第34話)ファランとイサーン娘のパタヤ恋模様

ゴーゴーバー経営の話も立ち消えになり、ニックとも数日ほど顔を合わせず、ほどなくした頃だった。久しぶりにニックから連絡があり、リュウさんと二人ジョージのバーへ足を向けると、ニックの隣に知らないタイ人女性の姿があった。僕らを出迎えるようにカウンター席から立ち上がったニックは、軒先に留めてあった真新しいバイクを指差し、満面の笑みで僕らに見せた。


「お前ら、見てくれよ。俺もバイクを購入したぞ!ホンダのマシンだ」


「ワオ、これニックが買ったの?すごいねー、幾らしたの?」


「南パタヤのホンダショップで買ったんだ。保険など諸々全部で5万バーツぐらいだったよ」


「へぇー、すごいねー、いいねー」


それは日本でいうカブみたいな原付バイクで110ccのタイモデルだった。ニックはすでにパタヤ郊外にある陸運局に赴き、タイのドライバーズライセンス(運転免許証)も取得済みのようで、そのカードを財布から取り出して得意げに見せた。およそ15万円程の買物をさらっとするニックの経済力を僕は羨ましく感じ、彼の行動の早さに感心するだけだった。


そして、ニックは元いたバーのカウンター席に戻ると、一人のタイ人女性を僕らに紹介した。


それがニックの将来のパートナー候補とでも言うべきイサーン娘との出会いだった。


ネン(19歳)。両手を胸元で合わせてワイ(合掌)しながら、恥ずかしそうな面持ちで「サワディーカー(こんにちわ)」と僕らに挨拶してくる彼女の第一印象は、あどけない素朴な田舎娘(純朴娘)といったものだった。「マーチャク・ティナイ?(どこの出身?)」とすかさずリュウさんから挨拶がてらのジャブ(タイ語の問いかけ)が彼女に向けられる。すると幾分表情を緩めた彼女は、その質問には答えず、「アナタはタイ語が話せるの?タイ人なの?」とタイ語で答え、リュウさんに驚くような表情を見せて明るく笑った。どうやら彼女は英語が全く話せないようで、ニックが話す言葉も全く理解できていないらしい。ニックの方はタイ語が話せないから二人はほとんど会話が出来ていない様子だった。


ニックが彼女との経緯を僕らに語る。


「数日前の午後のことだが、ジョージのバーで知り合ったヤツらと一緒にソイ6のショートタイムバーに行ったんだ。彼女とはそこで出逢ったんだよ。田舎から出てきて丁度その日から働き始めたって日に、ママさんが俺に勧めてきたんだ。だから俺が初めてのカスタマー(客)ってわけさ。それで2階に上がったんだが、彼女、BJ(ブロージョブ)も満足に出来なくて、まだ何も知らないピュアレディみたいなんだよ。それに性格も無邪気そうだったから、ついつい連れ出しちゃったんだよ…」


ニックははちきれんばかりの若さを振りまいているネンに一目惚れしてしまった様子だった。


「ソイ6から連れ出した初日の晩のことだよ。彼女、ホテルのエレベーターに乗ると、ギョッと目を剥いて怖がる表情で何かブツブツ呟いているんだ。どうやら今までエレベーターに乗ったことがないらしい。それで、その晩はベッドで俺と一緒に寝ることを嫌がってさ。一晩中、椅子の上で毛布を被って起きてたんだぞ。エアコンにも慣れていない様子で子羊みたいにブルブル寒そうに震えてさ。まったく笑っちまうよ。彼女にとってはパタヤで見るもの触るもの全てが初めてで、都会のホテルで初めての外国人と過ごす夜に怯える田舎娘って感じだ。ああ、なんてこったい、彼女はホントに(ファッキン)ピュアレディなんだよ…(苦笑)」


黒褐色と言っていいほど、こんがり黒々と焼けた艶のある肌は熱帯地方の太陽をいっぱいに浴びて育ってきたことを思わせる。ネンの出身はイサーン(東北地方)のコラートだった。彼女がリュウさんとタイ語で会話していると、すぐに訛りのあるイサーン語が節々に顕れた。ネンが語る田舎は山、川、田畑と自然に囲まれた農村みたいなイメージで、家族は農家で、牛や豚、鶏などを飼っているといった内容から、かなりの田舎であることを想像させた。ネンは幾分むっちりとした肉付きのいい健康的な身体つきをしており、天然ものの豊満な胸に加え、あどけない純朴な性格が余計にニックを虜にさせていた。


それから、ニックは住まいのホリデイホテルでしっぽり彼女と二人だけの時を過ごし、同棲生活する恋人のように四六時中ネンを連れ立って歩くようになった。それも一週間が過ぎると、店のボス(ママさん)と話をつけ、数万バーツの代償(身請けのような金銭)を支払って、ネンを店から開放し(辞めさせて)、自分だけのものにした。


どうやらニックの恋は本気の様子だった。それから僕らはニックのおノロケ話を度々聞くことになった。


「お前ら、聞いてくれよ。今日はショッピングモールのロイヤルガーデンに行ったんだけど。彼女、初めてのデパートに来た子供みたいに驚いてさ。エレベーターが初めてなら、エスカレーターも初めてなんだよ。その度にいちいち怯えて、子羊みたくブルブル震えて、何かタイ語でブツブツ言いながら、俺に寄り添ってくるんだよ。映画にも行ったんだが、もちろん映画館も初めてだ。それに彼女は肉食で大飯食らいなんだよ。ステーキを食べさせたら、平気でお代わりして500gの肉を2枚ぺろっと食べちまうんだからさ。全部で1kgだぞ!まったく彼女は本物のピュアガールだよ」


ニックはアンビリーバボー(信じられない)といった感じで両手を広げ、ニヤリはにかみながら僕らに語りかけた。


二人の会話はあやふやなボディランゲージばかりだった。ネンはニックに対し、両手の人差し指を頭に添えて(角に見立てて)、「ユーはバッファローみたいだ」とニックを牛に例えて笑う。一方、ニックはそれに応えるように、ネンを羊や犬、チキン(鶏)などに例えてやり返す。ニックは英語の会話レベルを落として、身振り手振りで彼女と無邪気にやり取りすることを楽しんでいる様子だった。


パタヤで接する全ての事象に対して、初めて都会の喧騒や享楽施設にふれた時の子供のような新鮮な態度を示し、驚き喜ぶ。東北地方のコラートという自然豊かな農村が育んだ元気ハツラツな村娘の天真爛漫さは、ニックの心を捉えて離さなかった。そして、この出逢いがニックを変えた。幾つになっても恋する男は子供のようなものなのであろう。しかし、それだけではなく、ニックには考えがあった。それは(自分のためだけではなく)彼女の将来のために教育の機会を与えるというものだった。


当然、彼女の若さ溢れるナイスバディに陥落してしまったニックだけに、彼女にはブロージョブ(スモーク)のやり方から様々な体位まで、彼なりの夜の営みを教え込み、ネンを自分仕様の女に変えていった。そして、昼間の時間は、彼女を英会話とパソコンの学校に通わせるように仕向けた。ネンには田舎に旦那も子供もいない、今まで彼氏すらいたかどうか怪しいほどだ。それでも田舎の家族たちの期待を一身に背負ってパタヤへと出稼ぎにやってきたのであろう。ネンはニックの期待に応えるように、いや、それは若さゆえの野望に満ちたネンの情熱からくるものだったのか、彼女は毎日休むことなく真面目に学校に通うようになった。


ニックはネンを店から連れ出し自分のものにしてからは、毎日500バーツの小遣いを彼女に与えていた。一緒に銀行に赴き、それを貯金していくための口座を開いてあげた。ネンは洋服や化粧品といった私物にそれを使うようなことはしなかった。ニックと一緒にいればお金を使うことはない。食事代など生活にかかる費用は全てニックが支払ってくれる。ネンは毎日ニックからもらう500バーツの小遣いを全て貯金するような性格だった。ニックはそんなネンに感心し、いっそう惚れていく様子だった。


そのうち、ニックは車をチャーターして彼女の田舎であるコラートに足を延ばした。数日の田舎滞在から戻ってきたニックが興奮しながら言うには、想像していた以上に何もない田舎だったらしい。アスファルトなどない赤土の道路には牛、鶏、犬といった家畜が行き交い、ぽつぽつと木造建築の簡素な住まいが点在する、山と田畑が広がる農村。それがネンの生まれ育った故郷だった。


ネンは久しぶりの実家に凱旋するように戻り、その手土産とばかりに両親に子牛を買ってあげた。農業を営む両親がずっと欲しがっていたものだったらしい。それはネンがニックに連れ出されてから一緒に過ごした間にもらった金銭、そして毎日ニックからもらう500バーツの小遣いを貯めてきたもので、子牛の値段は5,000バーツ程だった。ニックはそんなネンの親思いな行為に感銘し、追加で数万バーツ分の大人の牛2頭(雄雌)を両親にプレゼントした。 また家族には挨拶代わりのテレビを持参し、滞在中には幾つか農耕器具も買ってあげた。それは彼らの価値観(環境)を尊重し、ネンの家族のためになるものに自分の金銭を使う、ニックの粋な計らいであった。


それがニックというアメリカ人おじさんのやり方だった。


「俺が思っていた以上に彼女は将来の自分に対して情熱的だし貪欲だよ。それにスマート(賢い)なんだ。毎朝早くからソンテウに乗って学校に通って、本当に勉強熱心だよ。一日10個ぐらいは単語を覚えてるんじゃないかな。それに覚えるまで毎日何度も復習してな。英語もみるみる話せるようになってきたし、まったく大したもんだよ」


ニックは自分がタイ語を学ぶということは絶対しない性格だった。覚えたとしても、それは片言の僅かな単語だけだ。子供に一から言葉を教え込むように、ネンには常に英語で語りかけ、それを理解させようとした。それがニックのやり方だった。


すぐにネンは片言の英語を話すようになった。しかも、ニックが話すスラングを真似しているから、流暢な発音をそのまま音で覚えて口に出しているような言い方が、少し小生意気に感じられた。それでも日々ニックとの会話で鍛えられているわけで、僕の英会話力なんてすぐに追い抜かれてしまいそうな勢いと成長の早さだった。


ニックはそんなネンに対しての正直な想いを、僕らに打ち明けるように話してくれた。


「実際、彼女とはいつまで続くのかなんて俺には分からないよ。俺はもうそんなに若くないし、いつ死ぬかも分からないしな。だから今後もし、彼女が俺の元を去るような時が来るならば、何か残してあげておきたいんだ。またショートタイムバーに舞い戻るなんてことにだけはならないようにな。そのためには彼女に教育の機会を与え、一人前の大人の女性にすることしか、今の俺にやれることはないんだよ。


それで彼女が大人になり、自立して望む全てを手にした後に俺の元から去ったとしても、それは仕方のないことさ。そのうち彼女と結婚して、彼女に最後を看取ってもらおうなんて気持ちは更々ないんだ。俺は2回結婚に失敗してるし、国際結婚はもう懲り懲りだよ。今まで散々好き勝手に生きてきたから、死んだら日本人みたいに火葬して骨はパタヤ湾にでも流してくれればそれで満足だよ…」


それがニックの想いであり、親子ほどに歳の離れたネンとの現実を、冷めた目線で捉えるニックの性格でもあった。


身請けするようにネンを店から連れ出し、自分のものしたニックのやり方を見て、僕は金と権力にモノを言わせるアメリカ人の本性が少し顔を覗かせたように感じていた。それに金銭的な援助を受けられるとはいえ、ネンの本心はニックに何を求め、ニックに対してどのような感情を抱いているのかが不透明だった。ただ、ニックを慕い、無邪気に寄り添っているようには見えたが、彼女が将来的にニックとの結婚を望んでいるかどうかなど当然分からないことだった。


田舎に家を建て、車を買い、軒先で店をやらせて、全てを買い与え、整った後にタイ人女性に捨てられてしまう外国人男といった例は過去にいくつもあった。それは滞在歴が長いジョージから聞く話であり、ニック自身のこれまでの豊富な女性経験から辿り着いた答えだったのかもしれない。結局、どこの国どんな人種(民族)であれ、一人の女性を自分仕様のものにすることなど到底無理な話なのであろう。


ネンを一人の女性として尊重し、将来への道を提示しながらサポートするように教育していく、親のような目線、寛容なやり方、付き合い方に僕は感心するばかりであった。ニックはやはりデッカイ男だった。


僕はそんな二人を微笑ましく見ては、羨ましくも思い、自分とエルとの境遇を恨めしく感じた。


早く自分も何かをして稼いでいかなくては…という焦燥感は大きく膨れ上がる一方だった。


そして、甘い生活を繰り返していると感じていた僕の幼稚な想いとは裏腹に、僕とエルとの間に潜む闇(現実)は、すぐそこまで忍び寄っているのであった。

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