第47話)天邪鬼プログラマーとの交流日記
「ドンガラ、ガッシャーーーン!!!」
「何なんだよ、この店は、まったく教育がなってないよ!もう次に行きましょ!!」
「まあ、まあ、ゴウさん、落ち着いてくださいよー。まだ座ったばかりじゃないですか…」
「もういいよ!オレはその辺で飲んでるから、二人は後で合流してよ!」
「駄目だよ、ゴウ君、そんな態度してちゃあ。彼女も冗談で言っただけなんだからさー」
オジサンに聞いていた通り、ゴウさんはかなりの偏屈者だった。コンピュータプログラマーという彼が持つ特殊技能に目をつけ、彼に近づき距離を縮めることに成功した我々であったが、仲良くなり付き合いが深まっていくにつれて、彼が偏屈者と言われる所以を徐々に垣間見るようになった。とりわけ三人でバービア街に繰り出す機会が増えると、ゴウさんきっかけのトラブルに度々直面するようになった。
ゴウさんは僕らが想像していた以上に一癖ある変わった人物だった。普段は人当たりの良い優しい性格なのだが、いったん酒が入ると直ぐに上機嫌になり、そのうち深酒すると態度が大きくなる、俗に言う酒癖が悪いタイプの人間だった。揉め事はいつも決まって彼とタイ人女性との間で起きる、当たり障りのない会話から始まるドタバタコメディーみたいなものだった。
ナイトバーであるバービアに入り、カウンター席に腰を落ち着けると、大抵スタッフのタイ女性たちは自らを売り込まんばかりに積極的に会話を投げかけてくるのが常である。だから三人で店に入れば、僕ら其々の対面に女性がつくような具合になる。そのうち会話も進めばレディドリンクを強請られるというのがお決まりであり、店側の算段である。
とはいえ当然、奢るか奢らないかは客次第。
だから、入店してそんなに時間も経過しておらず大した会話もしていないのに、一通りの挨拶を交わした程度で、「ミスター、ワタシもドリンクを飲んでいい?」と強請られれば、「まあ、まあ、マダよ…」となだめすかしたり、気に入らないなら「マイダイ(NO!駄目)」と断ることも出来るわけだ。全てを相手にしていたらキリがないし、金が幾らあっても足りない。また女性側もそれが仕事がら毎日のことなので、ドリンクを強請って断られてもさして気分を損ねることはない。それはバービアにおいて日常的な一コマである。
しかし、ゴウさんはそんな些細なやり取りにもいちいち過敏に反応した。ドリンクを奢ってもらえなかった女性がつい「キーニャオ(ケチ)」といったような言葉をぼそっとでも口にしたのを耳にすると、「オレは客なのにお前にそんなことを言われる筋合はない!」といった態度で、すぐに食ってかかるのがゴウさんの悪いクセだった。もちろん僕らだって、その手の言葉を耳にする機会は度々あったが、そこはぐっと堪えて大人な対応で聞き流すのが普通である。そんなことで目くじらを立てていたら、場の空気が気まずくなるだけだからだ。
しかして、ゴウさんに啖呵を切られたタイ女性も、喜怒哀楽の激しい情熱的な民族性とでもいうのか、そのまま黙ってはいないのが性分で、すぐに何か言い返してくるか、周りの仕事仲間に言いつけるようにブツブツ不満を口にしたりする。すると、その言葉をまたゴウさんが逐一拾いあげ、タイ語でまくし立てるように言い返すもんだから、そのうち収拾がつかなくなるのだ。最後は決まって、昭和世代の頑固親父が卓袱台をひっくり返すように、ゴウさんが飲みかけのグラスを叩き割ったり、相手の女性に中身をぶちまけたりするのがオチだった。
そうなるともう大変!もの分かりのいいボスとかママさんがいるような店なら何とか事は収まるが、それが負けん気の強いタイ女性ともなると、ギャーギャーとケンカ腰でわめき散らし、周りに飛び火して、一騒動起こる羽目になる。だから、そうなる前に「まあ、まあ、」と間に割って入り話をつけ、トラブルを処理するのがリュウさんの役目だった。割ったグラスの弁償代として幾らかチップを置いて、そそくさと逃げるように店を後にする。そんな冷や冷やする出来事がしばしば起きた。
何か彼の気に障るようなことがあれば顔を真っ赤に紅潮させて、たちまちキレる。突然、何者かに憑依されたかのように怒りの頂点に達するゴウさんの沸点が何なのか、どこにあるのか、僕らには全くワケが分からず、どちらかといえばドン引きするのが常だった。
とはいうものの、酒に飲まれていない時の普段のゴウさんは、聡明な頭脳を携えた合理主義者といった感じで、友達思いの温厚な一面も併せ持った、お茶目な天邪鬼みたいな人だった。
彼の趣味はバイクとビリヤードと聞いていたが、それは僕の想像を上回るほど本格的なものだった。日本にいた頃は全国各地をバイクでツーリングして巡り、登山にキャンプにと、かなりアクティブなタイプの人間だったらしい。ビリヤードはタイに来てから覚え夢中になったそうで、今では時折タイ各地をバイクで巡り、現地の腕自慢たちとビリヤード対決するという道場破り的な旅も満喫しているようだ。
パタヤにはもう4~5年近く住んでおり、リュウさんと比べても遜色ないレベルのタイ語を操りペラペラと会話していた。タイに移住したのは20代後半の頃だというから、ちょうど僕と同じ年頃の時だ。ゴウさんは勤めていた会社を辞め、アジア各国をバックパッカーみたいに旅して回った。そして最後に行き着いた地がパタヤということになるらしいが、それは僕ら同様、現地で知り合ったタイ人女性に癒され、絆され、そのまま居ついてしまった…という理由も少なからずあるようだった。
コンピュータのプログラマーという手に職を持っているため、パソコン一つあれば仕事するのに場所は選ばない。ゴウさんは自分で設計開発したソフトウェアをインターネット上で世界中の人に向けて販売しているとのことだった。「毎月の売上は大した額ではないよ」と彼は謙遜し具体的な数字を教えてはくれなかったが、それで生活費を賄えていることに、僕は尊敬の念を抱くと同時に羨ましくも思い、海外では手に職を持つということがいかに重要で武器になるのだと改めて痛感させられた。
ゴウさんの歳は僕の少し上で、リュウさんよりは幾らか下。だから僕らの関係性は長男がリュウさん、ゴウさんが次男で、僕が末っ子の三男みたいな感じに変わっていった。
僕は折に触れて、パソコンやインターネット関連の話題をゴウさんに投げかけ、教えを乞うように専門的な知識を訊ねた。とりわけ関心があったのはもちろんホームページのことで、僕は何とか自分で作る方法がないだろうかと模索しながら、彼への相談を繰り返した。
ゴウさんはプログラマーだから当然ホームページを作成する技術も持っており、自作のソフトウェア販売サイトを運営していた。その作り方はパソコン従事者の間で"手打ち"と呼ばれるもので、HTMLタグを直接記述してホームページを作成する手法である。それぐらいのことは僕も知っていたが肝心なのはそのやり方で、先ずはタグの専門知識を覚えて身につけなければならない。
だから独学でも勉強を始めればいい話なのだが、このHTMLタグというやつが僕的にはかなりの厄介者で、英語やら数字やら記号の羅列がどうにもチンプンカンプン、何かの暗号みたいでそれを見続けるだけで頭の奥がツンツン痛くなってしまうのである。それにゴウさんに自分の時間を割いてもらってまで一から教えを乞うことは憚られた。
だが、そんなもどかしい僕の状況を不憫に感じてくれたのか、ゴウさんは得意のインターネットで色々調べて有益な情報を手に入れてくれた。それは僕が求めていたホームページ作成用のソフトを持っている人物がパタヤにいるらしいという棚ぼたの情報だった。ゴウさん調べによると、その人物は北パタヤのナクルアに住んでいる駐在員の奥さんらしく、現地の生活情報などを発信する趣味のホームページを運営しているという話であった。
日系企業で働く駐在員の奥さん……。
同じパタヤに住んでいるとはいえ、僕らとは全く接点がない社会に住む人たちである。さてはて、どうしたものか。あれこれ情報を探っていると、その奥さんがどうやら北パタヤにある日本料理店の常連らしいということが判明した。それは奇遇にも僕らにTシャツ製作を依頼してくれたオーナーが経営する店だった。
僅かながらも一筋の光が僕らの行く末を導いているように感じた。
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