第2話 サトさんが第三夫人と聞いた覚えがありますが……

「ヒコザ先輩、体調は大丈夫なんですか?」


 お城に着くとすぐにユキさんが出迎えてくれた。病気で学校を休んだことをひどく心配してくれていたようだ。


「今からヒコザ先輩の家にお見舞いに行こうと思ってたところだったんですよ。行き違いにならなくてよかったです」

「うん、ありがとう。体調は大丈夫だから心配しないで」

「でも、顔色が優れないみたいです……ひ、ヒコザ先輩?」


 そう言って顔を覗き込んできたユキさんを、俺は思わず抱きしめてしまった。俺、やっぱりちょっとショックが大きかったみたいだ。王城で空爆用に改造された凧を見て俺が連想したもの。それは歳を重ねても人生をまたいでも忘れることが出来なかった日本での記憶、東京大空襲の惨状だったのだ。


 川を隔てた向こう岸ではいくつもの巨大な火柱にすべなく焼かれていく人々。たまらず川に飛び込んでもそこはすでに熱湯地獄。容赦なく降り注ぐ焼夷弾しょういだんの雨あられ。それらの記憶があの凧を見て一気によみがえってきたのである。


 むろんオーガライトは焼夷弾とは違う。だから直接人の体を射抜くこともない。しかし延焼速度は通常の火災などとは比べものにならないほど早いのだ。発火点は高いが引火点は非常に低い、言うなればガソリンのようなものを想像すればいいだろう。それを空からばらまいて火矢を放てばどうなるか、文字通り火を見るより明らかということなのだ。


「ヒコザ先輩、どうしたんですか?」

「ユキさん、もう少し……もう少しこのままで……」

「わ、私は構いませんが……あの、父が物凄い目で睨んでますので……」


 そこで初めてまともに顔を上げた俺の目の前には、今にも拳を振り下ろさんとする男爵閣下の鬼の形相ぎょうそうがあった。


「閣下、お許しを……お許しを……」

「な、何があったのかね?」


 ところが涙声で訴えるような俺の口調に驚いた閣下は拳を収め、ひとまず俺とユキさんを離すだけ離すとそれ以上責めようとはしなかった。閣下は俺の両肩を支えるように持ち、近くにあったソファに座らせて自らも隣に腰掛ける。心配そうな表情のユキさんも俺を挟む形で、閣下とは反対側の隣に座った。


「どうした、聞けば今日は病気を理由に学校を休んだとか。それと何か関係があるのかね?」

「体は大丈夫です。実は……」


 そこで俺は凧のことを陛下から口止めされていたのを思い出し、不自然に口もってしまった。それがいけなかったのか、変に誤解されてしまったようだ。


「まさか、どこぞの行かず後家か何かにたぶらかされて関係を持ってしまったのではあるまいな?」

「ひ、ヒコザ先輩! そんな! ひどい!」

「違います、違いますってば!」

「では何だと言うのだ? 先ほどのユキに対する振る舞いといい、少し様子がおかしいぞ」

「他に好きな女の子が出来たんですね? ヒコザ先輩、信じてたのに……」


 閣下のせいでユキさんまで涙目になって俺を睨みつける始末だよ。


「違いますから! あー、もう! 私は変わらずユキさんを一番に想ってますから! それにこの身は潔白ですから!」

「で、では第二夫人の私の立場が危ういとか……」

「あ、アカネさん!」


 アカネさん、さっきまでいなかったよね。君はどうしていつも最悪のタイミングで最悪の言葉を口走るのかな。


「アカネが第二夫人? もうそんなところまで話が進んでおるのか?」

「私も第四夫人にして頂けるというお話しで」


 カシワバラさんまで。そう思って気づいたら、いつの間にかお城のメイドさんたち全員が俺を取り囲むように集まってきていた。


「か、カシワバラさん、俺そんなこと言いましたっけ?」

「はい、いつかの授業中でしたか。居眠りなさっていたようにも見えましたがそのお口からハッキリと。ですので私もはい、とお応えしました」


 え、授業中にそんなこと口走ってたの、俺。てかカシワバラさん、寝言に返事しちゃだめだからね。


 その後メイドさんたちがこぞって私も私もと言い始め、気づけば俺は彼女たちに揉みくちゃにされる羽目になっていた。ま、それはそれで甘い香りと柔らかい感触に包まれたのだから悪いことではないんだけどね。ただ閣下とユキさんの視線が氷のように冷たかったのは、正直身の危険すら感じるほどだったよ。


 そんな騒動もようやく落ち着こうとしたところだった。ふと口を開いたのは大きなお胸が大変魅力的なサトさんだ。


「あの、アカネさんが第二夫人でカシワバラさんが第四夫人とのことですが、第三夫人は誰なのですか?」


 それは君、君のことだよサトさん、とはこの状況ではさすがに言えないよ。ところがこういう場の空気を読むことには慣れていないのか、カシワバラさんがさらに余計な一言を発したからたちが悪い。


「あの、私は前にサトさんが第三夫人と聞いた覚えがありますが……」

「まさか……それも授業中に……?」

「はい、私が誰かと聞いたら答えて下さいました」


 これでまたお城の中が大騒ぎになったのは言うまでもないだろう。




 あれ、ところで俺のハートブレイクはどこに行った。

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