第33話)パタヤでゴーゴーバー経営!?
「実はな、今、ソイパタヤランドでゴーゴーバーが売りに出てるんだよ。その経営権譲渡の話が俺にも来てるんだ」
「えっ!マジでー!?すごいねー、ニック。で、どこの店?」
「ジョージのバーの隣のソイ(小通り)にある店だよ。それで、もしやるなら、お前らをマネージャーにどうかなって思ってるんだが、どうだ?」
「えーっ、ほんとにー!?サンキュー、ニックー!!」
冷静なリュウさんは現場を見てみないと分からないと眉をひそめて答えを保留したが、僕はニックからの誘いに天にも昇るような晴れやかな気持ちに包まれた。それからすぐに物件を見に行った。まさかあの店じゃなかろうかと、僕は自分が行ったことがある店を勝手に想像したが、実際は違う店だった。それは僕がまだ入ったことがない、歴史を感じさせる古びた作りのひなびた店だった。煌びやかなネオン(電飾)に彩られた夜の顔(イメージ)とは異なり、昼間の陽光の中で見る店の外観は思ったよりも素っ気ない様相だった。
日中によく見てみればプラスティック製なのだろうか、簡素な作りの看板には、「COUNTRY A GO GO SEXY LADY」と分かりやすい英単語が並び、艶かしいポーズをとる南国レディの姿が描かれている。鍵を預かってきたニックが店の扉を開き、中へと入る。この店は俗にいうショップハウスと呼ばれる物件でコンクリート造りの3階建て。1階部分をゴーゴーバーにして、2~3階エリアはショートタイム用の客室やスタッフルーム、物置などとして使っているようだ。店の横幅の広さは2ブロック(区画)なので、よくある小型ゴーゴー店といった感じである。
店内には両サイドの壁に沿うように長椅子タイプのソファー席が取り付けられており、中央部に店の奥へと伸びる縦長のステージとカウンター席が配置されている。簡素に見えるステージ上にはゴーゴー嬢たちが弄ぶためのポール(鉄棒)が適度な距離感で並んでいる。安っぽいが耐久性の強そうな黒色の合成レザーが張られたソファー席に腰を下ろして、ステージ上に目を向けてみる。小さな作りの店なので、ステージまで数メートル程と大した距離感ではない。目線はステージで踊るダンサー嬢を少し見上げるぐらいの高さである。それはよくある店の作りで、人気店のような豪華な装飾や居心地の良さが幾らか欠けた、廃れた類のゴーゴー店といってもよかった。
入口のドアから差し込む午後の陽射しに照らされた、薄暗い店内の安っぽい作りと老朽化した建物独特の雰囲気が、いっそうそれを味気ないものに感じさせた。思わず僕は、しけた場末のゴーゴーバーで働いている自分をふと想像してしまった。
面倒くさそうな手つきでポールを弄び、ステージ上でやる気なさそうに踊っている数人のタイレディ。白く塗りたくった厚化粧から覗く顔立ちは幾分くたびれた感じで、肌(皮膚)の張りも緩みきっており、身につけているビキニ衣装の腹とお尻から贅肉をはみ出させている。それをくだらなさそうに見つめる客席にはビールをちびちび飲んでいるくたびれた老人ファラン(欧米人)が数人座っているだけだ。そんな店内の様子を、黒スラックス白シャツに蝶ネクタイ姿の僕とリュウさんが二人つまらなさそうに店の奥にあるカウンター席から眺めている…。
いざ自分が店の経営に携われるかもしれないという立場になり、いろいろ店内を観察すればするほど、粗が目立ち細かい所まで気になってしまう。昼間の店舗が見せる安っぽい作りと場末の雰囲気に、僕は全くいいイメージを持つことが出来なかった。しかし、夜になり、再び店を訪れると、僕が抱いた昼間の印象は一度に覆されることになった。
夜も更け、ジョージの店で再び待ち合わせした我々は、調査を兼ねて今度は営業時の店に足を向けた。ニックはピークタイムである20~21時頃に狙いを定めたようだ。店先に到着すると、「SEXY LADY A GO GO」とプリントされた店オリジナルTシャツにデニムの短いホットパンツ姿の若い女性二人が、手に看板を掲げ、軒先で客引きをしていた。満面の笑みで我々を出迎えると、「ハロー、ミスター、インサイドプリーズ!セクシーレディー、ゴーゴーショー♪」と定番文句を口にしながら、店内へと誘う。昼間見た看板をふと見上げると、そこには赤々とした派手な色合いの電飾が灯り、看板上で艶かしいポーズをとる南国レディの姿を、いっそう怪しげに浮かび上がらせていた。
店内に足を踏み入れると、すでに左右のソファー席は欧米人の客たちで程よく埋まっており、小ぶりなステージ上では10数人のゴーゴー嬢たちが嬌声をあげ、大音響のダンスミュージックに合わせて妖艶に踊り、客席に座る男たちに誘いの仕草を投げかけている。昼間の様相とは一変するように、店は中々盛況の様子だった。ステージを通り過ぎ、店の奥にあるカウンター席まで進むと、5~6人の欧米人がハイテーブルを囲み陽気に酒盛りしていた。テンガロンハットを被った賑やかな面々だ。ニックの姿を捉えると、すぐにその中の一人の男が立ち上がった。二人は挨拶し、握手を交わす。どうやらこの店のオーナーらしい。その欧米人はデニムのダンガリーシャツにジーンズを履き、見るからに陽気なウエスタン親父といった雰囲気を醸し出していた。
近くの席に腰を落ち着けると、ニックが経緯を説明するように僕らに語り始めた。何でもこの店のオーナーである彼はオーストラリア人で、本業はオーストラリアで牧場経営している人物だそうだ。ゴーゴーバーは初代オーナーから店の経営権を譲り受けて、すでに10年近くが経過しているらしい。今は数ヶ月単位でオーストラリアとタイを半々の割合で行き来する生活を送っているようだ。とはいえ、ゴーゴーバー経営にももう飽きがきてしまったのだろうか、今後はのんびりオーストラリアで牧場経営する方に比重を置いた余生を過ごしたい。そんな思いから店を誰かに譲ることに決めたようだった。
その話はすぐに同じエリアであるジョージの店にも持ち込まれ、現在パタヤにいる長期滞在者で、日本という異国で飲食業を経営している経験者でもあることから、ニックに白羽の矢が立ち、話が持ちかけられたという流れである。実はニックの他にもう一人有力候補がいて、彼は店の常連客の一人らしい。ニックと同じ退役アーミー(元米軍)で大佐だったという人物のようだが、酒癖が悪く常連の間ではあまり評判が良くないらしい。当然オーナーからすれば、経営権を譲るにしても、やはり愛着のある店を潰されては困るわけで、そのせいか、日本でレストランバーを経営しているという経験者のニックの方にオーナーの関心は向いている様子だった。
現在営業している状態の店の一切合切、バー設備から各種機器、既存のドリンク在庫に、雇っているスタッフまで全てそのまま、経営権を譲渡する。(現地のスタッフからすれば店のオーナー交代ぐらいの感覚だろう)
そのために支払われるのが権利金だ。欧米文化が根付いているパタヤではこれをキーマネー(KEY MONEY)と呼ぶが、それは総じて日本の礼金のようなものでオーナー側(貸主)が手にする金銭だ。それにデポジット(DEPOSIT)があり、こっちは保証金(敷金)のことで、解約時に(条件付ながら)戻ってくる金銭という取決めである。其々を何ヶ月分という感じで物件の貸し借りがなされるわけだが、アパートを借りる際も同様である。だから、タイで何かしらの物件を借りる際は、ノーキーマネー(NO KEY MONEY)というのが、借りる側からすれば狙い目になるのである。
とはいえ、ニックに話が持ちかけられたゴーゴーバーの物件は、当然それに店の経営権ほか諸々も付随しているので、キーマネーとはいえ、その辺の空き物件を借りるのとはワケが違った。店は今現在も目の前で日々営業を続けているのだ。そのまま経営を引き継いで同じ店として運営を続けていくのか、あるいは、多少の資金をかけてでも自分の趣味の店へと改装するのか、ドリンクの料金を変更するのも、今いるスタッフやゴーゴー嬢たちを解雇するかどうかも、全てニックの判断次第になる。
「お前ら、どう思う?」。実際、営業中の店(現場)に連れて来られて、ニックに感想を訊かれ、僕はどう返答しようもなかった。まさに当時の僕はニックが言うところのパピー(ヒヨッコ)だったから、何をどうした方がいいのやら全く分からなかった。意見などあるはずもなく、ただ、パタヤの夜の女たちが言う「UP TO YOU(あなた次第ヨ)」とばかりにニックに全てを委ねるだけだった。
その店の経営譲渡の権利金は100万バーツだったか200万バーツだったか忘れてしまったが、店を多少リニューアル(改装)したとして、毎月家賃やらスタッフの給料など諸々支払って、と、ざっと運営するためのコストを計算しただけでも、1千万円ぐらいの出費は当然覚悟しなければ出来ないような話だった。もし赤字経営になれば2、3年で数千万円が飛んでいきそうな話であった。
店の初代オーナーに支払われるのか、それとも物件自体のオーナーのタイ人がまた別にいるのか、家賃は毎月10万バーツ程だった(と思う)。スタッフの給料は掃除係りやボーイ、ウエイトレスから、踊り子(ゴーゴー嬢)、売れっ子のショーガールまで様々あり、最低賃金2~3千バーツ程から最高1~2万バーツ位までと、パタヤの夜の店の雇用相場に応じて細かく設定されているようだ。
ドリンクの設定価格は、アルコール類がだいたい70、80バーツから100バーツ前後といったところ。これに店の女性たちが客から強請るレディスドリンクが120~150バーツ前後。そして店から女性を連れ出す際に支払われる連れ出し料金=バーファイン(ペイバー)が500バーツ程。この効率よく原価なしで利益となるレディスドリンクとバーファインで店は稼いでいくというのが大体のゴーゴーバーの仕組みだ。(それは客の立場からでも分かる話ではあるが…)
ニックが現オーナーから聞いた話によると、ローシーズンはボチボチ、しかし年末年始のハイシーズンになると放っておいても店には客が溢れる大入り営業が続くそうだ。一日で100万バーツ近く売り上がることもある。だから1年間の支出入をトータルして考慮しないといけないという話であった。それはイコール、繁忙期と閑散期の差があるのが観光地パタヤの特色であると同時に、ビジネスする側の目線で言えば振り幅の激しいものであるという現実でもあった。
ニックは決断に迷っている様子だった。それから、ニックに連れられて毎晩、繁華街に繰り出し、ウォーキングストリートにある最近流行りの人気店から、閑古鳥が鳴いているような廃れた店まで、いろいろなゴーゴーバーに足を運んでは、市場調査という名目のはしご酒を繰り返す夜がしばらく続いた。ゴーゴーバーを一通り回ると、そのうちバービア街へと場所を移し、パタヤの夜の街を観察するように時を過ごした。
色々回って見て分かったことは、観光客から長期滞在者まで集うような人気店には、ゴーゴーバー、バービア問わず、やはりそれなりの理由があるということだった。それは接客する現地女性の態度だったり、レディの質だったり、ドリンクの料金、店内に流れるBGM(音楽)、店の雰囲気、居心地と色々あるのだろうが、流行りの店にはどの店にも何かしら特色があった。それはその店の名物ママだったり、ボスの存在ということでもあった。結局はその店の長の人となりが、大よその店のオーラというものを形作っているのだった。
中でも毎晩人々で賑わっているソイ7、8周辺のバービア群で飲むことが多くなった。ニックは数店の人気店だけにターゲットを絞って、夕暮れ時の早い時間から店に足を運び、数時間に渡り、客の入り具合を観察するようにのんびり酒を飲んだ。実際、ソイ7という1本の通り(エリア)だけに目を向けてみると、印象的な二つの人気店があった。
一つは「ANNA JET」というバービア店だ。その名の通りアンナという名物ママさんがボスの店である。ジェットはソイ7の数字の7(タイ語でジェッ)とかけているのだろう。アンナママは年の頃が30歳を少し過ぎたあたりで、昔は夜の世界でかなりの売れっ子だったであろうことを思わせる、妖艶な雰囲気とナイスバディな細身の体躯を併せ持つタイ人女性である。毎日派手なセクシードレスに身を包み、軒先のママ専用席に陣取って、店で働く女性たちを従えるように、時に先導するように自らも軒先に立ち、目の前の通りを闊歩する男(客)たちを出迎える。店内中央にはポールつきのお立ち台が設置されており、DJブースから最新のヒットソングやダンスミュージックが他店に負けない爆音で鳴り響く。それら全てを指揮するようにアンナママが先陣をきって妖艶に踊り、自らも通りに出て、働く女性たちの士気を上げながら、客引きを繰り返す。
衣装からこぼれるような自慢のオッパイはシリコンでも入れて豊胸しているのだろうか、見せつけるような胸元から谷間にかけてはキラキラと光るラメが振りかけられている。(本物なのか偽物なのか分からない)ギラギラと眩しく光るネックレス、手元にもゴールドの指輪にブレスレットとゴージャスな装飾品を身につけている。美容院で小綺麗にセットされた頭には、これまたド派手な髪飾り。その豪華な装いが褐色の肌と相まって、古代エジプトのクレオパトラの肖像画のようなイメージを彷彿させた。そして彼女の周りからは常に甘い大人の女の香水の匂いが漂っていた。(整形しているのか)鼻筋の通った整った顔立ちに、年齢を感じさせないセクシーな体つき、それに大人の色気をムンムンと漂わせるアンナママは実際、店の若い女性たちを差しおいて、欧米人の客たちから好意を抱かれることが多々あるようだった。
店内奥の右手スペースには1ゲーム10バーツを徴収するビリヤードテーブルがあり、中央部には店の正面に向けて全体を見守るように大そうな仏陀スペースが設けられている。大小10数体の仏像、招き猫みたいな仏像、高僧像に、キングの肖像写真などが所狭しと安置され、生花や果物、ジュースに酒、食事など大量のお供え物が並んでいる。毎日夕方18時になると店内と軒先は大量に火をつけられた線香の煙りと匂いで充満する。信心深い仏教徒で、金儲けに貪欲。アンナママはそれを地で行くような人物だったが、人気店の理由は全て彼女のおかげと言ってもいいほど目立ち、特徴のある店だった。
それを影ながら支えている資金元ともいうべき存在が、イングランド人の旦那(オーナー)だった。30歳そこそこのいけいけアンナママに対し、見るからに60歳をとうに越えた熟年長期滞在者を思わせる落ち着いた佇まいだ。アンナママがモテルるため、彼女が客と親しげにしていると、そのジェラシー(嫉妬心)からか老齢の旦那がヤキモチを焼いたように店内で言い合いのケンカを始める。その内、居場所がなくなり、オーナーである旦那は上階に逃げるように店を後にする、といった光景を度々目にした。
ショップハウスである店の上階部分はショートタイム専用部屋、あるいは短期滞在者向けの宿泊施設としても利用されている。店で働く女性たち専用の部屋もあり、田舎から出てきたばかりの女性たちの雑居部屋も兼ねているようだ。他のバービア店と比べて、この店には他店の倍以上のかなり多くの女性たちが働いていた。アンナママが指示を出しているのか、その服装や衣装も様々で、若い娘からベテラン組まで数多くのタイレディたちが在籍している。月単位でサラリーをもらって働いている女性がほとんどだが、売れっ子ともなると店とフリーで契約を結び自由に出勤している女性もいるようだ。
アンナジェットには定期的に新しい女性が入ってきた。田舎から出てきたばかりの東北イサーン娘から、どこかのエリアから噂を聞きつけてパタヤ内で職場を変える売春婦まで、常客がついて辞めていく女性もいれば、ぞくぞくと新米レディたちが入れ替わりする店でもあった。これだけの女性がいれば、其々の田舎からまた一人、二人と若い志願者が集まるのも容易に想像できた。それはどう見てもアンナママの手腕によるものだった。店には常に女性が溢れ、通りにはみ出すようにしてワイワイと客引きする。その賑やかさに釣られるように客が入り、それを見てまた客が入り倍々に増えていく。という好循環が見事に成り立っていた。アンナジェットは名前そのままにアンナママの店と言ってもよかった。
対照的にもう一軒の人気店は、仲睦まじい夫婦が経営しているバービア店で名前は「IRISH BEER BAR」という。アンナジェットが派手な赤一色なら、こちらは黒と緑のストライプを基調にした落ち着いた色合いの店だ。肩まで伸びた白髪の長髪をポマードでオールバックにまとめた高齢の渋いアイルランド人がオーナーで、タイ人の奥さんである小太りのママさんと二人で仲良く店を切り盛りしている。白いスラックスに派手なアロハシャツの胸元をだらりと開けてモジャモジャした胸毛をさらしている。そんな服装をしたオーナー親父の趣味そのままに、店では趣味の良いロックな曲調の音楽が流れる、のんびり居心地がいい屋外店だった。
こちらの店は、夕方OPEN時~20時までと客足の少ない早い時間帯にハッピーアワーを設けており、その間は一杯頼むと無料でもう一杯ついてくるバイ・ワン・ゲット・ワン・フリー(Buy One, Get One Free)を提供している店だった。それ以降は通常価格になるが、また深夜遅くになると今度は深夜のハッピーアワーがあって割安で飲める。そのサービスが好評で店が繁盛している風でもあったが、それだけではなく、人気店である所以は、いつも愛想よく笑い、世話係りのオバサンのように店内をウロウロして客のアテンドに終始するママさんの人柄によるものだった。
ピチピチの派手なミニスカドレスから豪快な足をさらけ出し、まんまる見事に飛び出した腹の肉とデカイお尻をプリプリさせて、店内をせわしなく歩き回る。すると、すぐにパンツが丸見えになる。「オバサン、見えてるよ!」とこちらが苦笑いしながら突っ込むと、「ガハハー(笑)!タルゥンー(スケベー)」と酒焼けしたハスキーボイスで笑い飛ばす。
年はもう40歳を過ぎた頃だろうか。タイ人には珍しく、身に着けているドレスはどれも昔から長年着回しているものばかりらしい。だからサイズが合わなくなった今では、膨れ上がった身体に衣装が申し訳なさそうに張りついているような様相だ。そんなママさんが店内をのしのし歩くと、逞しい太ももにミニスカ部分が押し上げられて、そのうちパンツがチラホラ見え隠れすることになる。席に座った際も同様のことだ。その様子が面白くて仕方がなかった。笑う僕らにママは、まだ若いセクシーバディだった頃の昔の写真を自慢げに見せた。
サービスタイムが終わる頃には、「そろそろハッピーアワーが終わる時間だから、今のうちに追加で頼んでおいたほうがオトクヨ」と逐一教えてくれるお節介はいつものことだ。それに酒をねだってくることもなく、そのうち仲良くなると、逆にママさんの方から酒を奢ってくる、そして、こっちも悪くなってお返しに奢り返すというパターンだった。その人柄は店で働く女性たちの見本であり、教育となり、皆に慕われるママさんであれば自ずと女性たちも集まってくる。繁盛店には必ずそこを仕切るヤリ手のママさんがいるのが常で、それが絶対条件のようでもあった。
それがニックが感じた結論であり、タイ滞在歴の長いリュウさんも同様の見解だった。
市場調査も大事だが、やはり店を実際に運営していくのは人である。とりわけ夜の店ではそこで働く女性たち全てを指揮し、同時に人員を調達し続け、回していくような人心掌握術に長けた人物(パートナー)が必要不可欠であり、人脈が広い経験者のママさんが鍵を握りそうだというのが、ニックが行き着いた答えだった。事実、ニックが慕うジョージにも長年連れ添ったタイ人の奥さんがおり、店のマネージャー兼キャッシャーとして、日々バー経営をサポートしていた。
ニックは日本で自身が経営する店のスタッフたちを例にとって、「日本人はお金をごまかしたり、くすねたりすることが驚くほど少ないんだ。アメリカでは考えられないことだよ」と日本人の国民性とも言うべき性質を度々褒めては感心していた。こんなに信頼のおける民族は他にいないと親日家の所以を語った。以前、フィリピンでゴーゴーバー経営した時は散々な目に遭ったようだ。だから、ニックがタイでのゴーゴーバー経営に慎重になるのも仕方なかった。結局は、自分が心から信用のおけるママさん、ひいてはタイ人のパートナーを先ず見つけなければ、ナイトバービジネスをするのは難しく危険なのではないかというのが、ニックの結論のようでもあった。
ニックの関心はそのうち、金の出入り(上下動)が激しいゴーゴーバー経営よりも、幾らか投資額も抑えられるバービア経営のほうに向けられるようになっていった。
そんな折、ちょうどソイ7にバービア店舗の空き物件が出ていた。何でも物件オーナーが強気な人物らしく、家賃が高いとかキーマネーがボッタクリ価格だとかいって、数ヶ月空きが続いているようだ。前借主のファラン(欧米人)は契約更新時に家賃を図太く値上げされて、交渉決裂して出て行ってしまったようだ。
この手の商売向け物件では、大家(貸主)からの条件が単年契約とか2~3年の短期契約ということが多いらしい。それで店が繁盛しようものなら、契約更新時に(貸主都合で一方的に)家賃を値上げするという算段だ。これが海外でのビジネスというものなのか。そんな欧米流とでも言うべき、タイはパタヤで商売する上での掟のようなものを、僕はニックから色々と教えてもらうことになった。日本ですら商売の経験がない僕は、いつもただニックの話に耳を傾けるばかりだった。
ニックにとって、ゴーゴーバー経営はやはりハイリスク、ハイリターンな商売といったイメージの方が勝ってしまったようだった。そのうち、もう一方の常連の候補者に数人が加わる形となり、共同出資で店の経営が譲渡されるという方向に話は落ち着いたようだった。
それから、ほどなくして、ニックおじさんはタイで何かをやるためのパートナーを見つけるように、一人のタイ人女性と出逢った。
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