第10話 今度一度だけ触らせてあげますから
「ナガイエは捕らえられたか。厄介だな」
「はい、陛下は密かにササ殿下に刺客を放ったとの報告もございます」
タケダ・トラノスケは城の玉座の間にて配下の者からの報告を受けていた。傍らには相変わらずキクがいる。
「父上が? やはりまだまだ衰えてはおらぬか。キク、オーガライトはどの程度集まったのだ?」
「陛下と事を構えるには少しばかり足りませぬ」
「刺客はサイカの者に始末させよ。ナガイエが捕らえられた失態を拭えとな」
「
「よし、下がれ」
「ははっ!」
トラノスケが配下の者を下がらせると、部屋に誰もいないことを知っているキクはナガイエの膝に手を置く。そこから足の付け根までツツっと指を滑らせ、また膝まで戻すといった動きを数回繰り返した後に、
「サイカの士気が下がっております。残りの者たちだけでは殿下の御身が危ういやも知れません」
「当主なきサイカは
「はい、我らくノ一の術は心を惑わせて相手に隙を作らせるのみですが、魔法は即座に命を奪えるものもございます」
「よし、ならばこちらも父上に刺客を放て。向こうが魔法で来るならこちらも魔法だ」
「ですが殿下、魔法使いの魔力を感知出来るのは魔法使いのみ。一人しかいないあの者を刺客に放てば殿下の
「構わぬ。策がある」
そう言ってトラノスケに耳打ちされたキクは、なるほどと合点して口元に笑みを浮かべた。
「では至急そのように手配りいたします」
「父上、どちらが王に相応しいか決戦の時ですぞ」
優雅な後ろ姿を見せるキクを眺めながら、トラノスケはいずれ自らが国王となることを微塵も疑っていなかった。
「だからね、そこはこうなるわけだよ」
俺はその日、ユキさんとカシワバラさんの勉強を見るためにタノクラ男爵の城を訪れていた。年老いた頃の日本では記憶も頭の回転も鈍っていたが、転生を果たした今は身も心も若返ったお陰なのだろう。こっちの世界よりはるかに高度な日本の教育を受けていた俺は、学内の成績は常にトップクラスだったのである。特に数学に関しては日本の小学校で習う程度のものが現在の高等生の主な課程となっており、生活に直接関わってこないような難解な課程は全ての教科においても存在していないのであった。
「ヒコザ先輩はどうしてそんなに勉強が出来るんですか?」
ユキさんは分からないところを教える度に、感心しながらキラキラした瞳を向けてくる。時々軽口を叩くことはあるし出会った頃に比べて強気なこともあるけど、それは俺との心の距離が縮まったせいだと思ってる。だからこんな風に素直なところを見せられると余計に愛おしく感じてしまうんだよね。
「本当です。お嬢様は下級生ですからまだ分かりますが、私は同級生なのにまるで次元が違うようです」
カシワバラさんも勉強は苦手なようだった。これまでの人生を、戦いの技を磨くことに賭けてきたのだから無理もないかも知れない。それにしてもこうして両隣から美少女に挟まれるというのは実にいいものだ。しかも肩や肘が触れても
ところでカシワバラさんがお嬢様と言ったのはもちろんユキさんのことである。タノクラ家のメイドとして雇われることになったので、ユキさんのことはそう呼ばなければいけないそうだ。もっともユキさん自身はそんなことを望んではいないようである。
「もう、カシワバラ先輩、私のことはお嬢様じゃなくてユキでいいですから」
「いけません。主従関係は
「カシワバラ先輩の雇い主は父であって私ではありません」
「ユキ様はその男爵閣下のお嬢様ですから」
それでも学校ではユキさんのことをタノクラさんと呼んでいたから、時と場所を選んでの呼び方なのだと思う。お嬢様とカシワバラ先輩か。俺には
「ヒコザ先輩、今何かイヤラシイことを考えてませんでしたか?」
「え? い、いや、そんなことは……」
「いえ、コムロさん、そういうことを考えてましたよね?」
「カシワバラさん?」
「これでも元はくノ一ですから、
「カシワバラ先輩、そうなんですか? 私にも教えて下さい! ヒコザ先輩は何を考えていたんですか?」
その時一瞬、カシワバラさんがちょろっと舌を出したように見えた。もしかして何か企んでませんか?
「コムロさんは、私たちの胸を見比べていたんですよ」
「なっ! カシワバラさん、そんなことしてませんよね?」
「ヒコザ先輩、そうなんですか?」
「ユキさんまで、違うってば!」
しかし言われたせいで意識してしまった俺は、結局二人の胸を目で追っていたようである。その後、あの硬い石床に正座させられたのは言うまでもないことだろう。
「コムロさんごめんなさい。調子に乗ったお詫びに今度一度だけ触らせてあげますから」
カシワバラさんはそう耳打ちすると、ユキさんからは見えないように俺の耳たぶに軽く口づけしてきた。ゾクッとしたよ。それってくノ一の術じゃないよね。だがそのお陰でほんのわずかではあったが、正座の苦痛が和らいだように感じられた。
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