第20話)パタヤ沈没の夜更け

パタヤの長期滞在者リュウさんと飲み明かした翌日、相変わらず気だるい南国の午後を海でぼんやり過ごした僕は、パタヤビーチのサンセットを拝む前には定宿に戻ることにした。夕方6時にリュウさんがホテルまで迎えに来ると言っていた。僕は多少面倒くさいなと思いながらも、昨晩の続きを楽しみたいという感情も同時に抱いていた。待ち合わせの30分前頃にホテルに戻ってくると、リュウさんはすでにロビーに来ていた。


「あれっ、どうも、こんにちは。待ち合わせは6時でしたよね?」


「こんちわー、いやー、今日は昼間から外に出てて、そのまま来ちゃったからさー、ちょっと早く着き過ぎたよ。どこか行ってたの?」


「はい、午後過ぎから海でのんびりしてました。今日はシェフさんはいないんですか?」


「そうそう、さっきまで一緒にお茶してたんだけど、出かけちゃったよ。昨日がパタヤ最後の夜だったからさー。次はベトナムか中国辺りに行くって言ってたなぁ」


「ああ、そうなんですか…」


昨晩、バービアで席を共にしていた時、アジアの国々の風俗事情を主なネタにあれこれ説明するように話し、「ボクがキミぐらいの若い頃は一日5~6人は平気でやってたけどねー」などと昔のバンコクやパタヤのエロ話をくどくどと語り続けるシェフに、多少うんざりしていたので、シェフはもう居なくなったんだ、今日はリュウさんと二人なのかと少しホッとした。ロビーで待たせるのも悪いので、リュウさんを誘って僕の部屋まで上がった。


「いい部屋だねー、一泊幾らするの?」


「1,000バーツだかを負けてもらって800バーツです。でも、ちょっと節約したいんで、他の所に移動しようと思ってるんですよ。どこか500バーツ前後ぐらいで知ってるところありませんか?」


「この辺りだったらサイアムサワディー系のホテルが有名だけど。よかったら俺が昔住んでた安宿なんかどう?隣のソイダイアナだから近いよ。エアコン付きかどうかで違うんだけど一泊300~400バーツぐらいかなぁ。長居するんだったら負けてくれると思うよ。あれだったら、この後ちょっと行ってみる?」


「いいんですか?じゃあ、ちょっと行ってみたいです…」


LEKアパートメントという名前の安宿は、セカンドロードからソイブアカオへと繋がるソイダイアナにあり、ソイブアカオと交差する周辺で、長期滞在者が集うような安ホテルが密集する幾分賑やかなエリアだった。年季を感じる建物に入ると、ソファー席がぽつんと置いてある程度の簡素なロビーのカウンターから、恰幅のいい体格のオバサンが僕らを出迎えた。


リュウさんとの再会を喜ぶようにニコニコと柔和な笑みを浮かべながら挨拶するオバサンを見て、僕の第一印象は合格点だった。リュウさんが僕を紹介するようにして、部屋の空き状況と宿代を尋ねる。ちょうど2部屋ほど空いていたので室内を見せてもらい、古いながらも小奇麗に掃除が行き届いてると感じて、即決した。


4階建ての3階、通り沿いの角部屋でエアコン付、400バーツのところをリュウさんが間に入って350バーツに値切ってくれた。これでかなりの節約が出来る。僕は明日の昼過ぎに今いるホテルから移ってくる旨を伝えて、予約帳簿に名前を記入した。


ここはリュウさんがバンコクからパタヤに住むようになった当初、半年間ほど滞在していた宿らしく、リュウさんがビッグママと呼ぶ小太りのオバサンのほか、娘や親戚など、女性スタッフばかりで家族経営している長期滞在者向けの安宿だということだった。


それから、リュウさん行きつけのタイ飯の食堂に連れて行ってもらった。LEKアパートがあるソイダイアナからソイブアカオを左に折れて少し歩いた所と丁度いい距離感にある食堂で、リュウさんはパタヤ滞在当初からずっと通っているようだ。


通りに面した店の軒先では、細身の体躯のタイ人親父がニヒルに咥えタバコで中華鍋を振り、その隣で奥さんらしきオバサンが食材を準備しながら親父をサポートし、同時に麺類を担当している。夫婦で経営している店らしく、種類も豊富で安くて美味い。その上、ほぼ24時間体制で営業しているため、くたびれた長期滞在系の欧米人やタイ人客も集う地元の人気食堂という感じだった。僕はリュウさんと同じものをお願いした。


それは僕が初めて食べるタイ料理「パッ・ガパオ」というバジル炒めで、鶏肉(ガイ)、豚肉(ムゥー)、牛肉(ヌア)と好きな種類を注文し、ご飯に乗せてもらう。リュウさんのお気に入りは「パッ・ガパオ・ガイ」で、この店は鶏肉を細かくミンチ状にしているから美味いんだと言い、それにカイダオ(目玉焼)を乗せてもらうのがお勧めとのことだった。僕はリュウさんから「パッ・ガパオ・ガイ・カイダオ・ドゥアイ(鶏肉のバジル炒め目玉焼のせ)」というタイ語を教えてもらい、何度も暗記するように復唱した。料金は一皿30バーツと格安だった。


軽くお腹を満たすと、リュウさんの提案で、パタヤ北部エリアへ飲みに行くことになった。食堂を出て、しばらく通りで待っていると、乗り合いタクシーのソンテウがやってくる。ソイブアカオを抜け、パタヤカン(中央)通りに出ると、セカンドロードと交わる交差点で右折し、大通りを北上する。BigCというショッピングモール(スーパー)の前でソンテウを降りる。結構な距離を走ったが、リュウさんが支払うと、運賃は一人10バーツで問題ないようだった。


ソイ2~ソイ3にかけてはピンクネオンのバービア群が軒を連ね、物売りや屋台が並び、通りまではみ出るように人々が行き交い、客引きの女性たちが誘いの嬌声を投げかけている。リュウさんに連れられるまま、バービアを一軒一軒、店定めするように練り歩く。ソイ7~8辺りは活気ある賑やかな通りだったが、ソイ2~3辺りは全体的に幾分落ち着いた雰囲気のエリアだと感じた。


とはいえ、バービアがひしめく一体の奥まで足を踏み入れると、風通しの悪いひなびた店で、耳をつんざくような生バンドのハードロックが鳴り響いている。演奏をしているアクの強い中年親父たちは皆それぞれがゴリゴリのロッカー風スタイルで、身体はタトゥーだらけ、汗をかき煙草を燻らせながら、定番の曲をかき鳴らしている。カウンター席には同じような恰好をした、濃いキャラの欧米人親父が数人ほど、気だるそうにビールを飲みながら、大音響のロックミュージックに耳を傾けている。


ソイ2の店を何軒かはしごし、隣のソイ3のバービアに移動する。リュウさんは台の上のバービアと呼んでいたが、数段の階段を上がった一画に4、5軒のバービアが並んでいて、カウンター席や屋外のテーブル席に座ると、下の通りを行き交う人々を少し見下ろすような感じになり、幾分風通しも良く心地がいい空間だ。リュウさんお勧めは一画の端にある店で、他店に比べてスペースも広く、女性たちの数も多く賑やかだった。奥にビリヤード台もあり、多くの欧米人男たちに盛況の様子だった。


すぐ下の通りに出ているケバブの屋台が50バーツと安くて美味いとリュウさんに教えてもらい、小腹も空いてきたので一緒にお願いし、酔い休めにコーラを注文する。僕は連夜に渡るリュウさんとの宴に身を委ね、世話好きといった感じで色々とタイ事情を教えてくれるリュウさんにすっかり心を許すようになっていった。


宵も更けて来た頃合、昨晩出会った親日家のアメリカ人ニックに再び遭遇した。「コンバンワー!ゲンキー?」と突然現れ、彼は再会を喜ぶように僕らの隣のカウンター席に腰を下ろした。そして、昨晩と同じように僕らの伝票を全て奪い取り、自分の伝票入れに移すと、それが当然のことのように奢ってくれた。その後はニックに我々二人が連れられるように、数軒のバービアを飲み歩いた。


ニックは挨拶程度のカタコトの日本語を話したが、ほとんどは英語で、簡単な分かりやすい単語を並べてゆっくり説明するように話してくれた。適当な長さの文章を言い終えると、「ワカッタ?」と必ず僕らに理解しているかどうかを確認する。それは日本に何年か住んで身につけた日本人向けの英会話という感じだった。


ニックは元々アメリカ海軍(ネイビー)で働いていて、世界各国の基地(ベース)を船で行き来しながら、長旅するように色々な都市を渡り歩いた半生だったという。ヨーロッパからアジアまで、その中で最もお気に入りの国が日本だったらしく、40代半ばと早めにアーミーからリタイアした彼は横須賀に移り住んだ。そして、米海軍時代に船内の厨房で料理長を担当していたことから、退職金をはたいて、在日米軍基地近くでレストランバーを始めたのだという。


国際結婚した日本人女性がいたこともその理由の一つのようで、一緒に立上から開店まで手伝ってくれたが、休みなく忙しくする毎日の中で二人にすれ違いが生じ、たったの1年ほどで離婚してしまったらしい。それでも立上当初から手伝ってくれている数人のスタッフたちが、非常に真面目でよく働き、外国人である自分に優しく色々協力してくれたから、これまで店を継続することができた。日本人は伝票を誤魔化して小金をくすねたり、裏切ったりしないから信用できるんだと、ニックは親日家の所以を僕らに語った。


離婚して独り身になったニックは、開店から3年間、休みもなく働き続けてきたという。そして、店もようやく落ち着いたことから、スタッフたちに店は我々に任せてゆっくり休暇でも取ってよと嬉しい言葉をかけられ、久しぶりに時間が取れた喜びから、何年ぶりかにタイを訪れた。滞在は2週間ほどだという。そして、日本と同じく大好きな街パタヤで日本人の僕らに出会った。だから、喜びもひとしおといった様子だった。僕はニックが語る半生記に興味を抱き、嬉々として耳を傾けた。


ニックは旅行者としてパタヤを訪れている僕よりも、タイに長期滞在しているリュウさんに関心を寄せ、タイ移住の経緯や現在どこに滞在しているのかなど、パタヤの現地情報や相場を色々と尋ねていた。


大柄のニックは、ジャックコークとバカルディコークがお気に入りのようで、それを交互にガブガブと飲み、僕らがチビチビと一杯飲み終える間に3~4杯は平気で飲み干した。すっかり夜も更け、深夜0時を回る頃、ニックはそろそろ今晩の女でも決めようかといった感じで、カウンター内の台上で一際艶かしく踊っていた元気の良さそうな女性に声をかけた。そして、カウンターで肩を並べる僕らに「俺はビッチが好きなんだ」と言い、Fuckin'(ファッキン)とかBitch(ビッチ)という単語を何度も会話に織り交ぜた。


アメリカ人らしくニックにはバービアで女性を連れ出す際の彼なりの定番文句があるようで、それを僕らに見せつける様に順序立てて、目の前の女性にはっきりと簡潔に尋ねた。それは概ね以下のような内容の7ヶ条である。


●アメリカン親父ニックのバービア連れ出し7ヶ条


1) オールナイトは大丈夫か?

2) 朝までいるかどうか?

3) 夜と朝の2回やるけど大丈夫か?

4) B.J.(ブロージョブ/スモーク)はするか?

5) NOコンドームでも大丈夫か?

6) 店に払うバーファインは幾らだ?

7) 君に払うチップは幾らだ?


そして、全部で幾らだ?と話をまとめにかかる。相場はオールナイトで1,000バーツ程度だが、色々注文をつけているので2,000バーツまでなら出してもいい、と太っ腹の誘い文句も忘れない。女性は大柄のニックの身体を上から下まで品定めするように確認しながら、彼の表情や雰囲気を窺い、何やら思案している様子。


そりゃそうだ。ニックの身長はゆうに180cm以上はあり大柄なプロレスラーとか力士みたいな体格なので、そんな彼がアメリカ人っぽいシビアな物言いで朝晩2回とか色々細かい注文を付けてくれば、大丈夫だろうか?と女性が不安を抱く気持ちも分かる。もし仮に僕が女性の立場だったら多分NOとお断りしてしまうだろう。


はたして女性から断られた経験があるのだろうか。ニックは一息つくと、最後に結論を急がせるように、「ダメなら問題ない、他で探すからノープロブレム」と畳み掛けるように、だが、いたってフランクに余裕のある笑みを浮かべながら女に問いかける。


ニックは僕らや店の女性たちに何杯もドリンクを奢っており、彼の前に置かれた伝票は結構な枚数まで膨らんでいる。支払いも全て彼がするのであろう、リッチなアメリカ人親父、いや紳士風といった身なりと雰囲気を十分に醸し出している。しばらくすると、女はニックについていくことを決心したようだった。


昨晩に続き、ニックは席を共にした全てのドリンク代を奢ってくれた。そして「ユーガイズ、マタネー!」と女を連れ颯爽と帰って行った。それから僕らも飲み疲れたので帰ることにした。


最後の締めとばかりに、ソイ3を入ってすぐの所に出ているリュウさん行きつけの屋台でタイ風ラーメンのバーミーを食べる。あっさり鶏がらスープがアルコールまみれの空きっ腹に優しく流れ込む。大した量ではないが締めに丁度いい程度の多さで、これで20バーツだから満足である。


僕は明日から安宿に移り節約できること、そして、タイ長期滞在者のリュウさんと安飯を共にし、飲み代のほとんどはニックに奢ってもらったことで、さほどお金を使っていないことに気づき、嬉しくなった。


また翌日も飲みに行こうと誘ってくるリュウさんに了解と別れの言葉を告げ、最後までリュウさんに安く交渉してもらったバイクタクシー(モトサイ)に跨ると、僕は南国の生暖かい夜風を身体いっぱいに感じながら、心地よい泥酔感に浸っていた。


ただ、パタヤという街の甘い誘惑に誘われるように、飲み込まれるように沈没していくだけだった。

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