第11話)いざ!パタヤへ

2002年の晩秋、初めてカンボジアを訪れ、プノンペンに降り立った僕は、いかがわしさと背徳感に満ちたアジアの熱気に毒され、ディスコで出会ったカンボジア人女性スレイラとの甘美な空間に陶酔していた。ゼンマイが壊れ制御不能と化した玩具のように、ただ心には闇を抱えたまま異国の地を彷徨っていた。逃げるように飛び出した日本は遥か彼方の存在で、仕事を辞めたことなど遠い昔の出来事のようであった。


濃密な魅惑の日々を過ごした僕は、旅のガイド役エビスさんの立てた予定に従い、スレイラとの別れに後ろ髪を引かれる思いでプノンペンを後にすることにした。次なる旅の行程は再びタイに舞い戻り、僕にとっては安息の地でもあるパタヤへ足を向けることだった。


不眠による疲労困憊の身体に気合を入れなおし、バックパックを背負う。さぁ、出発だ。徒歩でキャピトルゲストハウスへ行き、軒先にある現地ツアー会社でシアヌークビル行きのバスチケットを購入する。それからオンボロのミニバンに乗せられ、およそ5~6時間ほど、夕方前にはカンボジア南部のリゾート地シアヌークビルに到着した。


エビスさん曰く、シアヌークビルには欧米人が集まる閑静なビーチやカジノホテルが数軒あるとの話だったが、僕は倦怠感と虚脱感から、どちらへも足を延ばそうという気分になれなかった。プノンペンでの喧騒とは異なり、人や車の往来が少ない閑散とした街並みを適当に散策し、市場で食事を取ると、ホテルで一休みした。


夜になると、相も変わらずやる気満々のエビスさんに誘われて、シアヌークビルの置屋街に連れて行かれた。そこは街灯の光もおぼつかないような暗闇の中、石畳風のなだらかな坂道が続き、その坂道の両脇にひっそりと置屋が佇む通りだった。見ようによっては情緒漂う雰囲気であるが、ぽつぽつと点在する怪しげなピンクネオンの店はどれもみすぼらしく、僕は意気揚々のエビスさんをよそに辟易するばかりだった。


ほとんど素泊まりのようにシアヌークビルで一泊し、その翌日にはまた長距離移動が待っていた。朝早くにホテルをチェックアウトし、バイクタクシーで桟橋へ向かう。目指す先はココンというカンボジア側の国境地で、そこからタイ側のハートレック(トラート)へと入る行程だ。エビスさん曰く、高速ボートは数時間と早いが、水を被って濡れるし、波の衝撃が強くてお尻の疲労感が半端ないということで、定期船で行くことにした。


だが、のんびり揺られて行くはずだった大型船の船内は現地人と欧米人旅行者で溢れ返り、座席を確保するのもままならないシビアな状況。挙句の果てには、どこか故障でもしたのか、船は途中で数時間も停泊したりして、結局、7~8時間近く波に揺られることになってしまった。混雑した人々の熱気と湿気と暑さでろくに寝ることも出来ず、嘔吐する外国人が続出する中、ようやく夕暮れ前に国境地のココンに到着した。


日没と共に国境の閉門時間が迫る中、舗装されていない赤土の道路を急ぎ足で進み、出入国審査を済ませる。無愛想な係官は仕事を早く終えて帰りたいといった感じの粗雑な対応で、すんなりと国境を潜り抜けた。同じくバックパックを背負った欧米人たちから「Hi!」と挨拶の言葉を投げかけられる。僕にとっては初めての陸路での国境越えで、タイ再入国となった。


眩しく照りつけていた南国の太陽もすっかり穏やかな夕陽に変わり、辺りは赤土の道路と一体化した幻想的な茜色に染まっていた。最後の一仕事とばかりにタクシーやバイタクの男たちが駆け寄ってくる。一日がかりの船移動で疲れているため、今日はここで終了し、トラートで一泊するか。あるいはバス停まで連れて行ってもらい、バスがあるようなら、もうひと頑張りするか。


エビスさんと立ち往生し、あれこれ決めあぐねていると、数人の欧米人一派が「どこへ行くんだ?」と声をかけてきた。どうやらミニバンをチャーターして同じ目的地のパタヤへ直接向かおうとしているようだ。彼らは4人で我々2人が一緒に乗っていくなら、ドライバー親父はすぐにでも出発すると言っている。運賃は一人400バーツ、パタヤまでは3~4時間ほどで到着するという。


「Here We Go!(さぁ、行こうぜ!)」


欧米人のけしかけてくるような言葉に後押しされ、僕らはさほど考えることもなく、車に乗り込んだ。


「Let's Go Pattayaー!Cheersー!(さぁ、パタヤへ行こうぜ!乾杯ー!)」


空いていたミニバンの後部座席に荷物を降ろし、腰を落ち着ける間もなく、陽気な欧米人オッサンたちはプシューッと勢いよく缶ビールを開け、互いの缶をつき合わせると、拳を掲げて歓声をあげた。皆が大柄の体躯で、たくましい上腕には派手な模様のタトゥーが踊っている。


たいそうな口ひげを生やしたバイカースタイルの親父は、着古したハーレーダビッドソンの革ベストを身にまとい、でっぷりとしたビール腹で見るからに助べえそうなスキンヘッドの親父は、ビアチャーンのロゴが入った定番のタンクトップがお似合いである。


昼間から飲んでいたのだろうか。すでに酔っ払い状態のオッサンたちは、どこの国の言葉なのか、英語ではない、国歌のような、欧州民謡のような歌を陽気に合唱しはじめる。パタヤへ向けスピードを上げるミニバンと加速を共にするように、飛び跳ね椅子を揺らしながら、親父たちの熱狂的な大合唱はしばらく続いた。


車内に響き渡る陽気な宴会模様に初めは苦笑いの僕だったが、すぐに一日がかりの長距離移動からくる疲れがどっと身体を襲い、眠気に誘われる。僕は、おもむろにウォークマンを取り出すと、親父たちの騒音を遮断するのに丁度いいボリュームで井上陽水BESTを流し、車内に立ち込めるムンムンとした暑苦しい熱気から逃れるように、目を覚ますように窓を開け、タバコに火をつけた。


窓から半分顔を出して、新鮮な風を浴びる。なまぬるい熱帯の空気がまとわりつくように顔を覆う。


スレイラと過ごしたプノンペンでの日々に思いを馳せる。僕があげた証明写真はあのロケットペンダントの中に入れてくれただろうか…。


しばらくして、親父たちの騒音は収まり、真っ暗なミニバンの車内はようやく落ち着きを見せた。これから始まる眠らない街パタヤの夜に備えて身体を充電するように、大いびきをかき、男たちは眠りこけていた。zzz...


エビスさんに揺り起こされ、窓外の景色に目をやると、蛍光灯やネオンの眩い光がそこかしこで踊っていた。いつの間にか僕も爆睡していたようだ。腕時計を確認すると、4時間ほどでパタヤに到着したことになる。


「We're Pattayaー!Yeahhhー!(パタヤに着いたぞー!イェー!)」


欧米人のオッサンたちは再び息を吹き返し、笑みを浮かべて互いにハイタッチし、いそいそと降りる準備を整えている。


彼らと目的地を同じくするように、我々の乗ったミニバンは、パタヤ最大の繁華街ウォーキングストリートの裏手界隈に停まった。


僕は少なからずスレイラに対する未練を抱えながらも、愛着のある街パタヤに戻ってきた安堵感に胸を躍らせ、いつもの定宿へと足を向けた。

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