第12話)南国の楽園パタヤ
久しぶりに愛着の街パタヤへ戻ってきた。いつ以来だろうか。僕らは定宿のCKパタヤホテルにチェックインした。ここはエビスさんが昔から愛用していた安宿で、僕も教えてもらってからは頻繁に利用していた。なんといってもパタヤが誇る繁華街ウォーキングストリートの裏手に位置しているので、深夜まで周囲は賑わっており、両替店やコンビニ、屋台などもホテル近くに全て揃っていることから重宝した。価格は当時400~500バーツと格安で、ハイシーズンの多忙期でも飛び込みで問題なく空き室があるような便利な中級ホテルだった。
中華系らしきホテルの室内は申し分ない程度に広く、簡易ベッドの上には、誰が何度使用しても汚れが目立ちにくいだろう赤茶色の薄い毛布に、くたびれた白いシーツが敷かれている。年季の入った14インチ程の箱型テレビ、古い木製の鏡台にクローゼット。業務用サイズの昔ながらの特大エアコンをつけると、ゴォーゴォーと大きな呻り音をたてて、ガンガンに冷えた室内へと変えてくれるのは至極快適なのだが、強弱の調整が効かず、室内はいつも激寒の空間であった。
煙草を吸いがてらベランダに出ると、見下ろす視界には人々が行き交い、ざわめく姿…。小さな通りを挟んで隣に位置するアラブ系ホテルは地下部分がディスコになっており、深夜遅くまでズンズンと重低音の振動が室内まで響き渡ってくる。ウォーキングストリート裏手界隈はアラブ系のレストランや両替屋、仕立屋、床屋などが軒を連ね、軒先ではターバンを巻いた男たちが水パイプ(シーシャ)を燻らせ甘い匂いを漂わせている。メイン通りの方へ少し足を向けると、独特の雰囲気で怪しげな爆音ミュージックが流れるバービアが数軒固まってあり、小ぶりなアラブ街といった様相である。
ホテルを出てすぐの通りに美味しいケバブの屋台があり、50バーツと安価で腹を満足させてくれるボリューム感が気に入り、毎日のように持ち帰りして部屋で食べていた。昼過ぎ頃、ようやく起きると、Tシャツ海パンに、ビーチサンダルを履いて、ぷらぷらと海まで歩いて行く。たった数分程度の距離感だ。ウォーキングストリート入口を抜けて~ビーチロードに出ると、目前には湾曲した南北2キロ程に渡るパタヤビーチが現れる。
真っ青に晴れ渡る空とギラギラ眩しい南国の太陽の下、椰子の木陰に連なるパラソルの軒下で、木製のビーチチェアに腰掛け、のんびりくつろぐ。飲んだり、泳いだり、焼いたり、本を読んだり、寝たりして、日が暮れるまでダラダラと過ごす。
そしてシンハービールとココナッツジュースを交互に飲むというのがお気に入りの午後の過ごし方だった。椰子の実の内部についている白い果肉がすこぶる美味で、ココナッツは二日酔いにも良く効くし、健康的になれると聞き、酒浸りの身体にうってつけだとパタヤ滞在時に愛飲した。
燦燦と輝く太陽がようやく沈み、辺りが穏やかな夕焼け色に染まる頃合、パタヤの街は昼間の気だるい様相から夜の姿へと衣替えする。通りにはバービア(ビアバー)と呼ばれるオープンエア形式の屋外バーが軒を連ね、色とりどりのネオンライトが灯り、赤やピンク色の光が怪しげなムードを演出する。
世界各国入り乱れた人々のさざめき、バーの軒先から厚化粧をした現地女性たちが手を振り、嬌声をあげ、「ウェルカ~ム!インサイド、プリ~ズ…」、「ハロ~!セクシーメ~ン♪」と悩ましげな誘いの言葉を投げかけてくる。香水の甘い香りがムンムンする熱帯の空気に混じり漂ってくる。
パタヤ最大の歓楽街ウォーキングストリートは夕方6時を過ぎると歩行者天国に変身する。通りにはお土産屋、レストラン、パブ、生バンドで客寄せするバー、そして、バービア群にゴーゴーバー、ディスコといった夜の店が所狭しに軒を連ね、ドカドカ激しい音楽があちこちから鳴り響き、行き交う人々の熱気、歓喜、狂乱に満ちた賑やかな通りへと姿を変える。
タイ随一の不夜城ともいえる眠らない街パタヤの夜は、様々な人種の男たちの欲望を一度に引き受け、全て飲み込むと、果てしない快楽の世界へと誘っていく―。
元々はシャム湾に面した小さな漁村の一つに過ぎなかったパタヤは、1960年代から続いたベトナム戦争時、米軍兵士たちの保養地として開かれると、同時にタイ人の富裕層や欧米人旅行者たちの間でも人気を博すようになり、バンコク近郊のビーチリゾートとしての顔を持つようになった。とはいえ、戦時中の保養地といえば、それは慰安地としての意味合いを多分に秘めていた。それからパタヤは性産業で栄えるいかがわしい街というイメージが先行するような時代を迎えた。
今でこそ日本のテレビ番組で普通に紹介されるほど、当たり前に一般の観光客が訪れるビーチリゾートへと変貌を遂げたパタヤであるが、1995年~2000年代にかけて、僕が初めてタイを訪れパタヤに足を運んでいた頃は、まだ世界各国の男たちが現地女性を買い求めに訪れる「売春の街」のシンボルのような場所で、見るからにB級リゾートといったイメージの方が強かった。
東京でのサラリーマン時分、僕が東南アジアのタイへ頻繁に旅行に出向き、プーケットやサムイ島ではなく、パタヤに行っているらしい、と話を聞きつけた会社の上司たちは「わざわざ海外まで行ってお前もお盛んだねぇ…」だとか、「大丈夫か?性病には気をつけろよ!」などと口々にし、女性社員たちには「キャー、○○君、一人でタイなんて汚らわしい~」とからかうような軽蔑混じりの言葉を投げかけられた。
当時放映していたウッチャンナンチャンのテレビ番組で「パタヤビーチ」という面白コントを度々見かけては、彼らも若い頃パタヤに行ったことがあるのだろうか、僕と同じようにパタヤで夜遊びも満喫したのだろうか、と自分を納得させるように密かな仲間意識のようなものを感じていた。
タイを訪れ、のんびりしたアジアの空間に心地よく浸っていると、ふと土産物屋、宝石売り、怪しげに声をかけてくる現地ガイド、ナイトバーにて、タクシードライバー、モトサイ(バイクタクシー)、ビーチボーイにタトゥーシールの売り子など、様々な場面において闇の売人面した現地の男たちの悪魔の囁きに遭遇するようになる。
いかがわしくも派手で陽気な歓楽施設の熱狂にまみれ、当時のパタヤには闇の部分が半ば大っぴらに蔓延していた。街中では通称マルボロボーイと呼ばれる物売りがいて、マルボロの赤いパッケージを意味あり気に手で振るサインを送りながら、ガンジャ(マリファナ)やドラッグを密売する、売人みたいな輩がそこら中にウヨウヨしていた時代だった。
オープンバーのバービアには必ずと言っていいほど四目並べゲームや積み木崩しのジェンガ、ドミノゲーム等のおもちゃが置いてあり、さほど言葉が通じなくても、客である我々外国人と現地女性がカウンター越しにスキンシップを図れるようになっている。また、ビリヤード台が設置してある店も多く、初めは遊びのつもりでも、そのうちタイ人女性から「賭けない?」と誘いの文句を投げかけられると、南国の心地よい夜風にホロ酔い加減も手伝って、いつの間にかギャンブル好きタイ人の誘いに乗ってしまう。
更にカジノでもあれば文句なし!なのだろうが、まさにパタヤのナイトライフ(夜遊び)は酒、女、薬、ギャンブルetc.が入り乱れる享楽的な闇世界といった感じだった。初めてパタヤを訪れた時は「世界にはこんな街があったのか…」と人生観を覆されるほどの衝撃を受けた。
若かりし頃からロック音楽が大好きで、特に夢中になった学生時代、パンクロックやUKロックの雰囲気や価値観、ロッカーの生き様などに少なからず憧れを抱いていた僕は、「セックス&ドラッグ&ロックンロール♪」みたいな快楽嗜好が半ば公然と広がる空間に驚き、狂喜し、ずぶずぶとハマり込んでいった。
ハリウッド映画「ラスベガスをやっつけろ」のような酒と女とドラッグにまみれた街、そしてギラギラと眩しい常夏のビーチリゾートみたいな、危険だが憧れにも似た世界の中に自分が生きているような、夢心地にも似た感覚に侵食されていた。
タイはガトゥーイ(オカマ)やレディーボーイ(ニューハーフ)と呼ばれる人達が世界一多いとも言われる国であるが、パタヤではティファニーやアルカザールといった有名店で連日ニューハーフショーが上演され、パタヤを訪れる観光客の土産話に花を添えている。ティファニーでは、タイで最も美しいニューハーフを決めるコンテスト「ミス・ティファニーズ・ユニバース」が毎年開催され、タイのオカマたちの登竜門であると同時に、世界のニューハーフたちのメッカとも言われるほど、パタヤはその手の人たちに知られた街でもある。
パタヤランド通りにあるボーイズタウンほか、南パタヤエリアには同性愛者(ゲイ)専門のゴーゴーボーイ店も点在しており、パタヤには女好きの男だけでなく、男好きの男に、男好きの女まで、様々な人種の多様な性的嗜好者たちが訪れる。だからパタヤは大人のディズニーランドとも形容されるようになったのだろう。
僕は、そんなパタヤという街が持つ圧倒的な開放感や、全てを受け入れ飲み込んでしまう底なし沼のような器の大きさに嵌ってしまった。気だるいアジアの空気、タイというお国柄、そこで生きる人々が醸し出す、何ともいい加減で開けっぴろげな猥雑さが僕を虜にさせた。今という時間、今日という日をのんびりお気楽に生きている人たちに囲まれ、その空間に居心地のよさを感じていた。
「南国の楽園」
僕がパタヤに対して抱いたイメージは月並みだがやはりこの言葉に尽きる。タイ人女性に溺れるような恋をしたこともある。しかし僕にとってはパタヤがビーチリゾートであることは何よりも重要だった。それは僕が海や山といった自然に囲まれたのどかな町で生まれ育った田舎者だからなのかもしれない。少なからず海外志向もあった田舎者の僕にとって、パタヤは丁度いいサイズの憧れと魅惑に満ちた場所だった。
僕は吸い寄せられるようにタイへ足を向ける回数を増やした。
パタヤを訪れるのはもう何度目になるだろうか……。
そして、僕の南国物語はエビスさんに誘われるまま再訪したあの年から始まった。
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