第19話)パタヤのおかしな面々

「また会っちゃったねー。こんなところで飲んでるの?かなり酔ってるみたいだけど大丈夫ー?」


「ああ、はい。ホテルはすぐそこなんで大丈夫です…」


「そっか。俺らも適当に飲み歩いてたんだけどさー。よかったら一緒に飲んでもいいかな?ねぇ、シェフ、ちょっと一杯ここで飲みましょうかー?」


「ああ、はい…」


僕はホテル近くのバービアで、リュウというタイ長期滞在者の男と再び出会い、一緒に飲むことになった。昨晩カラオケで出会ってから、昼間はクンの田舎に誘われてついて行こうか迷っていた時にまた現れた。アジアを放浪しているという連れの男も一緒だ。独りご機嫌に陶酔していたところに水を差されたような気分だったが、どうぞと二人を促した。バービアの屋外に置かれた石造りのテーブル席は、彼ら二人が座るのに十分スペースが空いていた。


「なんだか昼間は悪かったねー。シェフもちょっと言いすぎたかなぁって反省してたんだよ。まあ、改めまして、じゃないけど、よろしく。俺の名前は言ったよね、リュウ。それでシェフね。彼、料理人なんだよね」


「ああ、そうなんですか。どうも、よろしくお願いします。僕は皆からヒロって呼ばれます…」


「そっか、じゃあ、ヒロ君、よろしく、乾杯ー!」


リュウという男は間を置く隙間もなく、よく通る大きな声でたたみかけるように会話を進めた。リュウという男は僕が苦手なメコンウイスキーのソーダ割りを頼み、シェフという料理人の男はビアチャーンを注文して別にグラスと氷を用意させた。僕はもう何本飲んだか覚えていないシンハービールを頼み、互いのグラスを合わせる。


「それ、タイウイスキーのメコンですよね?クセが強くて、僕、苦手なんですよ…」


「そうだねー、俺もあまり好きじゃないけど、洋酒は100バーツぐらいと高いからね。これだとバービアなら30~35バーツぐらいで安く飲めるからね」


「はぁ、そうなんですか…」


「ボクはねぇ、ビール党なんです。やっぱりアジアのビールは美味しいですよ。タイだったらビアチャーンが一番ですね。日本のと比べるとねぇ、辛口というかドライなんですかねぇ。それで南国だから、こうやってグラスに氷を入れて薄めながら飲むのが定番なんですよー」


シェフという男は料理人らしく、飲み方にもこだわりがあるようで、普段は穏やかな丁寧口調で話すようだった。


「それでクン、彼女はよく連れ出してるの?ヒロ君、もうパタヤに結構長くいるよねー?実は先週だったかなぁ、ソイ7で何度か見かけたんだよね。誰か日本人と一緒に飲み歩いてたよね?あの人はどうしたの?」


「ええっ!そんなに僕たち目立ってました?」


「いやいや、まあ、日本人だからね。長く住んでれば、すぐ分かるよ。俺も先週からシェフが遊びに来ていて、一緒にソイ7付近で飲んでたからさー」


「そうだったんですか、、全く気づきませんでした。彼は僕の友達、というかタイ好き仲間で、今回、一緒に来てたんですが、この前、日本に帰っちゃったんですよ。それで彼と一緒に行ったソイ7のバーでクンに出会って…。毎日ではないですが、何回か連れ出したって感じですかね…」


「そうなんだー、で、いつまでパタヤにいる予定なの?」


「多分、あと、一週間ぐらいですかね……」


いつ帰るのかなど、まだ決めていない僕は曖昧に返答した。


リュウという男、いや、リュウさんは以前バンコクに2年ほど住んでいたことがあり、それからパタヤに来て今1年程が経つという。あしかけ3年と結構な年数タイに長期滞在していることになる。彼はタイで何をしている人物なのか気になったが、会ったばかりであれこれ聞くのは失礼だと思われた。それに自分の現状を話したくなかった僕は敢えて仕事の話をせず、彼らも僕にそこまで聞いてこようとはしなかった。


リュウさんの仕事仲間だったというシェフは、20歳頃からアジアを放浪するようになり、今では年に何度かアジアを訪れているという。タイだけでなく、カンボジア、ベトナム、ミャンマー、中国など色々な国を行き来するのが好きだということだった。二人とも歳は30代半ば頃で、エビスさんと同じぐらいの年代なのかと思った。


数時間が経ち、宵もいい頃合になると、アジアの放浪人シェフが、「では、ワタクシはそろそろ出かけましょうかねー。パタヤも最後の夜ですし。君たちはこの後どうするんですか?」と僕とリュウさんに向けて言った。どうやら一人で女探しに出かけるつもりのようだ。そして、シェフは自分が飲んだ分の勘定をリュウさんに渡すと、どこかへ去っていった。


「ああいう人なんだよねー、変わってるでしょうー。それで、ヒロ君、この後、どうする?俺はもう少し飲むつもりだけど、どこか他の店にでも行かない?クンの店でもいいしさー」


「ああ、まだ大丈夫ですよ。でもクンの店は今日はやめときます。場所はどこでもいいですよ」


「じゃあさー、ソイ7は避けて、ソイ8辺りにでも行こうか!?」


会計を済ませると、リュウさんは足早に大通り際まで歩き、おいでおいでと手招きするように、乗り合いタクシーのソンテウを呼び寄せた。車内に乗り込むと、大した距離ではないのですぐにソンテウはソイ9周辺までやって来る。そして、ソイ8に差しかかろうとする絶妙なタイミングでリュウさんは車内のブザーを鳴らした。僕を先導するように降りると、素早く助手席まで歩み寄り、タイバーツコインを運転手に手渡す。


「ああ、すいません、幾らでしたか?」


「一人5バーツで10バーツだから大丈夫だよ。俺が払ったほうがいいからね。ヒロ君だと旅行者だと思われてボラれるかもしれないからさー」


「そうですね、、僕も何度か一人で乗ったことあるんですが、5バーツでよかったり、10バーツ取られたり、20バーツ請求されたこともあるし、基準がよく分かんないんですよね。ドライバーもどれがぼったくるなんて分かんないですし…」


「ははは、まあ、そうだね。しょうがないんじゃない、タイだからね。欧米人がよく運転手と揉めてるよ。でもね、タイ人とはあまり揉め事を起こさないほうがいいよ。あいつら、ケンカになったらすぐ手が出るからさー、気をつけてね」


「はぁ、そうなんですか…」


リュウさんは勝手知ったる通りのように、大手を振ってソイ8を練り歩く。車一台がようやく通れるぐらいの小さな通りには、左右びっしりと派手な看板を掲げたピンクネオンのバービアが軒を連ね、テンポの良い大音響ミュージックが各店舗から鳴り響き、交錯するように通りを埋め尽くす。視界に入るバーカウンターでは現地女性たちが楽しげに踊り、その様子を見ながら笑顔で行き交う男たちに甘い歓声を投げかける。ともすると軒先から手を引っ張られ、半ば強引に店へと誘われる。


セカンドロードとビーチロードの中間ぐらいにある、リュウさんの行きつけらしい店に入った。その一画には5、6軒ほどのバービア店が密接するように並んでおり、見上げると上階はホテル客室となっているようだ。通りの向こう側(ソイ9)がホテル正面となるので、裏手となるこちら側(ソイ8)の空いたスペースを賃貸テナントにしているのだろう。それぞれの店は細長いコの字型のカウンターバーになっており、カウンターの周りを囲むようにハイチェアが点々と置かれている。


カウンター席の側面に腰掛けると、ちょうど隣の店の客と背中合わせの形になり、ひと一人が通れるぐらいのスペースしかないほど狭苦しいが、その密着感が却ってその一画の一体感と人々の熱気を生み、様々な人種の男たちで賑わいを見せていた。僕はすっかり酔っ払い、リュウさんと肩を並べて、その空間にだらりと浸っていた。


いつの間にか、僕はリュウさんに学生時代に初めてタイに来た時の話や、バイト仲間たちとタイに通っていた頃の話、そして、図らずも恋に落ちてしまったタイ人女性ジョイとの経験など、酔いに身を任せてベラベラと話してしまった。パタヤで出会ったエビスさんのこと、仕事はテレビ関係だということなど、自分のことを素直に語っていた。


どうやら僕はエビスさんの帰国後から話していなかった日本語の会話に飢えていたのかもしれない。世界各国入り乱れた人々のざわめきと大音響のBGMの中、二人肩を並べて、しっぽり呑んでいる泥酔の空間が、日本でよく通っていたショットバーの感覚と重なり、居心地が良くなった僕は、自分のタイ話にクドクドと管(くだ)を巻いていた。先程のバーとは打って変わり、リュウさんは僕の話に頷き、静かに耳を傾けてくれた。


「コンバンワー、ニホンジンー?」


背中を突かれ、カタコトの日本語が聞こえた後方を振り返ると、隣の店のカウンター席に座っていた欧米人が、僕らに話しかけてきた様子だった。


「ニホンジンー?」


「ああ、はい、日本人だけど…」 リュウさんが強い口調で返答する。


「アッ、ソウ、ホント?コンバンワー!I Have Many Japanese Friends, I Live in Japan, ヨコスカー、ワカッター?」


大柄の男はカタコトの日本語とゆっくりした発音の簡単な英語をミックスして僕らに告げると、大きな手を差し出し、嬉しそうな表情で握手を求めてきた。


「へぇー、You Live in Yokosuka?Where You Come From?」


「I'm an American, I Love Japan Sooo--- Much!」


リュウさんが英語で尋ねると、男は笑みを浮かべながら立ち上がり、ジーンズの後ろポケットから分厚くなった二つ折り財布を取り出した。そして、少しよれた名刺を二枚取りだし、僕らに一枚づつ手渡した。


名刺には「NICK'S BAR & RESTAURANT, YOKOSUKA, JAPAN」と書かれていた。


「へぇー、ニックさんって言うの?日本でお店やってるんだ?」


「ソウ、ソウ、ユーガイズ、ドコ?トーキヨー?」


「イエス、トーキヨー…」


「ソウ、ヨカッター、When You Go Back to Japan, Please Come to My Restaurant!」


「OK、OK、サンキュー…」


その後、リュウさんは180cm以上ある大柄のアメリカン親父に物怖じすることなく、ブロークンな英語ながらも堂々と話していた。僕は遠慮がちに二人の会話に耳を傾けながら、心の中では怪しい外国人だなぁ…と異国での出会いに一種の不信感を抱いていた。


一人で飲むのが寂しかったのか、パタヤで日本人に会ったことが余程嬉しかったのか。それからアメリカ人ニックは、隣の店の勘定を済ませると、空いていたリュウさんの隣の席に腰を下ろした。そして、カウンター内の女性に声をかけ、ジャックコークを頼み、この二人にも追加で一杯づつお代わりを、俺の伝票につけて…といった感じで、僕らに酒を奢ってくれた。


気を許したのか、元々そういう性格なのか、リュウさんはすっかりご機嫌になり、ニックと意気投合するように談笑していた。それから、小一時間ほど一緒に呑むと、気分を良くしたのか、ニックは僕らの伝票まで奪い取り、全て支払ってくれたのだった。深夜遅くに、ニックと再会の握手を交わし、ようやく宴はお開きとなった。


「いやー、あのアメリカ人のオッサン、怪しかったねー」 ホテルへと帰る道すがら、リュウさんが笑いながら僕に告げる。


「そうですね、あのカタコトの日本語、怪しいですよね。でも結局、全部奢ってくれましたね」


「そうだねー、なんか得しちゃったね。じゃあ、俺はこっちから帰るから、またー!明日は何やってるの?」


「いや、特に予定はないですけど…」


「じゃあさー、よかったら明日も夜、一緒に飲まない?」


「まあ、はい。いいですけど、どうすればいいですか?」


「じゃあ、明日の夕方6時頃でどうかな?俺がヒロ君のホテルまで迎えに行くよ」


「いいんですか、分かりました。では、また明日ということで…」


「うん、じゃーねー、また明日、おやすみー!」


パタヤ長期滞在者のリュウさんに、アジア放浪人のシェフ、そして、片言の日本語を話す親日家のアメリカ人親父、と濃いキャラを持った面々に巻き込まれるように出会い、過ごした一日に僕は戸惑いながらも、少なからず興奮を抱いていた。


久しぶりに泥酔状態になったが、それはいつしか重苦しいものではなくなり、フワフワとした夢心地にも似た、奇妙な心地よさに包まれていた。

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