第9話 やっぱりお前は不幸になれ

 カシワバラさんがタノクラ家に住み込みメイドとして雇われることになってから二ヶ月ほど過ぎた頃、季節はキサラギーテ――日本で言うところの二月も半ばになっていた。


 この月は近年では稀に見るほど降雪日が多く、怪我で歩行が危うかったカシワバラさんはずっと学校を休まざるを得なかった。しかしようやく天候も穏やかになり、積もった雪も片付けられたとあってその日彼女は久しぶりに登校出来たというわけである。もっとも彼女の鞄はユキさんが持ち、俺が肩を貸して支えながらではあったが。


「コムロさん、すみません」

「いや、大丈夫だよ」


 こうして肩を貸すということはつまりカシワバラさんと密着するわけで、柔らかい感触を堪能し放題、シャンプーのいい香りを嗅ぎ放題というわけだ。ちょっとユキさんがむくれている気がするけど、さすがにこの状況では怒るに怒れないみたい。もちろんユキさんが望んでくれるなら、俺はおんぶでもプリンセス抱っこでも何でもしてあげるんだけどね。


 教室に入った時もちょっとざわついたけど、歩きづらそうなカシワバラさんを見て文句を言うクラスメイトはいなかった。それと何人かは彼女に好意的な人もいたので、トイレとかの付き添いを任せることが出来て助かったよ。その好意は多分に俺の心証を気にしているのが見え見えだったが、理由はどうあれカシワバラさんに優しくしてくれるのなら邪険にするつもりはない。彼女たちにはそのうち一度くらいランチに付き合っても罰は当たらないだろう。


 そんなことを考えていると再び教室かざわついたので、何事かと入り口に目を向けてみる。するとそこにはがっくりと肩を落としながら力なく教室に入ってくる、うっかり行かず後家の口車に乗せられたハチベエの姿があった。ハチベエはこの二週間ほど、例の行かず後家との間で話し合いのために休んでいたのだ。


「ようハチベエ、久しぶりだな」

「ああ、ヒコザ、久しぶり」


 噂に聞くところによると相手の家との間でかなりもめたようだが、結局国の法には勝てなかったということだろう。結婚したくないなら慰謝料として大金貨一万枚払えと要求されたらしい。


 大金貨は一枚で日本円に換算するとだいたい十万円くらいの価値があるから、一万枚だと一億円ほどになる。そんな金額ともなれば、平民の中でもかなり裕福な商家やそこそこの貴族でも用意するのは難しい。豪族のタノクラ男爵なら何とかなりそうだが、それでもおいそれと出せる額ではないだろう。そんなわけでハチベエは結婚するしかないということになる。


 しかし、だ。


「なあハチベエ、お前の気持ちも分からんではないが、これから一緒に暮らす相手のことを邪険に考えるなよ」

「そうは言うけどなヒコザ、向こうは四十に手が届く大年増だぞ」


 十二歳で成人と認められるこちらでは、三十歳を過ぎた女性は大年増と言われてしまうのだ。


「それでも手を出したのはお前だろ。無理矢理やられたわけでもなく薬を盛られたわけでもなく」

「それはそうなんだけど……」

「うっかり相手の口車に乗ったお前が悪いんだよ、諦めろ。なあ、うっかりハチベエ」


 ハチベエは項垂うなだれていたが、俺は言いたかった一言が言えて満足した。ごめんよ、うっかりハチベエ。


「大事にしてやれよ。それになハチベエ、女はいくつになっても女なんだぞ」

「まあ! コムロさんたら、素晴らしいことをおっきゃるんですね」


 俺とハチベエの話を隣で聞いていたカシワバラさんが手を打ってそんなことを言ってきた。


「え?」

「女はいくつになっても女、私もその通りだと思います」

「同い年のカシワバラさんに言われてもなあ」


 ハチベエがぼやいている。


「もうこうなったらカシワバラさんでもいいよ。先に俺としたことにしてくれないかな」

「ハチベエ、お前何という失礼なことを! それにな、カシワバラさんは俺の第四ふじ……なんでもない……」

「え? コムロさん、今なんと?」

「な、何でもない何でもない! 忘れて」

「いいじゃないかヒコザ、カシワバラさんだって嫁ぎ先が出来るわけだし……」


 ハチベエにしてみれば、カシワバラさんはこっちの世界では超ブサイクだから嫁ぎ先がないと言いたいのだろう。だがそれは俺が許さん。


「ハチベエ、やっぱりお前は不幸になれ」

「うっかりハチベエさん、殺しますよ」


 だが俺以上にカシワバラさんは怒っているようだった。カシワバラさん、それ冗談に思えないから。俺は彼女の瞳に見え隠れする殺意に、背筋が凍る思いだった。

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