第52話)タイコラム執筆で風俗ライター業
「Hey Guys, What's up?(よう、お前ら、調子はどうだ?)」
アメリカ人のニックに会うと、必ず決まり文句みたいに、彼が僕らに投げかけてくる第一声の挨拶言葉。
最近はどうだ?何か新しいこと(変わったこと)はないか?ビジネスはうまくいっているのか?
その言葉には単なる挨拶以上の色んな意味合いが含まれているようで、柔らかい眼差しでニヤリ微笑みかけてくるニックに対し、僕らは最近起こった出来事や商売の近況などをあれこれ話し始める。恋人であるネンと相変わらず仲睦まじい日々を送っているニックとは適度な頻度で会っていた。それはだいたい決まって、暇を持て余しているか、何か面白いことがあってそれを報告したいニックが電話をかけてきて、僕らがニック行きつけのジョージのバーに足を向けるという具合だった。
日本で日々順調に売上を重ねている飲食業からの収益、それに加えて米軍から毎月支払われる年金や退職金などの貯蓄で、悠々自適にパタヤ移住生活を送っているニックは、僕らにとって成功者のシンボルのようで、ボスというかご意見番みたいな存在であった。だから彼に会う時はいつも何だか僕らの報告会のようでもあった。Tシャツ製作に始まり、夜遊びガイドなどという如何わしい商売にまで手をつけ始めた僕らの存在は、ニックにとって南国での穏やかな日常に刺激や笑いを提供する格好のネタでもあったのだろう。ニックはそんな僕らを暖かい目線で応援してくれるだけであった。
とりわけ、夜遊びガイド業はニックの心をくすぐったようで、ある晩、面白い本があるんだと英語で書かれた数冊の本を僕らに見せてきた。それはパタヤのショッピングモール内にある書店で購入したものらしく、マンガ風のものや、ノンフィクション系の物語など、いわゆるタイの女性にまつわるジャンルの書籍だった。
とあるタイ人女性の名前がタイトルとしてつけられた本の表紙には、目線を黒く塗りつぶしたその女性本人と思しき写真も掲載されている。パラパラと中身をめくりながら、ニックに書かれている内容を訊ねると、それはそのタイ人女性と国際結婚した欧米人男性が書き下ろした実体験ストーリーであるらしい。なんでも家や車の購入に始まり不動産投資など、彼女の望むままに自己資産をほぼ使い果たして、これから悠々自適に南国での余生を楽しもうと思っていた矢先に、一方的に離婚されてしまい、貢ぐように投資した全ての財産も失って、やれ騙された、結婚詐欺だと訴えかけている内容の本だという。また、ニックと同じ元アメリカ軍人が執筆したもので、ベトナム戦争時代のタイにおける甘い追憶記みたいな内容の本もあった。
中でもこれが一番面白いんだと、ニックが手にとって中身のページをあれこれ説明してきたのが、マンガ風の一冊だった。それはタイのゴーゴーバーやバービアなど、いわゆるナイトバーにおけるバーガールの攻略本といったテイストのペーパーバックで、絵本みたいに簡単な挿絵と英語の短い文章で構成されている。コヨーテ(ダンサー)とかバーファイン(連れ出し料金)といった夜遊び専門ワードの説明から、バーガールとの会話、口説き方、連れ出す際の注意事項まで、ブラックジョークを交えて色々書かれている。
ニックとネンのお気に入りは、"ナイトバーで働くタイ人女性の性質"を皮肉った文句が掲載されているページで、そこには困った感じの表情をした白人風男性と、ウインクしながら微笑む浅黒い肌のセクシーな女性が、コミカルタッチに描かれている。その女性の顔から吹き出しがついており、その中にはドル($)のマーク、家族兄弟、牛鶏の絵などが描かれている。その説明書きはこんな感じだ。
「THIS IS THAI BAR GIRL ..... NO.1 MONEY 2.FAMILY 3.BUFFALO 4.CHICKEN 5.BOY FRIEND ..... 10.YOU(Customer)」
タイのバーガールの頭の中は、、マネー(金)が一番で、その次が家族兄弟、それから牛鶏と家畜が続いて、彼氏、、、その他いろいろあって最後に客であるアナタ。これって笑えるブラックユーモアだろ?それにタイ女性にとって彼氏は家畜よりも下なのかというところが何とも的を得ているようで傑作なんだとニックは頬を緩めた。僕らもそれに同調して一笑が起こると、その様子を見たネンが反論するように自分の意見を口にする。
「ワタシはNO.1がファミリーで、NO.2がマネー、だからユーはNO.3だ」と冗談めかしてニックに告げて、無邪気に笑う。それは会話のオチなのか、はたまた本心なのか、ほろ苦い夫婦漫才のようであった。
ニックはそれら数冊の本を僕らに貸してくれた。英語の本だけに全ては理解できなかったが、僕は借りた本を全て数日かけて貪るように読みふけった。そして、読後に何か自分でも書いてみようかという気持ちが湧き起こってきたのだった。僕は、旅先で備忘録程度の日記なら書いたことはあるが、普段は日記をつける習慣もないし、読書とか作文はどちらかと言うと苦手な分野だった。だが、学生時代以来、久しぶりのホームページ制作に勤しんでいることもあって、何か他人に向けて情報を発信するようなことはできないだろうか?と少なからず感じていたのも確かだった。ニックから借りてきた本を読んだせいで、それを余計に意識するようになったということだろう。
学生時代に趣味で作ったホームページは、自分の好きな映画作品やお気に入りの音楽(ロック)を紹介するサイトだった。どこの誰かも分からない、目に見えない相手とネット上の掲示板で会話するのを楽しんだり、頻繁に書き込みをしてくれる常連さんと仲良くなると、チャット上で交友を深めて映画談義にふけった夜もあった。僕は自分が運営するホームページに興味を持ち閲覧してくれる人が存在することを喜び、果てしなく広がるネット世界の素晴らしさを感じ、パソコンの向こう側にいる人物を色々妄想した。
そして、常連の中の数人だけは本当(実際)の友達のように感じるようになった。とはいうものの、オフ会と呼ばれる会合には決して出席することはなかった。一度、ネット上で知り合った女性と、これって友達以上?みたいな関係性になっていき、やがてお互いの写真をメール交換して見せあったのだが、当然、自分がイメージしていた人物とは全く違う風貌の女性だったため、急に冷めてしまったことがあるからだった。それから、オフ会への参加の催促などが増えると同時に、僕はネットの世界から徐々に距離を置くようになった。
とはいえ、それは僕にとって、青春時代の象徴とは言わないまでも、いい思い出の一つだった。それに独りでタイを訪れていた時に、タイやパタヤに関する夜遊び関連のサイト、とりわけタイ人女性との恋愛事情に特化したサイトが少ないことを不満に感じていた。そんなサラリーマン時分の甘酸っぱい記憶がふと甦ってきた。
パタヤに移住してから、夜遊びガイドを経験し、リュウさんほかパタヤで出会う人たちの恋愛話や体験談をいろいろ見聞きするようになったこともあって、それら自分の脳内に蓄積されていくネタとも言うべき小話を、面白可笑しく書いてみたくなった。それは自分の実体験も踏まえたうえで、いろいろミックス、アレンジして吐き出したいという願望にも似た思いだった。
それから、僕はホームページ運営作業の合間を縫って、インターネットカフェで夜遊びにまつわるタイコラムをせっせと書き始めた。それは稚拙な内容の文章だったが、リュウさんに見せると、「これは面白いねー、さすが元テレビマン!」と予想以上の反応を見せて、笑って読んでくれた。そのおだてにいとも簡単に乗っかってしまった僕は、すっかりいい気になり、幾つかのコラムを書き上げた。
そして、その中で一番自分が気に入っていたコラムを、ものは試しにと、某風俗系雑誌の読者投稿コーナーに応募してみた。それはバンコクで発刊されているアジアの風俗専門誌で、エビスさんが日本に帰国する際に僕にくれた古い号の一冊が手元にあったことから、思いついたアイデアだった。
すると、程なくしてバンコクの編集者から返信があり、その雑誌の翌月号に僕が投稿したコラムが採用されることになった。風俗雑誌ながらも自分が書いた文章が掲載されることに僕は驚喜した。さらにそのメールには、「よろしければ当雑誌の専属ライターになって頂けませんか?ご興味がありましたらいつでもご連絡ください」というお誘いの言葉まで書いてあったのだ。
何ぃ!専属ライターだって?ということは当然ギャラも出るんじゃあるまいか?と僕は有頂天になり、すぐにリュウさんに報告した。「それはスゴイじゃん!やったねー。でも、そういう雑誌の原稿料とかって幾らぐらいが相場なんだろうねー」とリュウさんは専門外のことで、全く何も分からないといった様子だった。僕も、テレビ業界にいた端くれ、出演者関連のギャラ事情なら何となく知っていたが、出版業界については皆目見当がつかなかった。
そこで、僕はニックにも相談しに行った。ニックもリュウさん同様、自分の事のように喜んでくれたが、彼のアドバイスはさすがアメリカ人という類のものだった。「それはよかったじゃないか。それもお前の才能のひとつだってことだよ。でもな、ヒロ、専属ライターなんだからギャラを請求するのはもちろんだけど、絶対に安売りだけはしちゃいけないぞ。相手の都合にうまく丸め込まれないようにネゴシエイト(交渉)する必要がある。それに文章なら著作権っていうものがあるはずだろ。きちんとそのあたりを確認して契約書を交わさないとダメだぞ!」
なるほど、これが契約社会で生きてきたアメリカ人の考え方ってやつか。ニックから為になる助言をもらい、僕はとりあえず「専属ライターとやらに興味があります」という旨のメールを編集者に返信してみた。するとすぐに連絡があり、僕は担当者に会いにバンコクまで足を運ぶことになった。その出版社の近くだというBTS(高架鉄道)駅前の喫茶店が、メールをくれた担当者との待ち合わせの場所になった。僕は、幾つか書き溜めていたコラムをプリントアウトして資料として持参した。
待ち合わせの当日、指定された喫茶店に到着して電話をすると、数分ほどして、その担当者がやってきた。30代半ばぐらいの年齢の人で、ひょろっとした痩せ型、ラフな格好で、不健康そうな青白い肌、ボサボサの頭などが、いかにも編集者というか業界人にいそうな雰囲気だった。挨拶と簡単な自己紹介を済ませると、さっそく僕は持参した数編のコラム資料をバッグから取り出して見せた。彼は感心するようにそれを受け取り、ざっと一通り目を通すと、忙しい仕事から抜け出してきたのか、すぐに本題へと入った。
「こんなに書いてるなんてスゴイですね。後でじっくり読ませて頂きます。それで編集長とも話し合ったんですが、出来ればぜひ当雑誌の専属ライターになって頂けませんか?○○さんには見開き2ページをご用意したいと思っています。毎月1回、原稿を書いて頂くという感じですね。それで原稿料のほうは5,000バーツとなっているんですが、いかがでしょうか?」と足早に説明してきた。
僕にはそれが高いのか安いのか全く分からなかったが、格安アパートの家賃が払えるぐらいの金額だなと冷静に感じた。あわよくば生活費が出るぐらいだったらいいなと期待していたので、僕にとっては微妙なところだった。そこで僕は、「ちなみに著作権というか、版権みたいなものはあるんでしょうか?」とニックに指摘されていた条件を訊ねてみた。
「ええっと、原稿については一応、買取という形になりますね」
「それって、例えば僕が自分で運営しているホームページなんかで、同じ文章を掲載することも出来ないってことですか?」
「そうですね、、後々、弊社が何らかの書籍を出版する際に、原稿を再利用することも考えられますので。買取後、版権は弊社に帰属することになります。ですので、その際の印税等もありませんのでご了承ください」
「そうですか、、それでは色々検討したうえで、また改めてご連絡いたします」
バンコクからパタヤに帰還する際の僕の心中は、はっきりとした答えが出ずに、幾分どんよりした曇り模様だった。パタヤに戻ると、僕は再びニックの元へ意見を仰ぎに行った。編集者との話し合いの内容、契約条件などをつたない英語で説明すると、ニックは眉をひそめて僕に告げた。
「お前がそれでいいなら問題ないが、オレは安売りするべきじゃないと思うけどな。せっかくお前が書いたストーリーなんだから、買い取られて自分のものじゃなくなるのは損じゃないのか。それに、その編集者が後に本を出版することにでもなれば、彼らは二度儲けることができるんだぞ。その利益はヒロには一銭も入ってこないんだろ。だったら、いつか自分で本を出版して売ったほうがいいんじゃないのか。何ならその時はオレが金を出して出版してやるよ」
いつもながら、ニックから出てくる言葉、考え方は海のようにデカく広かった。せっかく自分が書いた文章を、たったの5,000バーツ程度で安売りするなという、僕の立場や思いを尊重してくれるニックの言葉に僕は感動し、深く納得した気分だった。
風俗ライターに少し首を突っ込んだ程度のヒヨッコ野郎が何を偉そうに気取ってやがる。貧乏生活してるんだから、これはありがたい話じゃないか。もう一人の自分が囁く。このチャンスを無駄にするな。毎月雑誌に掲載されることで、少しでも名前が売れる可能性があるんだぞ。そこから次に繋がっていくかもしれないのだ。
あれこれ悩むことになったが、やっぱり自分の書いた物語を他人に買い取られて、それが自分のものじゃなくなるということに納得がいかなかった。
結局、僕は、編集者に断りの連絡を入れた。
僕は、なんだかモヤモヤすることになってしまった鬱憤を晴らすように、自分で書いたタイコラムを掲載するための新たなホームページを立ち上げることにした。
そして、「パタヤ便利屋コム」に続く第二号、姉妹サイトのタイトルは「パタヤの匠」とあいなった。
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