第5話 とろけるような笑顔でこちらに向かってきた

「これに見覚えはあるか?」


 陛下の横に立っていた側近と思しき人物が持ち上げて俺に指し示したもの、それはいつだったか村のカスケにこしらえてやった凧だった。話というのは凧の方だったか。


「どうだ、見覚えはあるか?」

「あ、は、はい、ございます。それは私が村の子供に作ってやったものですので……でもなぜそれがここに……?」

「安心するがよい。この持ち主の子の親には充分な代金を支払って譲り受けてきたものだ」


 そういやカスケの奴、新しいおもちゃがどうって騒いでやがったっけ。


「してヒコザよ、聞くところによるとこの凧というのは空に浮かんだままになるとか。しかしどのようにしても浮かび上がるどころかピクリとも動かん。そちはまさか新手あらての妖術使いではあるまいな」

「よ、妖術? まさか!」


 こっちの世界では魔術や妖術の類いが存在するが、それを使えるのはごく限られた者だけで、もちろん俺がその限られた少数に数えられることはない。


「その凧は糸の先端を持って走らなければ浮くことはございません。そう、その先端です」


 側近の人が糸の端を持ってこれか、という仕草を見せたので、俺はそれに応えたのである。


「ノリヒデ、やって見せよ」

「ハッ!」


 ノリヒデと呼ばれた側近の人は陛下に言われた通りその場から走り出す。しかし全力疾走でない上に、広いと言っても凧を飛ばすにはあまりに狭い玉座の間である。凧は浮かび上がることもなく、ただ床を引きずられるだけだった。


「浮かぬではないか。貴様、陛下をたばかったか!」


 ノリヒデさんは軽く息を切らしながら俺に凄んできた。いやいや、それじゃ浮きませんから。


「た、謀るなどとんでもございません! その凧を揚げるのはここでは無理にございます」

「そうです陛下! それに私もその凧が浮くところはこの目でちゃんと見ております!」


 ユキさんが助け船を出してくれた。


「ほほう、ユキも見ておるのか。ヒコザよ、ならばどこなら浮かび上がらせられると申す?」

「そうですね、もっと広いところ……あ、あと風がないと難しいと思います」

「この城の庭では足りぬか?」


 言われてお城の庭を思い出してみる。が、俺がここに来た時は驚いていて周りを見る余裕なんてなかったんだよね。


「恐れながら……ここにお招きいただいたことに驚きすぎて、私はお庭がどのようなものかよく見ておりませんでした。ただ、さえぎるものがない草原のような場所でしたら問題はございません」

「そうか、が許すゆえ、そこの窓から庭をのぞいて見るがよい」

「は、はい。かしこまりました」


 俺は一礼してから陛下に指し示された窓の方に向かって歩き出す。その後ろをノリヒデさんがピッタリと付いてきた。多分俺が何か変な動きをしないかどうか確認するためなんだろうね。凧を持った反対の手には腰に差した刀の柄が握られているし。お願いですからそれでいきなり斬りつけるようなことはしないで下さいよ。


 窓に辿り着いた俺はそこから眼下に広がる庭を眺めて驚いた。城門から入り口まで続いている整備された道の左右はよく手入れされた芝生になっており、広さはおそらく野球場がいくつか入るくらいだった。これなら凧を揚げるのには充分である。


「どうだ、足りぬか?」

「いえ、これだけの広さでしたら充分にございます」

「そうか、ではさっそく……」

「陛下!」


 意気いき揚々ようようと玉座から立ち上がろうとした陛下をノリヒデさんが大声で制した。いきなり後ろで叫ばないで下さいよ。ビックリしたなあ、もう。


「本日は謁見えっけんの予定が詰まっております。この件はまた日を改めて……」

「何を申すか。他の者など待たせておけ。事は王国の大事に関わることだぞ!」

「で、ですが……」

くどい! ヒコザ、それからサキノスケとユキも付いて参れ」

「陛下……」

「ノリヒデ、そちはここで留守番だ!」

「そ、そんなぁ……」


 ノリヒデさん、泣きそうな顔でそんな声出さないで下さいよ。笑っちゃいますから。


 それから俺たちはノリヒデさんの手から凧を奪い取った国王陛下に連れられて城の庭に向かう。ちなみに玉座の間を出たとたんに陛下は数人のメイドさんに囲まれていた。皆メイド服の下に隠した懐剣かいけんに手をかけているので、ここからはこの人たちが陛下の護衛ということなのだろう。


 それにしても彼女たちの動きには迷いも淀みも全くない。男爵家のメイドさんたちのほわほわした雰囲気はここでは味わえないようだ。


「陛下、ガモウきょうがお可哀想ですぞ」


 閣下もそのメイドさんの輪の外から陛下に話しかけている。


「あやつは仕事は出来るが口うるさくてかなわん」

「ガモウきょ……ってさっきのノリヒデさんのこと?」


 俺はその辺がよく分からなかったので、隣を歩くユキさんに小声で尋ねてみた。


「ヒコザ先輩、ガモウ卿は伯爵閣下ですよ。呼び方にお気をつけ下さい」

「え、あの人伯爵様だったの? 全然分からなかった」

「陛下のお側に仕える方です。牙は常に隠されているということでしょうね」

「牙……そんなに強い人なの?」

「さあ、そこまでは。ただガモウ卿がいらっしゃる時は陛下に目立つ護衛が付きませんから、おそらくは……」


 なるほど、それで今は陛下の周りをメイドさんたちが囲んでいるというわけか。


「父上、どちらに行かれるのじゃ?」

「おお、アヤカか」


 現れたのはアヤカ姫殿下だった。メイドさんの輪の一部が口を開け、姫殿下をその中に迎え入れようとする。ところが陛下のもとに数歩進んだところで、姫殿下が俺とユキさんに気づいたようだ。


「ユキではないか。それにヒコザも!」

「アヤカ様、今日もお元気そうで」

「姫殿下、お久しぶりです」


 アヤカ姫はぴょんぴょん跳ねながら、とろけるような笑顔でこちらに向かってきた。これまでの大人びた様子からは想像も出来ない子供っぽさが見てとれる。おそらくメイドさんたちの前だから、そういう姿を演じているのだろう。


「今日はどうしたのじゃ?」

「ヒコザ先輩が陛下に呼ばれたので、その付き添いで参りました」

「ヒコザが? 父上に無理難題をおおせつからなんだか?」

「いえ、決してそのようなことは」


 愛人発言はなかったってことでいいよね。


「アヤカ、無理難題とはなんだ」

「父上のことだから、ヒコザを困らせて楽しんでいたのかと思ったんじゃよ」


 父上のことって、この父親にしてこの娘ありってことか。


「まあよい。それよりお前も来るがいい。これから面白いものが見られるやも知れぬからな」

「面白いもの? 行く行く! それは楽しみじゃ」


 こうして陛下と姫殿下、それにタノクラ父娘と数人のメイドさんが凧揚げ会に参加することとなった。

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