第25話)ニックおじさんと再会の横須賀

街中にクリスマスの装飾やイルミネーションが灯り、2002年の年の瀬を迎える頃、パタヤで出会ったアメリカ人のニックに会いにリュウさんと横須賀まで足を延ばした。もらった名刺に書いてあった携帯電話に連絡してみると、ニックは大喜びで僕らを駅まで迎えに来てくれた。大柄のニックには不釣合いの軽自動車に乗り込み、ベース(米軍基地)や横須賀の街を案内してもらう。


夕暮れ時になり、ようやくニックの経営するレストランに連れて行かれた。まだ開店前の店に案内されると、ニックは彼の思いが詰まった内装や軒先の屋外テラス席etc.について、あれこれと自慢げに説明するように、嬉しそうに僕らに語った。落ち着いた色合いの照明に壁はレンガ調で統一された広々とした空間で、欧米人らしい雰囲気の店だった。


カウンター席に三人並んで座り、先ずは生ビールで乾杯する。相変わらず飲むスピードが早いニックは、あっという間に大ジョッキを空にすると、「I Love Chu-Hai Sooo--- Much!俺は日本のチューハイ(サワー)に恋しているんだ」と語り、こだわって設置したという業務用サーバーで自らレモンサワーを三杯、大ジョッキで作り、僕らに振舞ってくれた。


ほどなくして、店のスタッフたちが次々と現れるように出勤してきた。すでに僕らのことは知っているような様子で、あいさつし自己紹介しようとすると、「お二人のことはニックから色々と聞いてますよー」と皆一様に僕らに告げた。ニックは僕らのことを一体どんな風に日本人の彼らに語ったのだろう、それにパタヤの夜遊びのことなども話しているのだろうか、とあれこれ想像したが、開店前準備に追われる彼らとは、あいさつ程度の話しかできなかった。上機嫌のニックはそんな状況を見て、ただ満足そうにニヤリ微笑んでいた。


食事時になると、仕事帰りのアメリカ人や日本の大学生の集団などが次々と店を訪れ、すぐに騒々しい賑やかな空間に変わった。ベース(米軍基地)で働いているだろう客たちは、店に入ってくると決まってカウンターまでやってきて、「Hi!」とか「What's Up?」といった調子でニックと一言二言あいさつを交わす。現役のアーミーだからニックの後輩たちということになるのだろう。そして、カウンター席はニック専用の特等席になっているのか、他に誰も座る様子はなく、ニックと一緒に座っている日本人の僕ら二人を見て、皆一様に「いったいお前らはニックの何者なのだ?」といった訝しげな表情で僕らを見つめるのだった。


ニックがスタッフにお願いしていたのか、僕らの座るカウンターテーブルにはタコスのようなつまみから、メインディッシュまで様々なテキサス料理が並んだ。ニックのペースでレモンサワーが次々と作られ、全てのメニューが出てくるのではないかと勘ぐってしまうほど大量の料理が運ばれてくる。僕はすぐにデロデロに酔っ払い腹一杯となったが、まだホロ酔い程度に見えるニックは、サラリーマン上司のように、「今日は帰さないぞ、お前ら終電なんか気にするなよ、今晩は俺のマンションに泊まっていけばいい」と、ほらほら飲め食えといった感じで僕らを接待してくれた。


すっかり良い加減に酔っ払った僕は、店内に設置されたダーツマシンに興味を示し、ニックをプレイへと誘う。テレビ局でのバイト時代に、遊び人の局員たちに連れて行ってもらっていた六本木や麻布界隈のバーでダーツに興じていたのを思い出し、久しぶりにやってみたいと思ったのだった。しかし、お遊びレベルの僕に対し、ニックはさすがオーナーだけあってマイダーツ(コレクション)を持つほどの腕前だった。投げ方からプレイする際のルール、狙い目にスコアの出し方、対戦相手との駆け引きなど、ニックから色々とテクニックを教えてもらいながら、リュウさんと三人ダーツゲームに興じた。


お酒に弱い性質(たち)の僕は、酒を飲むと瞬く間に顔や全身の皮膚が赤く染まる。お酒の強い弱いを肝臓の強弱で表わす場合があるが、体内に吸収されたアルコールは血液に入り、肝臓に運ばれるとアセトアルデヒドという成分に分解される。このアセトアルデヒドが厄介者で、こいつを分解する能力に個人差があるということらしい。だからなのか、酒に強い人を見ていると、すぐに体内から分解されて排出されようとするのか、よくトイレに行き席を立つように思う。しかし、酒に弱い僕は分解に時間がかかるのか、めったにトイレに行かず、まさに体内に吸収されたアルコール成分が絡みつくように蓄積されていく感覚を覚えるのだ。


そして、酔っ払った僕を見ては皆揃って、「水を飲んで体内のアルコールを薄めたほうがいい」と同様のアドバイスをくれることになるわけだが、それでも僕的には慰め程度の効果しか得られないような感覚なのである。はたして、ふと気づくとすでに膀胱がパンパンに満たされており、入店してからかなりの時間が経って、ようやく初めてトイレへと足を向けた。


一気に全て放出するように用を足し、ふらふら千鳥足でトイレを出ようとすると、入口付近の壁にアメリカ映画に出てくる1シーンのように、ポートレートのようなニックの写真が並んで飾られているのが目に入った。ネイビー時代のセーラー服のような軍服を着ているものや、どこか異国のバーで同僚たちと撮られた写真など、展示するように額縁に収められている。


じっくり目を凝らすと、星条旗やアメリカ海兵隊の紋章、ニックがもらったであろう勲章などと共に、それぞれの時代のちょっとした説明書きがあり、僕はその英語表記を読みながら、ニックの思い出の品々を鑑賞するように眺める。そんな僕の様子に気づいたのか、カウンター席から嬉しそうにニックがやってきて、当時のことを振り返るように色々と語ってくれた。


ピークタイムが過ぎたのか、騒がしくしていた客たちもいつしかいなくなり、幾分静かになった店内で、僕はカウンター席にだらり腰かけ、ニックの昔話に心地よい気分で耳を傾けていた。ニックの半生物語に羨望を抱きながらも、自らのパタヤ移住に想いを馳せ、彼と自分の人生をダブらせるように、甘い夢と野望に満ちた今後のパタヤ生活を想像した。


すっかり夜も更け、閉店時間が近くなると、スタッフの中でもニックが最も信頼している仲間だという中年の女性が、僕らの座るカウンター席にやってきて一緒に酒を呑んだ。ニックが「ヨーコ」と連呼するオバサンは、ニックと同年代で同じく酒好きで気が合うのか、よく閉店後の店で朝まで飲み明かすこともあるようだ。


ヨーコさんは気立てのよいサバサバした雰囲気の女性で、旦那さんと二人、夫婦揃ってニックの店で働いており、ニックにとっては重要パートナーといった感じだった。ヨーコさんは旦那さん同様、旅好きで海外経験も豊富なようで、英語を流暢に操りニックと冗談を言うように会話した。ヨーコさんは店を立ち上げた当初の苦労話や、ニックとの思い出話など、振り返るようにしみじみと僕らに語ってくれた。


そして、ニックからパタヤで出会ったという僕らの話を毎晩のように聞かされていると、少し呆れるように語った。店をオープンしてから3年間、ほぼ休みなく共に働いてきたニックを同志のように思い頑張ってきた。そのご褒美とばかりにニックに休暇を取ってもらったが、何年ぶりかに訪れたというパタヤから戻ってきて以来、ニックはタイの話ばかりして少しうんざりしているのよと、僕らに嫉妬するように語った。


深夜0時を回り、ヨーコさんの話が幾分、ニックや僕らへの非難のような絡み酒に近い雰囲気になってきた頃合、日本人三人で日本語で会話している場に退屈したのか、ニックが店を閉めようと言い出し、ようやく宴はお開きになった。相変わらず太っ腹なニックは、僕らが散々飲み食いした伝票を自分専用の会計へと回し、当然のように全て奢ってくれた。それから若いスタッフたちが飲んでいるというバーに合流しようと、店を閉め、僕らを横須賀の街へと連れ出した。


ニックが「オキーさん」、「トビーさん」と呼ぶ二人はヨーコさん同様ニックの店の立上当初から働いているスタッフとのことで、ニックが頼りにしている若者二人組という感じだった。寡黙で真面目だというオキーさんに、陽気で社交性のあるトビーさん。対照的な二人の日本人についてニックが面白そうに僕らに語る。どうやら、どちらもニックがつけたあだ名らしい。


「オキー」というニックネームについては、英語のスラングで「Okey-Dokey(オーキードーキー)」という「OK」をくだけさせたような言い回しがあるらしいのだが、英語が苦手な彼がニックの話す英会話に対し、いつもただ「OK、OK」とだけ返事するのをニックが面白がって命名したらしい。オキーさんは学生時代からバイトとして働き続け、今では半ば社員のような存在のようだ。


一方、「トビー」さんは趣味がスカイダイビングという変り種で、年に何度かはアメリカまで出かけるという筋金入りだという。英語も流暢に話すとニックのお墨付きである。ニックはそんな彼の趣味を尊重し、2~3ヶ月働いては1ヶ月程休暇を与えるという、太っ腹オーナーな欧米システムを採用していた。


ニックは「日本のワーキング・システムはおかしいんだ。日本人は働きすぎなんだ。俺にとっての日本人のイメージってのは満員電車の中で一様に携帯電話をいじってゲームしている若者たちと、吊り革に手をぶら下げてフラフラと頭を揺らしているダークカラースーツのサラリーマン親父たちの姿だ。立ってまで寝るなんて本当にクレイジーだ。彼らは疲れすぎているんだよ。働きすぎなんだよ。日本人は世界ではエコノミック・アニマルと呼ばれているんだぞ。仕事が人生の全てじゃない。年に半分だけ働いて残り半分はホリデーってぐらいが丁度いい。それが俺たち欧米人の価値観なんだ。それが人生ってもんさ…」と分かりやすい英語で説明するように僕らに語りかけた。


それは自営業とはいえ、ニックにとっては異国である日本の社会やシステムの中で、これまで開店してから3年間ずっと休みなく働き続けてきた彼の今の現状に対する愚痴であり、フラストレーションのようなものに感じられた。先程までいたニックの店でこういうことがあった。ヨーコさんが僕らにニックへの不満をたらたらと洩らしていた時、日本語を片言しか話せないニックを気の毒に思い、「ニックにも分かるように英語で会話したほうがいいんですかね?」と僕が話すと、ヨーコさんは「ヤツはねぇ、日本語を片言しか話さないけど、うちらが話している内容はだいたい理解してるのよ。話している表情とか雰囲気とかも読み取ってさー。ねぇ、ニックー?」と語りかけ、ニックは少し首をかしげるようにはにかんでいた。


ニックはヨーコさんが語っていた日本語での愚痴話をどこまで理解していたのだろうか。ようやく酔っ払ってきた様子のニックは「ヨーコは仕事に熱心すぎるんだ。確かに彼女は情熱的で店が自分の全てであるかのように大切にしてくれている。でも俺はオーナーなんだよ。アメリカなら俺はオーナーだから好きに休みを取っても誰からも文句は言われないんだが、ここでは俺が休みを取るというと皆なんだか非難の目を向けて来るんだよ。それでヨーコが代表して今が大事なのよ!と言ってくるんだ。俺はもう現状で満足だから、今後は彼らに店を任せたいと思ってるんだけどな。それを理解してくれないんだ。俺はオーナーなんだぞ。おかしいこと言ってるか?」と日本人のことが全くワカラナーイといった感じで不満を洩らすように僕らに語りかけた。


ヨーコさんの言い分は、ニックが店にいなくなれば彼を慕って訪れるアーミーの常連客たちの足が遠のいてしまうのではないかといった心配であり、その思いは僕にもよく分かった。確かにヨーコさんやトビーさんは英語が話せるが、店で何か外国人客との間でトラブルが生じたとき、ニックがいるのといないのとでは雲泥の差なのだろう。でもそれだけ店のことを思い案じ、責任感を持ってくれているということでもある。


とはいえ、オーナーとしての立場から語るニックの言い分も同様に正しいのである。結局、店への情熱という、それぞれの思いの温度差が境界線となっているのだろうが、ニックが僕らに同意を求めるように愚痴を語ってくる以上、それはニックもパタヤに行きたいという思いを少なからず抱いているということだった。


早期とはいえアーミーからリタイアする際、ニックは結構な額の退職金をもらっており、毎月数十万円が年金として振り込まれるという。生活費に関しては衣料品から日用品まで何でもベースで買い物が出来る上、もちろん全て無税で日本に入ってきている物なので安い。特に大柄のニックにすれば日本の服はサイズが合わないということになるようだが。更に死ぬまで医療費が無料だという高待遇。店は順調に利益を上げ、すでに投資額も回収できた。後は信頼のおける日本人スタッフたちに任せたいという思いの方が強いようだった。


明け方近くになり、ようやく泥酔状態の僕ら三人はニックに連れられるように彼のマンションへと歩いて戻った。重厚な造りの高層マンションで中に入り驚いた。広々としたカウンター形式のダイニングキッチンの向こうには、程よく快適な広さのリビングルーム。大型サイズの薄型テレビに上品なガラステーブル、高そうな革張りのふわふわソファーが配置されている。テレビ台の棚には映画や日本のエロDVDがびっしりコレクションされるように整然と並べられていた。洗面所にはベースで購入したのか特大の洗濯機。浴室に案内されると日本人には十分なサイズのスペースだと感じたが、ニックは少し不満な様子だった。


それにベッドルームが二部屋あった。ニックは普段からリビングのソファーでDVDを見ながら寝ているからと言い、僕らに一部屋ずつあてがってくれた。僕らは悪いよとすぐに断ったが、その二部屋はゲストルームにしているからいいんだと僕らに告げた。キングサイズのベッドに暖かいふかふかの羽毛布団、毛布にシーツと全て新品のように綺麗で、僕らはホテルに来たかのようだと感激した。聞くと家賃は20万円近くするという。食事はほとんど外食で、部屋は毎日寝るために帰ってきているだけとでもいうように、全てが清潔で真新しく生活の匂いが全く感じられなかった。元々は離婚したという日本人女性との愛の巣だったのかもしれない。ただ、その空間は独り身のニックにとっては贅沢で無駄であるようにも感じた。


翌日の午後過ぎ、二日酔いを感じながらようやく目を覚ますと、「時間があるならもう一日いろよ、いやいや何日でもいいぞ…」とニックは僕たちとの別れを寂しく思ってくれたのか、延泊させようと誘ってきた。ニックと一緒にいると彼はいつも全て奢ってくれ、僕らがお金を払おうとしても決して受け取ろうとしない。「お前らは俺の弟とか子供みたいな歳なんだからいいんだよ。それにどう見ても俺の方が金持ってるだろ」といった感じだから、あんまり甘え過ぎても悪いし、さすがに二日連続で店にお邪魔するのもスタッフたちに迷惑だなと話し合い、僕らは夕方前には横須賀を離れることにした。ニックと再会を誓い、固い握手をし、彼の大きな胸に身体をあずけて抱擁を交わす。


「俺もすぐにパタヤに行くからな。I'll be Back Soon!」


ニックはターミネーターのアーノルド・シュワルツェネッガーのように、その言葉を何度も連呼した。

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