場の雰囲気が違うなあ」
「そんなことないですよ!けど少しでもお役に立てたらうれしいな。じゃあ経理部いってきます」
そう言って部屋を出る。
詩穂は例え全くタイプでない男性にだって、完璧な笑顔で完璧な対応をする。
「雨宮ちゃん、明日の社内バーベキューには来る?」
「もちろん行きますよ〜」
廊下を通るだけでも、男性が目の色を変えて詩穂に話しかける内容がないか探している。
(本当詩穂って、最高の女!)
雨宮詩穂は、なるべくして会社のアイドルになった女だった。
「俺のことをもらってください」
だから、詩穂は階段でこの言葉を聞いた時、ぴたりと足を止めた。
(…この声)
もともと五感は鋭い方であったし、なにより詩穂が狙った男性の声を忘れるはずがない。
「……えっ?」
そして相手は、詩穂の最も予想外の人物の声だった。
さらにその人は、より突飛な返事を返す。
「や、やめておいた方がいいと思うよ…?」
「…どうしてですか?」
「え、ええと。一時的な気の迷いだと思うし…と、とにかく忘れたほうがいいって!お互いね!」
「…お互いですか…」
「う、うん!そう!出雲くん、もっと素敵な女性いるから!」
彼女はそう捲し立てて、詩穂の方へ走ってくる。
すぐに扉の影へ隠れたので立ち聞きしていたことは見つからなかったが、詩穂は我を忘れて身を震わせていた。
(な…なんで詩穂のこと断っておいて、あんなオバサン…!)
詩穂は入社してすぐ、経理部の
初めて彼の姿を見たのは新人だけに課せられる当番の日。
朝早くに出社した彼女は、同じく早くに出勤する彼の姿を見た。
(あれ…?あんな人同期にいなかったはずだから、先輩ってことになるけど、なんであんなに朝早いんだろ)
その時は仕事が溜まっているのかと思っていたのだが、もともと彼は毎日1時間早く出社する男であることを知ったのは、それから数日後のことだった。
出雲は格好良い。
その見た目もさることながら、明晰な頭脳とひたすらストイックなその姿勢が彼の魅力を際立たせている。
いつでも冷静で自分に厳しい。
当然女性からの人気も高いのだが、彼は飲み会に参加する回数が少なく、会話も素っ気ないので、お近づきになりにくい。
男色家との噂がたったこともあったが、詩穂はすぐに思った。
(出雲さん、詩穂にぴったりじゃない?)
会社イチのアイドル女子と、会社イチのミステリアスなイケメン。
横に並んだとき、なんて見栄えするカップルなのだろう。
何より他の女が落とせなかった男を手に入れる優越感に勝るものはない。
「決めた!私、出雲さんの彼女になる!」
詩穂は有言実行の女だった。
つまりは今日この時、彼女が出雲を手に入れる運命は決まっていたのだ。
「晴間さん宛に坂口様から2番お電話です」
「はーい!ありがとう」
そう言って受話器を取る結子を、詩穂はらしからぬジト目で見つめた。
(決まっていたのに…)
仕事においての根性や成績は認めるに値するが、彼女は取り立てて頭が良いわけでも、見た目が良いわけでもない。
詩穂より5つも年上で、服装や髪型にもあまりこだわらず、化粧も薄い。
お昼もいつも外食かコンビニで、一人暮らししてからキッチンは物置と化してますと断言していた。
対して詩穂は料理教室に通いながら、いつも彩り鮮やかなお弁当を手作りする。
実際女性としての魅力なら、満場一致で詩穂に軍配が上がるだろう。
それなのに、苦労して手に入れた出雲の連絡先に、わざわざ詩穂から連絡を入れたのに、彼の返事は素っ気ないものだった。
まるで詩穂の事など眼中にないかのように。
(その時はタイプが違うのかと思って諦めたけど、この詩穂の誘いを蹴っておいて、あの人に言い寄るのは納得いかない!)
「晴間先輩、この前出雲先輩と何かありました?」
その直球な質問に、結子は目を丸くした。
たまたま給湯室に居合わせたと結子は思っているだろうが、詩穂が彼女に合わせて2人きりの時間を作りだしたのだ。
我ながら意地悪な質問だと思ったが、牽制には直球が一番良い。
「えっ…何にもないよ。どうして?」
そう誤魔化す結子だが、目が泳ぎに泳いでいる。
(なんて分かりやすい…)
その感情を出さないように、詩穂は神妙な面持ちで続ける。
「私聞いちゃったんです。お二人が今朝話してたこと」
「えっ!?」
「すみません。不慮とは言え盗み聞きなんてして…」
サーっと結子の顔から血の気が引いて行く。
慌て始める前に、詩穂はそっと彼女の手を掴んだ。
「大丈夫です!私、誰にも言いません!」
「へ…?」
「ただ…私、実は出雲さんのこといいなって思ってて、デートに誘いたいんです。さっきの答え通り、晴間先輩に本当にその気がないのか確認したくて…」
「あああそういうこと!」
ホッとして頷いた結子は、詩穂の予想に反して手を握り返した。
頼んでもいないのに熱く語り始める。
「そもそも私じゃ彼に釣り合わないから大丈夫だよ!たぶん今、出雲くん頭おかしくなっちゃってるんだと思う」
「は、はあ…」
「彼は女性がよりどりみどりなのに、よりによって私なんぞに来るなんて、一時的にイカレちゃったか、よっぽどの変人だよ!」
結子が手を離し、腕を組みながらウンウン頷く。
「詩穂ちゃんみたいな完璧な女の子なら、出雲くんの目も覚ましてあげられるはず!」
「あ、ありがとうございます。なら、私明日の社内バーベキューの時に、彼をデートに誘いますね。今週末には良い報告ができるかもしれません」
「へ…?」
この会社では、毎年秋に社内の人間だけで敷地内でバーベキューをする行事がある。
終業時間を切り上げて夕方頃には始まるので、特に重要な予定がなければほとんどの人が参加する。
普段はそういった会には参加しない出雲も、明日はくるはずだ。
なので詩穂が彼と親睦を深めるにはちょうど良い機会なのだ。
ところが、それを聞いた結子の表情が一瞬強張ったことを詩穂は見逃さなかった。
「あ…そうだよね!私実行委員だから、同じブロックにしてあげる!」
慌ててそう言って、結子は首を傾げながら部屋を出て行った。
結子自身が自覚しなくとも、人の心に聡い詩穂はすぐに気がつく。
(晴間先輩には何の恨みもないけど…)
少しばかり心が痛むが、けれど応援すると明言したのは彼女自身なわけで、詩穂は胸の内でそっと謝罪の言葉を述べておく。
(ごめんね先輩)
恋愛は、自分の心に忠実に動ける人から上手くいくの。
「話しかけてきなよ」
「なんて言ったらいいのかわからないよ〜!」
紙皿片手にそうモジョモジョ話す女性社員の横を、するりと通過する影がひとつ。
「出雲先輩!お疲れ様です!これ飲んでください」
前かがみになりながら、顔の横に烏龍茶の入ったプラスチックのコップをかざした。
声は元気過ぎず落ち着きすぎないトーンで。
顔は詩穂の最高に可愛い角度。
(決まった!)
「ありがとう」
並みの男ならすぐにデレッと鼻の下を伸ばす行為なのだが、堅物には通用しない。
あっさりコップを受け取り、黙々と肉を焼く作業に戻る。
「……」
「…大変そうですね!私代わりましょうか?」
「いや、女性がやるのは大変だろう。任せてくれ」
「そんなことないですよ〜。私料理得意なので!」
「そうなのか。だが勝手は違うだろう。ゆっくり休んでいてくれ」
そう言って追い払われる。
彼は今完全な肉焼きロボットと化していた。
たしかに網から一寸も目を離さない彼のお陰で、お肉は相当美味しくできていると評判だ。
だがそんなことで心が折れる詩穂ではない。
その完璧な笑顔を一切崩さず、次の攻撃を繰り出す。
「なら私飲み物持ってきますね!烏龍茶以外に飲みたいものありますか?ビールとか?」
「ありがとう。だが生憎下戸で、アルコールは飲めないんだ」
「そうなんですか!?意外ですね」
「ああ…飲めたら楽しそうだから、羨ましいよ」
そう言った彼がいっとき、遠くを見つめる。
「あ!ええと、出雲先輩全然食べてないですよね?焼く係、私の同期に代わってもらいましょう!」
話題を変えてすぐに同期の名を呼んだ。
隣のブロックではあるが、詩穂がちょっと“お願い”をすればすぐに代わってくれた。
「気を遣ってくれてありがとう」
「いえ」
(よし!)
さりげなく隅の方に誘導し椅子に座る。
詩穂が心の中でガッツポーズを取った。
まずは第一歩。
2人きりになる第1段階はクリアした。
詩穂はそんな感情をおくびにも出さず、彼に割り箸や紙皿を渡す。
「出雲先輩、いつもこういった場にいらっしゃらないから、今日はお話できて嬉しいです」
「そうだな…お酒も飲めないし盛り上げられるタイプでもないから、場の雰囲気に水を差してはいけないと断るようにしてるんだ」
「そ、そんなことないのに…」
彼が来たら主に女性陣が大喜びして勝手に盛り上がりそうだ。
「休日は何をされてるんですか?」
「休日…特にないかもしれない。君は?」
「私はジムに行ったり、お菓子作ったりしてるかな。洋服を買いに行くのも好きです」
「それは良いな。素敵な趣味だ」
そう言って野菜を食べながら微笑む出雲に、詩穂の目が光る。
(良い雰囲気!)
「特にないってなんですか〜。出雲先輩は休みの日も充実してそうですよね。例えばー…デートとか」
チラリと彼に目線を送るが、その冷静な顔はあまり変化がない。
「異性と遊びに行く事か?久しくしていないな」
「え!そうなんですか。意外!どこか行きたいところってあります?」
「そうだな…」
これに乗じて誘いをかけようと準備をしている詩穂の魂胆はいざ知らず、出雲は少し悩んでから口を開いた。
「ちょっとした買い物や外食も楽しそうだ。図書館…は楽しいのは俺だけかもしれないな」
「図書館いいじゃないですか」
「俺が知らない所に行くのもいいな。テーマパークや…プロレス観戦とか」
「ぷ、プロレス?」
その似合わない言葉に、一瞬誘うことを忘れて呆気にとられる。
「それ、」
「結子ー!」
詩穂の言葉を遮る声がする。
秘書課の雪本の声だ。
運営のためバタバタ走り回っていた結子が足を止める。
「紙皿がもうないんだけど、ストックはまだあったよね?」
「うん!いま霧谷課長が取りに行ってくれてるはずなんだけど、戻ってこないね…。一応私見にいってくるよ!」
そう言って建物の中に消えていく。
無意識か、その後ろ姿を出雲はずっと目で追っていた。
「…出雲先輩」
名前を呼ぶと出雲がこちらを見る。
その瞳をまっすぐ見据えて、詩穂が口を開いた。
「恋愛は、自分の心に忠実に動ける人から上手くいくんですよ」
「……そうか」
小さくぽつりと呟き、出雲がそばにあった烏龍茶を一気に飲み干した。
そのまま立ち上がる。
「ありがとう。失礼する」
「いえいえ〜」
笑顔で見送った詩穂だが、ある程度離れるとどすんと椅子の背もたれによりかかった。
『ああ…飲めたら楽しそうだから、羨ましいよ』
下戸のくだりで出雲が見ていたのは、真ん中でビールを乾杯する結子の姿。
図書館が好きではなくてプロレス観戦が好きな女性なんて、知っている限り彼女しかいない。
(こんなに可愛い詩穂が目の前にいるのに)
どうやら、重度の変わり者だったらしい。
ぶうと頰を膨らませる詩穂に、先ほどの同期が話しかけてきた。
「雨宮〜!俺が作ったウーロンハイ知らねえ?どっか行っちゃったんだけど」
「しらないよ〜」
答えた後で、ふと目の前に烏龍茶が一杯残っていることに気がつく。
これは詩穂が持ってきたものに違いないのだが、出雲は確か、立つ前に烏龍茶らしきものを一気飲みしていたはず。
慌てて出雲を目で追うが、真っ直ぐにちゃんと建物に向かって歩いている。
「……気のせいか」
(今回のお礼に晴間先輩にイケメン紹介してもらお)
あの様子では、くだす結論はひとつだろうから。
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