第26話)憧れのアメリカン・ダンディズム

いったい自分は何者なのだ。今ここに存在している私といったアイデンティティやパーソナリティとは何なのだろうと思うことがある。他人から見た私という人間と、自分自身が私だと感じている人間にはいつでも少なからずズレがある。親・兄弟・友人・知人など周囲にいる身近な他人は僕という人間を「あなたはこうだね」とか「君のことだから」などと勝手に決めつけ認識するが、僕が感じている自分は「いや、そうじゃないんだけど」と心の中で否定する場合が少なからずある。


それは我々の思考や価値観といったものは、日々いろんなものを見て考え感じ、影響され、心変わりしているし、人間とは常に変化を繰り返している生き物だとも言えるからだ。いや、細胞レベルでいえば自然界に存在する生物は全てそうなのかもしれないし、仏教的にいえば諸行無常というやつであろう。もちろん子供の時の自分と大人になった今の自分とでは全く別人というほどに違う。


とはいえ、自分という人間を全く理解できないまま、生きていくわけにもいかないので、歳をとると共に漠然ながらも自分というものを確立するようになる。他人は自分の鏡とも言うが、まさにその通りで、他人から見た私と自分が感じている私とで何となく自分という存在に帳尻を合わせるようになる。


しかし、性格や性質などの根底にあるコアな部分は幼少時代に得た原体験が全てといっていいほど自分に影響を与えているような気がする。いや、それは根付いているといったほうがいいのかもしれないが、子供の時に初めて見て感じたものは、どれも強烈かつ新鮮で、それが自分を形作っている土台のようにも感じるのである。


福岡の片田舎で生まれ育った僕にとって、野山を駆け巡り、海や川で遊び、自然やそこに生息する生き物に接した数々の記憶たちは大人になった今でも決して色褪せることはない。自転車に跨り隣町までほんの数キロ行動範囲を広げるだけで、それはとてつもない冒険に出かけるような気分になったものだ。だが人間は観念的な生き物だというだけあって、いつしか大人になるにつれ、それらの体験を記憶の欠片として身体の奥底に封印するように仕舞い込む。


しかし、何かのきっかけで観念というものが振り払われ、自分の奥底から湧き出してくる衝動や魂の叫びのようなものに忠実になった時、そこには世間体とか目の前の社会といったものは、最早どうでもいい存在になり、ただ純粋に己の魂の欲求に従うままに、自らを果てしなく広がる世界へと開放するのだ。そして、幾つになっても大人になりきれない僕は、理性的な思考とは裏腹に、ただ衝動だけに突き動かされ、支配されるように人生を渡り歩くようになっていった。


そんな自分を感じるようになったのはいつ頃からなのだろうか…。


青春時代をサッカーだけに捧げてきた僕は、高校は文武両道を掲げる進学校に行ったこともあり、現役~浪人時代と二度の受験戦争に奮闘した。その反動からか、田舎を離れて上京し、独り暮らしという自由空間を手にした僕は、大学に入ると同時に12年続けたサッカー生活にサヨナラし、バイトや遊び(趣味)に明け暮れるようになった。


大学の同じクラスの友達には、テニスサークルのようなチャラチャラした軟派な同好会にいくつか掛け持ちして入り、新歓コンパやら夏合宿やら、楽しそうに合コン三昧の輩が多かったが、僕は誘われても全て敬遠した。登山部に入り、長期休みになると海外のあちこちに出かけて、世界一周とか語っているような連中もいた。もちろん皆ほとんどが毎日のように大学に通い、まさにキャンパスライフを謳歌しているといった雰囲気だった。


しかし、それまでの十数年をサッカーと勉強だけに捧げてきた僕にとって、それら典型的な大学生活は好奇心を駆り立てるような対象ではなく、とにかく都会での人間関係作りが面倒くさく感じられたし、誰にも束縛されない自由空間を満喫したかったのだ。そして、何よりしばらくはゆっくり心身共に休息したい。いや身体を使うのはバイトぐらいで十分だとでもいうように、バイト以外の時間や金は全て映画や音楽などの趣味、ギャンブル(パチスロ)につぎ込むようになった。


特に映画に対する情熱は学生時代に殊のほか大きく膨らんでいった。


子供の頃、皆ブルース・リーやジャッキー・チェンなどのカンフー映画を見て、見よう見まねで拳法ごっこに興じていたものだが、それ以上に僕が興味を覚え、子供ながらに憧れを抱いていたのがハリウッド映画に出てくるアメリカ人の主人公たちだった。テレビのチャンネル権は常に一家の大黒柱である親父のものだった。だから食事を終えた家族団らんの場では、酒に酔っぱらった親父が決まってプロ野球中継をテレビ観戦することになるのだが、そんな中たまに親父がチャンネルを回す西洋映画が楽しみの一つで、ブラウン管の中で繰り広げられる派手なガンアクションにドキドキワクワクした。


中でもお気に入りは「ダーティハリー」シリーズのクリント・イーストウッドの孤高のヒーロー像や、マンダムのCMにも出ていたチャールズ・ブロンソンの男くさい荒くれ者といった作品で、また「刑事コロンボ」シリーズの主人公ピーター・フォークの飄々とした渋い演技に魅せられ夢中になった。そして、日曜洋画劇場といえば淀川長治さんだ。子供ながらに解説に耳を傾け、ゴニョゴニョと早口でよく理解はできないが、番組最後の名ゼリフ「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」で終わる、あの独特の雰囲気が大好きだった。


小学生の頃、当時流行していたゲームウォッチやファミコンなどのゲーム機は、厳格な親父だったから買ってもらえることはなかった。「ゲームはバカになる。子供は外で遊んで来い!」という時代と教育だった。だから僕は本を読むような文学少年でもなかった。そんな昭和の田舎の環境下、テレビで見る映画は僕にとって少年時代の唯一といっていいほどの文学的とでも言うべきエンターテインメントな楽しみの一つだったのである。だからなのか、学生時代になり、独りの自由空間を手にした僕はビデオデッキ数台にホームシアター音響システム、挙句の果てには特大スクリーンにプロジェクターなど色々と買い揃えるほど、マニアのように映画の世界に夢中になっていった。


大学では周りの皆は専攻した勉学に日々勤しんでいる一方で、僕は敬愛する淀川長治さんの映画ベスト100という愛読書に感化されるように、その100本を全て見ることから始め、大学時代の4年間で1000~2000本は映画を見ようと自分に誓うほど映画にはまっていった。下北沢のレンタルビデオ屋に夜な夜な通い、俳優の柄本明さんに度々遭遇したりしながら、一週間で10本のノルマを淡々とこなすように様々なジャンルの映画を貪るように見まくり、渋谷や新宿、恵比寿の映画館に足繁く通った。


そんな僕が特に影響され、渋く格好いい大人のイメージとして、今でも強い憧れの気持ちを抱いている俳優が何人かいる。


それは「パーフェクト・ワールド」や「フィールド・オブ・ドリームス」のケビン・コスナーが演じる無骨だが優しい夢に生きる男像。


「ハスラー」や「スティング」、「明日に向って撃て!」など名作揃いのポール・ニューマンは僕にとってMr.ロマンスグレーとでも言うべき大人の男の理想像で、スマートな立ち振る舞いや、それぞれの物語の中での生き様に憧れた。


そして最後にワイルドでアウトローと言えば「大脱走」、「荒野の七人」、「シンシナティ・キッド」、「ゲッタウェイ」など数々の代表作があるスティーブ・マックイーンだ。粗野で破天荒だが身体能力抜群で孤高の男といったイメージの彼に憧れ、真似するように僕が学生時代に小遣いをはたいて買ったのがタグホイヤーの時計だった。


どの人が一番というわけではなく、とにかくこの三人が映画の中で演じる主人公の男くささや、そのストーリーにかなり刺激され、自分も映画のような物語性ある人生を歩んでみたいと、漠然とながら空想するようになっていった。


そんな子供じみた考えで大人の仲間入りをしようとしていた僕にとって、親父には育ててもらった感謝の気持ちばかりであるが、とはいえ彼は理想の父親像ではなかった。確かに親父が会社で昇進する度に家庭は裕福になり、色々買ってもらったり、東京の大学まで行かせてもらい、世間的に見れば僕は贅沢に育ててもらった部類の子供だと言えるだろう。


しかし、僕は薄くなった頭とでっぷりビール腹のゴルフスタイルの親父に対して何の憧れも感じなかった。糖尿病だとか塩分控えめだとか身体を心配しつつも、いつも夜遅くに酒臭い泥酔状態で帰宅し、トイレでゲーゲー吐いている親父を見て、明らかに「食べすぎ、飲みすぎだろう」と冷めた感情を抱いていたし、それもいつしか自分が思春期の年頃になると「ダセェ」と感じるようになり、反面教師のような存在になるまでに大きく変化した。


「俺は親父のようにはなりたくない…」


しかし、親父たちが住む大人の社会の中には、除け者のように周りから浮いた存在に見える大人たちもチラホラいた。それは幼少時代に感じた、今でも強烈に残っているイメージであるが、今でいうところのアウトローといった雰囲気を十分に醸し出している親戚のオジサン、いや福岡の方言で言うところの「オイチャン」であった。


親父の親父、僕にとっての祖父ちゃんは僕が物心がつく幼少の時にはすでにかなりの高齢だった。というのも、うちの親父は10人兄弟の末っ子で、戦時中の「産めや増やせや」の時代に生まれ育った世代なのだ。それは母親の一族にも言えることで母親は7人兄弟の末っ子。末っ子同士のお見合い結婚というやつである。だから僕ら兄弟にはオジサン程に歳の離れた従兄弟から、見たこともない親戚まで、いったいどれだけの親族関係者がいるのか、よく把握できないほどだった。


そんな田舎の家系で生まれ育った昭和の幼少時代、決まって夏休みのお盆時期になると、本家に一族たちが集い、先祖を奉り供養し、大宴会が数日間に渡り続くことになる。座敷を開放した大広間で親戚のオイチャン、オバチャンたちに囲まれ、飲め食え歌えの大騒ぎだ。そして、夜も更けると決まって花札が始まる。高校生以上の従兄弟の兄ちゃんたちは大人に交じって花札に参加し、僕ら子供たちは隣のテーブルでドンジャラや人生ゲームなどボードゲームに興じる。


そんな中、一族たちの宴からはみ出すように、いつも隅っこで独り酒を呑んでいるようなオイチャンが数人いた。特に僕にとっては大阪のオイチャンが最も強烈な存在だった。母親の歳の離れた兄貴ということになるらしいが、細面で白髪のパンチパーマの彼は、いつも決まって上下真っ白のスーツに白いクロコダイルの革靴、蛇革のベルトといった派手な装いで、首からは太い金のチェーンネックレスをぶら下げている。


日本酒やワンカップ焼酎を舐めるように呑みながら、もくもくとハイライトの煙りを燻らせる。煙草を持つ指先には角太のゴツゴツした金の指輪が光り、それを興味深く眺めていると、小指辺りに違和感を感じる。するとオイチャンはガハハと豪快に笑いながら、よく出来たシリコン製の小指の先端部分をつけたり外したりしながら、僕ら子供たちに自慢げに見せつけるのだ。


うちの家に数日ほど居座り、上下ステテコ姿で、朝から高校野球をテレビ観戦しながら酒を呑み、妹である母親に対し、灰皿やら酒やら食事やらを持って来いと大阪弁で命令するように告げる。僕ら兄弟はそんなオイチャンを見て、彼はヤクザに違いないと話していたが、母親が言うにはオイチャンの仕事は鳶職で、指は仕事で切断したものだということだった。母親の一族は大工の家系で、親戚には豪快な酒飲みのオイチャンが多かった。


そして、大阪のオイチャンは決まって昼過ぎになると、僕ら兄弟を近所のスーパーへと連れ出しお菓子を買ってくれ、ゲームセンターに行くと遊んで来いと小遣いをくれ、ひとしきり遊ぶと豚骨ラーメンを食わせてくれ、最後にはパチンコ屋に連れて行かれるというパターンだった。母親は「兄ちゃん止めてよ」と渋い顔をしたが、僕にとって大阪のオイチャンは謎に満ちた怪しい、でも魅力を感じる大人の一人だった。


近所に住んでいた大工のキヨおいちゃんも、僕が大好きな大人の男だった。いつもふらっとうちを訪れては、大阪のオイチャンと同じように、妹である母親に酒を強請っていた。キヨおいちゃんは季節問わずいつも真っ黒に日焼けした肌に筋肉隆々の体つきで、上腕に力こぶを作ると大きなソフトボールのような硬い筋肉ボールができあがる。それを僕らに見せつけ、僕らがスゲェと歓喜しその力こぶに触ろうとすると、その反動のように握った拳を振り下ろし、頭にゲンコツしてくるのだ。そして頭を抱えて痛がっている僕らを見て、ガハハと豪快に笑うのである。僕ら兄弟は予想以上の衝撃と痛みに頭をさすり、でも涙混じりにケタケタ笑い転げる。


サラリーマンなので平日の午後に家にいることはない親父とは違い、キヨおいちゃんは夏休みになると山へクワガタやカブトムシ採りに連れて行ってくれたり、器用に木を削って弓矢やパチンコ(ゴム銃)を作ってくれたりした。僕らが川釣りに興じているのを知ると、秘密の場所のような山まで連れて行かれ、五三竹(布袋竹)という珍しい竹を取ってきて僕ら専用の釣り竿を作ってくれた。それは根っこに近い部分の節が重なるように詰まって太くなっており、その節が握り心地の良いグリップになるお手製の釣竿で、僕らは自分で選んだ竹で作ってもらった世界で一つだけの釣竿を宝物のように友達に自慢した。


そんな子供にとって優しく遊んでくれるオイチャンたちは、田舎を駆け回り自然の中で育った僕にしてみれば、子供心に体感した強烈なイメージであり、格好いい大人を感じた初めての記憶であり、今も尚、心の奥底に眠っている憧れでもあり、僕という存在を形づくっていった原体験のようなものだと思う。僕はそんなアウトローとも呼べそうな男たちに、心のどこかで影響されるように成長していったのだろう。


ただ、自分もそういう子供に好かれるような魅力的でダンディな大人の男になりたいと感じていたのだけは確かだった。


だからなのだろうか、僕はパタヤでアメリカ人のニックに出会い、彼を知るようになると、すぐに彼のことが好きになり、久しぶりにアウトローで破天荒な生き様の格好いい大人の男に出会ったような感情を抱いたのだ。大らかで何事につけてもスケールがデカいニックに僕は憧れを抱くと同時に、兄貴や親父のように慕っている自分を感じるようになった。


特にあてもなく仕事を辞め、フラフラしていた当時の僕(若造)にとっては、彼はまさに理想とするような人物像であり、人生を自由に優雅に渡り歩く成功者の代表のように感じられた。


僕はニックのアメリカ人的な思想や価値観に染められ洗脳されるように、彼を参考にし目標にしようと心に決めた。

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