第2話 私はコムロさんを……

「ヒコザ先輩、遅かったですね。カシワバラ先輩とご用でしたか?」


 大抵の場合、ユキさんのこのような言い回しはとげを含んでいることが多い。つまり俺が他の女子とイチャついていたのではないかという疑いゆえである。まあね、前科があるから仕方ないよね。しかし今回ばかりは彼女もカシワバラさんの浮かない様子に気付いたようで、何となく言葉の端に心遣いのようなものが感じられた。もっとも後で俺が問い詰められるという可能性がないとは言えないのだが。


「ごめんなさい、タノクラさん。私がもたもたしていたんです」

「そうですか。では帰りましょうか」

「タノクラさん、ちょっと寄り道してもいいですか? お二人にお話ししたいことがありますので」

「私は構いませんが、ヒコザ先輩は?」

「うん、構わないよ」


 俺たちはカシワバラさんについて近くの公園に行くことにした。この公園には大きな池があり、うっそうと茂った常緑樹が特徴のよく言えば自然豊かな、悪く言えば逆にそれしかない場所である。休日には弁当を持った家族連れも訪れるが、平日の夕方では人影もほとんど見当たらない。その池のほとりにあるベンチに、俺とユキさんでカシワバラさんを挟む形で腰を下ろす。


「お話しってどんなことですか?」


 ベンチに座ってからもしばらく口を閉ざしていたカシワバラさんに、至って明るい声でユキさんが問いかけた。俺もつとめてにこやかにカシワバラさんの顔を覗き込む。


「実は私……二人に謝らなければいけないことがあって……」

「謝る? 何をですか?」


 ユキさんが不思議そうな表情で小首を傾げる。やめて、それ可愛いすぎるから。カシワバラさんが真面目な話をしようとしているのに、俺は不謹慎にもそんなことを考えてしまった。


「私は……私はコムロさんを……」


ところがそう呟いたカシワバラさんの瞳には、大粒の涙が溢れ出そうとしていた。




「絶縁状? シノから?」


 タケダ・トラノスケの居城では、玉座に足を組んで座っているこの城の主と、隣にはくノ一くのいち棟梁とうりょうキクの姿があった。その二人の前にうやうやしくひざまずいているのはサイカ流当主サイカ・ナガイエである。ナガイエは持参した書状をキクに手渡すと、憎々しげにそれがシノからの絶縁状であることを告げた。書状を受け取ったキクはほんの少し眉を上げたが、すぐに先日感じた人の気配はシノのものだったかと合点する。


此度こたびの我が娘の所業は私めの不始末。ですがサイカ流の恥をさらしたままにはしておけませぬ。どうか娘の始末をお許し下され」

「自分の娘を恥と申しますのか?」


 シノがサイカ家に絶縁状を叩きつけたとなれば、それは単なる家出の類いではなくにんということになる。トラノスケは配下の忍者たちの抜け忍を許しておらず、それに背くのは本人はもとより場合によっては一族もろとも死罪となる重罪だった。ナガイエがサイカ家を救う手立ては、自らの手で血を分けた実の娘を斬る以外にないということである。


「はっ! キク様には過分なご配慮をたまわったにも拘わらず、その恩をあだで返すような者はすでに我が娘にあらず」


 ただし、ナガイエにとってシノはうとましい存在でもあった。確かに一門ではずば抜けた才を持ち、あの歳ですでにサイカ流の奥義を究めた逸材である。ところがシノの容姿は国でも五本の指に入るであろうほどに醜い。これは社交の場にいて陰口を叩かれる一因でもあった。その度にナガイエを始めとするサイカ流の者たちは悔しい思いをしていたのである。


 無論、だからと言ってそれだけでは実の娘を斬ろうとまで思うことはなかった。しかし抜け忍は重罪、加えてくノ一として育て上げてくれたキクにも示しが付かず、日頃の不満と相まって殺意が芽生えたというところである。


「ササ殿下、我らくノ一の掟もございますれば、シノの処断はサイカ殿にお任せしてもよいかと存じます」


 キクはナガイエの怒りに燃えた瞳に真実を覚り、薄く微笑んでトラノスケに進言した。正直なところトラノスケがナガイエに成敗せいばいを許さず、サイカ流を根絶やしにしてしまっても構わないというか、そこには全く興味を感じない。だが武闘を得意とするサイカ流を見す見す滅ぼしてしまうより、この先何か使い途があるかも知れないと思い至ったのである。


 例えば配下のくノ一たちは男を骨抜きにする技や術には長けている。しかしこと戦闘に関してはズブの素人と言っても過言ではない。それ故にいずれはサイカ流を手懐てなずけて、美しい娘たちの護衛役として働かせるのも悪くないと考えたのだ。


「ナガイエよ、よもや娘可愛さに情けをかけるようなことはあるまいな」

「断じてそのようなことはございません。この私めが直接おもむき、必ずや死をもって償わせる所存」

「ほう、そちが直接か」

「娘……シノはあれでサイカ流奥義を究めた者。奴が本気になれば手練てだれ十名であっても苦戦すると思われますので」

「もはや奴呼ばわりか。よかろうナガイエ、そちにシノの成敗を許す」

「殿下、ありがたき幸せにございます」

「ついでにコムロ・ヒコザなる者も連れ帰って参れ」

御意ぎょいに!」

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