第2話 据え膳食わぬは男の恥

「コムロ様!」


 五人組の女子に襲われてから数日後のこと、俺は学校から帰宅して一人で外に出たところを私服姿のアカネさんに呼び止められた。特に用があったわけではないが、暇なので村をぶらつこうと思っていたのである。つまり、アカネさんの登場は俺にとっては嬉しい誤算ということだ。


 タノクラ男爵家内でのメイドさんの正装、水色のメイド服姿のアカネさんも充分に可愛いが、今日の白のブラウスに前結びのリボンがあしらわれたレモンイエローの膝丈スカートもよく似合っていてとても可愛い。俺がそのことを褒めるとアカネさんは顔を真っ赤にして恥じらっていた。ユキさんもそうだが、このれてない反応は俺にとって至高のご褒美である。


「こんなところまでどうしたんですか?」

「はい、実は旦那様がこれから急いで来てほしいと」

「男爵閣下が?」


 例の襲われた一件のことだろうか。あるいは改めてたこのことを聞きたいと言われていたのも思い出した。いずれにしても今から急いでなんて随分急なことである。


「はい、お着替えもご用意してあります。手土産も不要なのでとにかく急ぐようにとの仰せです」

「着替え? 誰の?」

「コムロ様のです」

「はい? でもアカネさん、何も持ってないですよね?」

「少し離れたところに馬車を待たせてあります。お着替えもそちらにありますので」

「ば、馬車?」

「コムロ様、これから行くところはちょっと普通じゃない場所なんです。着いてから驚かないで下さいね」

「え? ユキさんの家……お城じゃないんですか?」

「はい、とってもすごいところです」


 タノクラ男爵のお城と比べてもということだろうか。まさかアカネさん、前に王女殿下と会ったあの個室茶店ちゃみせにでも誘ってくれようとしているのではないよね。もしそうだとするとぜん食わぬは男の恥というが、男爵閣下からユキさんを第一にしろと言われている手前断るしかない。いや、ちょっと待てよ。それだと着替えとか馬車とかの説明がつかないじゃないか。これはきっと別の何かがあるに違いない。アブナイアブナイ、危うくアカネさんといちゃいちゃする未来を想像するところだったよ。ああ、それにしてもアカネさんは本当に可愛い。


「じゃ、ちょっと家に出かけてくるって伝えてきますね。すぐそこだから」

「分かりました。私はここでお待ちしております」


 それから俺はアカネさんに案内されて迎えに来ていた馬車に乗り込む。用意されていた着替えはどこかの民族衣装のような派手さがあり、この世界というか王国では祭事の正装として用いられるものに感じが似ていた。ただし、平民がそれを着ることはほとんどない。


 当然そんなものを自分で着るのは初めてに近いため、着替えはアカネさんが手伝ってくれた。この人普段は一言多かったりおちゃらけてたりするのに、さすが男爵家に仕えているメイドさんである。手際がいいのなんの、それに時々ふわっと漂ってくる甘い香りがたまらない。思わず抱きしめたくなるのをこらえるのが大変だったよ。そうそう、馬車が揺れた時によろめいたフリして軽く抱きしめちゃったけどね。そうしたらアカネさん、真っ赤になってたっけ。思った通り柔らかくて気持ちよかったよ。


「コムロ様はあまりこのようなよそおいはなさらないのですか?」

「子供の頃、確か七歳になった時だったかな、そのお祝いの席で着たと思うけどあんまり覚えてないんですよ」

「でもよくお似合いですよ。とは申しましてもコムロ様でしたら何をお召しになってもカッコいいとは思いますが」

「あはは、アカネさんにそう言ってもらえるとお世辞でも嬉しいですね」

「あら、お世辞などではございませんよ。私なんかこうしてコムロ様のお着替えを手伝ったり……いえ、お側にいるだけでドキドキしてしまうくらいですから」


 それはアカネさん、俺も同じなんだけど、面と向かって言われたら告白されているようにしか思えないから。そんなことを考えていたら突然真顔になったアカネさんが意を決したように聞いてきた。


「コムロ様は私たちのことを可愛いとおっしゃって下さいましたが、あれは本心だったのですか?」

「え? あ、はい、もちろん。酔ってましたけど……その前に男爵閣下のお城に初めて入った時も言いましたね。あの時はまだ酔ってませんでしたから」

「からかった、というわけではないのですね?」

「からかうだなんて、本当にアカネさんを含めた全員、俺から見たらみんなめちゃくちゃ可愛い人ばかりだと思ってますよ。もちろんユキさんもね」

「それでしたら……あの……」

「はい? どうしました?」

「あの……えっと……」


 アカネさんはまたもや真っ赤になりながらもじもじしてうつむいてしまった。可愛い女の子が恥ずかしそうにしながら口ごもるのってなんかいいね。ってあれ、これってもしかしてやっぱり何か告白されるような雰囲気だぞ。付き合ってくれとか言われたらどうしよう。嫌ではないんだけど、俺にはユキさんという何を置いても一番に据えなければいけない女性がいるのだ。もちろんユキさんとは正式にお付き合いしているわけではないが、状況的にはそれに近いことになっている。それにアカネさんには申し訳ないけど、ユキさんを差し置いてまでお付き合いするという選択肢は今の俺にはないのだ。つまり、ここでアカネさんに交際を申し込まれても、俺は目に血の汗をかきながらノーと言わざるを得ないというわけである。


「こ、コムロ様……あの……」


 まずい、顔を上げたアカネさんの目には何かを決意したように強い力がこもっていた。交際を申し込まれて断ったということになれば、この後良好な関係を続けることが難しくなってしまう。それはメイドさん全員を嫁にするという、俺の希望に満ちあふれた将来設計的に望む結果ではないのだ。ここは何としてでも告白を阻止しなければならない。


「アカネさん、えっと……」

「コムロ様、大事なお話です! 黙ってお聞き下さい!」


 しかしアカネさんの意思は固く、俺は彼女の次の言葉を黙って待つより他なくなってしまった。

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