第13話)パタヤ泥酔ナイト

「いやぁ、プノンペンも良かったですが、やっぱりパタヤは落ち着きますねぇ…」


「そうですね、中華料理屋は満足でしたがカンボジア料理はちょっとねー。やはりタイ料理のほうが安心感がありますね、種類も豊富ですしー」


カンボジアでのいかがわしい10日間の滞在を終え、陸路で長距離移動の末、ようやくパタヤにやってきた我々二人は旅の疲れを癒すべく、南パタヤの市場周辺の通りに出る屋台で、トムヤムクン、イカ焼き(プラームック)、肉野菜炒めなど、久しぶりのタイ料理をつまみながらシンハービールで乾杯した。僕は一人で屋台や食堂に入るのは敬遠していたが、エビスさんに連れられ、タイ人女性に連れられ行くうちに、徐々に現地のタイ料理を食べるようになっていった。


南パタヤの市場は定宿のCKパタヤホテルから数分歩く程度の距離感で、夜ふらっと出かけてバーミー、クィッティアオ等の麺類(タイ風ラーメン)を食べたり、果物を買ったりするのに重宝した。市場の横には学校、通りを挟んで真向かいにはワットチャイモンコンという寺院(ワット)があり、昼間に散歩がてら訪れたりした。


「ここからそんなに遠くないですし、今日はちょっとカラオケカフェでも覘いてみましょうかねー?」


パタヤに降り立った初日の夜のことだった。ここまでの移動で身体は悲鳴をあげ、まだカンボジアの余韻やスレイラとの思い出に浸っていたい気分だったが、酒も入り調子もよくなると、エビスさんはいつものごとくエンジン全開フルパワーの恵比須顔で、僕を盛り場へと誘うのだった。


南パタヤからモトサイ(バイクタクシー)で少し走ると、ちょっとした体育館ぐらいの大きさの建物に到着した。そこは大通り沿いの店で、通りへ向け視界に入ってくる店内のステージ上では、華やかなドレスで着飾ったタイ人女性が、民族衣装を身にまとったダンサーたちを従え、マイク片手にすました表情でタイ歌謡曲を歌っている。店内は簡素な高い天井があるだけの半ばアウトサイドテラスのような空間で、剥き出しのコンクリートの地面の上に粗雑に簡易テーブルが置かれている。


店内を見渡すと、客層は地元のタイ人男性がほとんどで欧米人の姿はまばら。皆それぞれお酒やお茶を飲んだり、テーブルの上にタイ料理とウイスキーセットを並べて宴会したりしながら、目の前のカラオケショーを観賞している。ドレス姿の女性が席を共にしているテーブルもあり、どうやらステージ上で歌っている女性を自分の席に呼ぶことができるようだ。


適当なテーブル席に腰を下ろすと今度はハイネケンを注文する。ステージ上で歌う女性は数曲ごとに入れ替わるようで、皆それぞれ番号札をつけ、首から生花の花輪をぶら下げている。エビスさんに店のシステムを聞くと、自分が気に入った女性がいれば花輪を買ってあげるとのこと。それを店員に預けるとステージ上の女性まで届き、その後、カラオケタイムを終えた女性は花輪をくれた各テーブルを回り、ホステスのように振舞ってくれるという仕組みだ。


客に売られる花輪も様々で、値段の高い花輪をたくさん買ってアピールする輩もいれば、自分でステージ下まで行って直接首にかけてあげたり手渡したり、酒を注いだグラスにお札を巻きつけた直接的なチップで気を引こうとしているオッサンもいる。やはり人気のある女性は取り合いになるようだ。とはいえ、席に呼んで話をしたりお酒を一緒に飲むことは出来るが、連れ出しや店外デートはNG!らしい。要は小金持ちのタイ人親父たちが夜な夜な店に通い、気に入った女性を口説き落とし、愛人作りに勤しむような店だということだった。


「じゃー、夜も更けてきたし、締めにカラオケパブにでも寄ってから帰りましょうかー?」


僕に色々見せたいだけの冷やかしついでだったのか、滞在時間もそこそこに、エビスさんは次なる目的地を僕に提案してきた。もう深夜0時を過ぎる時間だが、エビスさん先導の宴はまだ終わらないようだ。すっかり酔いも回り、ふらふらの身体でバイタクに乗せられ、向かった先は街の喧騒から少し離れたところにあるクラブのような雰囲気の店だった。


薄暗い店内に千鳥足で入っていくと、奥のほうに置かれたゆったりしたソファー席を選び、どっしり腰を沈ませる。暗がりの室内を見渡すと、さほど広くないスペースに背の低いテーブル席が並び、タイ人カップルや若者たちが酒盛りをしながら、店内の真ん中辺りに吊られた大型スクリーンを見てカラオケに興じている。


「飲みきれなければ持って帰りますから…」とエビスさんは周囲のタイ人客と同じように、手馴れた感じのタイ語で、ジョニーウォーカーの黒ラベルとコーラ、ソーダ、氷etc.のミキサーを注文した。店員らしきボーイが「コーラかソーダのどちらで割るか?」と尋ねてくる。酔いどれの僕は薄めのウイスキーコークをお願いする。


どうやらカラオケは1曲ごとにお金を払って歌をリクエストするシステムのようで、しばらくすると誰も歌う人がいなくなったのか、店内の照明は更に暗くなり、ダンスを誘うような激しいリズムのサウンドに切り替わった。気づくと、周りにいたタイの若者たちがディスコミュージックに乗せられて席を立ち、ゆらゆらと腰を揺らし始める。


ソファー席にしなだれかかるように深く座っていた僕は、見上げる天井から吊られたミラーボールの眩い光と辺りを飛び交うレーザー光線、すぐ近くに置かれたスピーカーから飛び出してくる爆音やら重低音の振動に、更に身体を刺激され、すっかりアルコールが体内に駆け巡り、半ばグロッキー状態だった。


ウイスキーが苦手な僕は、そのうち吐き気を催し、トイレへと駆け込んだ。


それまで飲食したものを全て嘔吐し、酔いを覚まそうと手洗い場で顔を洗う。


幾分すっきりしてトイレから出ようとした時、出入口付近で他の客とぶつかってしまった。


結構な衝撃を与えてしまい、「ソーリー」と僕が謝ると、目の前のタイ人女性は「大丈夫ヨ」と手を振りながらニコニコ微笑み、何やらタイ語で呟いていた。テーブルに戻ってすぐ、その女性が友達らしき人物を引き連れて我々の前に現れた。エビスさんがタイ語で応じる。どうやら「一緒に飲もう!」と誘っているらしい。これってナンパ?いや、どこかで働く娼婦だろうか。


どうやら先程トイレの前でぶつかった女性が僕のことを気に入ってくれたようだ。肩口程の赤髪ボブヘアのその女性は、がっしりした骨太の身体つきが際立つような、ぴったりした白のボディコンワンピースを身に着け、きつい香水の香りを周囲に振りまいている。対照的に友達の方は、健康的な黒々とした肌に丁度いい肉付きをしたスタイル抜群の南国娘といった雰囲気で、短いホットパンツがお似合いのきれいに伸びた二の脚が印象的である。


しばらくすると、話がまとまったのか、彼女たちは僕らのテーブルで一緒に飲むことになったようだ。僕の隣にはボブヘアの女性が座り、エビスさんには肌の黒い南国娘がつく形になった。もはや泥酔状態の僕をよそに、エビスさんは得意のタイ語で場を盛り上げる。女性たちから国籍や名前を尋ねられ、「コボリ!」と勢いよくエビスさんが答えると、彼女たちはキャーと歓声をあげて喜んだ。エビスさんに寄り添う南国娘は「じゃあ、私はアンね!」と言い、僕以外の三人は楽しそうに笑っていた。


エビスさんに会話の内容を教えてもらうと、「クーカム(運命の人)」というタイで有名な小説があり、第2次世界大戦下における日本軍兵士コボリと現地タイ人女性アンスマリンの二人を描いた恋愛物語だとか。日本では「メナムの残照」という和名で知られ、タイでは何度か映画化されている名作で、知らない人がいないほど人気なのだという。それから機嫌をよくしたエビスさんは隣に座る女性に向けて「アン!」を連呼し、彼女は「コボリ~」とそれに応え、嬉々としてはしゃいでいた。


「ヒロ君、大丈夫ですかー!そろそろ帰りますよー!」


どうやら泥酔して、そのままソファー席に横になり、眠ってしまったらしい。エビスさんに揺り起こされ、辺りを見回すと、周囲にいた人々はまばらになっていた。店内で鳴り響いていた音楽はボリュームを落とし、落ち着いた曲調のサウンドが流れている。三人で飲んだのか、テーブル上のウイスキーボトルは残りわずかになっていた。厚化粧をした赤髪ボブヘアの女性が心配そうな表情で僕の様子を窺っている。


「大丈夫ですかー?彼女、ヒロ君が酔い潰れてから、ずっと介抱してくれてましたよー」


「すいません。いつの間にか、寝てしまったようです…」


ズキズキと重い痛みを発する頭に手を当てながら、寝ていたソファーに目をやると、数枚のおしぼりが散乱していた。更に、新しく冷えたおしぼりをボブヘアの女性が僕に手渡してくる。「サンキュー」と僕はそれを受け取り、顔を拭う。


どれぐらい寝ていたのだろうか、ひんやりと濡れたタオルの心地よさで、少し酔いも覚めたようだ。ふと我に返り、目の前の宴の様子を確認すると、どうやらエビスさん扮するコボリと南国娘アン、そして、僕とボブヘアの女性という二組のカップルがすでに出来上がっているようだった…。


翌日の朝遅く、カーテン越しにうっすら差し込む日差しと人の気配で目を覚ますと、鏡台の前にショートカットの知らない女が座っていた。いや、昨晩カラオケクラブで出会った女だ。


「ユー、オーケー?」と彼女が不安げな表情で語りかけてくる。「オ、オーケー」と答えながらも、僕はバスタオル1枚を纏っただけの女の姿を見て、昨晩のことに思いを巡らせる。あの店を出たあたりから記憶がなくなっている。気づくと僕は半裸のパンツ一丁姿だった。


「あれっ、いつの間にか、、これって、彼女とやってしまったのか…」


頭を悩ませていると、「ノーノー、ノーブンブンー」とそれを察した彼女が笑いながら答えた。


今から化粧をするところだったのか、鏡台に目をやると、昨晩見た赤髪ボブヘアのカツラが置かれていた。どうりでさっき分からなかったはずだ。ショートカットの女はそれを手に取り、頭にかぶる仕草をしてはにかんだ。


バスタオルを身につけただけの女の姿は、ガタイがいい体つきにたくましい二の腕、どっしりした下半身などをはっきり主張するように露呈させていた。そして、酒やけなのか、ショートカットの女が発する声は低く濁りのあるハスキーボイスだった。


まだ化粧をしていないスッピンの顔は昨晩見た以上に浅黒く、微笑を投げかけてくるその女の顔立ちを見て、僕は少しサル顔、いやゴリ顔だなぁ、と思ってしまった。


「ま、まさか、、彼女はオカマなのではなかろうか…」


その女と一緒にいる空間に耐え切れず、僕は逃げるようにエビスさんの部屋を訪れた。

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